51. 地の底に潜むモノ
魔人族の街からほんの数時間ほど歩いたところで、イシガントが「ここよ」と言った。
「これが、37層もあるヤバいダンジョンの入り口?」
何の飾り気もなく、荒野の中に突然地下への階段だけが現れた、といえる簡素な入り口だ。ちょっと探検してみようかな? ぐらいのテンションで足を踏み入れたくなる。しかしその油断が何人の冒険者を殺してきたか。しめしめ何か掘れるぞ、と思って中に入ると、果てが測り知れない迷宮だった……。
……みたいな物語がありそうだ。恐ろしい罠のような入り口である。
「感覚をひらいて、よく目を凝らして見て」
イシガントの言葉に従い、階段をより注意深く観察する。
……なるほど。
薄い黒色のもやが、そこから漏れ出ている。イシガントの言によると、これは特殊な闇属性の魔力なのだそう。魔物たちを狂気に陥らせる元凶は、たしかにこの下に潜んでいるのだ。
「覚悟を決めたら、中に入りましょうか。見た感じはちょっと身体に悪そうだけど、人間の精神や肉体に影響を及ぼすような効果はないわ」
「よかった」
「たぶん」
「多分!?」
怖いことを言うな。
イシガントの尻を追いかけ、地下に足を踏み入れる。ただよう魔力の影響によるものかどうかはわからないが、身体に、息苦しくなるようなプレッシャーがかかる感覚を覚えた。
彼女に促され、宙に向けて魔法術を撃ち放ってみる。……話に聞いていた通り、手のひらからいくらも進めずに、雷は弱弱しく霧散してしまった。
このような状況には、つい最近の出来事でも覚えがある。強大な存在が行使できる、対象の魔力放出を阻害する術。結界。呪い。それが今回は、この地下空間全体に対して働いているようだ。
この状態で、狂暴化した魔物との会敵があるのなら、苦戦は必至だ。
「これでどうやって戦う……のですか? 魔物も徘徊しているのでしょう」
小さいが大事な疑問をぶつけてみる。
……イシガントとあまりに親し気に話すと、ユシドに何かを疑われる気がして、少し言葉遣いに気をつけた。
「魔法術封じが効いているのは、あくまでこの空間に対して。今度は試しに、魔法剣を使ってみて」
ユシドに目配せをする。彼は長剣を抜き、その刀身を輝かせ始めた。
翠色の風の魔力が、剣に収束している。……そうか、イシガントの言いたいことが分かった。
魔力の働きを阻害する効果が、今回は個人ではなく空間全体を対象にしているぶん、若干効力は弱いのかもしれない。体の表面から測ってほんの人差し指ほどの距離……くらいまでなら、魔力を扱うことができているようだ。
それだけでも、できることは変わってくる。
「剣の内側に魔力を押し込めたり、刀身のほんの表面を魔力で覆うことくらいはできる……ということか」
「そうそう!」
「……ふっ!」
ユシドが剣を一振りする。
刃に集っていた風の魔力は、それで消え去ってしまった。
「武器の攻撃範囲を延長できるという、魔法剣の強みは発揮できませんね。これじゃあ単に切れ味がよくなる程度です」
「じゅうぶんでしょ。ふたりとも、強そうだし? この迷宮を制覇するには、このメンバーしかいない!」
イシガントは眉をきりりと吊り上げ、拳を握りしめた。
お気楽に言ってくれる。地下深くとなれば紫の雷神剣も使えないし、加えて魔法術封じによって手札がずいぶん制限される。不安だ。
……まあ、しかし、そう臆することもないか。魔力障壁もなんとか使えるし、白兵戦でも人並み以上には働けるはずだ。
それに何より、イシガントは本当に強い。彼女の言うように、うまく連携できればどうとでもなるだろう。今回は剣術の修行だと思って、挑んでみるか。
先導に従い進んでいくと、やがて向かう先に、どこかで見たようなオブジェが現れた。円柱形で、細やかな彫り模様(おそらく、魔力を駆け巡らせるための経路だ)が施されているそれは、以前王都付近のダンジョンで見たものによく似ている。これがこの迷宮を往来するための、“転移装置”のひとつだろう。もしかすると王都のあのダンジョンとここは、同じ時代に作られたものだったりするのかもしれない。
イシガントが装置に触れ、オレには意味のわからない言葉をつぶやくと、あのときのように装置が光る。やがて視界が光に包まれ、身体が一瞬浮くような感覚に襲われた。
目を開く。イシガントが、進みましょう、と言った。ユシドはこの初めての経験を経て、そわそわした様子で周囲の景色の変化を確かめていた。
オレもみんなに続き、転移装置の底部から地面にしみ出すように描かれた、独特の術式で構成された魔法陣の内から出てみる。すると、最初の階にはなかった、何かが息づくような気配と、肌を刺す殺気を感じた。
ここから先には、まだイシガントが手にかけていない魔物がいるのだ。
「頼りにしてるわよ、かわいい魔法剣士さんたち」
気を引き締める。ここからは、着実に、油断せず進んでいきたい。
いきたい、のだが。
「ところで……」
先ほどから気になっていたことがあり、口を開く。3人の視線がオレに注がれた。
「なんで魔王ちゃんも一緒なの?」
そう指摘すると、この場でいちばん身長の低い彼女は、その体格に対してなかなかに大きく重そうな背嚢……、リュックサックを背負いながら、何やらプルプルと震え始めた。
そう、彼女は魔王城からここまでずっと、重い重いと文句を言いながら、健気にオレたちについてきていたのである。
「なんでとか、うちが聞きたい。うち……いや我、魔王さまなんだが?」
「荷物持ちです」
イシガントが朗らかに言い放った。ひどい。ががん、と悲しそうな表情で妹を見やる魔王ちゃんには、上司や姉としての威厳はない。
「もし異変の根源がここの一番下にいるなら、姉さんがいないと鍵開けられないでしょー。それでいて、この状況じゃ戦えないんだから、荷物持ちくらいしてくれないと」
「一番下に何があるのか知っているの? イシガント」
そう聞くと、イシガントは気軽な表情は崩さないものの、少しだけ真面目なトーンで語った。
「……“城”があるのよ。先代の王が今の場所に引っ越す前の、私たち魔人族のいた城が。今は、生きている人は誰も住んでないけどね。本当はこの迷宮も、今の王である姉さんが責任をもって管理しなきゃいけないの」
「ええやん、こんなかび臭いところ。墓参りのときくらいしか入らんじゃろ」
「と、このように悪びれていないので、荷物持ちです。民のためだと思ってしっかり働いてください」
なるほど、もとは魔人族の管理下にあった建造物だったのか。……それが今は転移装置も動力切れで、魔物が住み着いている、と。
管理責任者の顔をじっとりとねめつけると、彼女は気まずそうにそっぽを向いた。
「あの、荷物は僕が持ちましょうか、魔王様……」
「甘やかさなくていいのよユシドくん。あなたは自分の戦いに集中していて」
魔王ちゃんの顔がぱっと明るくなって、ずんと暗くなった。
彼女はあまり筋力とか運動神経とかがない。以前と変わっていないのなら、普段は自分の住まいの中だけを歩くことすら嫌う怠け者である。今の状態はまるで刑罰を受ける罪人のようで、ちょっとだけ気の毒に思ったが……、
まあ、いっか。何もしないくせにあの偉そうな態度でついてこられたら、腹立つしな。それによく目を凝らせば、小さな身体にうすい光がまとわりついている。身体強化の魔法術でも使ってズルしているのだ。
よし。荷物持ち、任せた。
「! 来た……」
ユシドのつぶやきを耳にして、警戒を強める。暗闇の中から、ぎゃあぎゃあと何かがわめく声がして、それは次第にこちらへ近づいてくる。
魔王ちゃんが手元の灯りを強めた。今いる部屋が広く照らされ、ただひとつの出入り口となる通路に、オレ達は向き直る。呼吸を整えながら、腰の剣に手をかけた。
だが、それを遮る手があった。
「おほん。君たち、まずはこのお姉さんに任せなさい」
一歩前に出たイシガントから、黒い蒸気のようなオーラが吹き出す。可視化されるほどの、強烈な闇の魔力の発露だ。この空間に漂うそれにも、決して負けていない。
「まずはあたらしい風の勇者さんに、実力をアピールしなくちゃ」
そう言って彼女は、こちらを向いて片目をぱちりとやった。いわゆるウインクというやつ。
う、うまい。オレはできないぞ。さすがイシガントだ。ユシドも見惚れている。オレは少年がイシガントの技を見逃さぬよう、親切にその頬をつねってあげた。
イシガントが部屋の出入り口に立ちはだかる。魔物たちの狂った気配は、そこまで来ていた。
黒い魔力が、彼女の両手にまとわりつき……獣以上の鋭く巨大な、“爪”を形作った。彼女が生来備える翼と尾も相まって、まるで人の形をした怪物だ。けれどその瞳には、人以上の知性が宿っているのだ。
そうして……蹂躙が、始まる。
「さッ!!」
丸太のように屈強な大蛇が、すばやくイシガントに噛みつこうとしたのを見た。だが、彼女が片腕を軽く振るっただけで、魔物たちの一番槍は輪切りにされてしまう。
次いでぼんやりと光る人間の悪霊。次いで大蝙蝠。次いで大ミミズ……一本道ゆえ、一体ずつ押し寄せてくる彼らを、イシガントはきっちり容赦なく殺していった。細切れになった身体と血しぶきだけがこの部屋に飛び込んできて、やがて光の粒に分解されていく。
うん、さすがだ。恵まれた身体能力をさらに鍛え抜いた彼女の動きには、いささかのなまりもない。むしろ200年も経って、さらに磨きがかかっている可能性もある。彼女はこの人間世界を陰から守る、魔人族の戦士だからだ。
……だが、本来の彼女ならば、もっとすさまじい戦いができることを、オレは知っている。こんなものではない。
イシガントの戦闘スタイルは、シークのような“魔導戦士”だからだ。すなわち、魔法術の扱いについても、一流の使い手である。
「ふっふっふ。驚いたか風の勇者よ。だが、我が妹の力はこんなものではないぞ」
「え……!?」
あ、我慢できなかったのか、魔王ちゃんがそれを言った。
「闇の魔法術というのはな、おどろくべき特性があってだな――」
「闇の魔法術は、他の属性の特徴を変質させることができる。つまり、“属性の強化”を可能とするんだ。炎はしつこく消えない黒炎に。雷は激しく猛り敵を蝕む黒雷に。水属性は……どういう理屈だかわからないが、“氷”になったりする」
「氷!! すごいな……それだけで商売ができる……」
魔王ちゃんが始めようとした解説を横からかすめ取り、実際に目にしたことのあるイシガントの技をユシドに教えた。彼は真面目な顔で、変な感想を口にしている。
魔王ちゃんが目に涙をためてこちらを見ていた。泣くなよー。オレもこういう解説が好きなんだよ。すまないねえ。
「……とゆーわけで、あれは軍団長の実力のほんの一端に過ぎんというわけじゃわ。妹を連れ出すのなら、相応の働きをしろよ、ユシドよ」
緊張した面持ちでユシドが頷く。
……まあ、今の風の勇者はお前なんだから、オレではなく彼自身が、魔王ちゃんやイシガントに認められる必要は、あるのだろうな。
この戦いでそれを示してやるといい。単なるご先祖の後釜じゃないってことをさ。
「ふー。やっぱり、あんまり良い気しないな。普段は大人しい種族の子まで、襲ってくるんだもの」
自分の浴びた返り血が、光に分解されていくのを目で追いながら、イシガントが戻ってくる。
オレの目の前までやって来たころにはもう、汗ひとつかいていない、綺麗な彼女のままだった。
「お疲れさま」
「おー、イェイイェイ。どうだった? 久しぶりに見た私のバトルは!」
「さすがですわ。感嘆致しました」
「うーひっひ。敬語やめろ~うりうり~」
機嫌よく肘で小突いてくるイシガント。共闘が久しぶりだからか、こっちが女性になったからか、無駄に距離感が近いな……。
「どう、ユシドくん。私は仲間にふさわしいかな?」
「え……ええ。そんな、こちらこそ、あなたに並び立てる勇者にならねばと」
「おっ、殊勝だねえ」
「シマドとは大違いじゃ」
二人がちらちらとこちらに目配せしてくる。
うざ。
「まあ、本当は氷結の術がお気に入りなんだけどねー。ここを出たら見せてあげよっか」
「はい!」
「ようし。それでは、第11層までのクリア目指してがんばろー」
「おい……この荷物は、もういいんじゃないかな……? 妹? ……軍団長? ねえ」
イシガントを先頭にして、オレ達は地底迷宮の攻略を開始した。
部屋を出て幾ばくもしないうちに、道中でもやはり、狂乱化した魔物たちが襲い掛かってくる。たしかに、ここは歯ごたえがありそうだ。並のハンターでは潜行できまい。
だが、彼らはことごとく、イシガントの圧倒的な力によって薙ぎ払われていく。オレ達の力は要らないんじゃないの、とも思ったが、どうやら若者の見ている手前、いつもより張り切っているらしい。気持ちはわからんでもない。
一緒に進んでいくうち、ユシドが敬意のこもった眼で、彼女を讃えた。
「すごい……これが、200年前の、勇者の力……!」
……………。
オレも、200年前の勇者なんだが?
「んんっ。んん! んん、ごほっ」
咳払いしながら前へ進み、先頭のイシガントを肩で押しのける。しすぎて少しむせた。
ほら、魔法剣がどれほど通用するのか、そろそろ試さないと。イシガントの実力に文句などないが、君ばかりに戦わせるわけにもいかない。
そういう意図を込めてイシガントに目配せする。彼女はしばし、きょとん、としたのち、ウインクしながら親指を立ててきた。ちゃんと伝わってるよね?
「よし、いくぞ!」
腰の剣に手をかけ、ぐっと力を込める!
がち、と音がした。
抜けない。
「…………」
『ヌウッ!? なんだ、その起こし方はやめろと言ったはずだ』
ぱりぱりと電流を流し、イガシキを優しく起こす。
現在の事情を説明し、今回は剣が無いと厳しいことを伝えた。
力を貸してくれるだろ、相棒っ!
『何? フハハ、いい気味だ。剣も術も使えんとなっては、いよいよ貴様も終わりというわけだ』
剣帯から鞘を外し、地面に叩きつける。そのまま何度もめちゃくちゃに踏みつけた。
『イタタタ!! わかったから! やめろ!! 剣渡すから! 小娘! やめ……クソ人間!!』
説得の末、剣はやがてするりと抜けた。
オレにもイガシキを許すときと、許さないときがある。互いの機嫌を読み、もっとうまく付き合おうじゃないか。
剣を振り、魔力を通してみたり、と具合を確かめていると、後ろの魔王ちゃんが声をかけてくる。
「精霊を宿した武器か。またしても業の深いことをするものだな、ミーハよ」
「……精霊?」
聞き間違いじゃないよな。こいつは、イガシキは、“魔物”だ。
……どういう意味だ?
『しかし、この場に漂う魔力……まさかな』
イガシキの特徴的な声が、オレの思考を中断させる。
また、気になる物言いをした。何かあるのか聞いてくれと言わんばかりだ。
でも、匂わすだけ匂わせておいて、こいつは何も言わない。性格が悪いんだと思う。
「イガシキ。何か言いたいことでも?」
『………』
ほら。
別にそういうところはとくに嫌いではないのだが……ちゃんと教えてほしいと思うときも、ある。
テルマハと違って結構お喋りなのだから、たまには饒舌に、言いたいことを言ってくれ。
「なあ。お前がそうやって意味深な発言をすると、大体トラブルが待ってるって、そろそろ学んだよ」
バルイーマでも王都でも、思い返せば、何かに勘付いているような口ぶりをしていた。
「この前は……お前がずっと黙っていたから、大変な目に遭った。いや、違うな。イガシキのせいにはしたくないし、最後に助けてくれたから、感謝はしてるよ。でもさ……」
『………』
うまく言葉を選べず、静かになる。みんなが耳を澄ませているのだと分かった。
やがて……、鞘にかけた指が、かすかな振動を受け取る。彼が、話し始める音だ。
『……同胞たちを狂わせるほどの闇の魔力となると、心当たりはひとつ思いつく』
イガシキが応えてくれたことに、ささやかな喜びを感じる。みんなもまた、オレたちを取り囲むようにして集まり、その声に耳を傾けた。
『そいつは星霊マ・コハに匹敵する力を持つもの……“夜霊ヨニナグ”。お前達の呼び名で言うなら――』
「……闇魔?」
『そうだ』
闇魔・ヨニナグ。闇を司る魔物。強大で測り知れない何かを秘めていたあのマリンと、対を成す存在がいる……。
汗が一滴、頬を流れた。
「それが、この先にいると?」
『わからん。……あいつは、むやみに己の魔力をまき散らすことを良しとしないはずだ。ましてそれで同胞たちの理性を奪い取るなど。なにせ、人間と精霊がいがみ合うことを嫌っていた馬鹿者だ……』
「ちょっと待った。精霊、って?」
さっきから時々話に出てくるが、どうもオレの知るものと言葉のニュアンスが異なる気がする。
その疑問を口にすると、答えは、思わぬところから帰ってきた。
「精霊っていうのは、彼ら魔物の元々の姿よ。本来は、星の自然が生み出した純粋な魂たちなの。星を豊かにする役割を持っている生命のひとつ――の、はずなんだけど」
『お前たちが魔物呼ばわりしているのは、人間への負の感情に侵された精霊たちだ。よその世界から人間どもが引っ越してくる前は、うまく星を運営していたさ』
「あら。失礼を言って、ごめんなさいね」
………。
初耳、だな。
魔物たちの由来は、この世界に漂う魔力の影響で強靭に発達した動物たちであったり、その動物たちの霊がさらに魔力の影響を受けて、恐ろしい怨念となったもの、だというのが俗説のはずだが……。
古くからの文明の一部を継承している魔人族たちと、一体何歳なのかわからないイガシキが言うのなら……うそだ、なんて、言えない。
星を豊かにするはずの存在、か。それが明確な憎しみのまなざしで人間を襲い、ときには下劣な悪意を持って陥れたりもする。
なんだか、ショックな話だった。
『ともかくだ。もしも、マ・コハのように魔物に堕ちたヨニナグが、この先に待ち受けているというのなら、お前達に勝ち目はないだろう。そこの女は多少やるようだが、この闇の結界内ではな。……解決したいのなら、この地下施設をまるごと永久封印するか、あるいはせめて、貴様らの仲間のガキども二人と合流しろ』
「……おや、意外。二人のことを買っているんだな、イガシキよ」
『勇者共の中では、お前が一番弱いからな』
「あ゛あ゛?」
今とんでもないことを言ったか、こいつ。
ぎりぎりと鋼の鞘を力んで握り締めていると、ユシドが声をあげる。
「どうしましょうか。彼の情報は貴重です。そう的外れなことではないかも」
「はー、最悪じゃ。帰っていい?」
やる気のなさそうな人が一名いるが、それは無視。
イシガントは、顎に手を当ててしばらく考えたあと、口を開いた。
「……まずは異変の元凶の、顔と居場所だけでも確かめないと。退却を念頭に入れつつ、迷宮を調べていきましょう。それで、武力で解決できそうなら、そのまま倒してもいい」
『忠告はしたぞ、人形』
「むっ。失礼な鞘なのねー」
方針は、このまま進むということに決まったらしい。
オレも賛成だ。イガシキの言うように、ティーダとシークの合流を待つにしても、まずは偵察が必要だ。そもそも、闇魔が元凶だとはまだ決まっていない。イガシキの知るそいつとは齟齬があるようだし……。
ただ。ひとつだけ、聞きたいことがある。
「闇の魔力に、その……精霊、が操られているのなら。光の、破邪の魔法術で、彼らを黒いもやから解放することはできないのか?」
その問いには、この国の王である少女が答えてくれた。
「もう試した。結果は失敗じゃ。一度ああなれば、もう殺してやるしかない」
「そうか。わかった」
なら、今まで通り、彼らを斬るだけだ。
『なんだ、やつらに同情しているのか? お前がか? 今さら?』
「……うるさいな」
多少思うところは、あるさ。
だがオレは、人間は、わがままだ。彼らが襲ってくるのなら、迎え撃つ。本当は魔物たちの世界だから、邪魔な自分たちはこの身を捧げます――、なんて考えになるはずもない。この話を聞いたくらいで、やるべきことが今までと変わることは、ない。
オレ達は聖地に辿り着き、世界中の魔物たちの力を抑制する。これも人間のわがままだが、この世界の悲劇を減らすためには、必要なことだ。
みんなで顔を見合わせ、先へ進む意思を突き合わせる。このとき、魔王ちゃんだけが嫌そうな顔をしていた。
先の見えない暗闇の中へまた一歩、踏みだしていく。オレはその、自分の足を見た。
このずっとずっと下に、何かがいる。“もうひとつの魔王城”で待ち受けるものは、果たして――。
「よし、装置のメンテと、魔力の充填完了! これでまた一階層クリアね。いや~だいぶラクできました、ありがとね! 動作確認をしたら、帰って休みましょ」
と、イシガントが明るい声をあげたのは。
攻略を開始して、一日が経ってからのことだった。
一日である。暗く埃っぽいダンジョンの中を歩きまわり、魔法術が制限される中で強力な魔物たちと戦い、次の階層の転移装置に辿り着くまでに、およそ一日が経過していた。
疲労に膝を折り、深く息を吐きながら、イシガントに悪態をつく。しかしこいつ、こんなところをたったひとりで、これまでに十階層ぶんも進んだというのか……。
さすがだ、と思う。それはそれとして、しんどい。
「ひとつの階層がこんなに広大かつ複雑だなんて聞いてない。……なんなんだ、このダンジョン」
「さあねえ。うちの王様になる人って偏屈ものだから、性根の捻じれた人が趣味で迷宮を創らせるとこうなるんじゃない?」
「趣味で迷宮なんか作るのか……?」
「すごいなあ、ここ! 見てよミーファ、発掘されてない古代のアイテムがたくさん! 魔王様もいくつか持って行っていいって!」
「おー、よかったね」
「ほら、物凄い純度の雷の魔法石だよ。み、ミーファにあげるよ、雷だし」
「……おー、ありがと」
断面が紫色に輝いている鉱石を受け取り、眺める。たしかに、いい品だ。
荷物の中に仕舞う。ユシドの顔を一瞥すると、目が合ってしまったので、逸らして知らないふりをした。
……良いことを思いついた。これは、後で……。
それにしても、疲れたな。早く帰ろうじゃないか。
イシガントがいそいそと転移装置を操作しているのを眺めながら、雇い人に文句を言う。
「こんなところを攻略させようだなんて、魔王様も人使いが荒いですこと。……あれ。魔王ちゃん?」
返事がない。部屋を見渡して魔王ちゃんを探す。
彼女は……疲れ果てた彼女は、哀れにも、自らが背負っていた大きなリュックの下敷きになり、死んでいた。
かわいそう。とりあえず、安らかな眠りとなることを祈ろう。
地べたの方から、か細い声が聞こえてくる。
「妹よ……。最下層にたどり着くまでは、別にうちはいなくてもよくない?」
「どうせ暇でしょー。このふたりと仲良くなるためにも、一緒に頑張りましょうよ、姉さん。それにたまには運動運動! 私達は無駄に長生きな分、健康寿命こそが大事なんだから」
「月一でエクササイズもヨガもしとるもん……」
これだけ体力と時間を使って、ようやく一層。ユシドとイシガントは平気なようだが……。
単純に考えて、全て調べ終えるまでにはあと一か月はかかりそうだ。元凶が最下層にいないことを祈りたい。
二カ月。
二カ月が経ち、オレ達はようやく、そこに辿り着いていた。
最下層の転移装置を稼働させ、すさまじい達成感。だが、いまいち、はしゃげなかった。
……しばらく進んだ先。非常に広い空間に出る。天井になるべき岩肌も、ずいぶん上にある。そしてそこに納まるようにして……“城”が、ある。
地底の中にたしかにあった、魔王の城。
そこから、何か禍々しい気配がする。イガシキの言うような、人間と争わない精霊が発するものだとはとても思えない。
「どうする? イシガント。今日は戻るか」
横に立って共に城を見つめていた、闇の勇者に、声をかける。
「……みんなが良ければ、中を見ていきましょう。退却の準備はしっかり用意したし」
「やれやれだ。湯浴みか水浴びをしたい」
わざと軽口を叩き、緊張をほぐす。
実際、服の胸元をひっぱって鼻をすんすんと鳴らすと、なんともよろしくない匂いがする。なるべく清潔でいたいんだがな。
「大丈夫大丈夫。汗臭いくらいがエロいみたいなときもあるから。そのままユシドくんにくっつきなさいよ」
「何言ってんのお前?」
「なによー、元男性なんだからわかるでしょー」
「……いや、いやいや、それは特殊な嗜好ですから」
しょうもない会話をしていると、ユシドと魔王ちゃんが追いついてくる。
少しユシドと距離を取りながら、先へ進んでいった。
際限なく高まっていく、闇の気配。
この場所の主であるべき魔王が、城門に手をかざす。
扉が、ゆっくりと、開いていく――。
地下を行く勇者たちは、ついにそれと対峙する。
そして――場所は変わり、地上では。
「な……、あれは……っ!」
魔人族の都を守る門番たちは、高く厚い門の上に立ち、遠くの地平を見渡す。
荒野には土煙。そして、荒い息遣いと、暗くよこしまな魔力の猛り。
闇に侵された魔物たちが、大群の群れとなって、人々に害成すべく、この都へと押し寄せようとしていた。
「まずいな。軍団長も魔王様もいないときに」
「うちらだけじゃきついけん、犠牲者が出るかも……」
「だがやるしかない。兵たちを招集しよう!!」
「……おおーーい!!」
決意の表情で不安を覆い隠す門兵たちに、はるか下、門のふもとから声をかける人間がいた。
ひとりがすぐに跳び下り、その異邦人たちに事情を説明しようとした。
「すまん、人族のお客さん方。大変なことになっちまったよ。ええと、絶対に傷つけさせないから、さあ、ひとまず街の中へ」
「あー、向こうから大群の足音がするなあ」
「そうなんだよ。だから、お連れの方々も早く……」
門兵の焦る声は真剣なもの。優れた軍事力を持つ魔人族の戦士のひとりが、このように取り乱すことから、尋常でない災厄が迫っていることがわかる。
しかし……
男は、なんでもないことだというように、へらへらと笑った。
「ちょうどいい。俺達が加勢しよう。それで宿とか安くなるかもしれんし……」
「あ、あんた! 待ってくれ!」
「魔人族の兄さんたちは、後からゆっくり来てくれたらいいよ。……行こうか、シーク」
赤髪の男が、豪奢な馬車を護衛していた少女に声をかける。
巨大な斧を肩にかつぎ、少女は元気よく返事をした。そこに恐れの色はない。
それを聞いた男は不敵に笑い、その両手で、槍を握った。




