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落雷ブレイブガール!~TS転生勇者、子孫に惚れられる~  作者: もぬ
輝きの王都 / あなたのともだち
45/63

45. 星の降る夜

 薄暗い地下室を歩き回って、いくらかの時間が経つころ。

 少年は自分のいる場所について、ひとつの推測に行き当たった。


(この部屋の広さ、かたち……)


 既視感がある、と。

 ユシドは自分の記憶の中から、ひとつの地図を引き出した。何日も通って地理を把握した施設、王立学園だ。

 その地図と、今歩き回った場所の構造を照らし合わせる。しばらくの沈黙ののち、彼の中では確信に近い仮説を立てる。

 いま目の前にある、何か形あったものが崩れたあとと思われる石塊。これはおそらく、北校舎の一階に続く階段ではないだろうか、と。

 ここは広大な学園の地下である。ならば元々は、あの隠された入り口以外にも、行き来するための階段はあったのかもしれない。

 ならば……階段が続いていたかもしれない天井の一角。そこを、攻撃してみれば。出口を確保できる可能性がある。

 天井の崩落による生き埋めというリスクはあるが、やってみる価値はある。

 少年はそう考えた。


 焦りの混じった思考で、ユシドは賭けに出る。この地下に足を踏み入れた途端、ひとりをのぞいて、仲間たちと分断された。合流することが先決だが、退路の確保もできればしておきたかった。

 天井をにらみ、鞘にしまわれた剣に手をかける。

 少年は緊張感から汗を流し、武器を抜くことをややためらった。


「……マリンさん! 少し離れていて。天井が崩れるかもしれない」

「は、はい。あの、でも、危ないんじゃないですか?」

「うん。でも、最悪でも君は生きて返すから。そこの、部屋の出入り口まで下がっていてくれ」

「………」


 マリンと呼ばれた少女は、後ろ手に隠していた淡い光の刃を、音もなく消し去った。

 ユシドが見ていないのを良いことに、つまらなさそうに小さく息を吐き、そこを離れていく。


「よし!!」


 覚悟を決めたのか、少年は腰の剣を引き抜いた。

 白い刃に集っていくライトグリーンの魔力の光が、地下室を淡く染める。窓も何もない部屋に、風が吹いた。


「穿てッ!!」


 少年が剣を一振りすると、先端を鋭くとがらせた竜巻の槍があらわれる。それは天井に突き刺さり、さらに深く進んでいく。

 掘削が進むにつれ、瓦礫や土くれが降ってくる。目論見が外れていたのならば、このままでは生き埋めになるだろう。ユシドは額に汗をにじませ、頭上を強くにらんだ。

 やがて……


「!!」


 穴が、通った。

 風の槍が消え、土煙が晴れたあとには、天井に開けた穴の向こうが見える。そこには地下の暗闇ではない、何かの光源が垣間見えた。

 月の光。学園の窓から差し込む月光だと考え、ユシドは喜んだ。


「マリンさん! こっちへ」


 言葉に従ってやってきた少女に、ユシドは笑顔を向ける。そのまま風の魔法術を使い、自分と相手の身体を宙へと浮かせ、上昇させていく。

 穴を通った先は……考え通り、見知った王立学園の校舎内、二階へ上がる階段のすぐそば。やはり古い昔は階段で地下と行き来できたのだろうと、ユシドは結論付けた。

 ふたりが地上に立つ。ユシドは少女と目を合わせ、考えていた頼みごとを口にした。


「マリンさん、頼みがあるんだ。難しいと思うけど……街を走りまわって、ハンターや王宮兵に協力を呼び掛けてほしい。いや、先生でも、清掃員でもいい。誰か一人にでもこの大穴を見てもらって、救護の備えをしておいてほしいんだ」


 言い切った後で、再び逡巡する。

 相手も今は不安に満ちているはず。仕事を押し付けすぎるのも良いことではない。


「……いや、家に帰って、自分と家族の身を守っているだけでもいい。僕の仲間たちは強いんだ。あとのことは任せてくれ、それじゃあ!」


 ユシドはそう言い残し、また穴の中に飛び込んでいった。

 彼が去った後には、白銀の少女だけが残る。


「かわいいひと。ミーファさんと、少し似てる」


 少女は暗い闇を覗きこむ。ほのかに光る金色の目には、何かが見えているようだった。

 窓から差す月明かりの中、薄く微笑む。

 そうして、煙のように、あるいは雲に隠れる星のように、その姿はだんだんとぼやけていって、やがて消えた。




 地下空間の狭い廊下を、ふたつの人影が歩く。

 赤髪の男――ティーダは、道中において奇妙な行動を繰り返した。壁を拳で叩いたり、天井を槍で突いたり。這いつくばり、耳を地面に当てたり。

 それを、白銀の髪色をした少女が、困惑した表情で見つめている。


「よいしょ。あ、腰いて……」


 ティーダが立ち上がる。彼はいつもの、どこか疲れたような顔をしながら頭をかき……

 鋼の十字槍を、少女の首に向けて突き付けた。


「……どうして、私に槍を?」

「なんでだと思う? 心当たりとか、あるかな」


 そううそぶくティーダの中では、しかしまだ、明確な真実は掴めてはいなかった。

 今日この瞬間までの“マリン”の言動や、こうして陥っている現状。そして、目の前の少女から地面にかかるはずの体重が、異常に軽いこと。それらのことから、ティーダは自分の後ろをついてくるこの少女が、人間ではないと考えた。

 ティーダの胸中では今、ふたつの仮説がうずまいている。

 ひとつは、目の前の存在が、何者かの作りだした幻や、黒幕の擬態した姿であること。

 もうひとつは……マリンという少女が、最初から、敵であったということ。

 後者が正解ではないことを願う気持ちと、これまでに感じた違和感の積み重ねがせめぎ合う。


「うーん。心当たり? ありません」


 ふたつの説は、どちらとも正解である可能性も、ある。

 ティーダの脅しに対して、目の前の人の形をした存在は、とても場違いな、明るい笑みを浮かべた。

 それを見て、槍を動かす覚悟を決める。


「そうか、よッ!」


 首を狙って突き出される刃。それを……素早く動いた白い手が、素手のままにつかみ取った。

 ぎりぎりと震える刃先と、ティーダの腕。流れる汗が、彼の緊張と、右腕に込めた力を物語っていた。


(……ッ! 動かねえ。話に聞いた、光の身体強化の術か? それとも)


 魔物の身体を貫く鋭い刃を、これほど強く握り締めているのにも関わらず、少女の手から流血はない。


「なあマリンちゃん。君、幻……いや、分身とか出せるの? それは魔力で作った身体で、よそに本物がいるとかさ」

「………」

「あれ、当たりかな。適当に言ってみるもんだな」


 話しながら、ティーダは槍を押すことをやめ、一気に引く。

 少女が、尋常でない握力で刃を掴んでいた手を離す。保っていた笑顔は、やがて無表情に。そして、だんだんと、不愉快な感情を隠さない冷たいものへと変わっていった。


「賢しらなのね。あまり好きじゃない。消えてくださる?」

「おや、厳しい上に怖い怖い」


 気丈に返しつつ、内心冷や汗を流す。肌で感じるこれまでにない重圧と、恐ろしい想像が、彼を脅かす。

 ……マリンという少女は元から人間ではなく、勇者を害する敵。そしていま、“よそに本物がいる”なら……、分断された仲間たちにも、彼女の魔の手が迫っていることになる。

 もしもこの想像が当たっているとしたら。他の面々はマリンを信じ切っていて、無防備な状態で何をされるか分からない。一刻の猶予もないだろう。

 ティーダはひとつ、深く息を吸い、吐き出した。

 ひょうひょうとしていた態度と表情が切り替わる。


「仲間に手を出してみろ。一生かかってでもお前を殺してやる」


 魔力の猛りと、ひとりの人間が健気に吠える様子を見て。光魔は、一転して機嫌を良くした。


『そういうのは、嫌いじゃない』




 細い廊下を警戒しながら歩くシークは、突如足の裏から伝わってきた、人間に根源的な恐怖を与える感覚に揺れた。

 小さな地震。身体にかかる振動と、大地が鳴くような低い音。しばしの困惑のあと、シークはそれが、仲間のひとりであるティーダが戦っている影響だと理解した。

 しかし……狭苦しい地下で、地震地割れを起こしかねないような大魔力を行使する。シークの知る限り、慎重な彼がやることとは思えなかった。

 つまり。それほどまでに、彼を追い詰める敵がいるのかもしれない。

 シークは走り出したい気持ちを抑え、背後の少女に声をかけた。


「マリンさん、私から離れないでください。やっぱりここは危険です」

「は、はい」


 一緒に迷い込んでしまった少女を背中にかばいながら、シークは警戒し進んでいく。


「!」


 立ち止まり、後続を手で制す。すぐ近くに戦いの気配を感じたからだ。

 肌を刺す感覚は、やがて音となって予感を確信に変える。進む先の側壁に、亀裂が入った。

 廊下の壁の一部が、砕け崩れ落ちる。空いた横穴からは土埃が激しく吐き出された。向こう側から何者かが壊したのだ。

 シークは武器である大剣を構え、壁から現れつつある人影を見つめた。

 土煙が徐々に晴れる。


「魔物!」


 人間と同じ、二足歩行の獣。先日王都を襲った、人をさらう魔物たちと同種だ。

 マリンの話も考えれば、やはりここが彼らの本当の巣なのかもしれない。そう考えたシークは、敵を切り裂くべく、剣の柄を強く握り締める。

 敵の特徴を鮮明にとらえようと、目を凝らす。そうして、それに気が付いた。


「ティーダさんの、槍?」


 魔物はその腕に、一本の槍を携えていた。

 人型の魔物が人間のように武器を振り回すという事例は、たしかにある。ならば……彼らの振るう武器は、どこから持ち出したものなのか。

 目の前の獣人が担いでいるものが、自分の良く知る鋼の十字槍であることを認め、シークは全身の毛が逆立つ感覚に襲われた。

 たかだか一匹の魔物に、彼が後れを取るはずはない。理性はそう言っている。

 しかし感情は、既にシークの身体を動かしていた。


 それを取り返さんと、足は火が付いたように走り出す。大剣を携え、狭い廊下の壁を深く傷つけながら、シークは横払いの一撃を振るった。

 火花が散る。あらゆる魔物をねじ伏せてきた剛剣が、あろうことか、槍の腹で受け止められていた。

 あの槍の頑丈さなら、折れずに重量級の攻撃を防ぐことは可能だ。しかしそれを、野蛮で原始的な行動をする獣人が成し遂げるというのは、シークには信じがたいことだった。


『アア……ガアアアアウ!!』

「くっ……、うあああーーっっ!!」


 普段はなんてことのない獣の声が、身体をすくませる。得体のしれない敵の技が最悪の想像をさせる。奪われた槍に、想い人が貫かれる姿だ。

 それを振り払うように叫び、シークはがむしゃらに攻撃を続けた。

 何度も剣を振る。だが、そのいずれもが槍によっていなされる。大剣を振るうのに適していない閉所ゆえに、慣れた動きがしづらいというのもあるが、振りにくいのは槍も同じであるはずだった。

 武器での戦いは決着が遠のく。そう判断したシークは、剣を振る勢いに身体を乗せ、強烈な蹴りを敵に食らわせた。空いた距離を勝機と捉え、水の魔力を蓄えた左手を眼前にかざす。

 後退した獣人が、槍を地面に突き立てた。


「な……!?」


 狭い廊下を駆け抜ける水流の槍。それを、地面・天井・左右の壁から瞬時のうちにせり出してきた石壁が阻む。

 石と水流の衝突が視界を邪魔する。予想もしないことに立ち止まったシークの四肢に、土石で形成された蛇があらわれ、からみついた。

 いずれも見覚えのある、魔法術だった。ただの魔物が扱うようなものではないはずだ。

 敵の正体を考え始めたとき、シークの頭に大きな手が乗せられる。それは、恐ろしい獣人の手のひらだった。

 全身の筋肉がみしりと音を立て、窮地を脱しようとする。だがそれは叶わない。

 シークの目が映す景色が、かげろうのように揺れる。にぶい吐き気と、身体の先端が無くなってしまったかのような感覚。顎や頭を強く打ち、膝を折ってしまうときのそれに似ている。

 頭の内側を揺らされ、遠のく意識の中で、シークは懸命に敵をにらもうとあがく。


「ティーダ、さん……」


 少女は自分の力のなさを呪い、目を閉じた。

 四肢の束縛が解け、土くれに戻る。

 前のめりに地面に倒れようとするその身体を……ティーダは、優しく受け止めた。


「………」


 幻覚によって操られた仲間との死闘の後、身体はきしみ、しかし強い怒りが彼に膝をつかせない。

 大地に震動を与える術の応用で昏倒させたシークを一瞥し、また、顔を上げる。だが、そこから彼の感情を読み取ることはできない。

 激しい憤怒を通りすぎた、仮面のように冷ややかな表情で。ティーダは、ずっとシークの後ろにいた少女に視線を刺した。


『なあんだ、短い見世物ね。どう? おもしろかった?』


 シークを左腕で支え、ティーダは右手ですぐそばの壁に触れる。

 瞬間、廊下の側面から生えた岩の巨拳が、少女の全身を叩きつぶした。


『どうしてお返事をしてくれないの? おしゃべりな人だと思ってたのに、これじゃ退屈』


 しかし少女は、何事もなかったかのように岩の塊を通り抜けた。

 次いで、上下左右の四方から、岩杭の群れが激しく襲い掛かる。……しかしそのどれも、少女の身体に突き刺さってはいない。まるで、身体のない亡霊のようだった。

 実体のない幻影。しかしほんの先刻、少女はティーダの十字槍を、手で掴んで止めてみせた。その場面が男の脳裏をよぎる。

 ティーダは、気絶したシークの身体をそっと横たえた。

 ゆっくりと歩き、互いに近づいていく両者。言葉だけではなく手が届く距離にまで近付いたとき、ティーダの右手が、あわい白銀の光を帯びる。

 少女が眉をひそめる。男の拳が閃き、その華奢な身体を殴りつけた。

 少女の像にノイズが走る。魔力によってつくられた半実体の分身体は、同じ属性の魔力に干渉され、崩壊し、霧散し始めた。


「やっぱり光の属性か。さしずめお前は、光魔ってところか」

『……つまらない人。夢を見ないのね。やっぱりあなたは嫌いよ、魔導師さん』


 少女は淡雪のように溶けて消える。あとには、ふたりだけが残された。


「俺も、君は嫌いになった」


 ぼそりとつぶやき、ティーダは踵を返した。

 ふたりの武器を、岩で形成した小さな荷車に乗せ、魔力で動かす。それを確認し、気絶したシークを背負い、歩き出す。


「よっと、重いな!」


 望まない戦いで傷つけあってしまった少女を労わり、揺れないように、優しく歩く。

 視線の先、暗く細い廊下を眺め、男は自問自答する。

 ここから脱出するか。それとも、進むか。


「決まってる」


 大事な仲間の姿を思い浮かべ、ティーダは重い足に力を入れた。




「ああああああっ!!!」


 暗い地下室で、稲妻の明滅が目を焼く。

 魔力を纏わせた剣を何度も振るう。それでも、それでも敵はオレから目を離さない。

 大盾を構えた少年と、ダガーナイフで武装した少女が、無機質な目でオレをじっと見ている。それもただふたりじゃなくて、ストーンが、シャインが、そこにも、ここにも、あそこにも、この部屋中に何人も何人も何人もいるんだ。そのずっと後ろで、ただひとり、“彼女”だけが笑顔を浮かべてそこにいる。

 今、ナイフが腕の皮をかすめた。咄嗟に返した刃が、シャインの細い首を刎ねた。

 大盾に圧し潰されそうになり、電撃を放出した。何人目かのストーンが焼け焦げ、地面に倒れて動かなくなる。

 噴き出す少女の血の赤や、少年の肉が焼ける臭い。剣が彼らに突き刺さる感覚。どれも幻にしてはあまりに鮮明だった。


「うっ……げえェッ! く、そ……」


 胃の中のものをみっともなく戻す。

 何もダメージなんて受けちゃいない。でも、ひとり斬るたびに、共に過ごした時間を思い出す。

 ……ダメだ。

 切り替えろ。

 人に化ける魔物を相手にするのは、初めてじゃないはずだ。

 もうずいぶん前のことだが、ユシドに偉そうにアドバイスしたこともあった。オレがこんなざまではいけない。

 一度目を閉じ、再度開く。においや音、景色の色を自分の中から追い出していく。

 強い魔力を剣にただよわせ、彼らを見る。短い間、確かに仲間だと思っていたふたりに、さようならと告げる。


「雷神剣」


 その場で回転し、周囲の影を一斉に切り裂いた。

 ぼとぼとと転がるもの。どろりと流れ、あるいは噴き出すもの。おびただしい数の死体を見て、また吐きそうになる。

 また目を閉じ、それに耐えると。気付いたとき、彼らがそこにいた証は、何もかもが消え去っていた。


『強いなあ、ミーファさん。ふたりもきっと、遊んでもらって喜んでる』

「………」


 細くか弱い音だと思っていたあの子の声は、今はよく空間に通って、はっきりと聴こえる。この地下室が、とても静かだからかもしれない。

 けれどもう、この静けさにも、彼女の声にも、たえられない。気が狂いそうだ。

 剣を握り締め、駆け出す。最短距離で、オレは無防備に立つ光魔に斬りかかった。

 “マリン”の顔が重なる。それに知らないふりをして、腕を砕くべく剣を横薙ぎに振る。


「……っ!」

『あら? ちゃんと首を狙わないの? ふふっ』


 無邪気な表情で笑う少女は、しかし左腕でオレの剣を受け止めている。まるで鋼のように硬く、刃が通らない。

 目を凝らすと、白銀のもやが彼女の身体を包んでいるのがわかった。鋭い刃を拒絶するほどの、魔力障壁!

 光魔が腕を振ると、剣が弾かれる。彼女の腕がより強く輝き、魔力が光の刃を形成するのを見た。

 ふところに飛び込んでくる。突き刺すような攻撃を剣で防ぎ、斬り返す。しかし同じように、こちらの技もいなされ、かわされ、防がれる。

 いくらかの剣戟が続いた。彼女の腕とオレの剣がぶつかる音は、鉄を打ち合っているかのようだった。

 隙が、無い。後衛で魔導師をやっていた者の身のこなしじゃない。ぜんぶ、ぜんぶ嘘だったんだ。いつだって後ろからオレを貫けたんだ。滑稽だとあざ笑っていたんだ。


「せえっ!!」


 怒りに任せた大振りの一振りを、相手もまた大きくかわした。少女は後ろに跳び、オレと距離をあける。なにかする気だ。

 全身に力が入る。この距離から先に攻撃するか、走り出して詰めるか。ふたつの考えからひとつを選ぶ一瞬。

 そこに、俺たち以外の声が入ってきた。


「ミーファっ!! 無事……か……」


 思わずそちらを向く。

 ……ユシド。来たのは、ユシドだ。偽物じゃない、本物だ。オレにだけはそれがわかる。

 ユシドは、こちらを見て驚愕の表情を浮かべている。正確には、光魔の姿を見て、だ。


「どういうことだ? さっき、マリンさんは地上に……」

『邪魔』

「ユシド!!!」


 白い腕が無造作に振るわれると、立ちつくす少年に、白銀の槍が飛んだ。

 風を足に爆発させ、槍の腹を剣で叩き、弾く。なんとか間に合ったのは、警戒していたからだ。

 発光する少女を睨み、背後のユシドをかばう位置に立つ。


「ミーファ! これは!?」

「……あれは、“光魔”だ。光の勇者は、最初からここにはいなかった」

「彼女が敵だっていうのか?」


 説明はもうしなかった。

 あれは、倒すべき魔物だ。……ユシドが後ろにいるなら、オレは冷徹な戦士でいられる。そのはずだ。


『もう少し二人で遊びたかったのに、仕方ないな。お客様も増えたことだし、次の演目ね』

「!!」


 光魔の足元に魔法陣が現れる。描かれた術式によって様々な現象を引き起こすそれは、知能のない魔物に扱えるものではなく、人間のものだったはずだ。

 しかし、例外はある。高度な魔法術を操る魔物は、たしかに存在する。

 あの魔法陣は先ほども見た。ストーンとシャインの幻覚を複数出現させた術だ。

 充満する白い光。最初と同じように、いくつもの人影が形を成していく。人間の男性と、女性の体格。


「な――!?」

「これは……」


 それらは、良く見知った顔だった。シャインとストーンではない。

 ブラウンの髪に翠色の目の少年。金髪の少女。……ユシドと、ミーファが、そこにいた。

 それらが、部屋を埋めつくしていく。オレと同じ、困惑した表情で互いを見つめあっている。気味が悪かった。


「くそ、幻影は消えろッ!」

「ぐっ!? 何を、ばかな!」


 すぐ近くのミーファが斬りかかってくる。声も表情も、オレとそっくりだ。自分が喋ったのではないかと思ったくらいに。

 攻撃をかわしたせいで、本物のユシドの位置を見失った。これでは連携ができず、幻影を斬ることを躊躇してしまう。これがあいつの狙いか……!

 だが、その手には、乗らない!

 攻撃をはじき返し、雷を宿した剣で焼き尽くす。幻がこのいかずちに耐えられるものか。

 さらに、周りのユシドとミーファに、躊躇なく攻撃を加えていく。そこに、本当のユシドはいないから。

 ……この幻影を攻略するには、各々が自分の偽物だけを全員倒せばいい。けれどそれは少し手間だ。

 そんな面倒に付き合う必要はない。オレは、既にユシドの偽物を把握できている。そしてそれはきっと、あいつも同じだ。

 集中して感覚を研ぎ澄ませる。……ユシドの身に着けた髪紐には、オレの魔力が込められている。オレの身に着けている耳飾りには、あいつの魔力が込められている。そもそもユシドがこの場所へいち早くたどり着いたのは、オレのいる方角が察知できたからだろう。

 だから、こんな偽物には惑わされない。

 まだ、ストーンとシャインの方が、つらかったよ。

 いくつもの視線が交差する中、ある一対の瞳と目が合う。幻影たちの間をくぐり抜け、オレ達は、互いの右手と左手を固くつなぎ合った。

 離さないように、大きな手を握る。幻のように消えないでほしくて、強く力を入れる。

 繋いだ手を中心に、くるくると回る。風の刃と金色の稲妻が、幻を薙ぎ払っていく。

 やがてまた、静寂が訪れる。幻たちはすべて、銀の煙になって消え去った。


「もう回りくどいことはやめろ! 腹が立つ」

『……ふうん。ミーファさん、その子と、そんなに仲が良いのね』


 会話がかみ合わない。光魔はオレを見ているようでいて、見ていない。声を聞いていない。

 虚ろな輝きを放つひとみから、そんな印象を覚えた。


「ユシド、戦えるな」

「ああ。でも、君こそ……いや、なんでもない」


 攻め手をいくつか浮かべながら、剣を敵に向けて構える。細い刃の向こうに、可憐に微笑む少女が見えた。

 走りだそうとして、足に力を入れる。そして……

 ――地面から突き出した岩の杭が、彼女の腹を貫いた。


「!?」

「あれは……」


 光魔の顔が驚愕に歪み、人間のように赤い血を吐き出す。

 次いで、この部屋に続く細い廊下の向こうから、いくつかの炎の矢が飛来した。しかしそれらは、薄い光の膜によって防がれる。追撃を加えようとしたオレは、それを見て踏みとどまった。まだ、敵は健在だ。

 廊下から、新たにふたりの人間が現れる。分断されていた仲間たち……ティーダと、シークだ。

 ティーダは油断のない様子で槍を構えているが、シークは困惑した様子が見て取れる。先ほどの炎の矢も、彼女の技にしてはかなり威力が低かった。


『……みなさま、お揃いね。一対一で過ごせば、お友達になれるかなあって思ったのに』


 ティーダの術だろう、岩杭が崩れ落ちる。光魔の腹には、風穴が空いていた。

 顔色も悪い。効いている、のか?


『今度は4人ね。どんな演目がいいかしら』

「え……!?」


 瞬きをした。その間に、マ・コハの傷はきれいに消えていた。一瞬で治療したのだ。

 たしかに、……マリン、も、光属性による治癒術の腕は、すさまじいものだった。なら、いくら傷を負わせても、やつを殺すことはできないのか……?


『……攻撃は効いている。以前のやつならば、わざわざ二撃目をバリアフィールドで防いだりはしない』

「イガシキ?」

『今のあいつにお前達全員を相手にするほどの力はない。余裕があるように見せているだけだ。殺すのなら堅実に殺せ』


 思わぬところから助言が来た。イガシキは、思えばさっきも助けてくれた。敵は同じ七魔のはずなのに、こうもはっきりと味方してくれるのか。

 ……その言葉を、信じよう。臆せず、敵が死ぬまで、剣を振り続けてやる。


「……あ、の。本当に、マリンさんが、敵なんですか? どうして、なんで。……人間に化ける、魔物……?」


 ぽつぽつと。声を漏らすのは、シークだ。

 最初は困り切ったようなか細い声。それが徐々に、怒りに置き換わっていくのが、表情からわかった。

 それを受けて、光魔は、シークの方を見て、くすくすと笑った。


『なあに。こういうのはお嫌い? テリオモウイとの戯れは、つまらなかった? わたしは、あの戦うお祭りは、見ていてどきどきしたけど』


 テリオモウイ。たしか、バルイーマで戦った、“火魔”の名前だ。やつはシークの人生を滅茶苦茶にして、母親の死体に乗り移り、弄んでいた。吐き気のする外道だ。

 ……あの場に、光魔もいたのか?

 ふと、汗が一滴流れた。気温が上がったような気がする。

 光魔から視線を外し、後ろを見る。

 シークの長い髪が、紅く染まっていた。


「貴様……ッ!!」

「待て、挑発に乗るな!」


 ティーダが制止をかけたときには、もうシークは走り出していた。

 真っ赤に燃える髪が残像となって目に焼き付き、真っ直ぐな軌跡を描く。シークは最短距離の正面から、敵に斬りかかっていた。

 地面を砕く音や、刃と刃がぶつかり合う音が、幾度も響く。ゆるやかに後退しつつ大質量の剣をさばく光魔は涼しい表情をしていて、怒り心頭といった様子のシークとは対照的だ。

 攻めているのはあくまでシークの方、ではある。暴風のような体技で戦っており、あれでは援護に入るのは難しいが、その激しい攻撃はときおり光魔の障壁を抜け、肌に浅い傷をつけている。

 ……しかしそれも、瞬時のうちに回復する。生半な物理攻撃では打倒できない。魔力を使った大きな技を使うべきだ。

 オレは二人の戦いを追いつつ、仲間たちに目で合図を送る。剣を鞘にしまい、剣帯から外して構え、内に納まった刃に雷の魔力を巡らせる。指でイガシキを叩き、意図を伝えた。

 屋内、それも地下となれば、紫の雷神剣を使うことはできない。それ以外の強力な技が必要だ。

 イガシキの蓄えた炎の魔力との合わせ技……炎雷剣なら。魔法障壁を破り、大きなダメージを与えることができるはずだ。

 ふたりの攻防の切れ目、光魔の隙を見計らって、魔法剣を叩き込んでみせる。


「うっ!! この……!」


 シークの声が、オレの心臓に響く。

 光魔が手をかざすと、一瞬の強い光が部屋を白く染め、シークの身体が吹き飛んだのだ。単純だが、強力な魔法術だ。

 もちろんシークはあの程度では、ひるむことはあっても止まらない。宙で身体をひねり、姿勢を整えてまた突撃しようとしている。

 それを、地面からシークの眼前に出現した岩壁が、今度こそ制止した。


「今ッ!」


 光魔に一撃入れる好機。たとえ通じなくとも、ここからみんなとの連携に移ればいい!

 鞘が熱を発している。力をそこから解き放とうと、身体を沈める。

 そして――、


『――山霊イガシキ・アンバーアイアン。跪け』


 手元から、武器が落ちた。


「な……」


 《《重い》》。鞘が、尋常でない重さになり、地面から持ち上がらない。剣だけを抜こうとしても、いつもイガシキが寝ているときのように、いやそれ以上に、びくともしなかった。

 光魔がこちらを見て、何かを唱えてから。


『気霊テルマハ・ジェイドグラス。頭を垂れなさい』

「ぐっ!? これは……」


 ユシドが呻く。見れば、手にしていたはずの剣を、同じように鞘にしまった状態で取り落していた。抜刀術で攻撃しようと準備していたのか……。

 あちらの剣は少し地面から持ち上がっている。オレとユシドの筋力の差だろうが、どちらにせよあの有様では重くて振ることはできない。

 なぜ、こんなことが。


『マ・コハは……人間で言う、“王族”のような、存在だ……。上位種の、命令には、逆ら、えん』


 聞いたことのない苦しげな声を絞り出すイガシキ。そんな、バカな。同種の魔物ならばわかるが、イガシキとマ・コハでは明らかに生態が異なる。属性も外見も大きく違う魔物の間に上下関係があるなど、聞いたことがない。

 あったとしても……あの強大な七魔たちに、命令を下せる存在がいるなんて。


「……だったら!」


 イガシキを地面に放置し、手に電光を瞬かせる。威力は減じるが、魔法術のみで戦うしかない。

 風の魔力を足に纏い、じり、と地面を鳴らす。得体のしれない光魔へのおそれを振り切り、視線を突き刺す。

 ――左足に、何かが、からみついた。


「え?」


 オレは、光魔にむかって雷を放った。

 はずだった。

 だが、眩い電光の明滅も、激しく空間を駆ける音も、何も起きない。脚を押し出す追い風も、止まっている。

 身体の中にたしかに感じる魔力を、もう一度放つ。

 ……出ない。魔力の放出が、妨げられている。

 左足に巻き付いた光の環。それはまるで、錠のついた足枷のようにも見えた。


「これは……あのとき、の」


 現状を受けて、思い出すものがあった。闘技大会に参加する前、バルイーマの街中で、デイジーさんと共に人さらいに閉じ込められたときのことだ。

 あのときも魔法術のたぐいを封じる手錠をかけられた。オレの魔力を封じるほどのものを作成するなんて、普通の人間には無理だ。それができるのはオレ以上の魔導師か……人間の力を上回る、未知の魔物。

 まさか。あれも、彼女の仕業、なのか。

 情けなく助けを求めるように、みんなの方を見てしまう。光の輪は、ユシドの左手、シークの両手、ティーダの右手……それぞれの首を絞めつけていた。


 剣が重い。

 魔力を封じられた。

 マリンが、こっちを見て、笑っている。


 戦え、ない。


「休んでろ、二人とも!」

「!!」


 十字に交差した刃が、少女の白銀の髪をなびかせた。

 槍の一撃をかわした光魔に、分厚い大剣が襲い掛かる。

 ティーダとシークが、愚直な白兵戦で光魔に追いすがる。そうか、ふたりの武器はまだ使えるんだ。

 ……人間大の敵を相手にするふたりの繊細な連携に、オレは丸腰で立ち入ることができない。このオレが、シマドが、仲間の戦いをただ棒立ちで見ている。あまりに、惨めだ。

 せめて光魔の妖しい動作をひとつも見逃さないよう、目を凝らす。

 ふたつの武器による攻撃はやがて、光魔の守り避ける動作や、反撃に飛ぶ白銀の槍や矢の数を上回り、やつが纏う魔法障壁に届くようになった。


「はあっ!!」

『っ……』


 ティーダが隙をつくるような動きを重ね、シークが一撃を確実に入れている。シークは頭が冷えたようで、髪の色は黒に戻り、戦闘経験を活かした堅実な動きをしている。

 ティーダは重い槍を技術で扱い、シークはあの大剣を片手でも振り回す。互いの隙を埋める剣戟に、光魔の表情から笑みは消えていた。

 光の膜に渾身の重撃が叩きつけられ、たしかにそこに、ほころびが生まれたように見えた。消耗した箇所を、さらに十字槍が的確に突く。

 光魔の左腕が、深い切り傷を負っていた。


『ッ――! 遊んであげていたら、つけあがって!』


 瞬時に修復された左手が、ティーダの槍を掴む。マリンのときからは信じられないような怪力で、槍ごとティーダが投げ飛ばされた。

 ユシドが彼を受け止める。まずい、連携に穴があく!


「ぐっ!? そんな――!」


 せめて格闘術で援護に入ろうと駆けだす。向かう先では、シークの剛力の剣が、右手で受け止められていた。

 指が、剣に亀裂を入れている。おそろしいほどの握力だ。このままでは……!

 光の衝撃波が放たれ、シークの小柄な体が飛ぶ。オレは彼女を受け止め、一緒に大きく後退させられてしまった。


「う……か、返せッ!!」


 シークが大声をあげる。彼女の手元にあの大剣はなく、それはまだ、光魔に刃を掴まれたままだった。

 あれはシークの父親が遺したもの。彼女の大切なものだ。

 少女が走りだす。そして……

 眩い白銀の光の中で。鉄の剣が、粉々に砕け散った。

 鉄のかけらが散らばる。シークはそれを、茫然と見ていた。


「なんてことを……!」


 無防備になったシークに駆け寄ろうとする。精神的な拠り所を砕かれ、茫然自失としているんだ。あれでは光魔に狙い撃ちにされてしまう。

 震える背中に、もう少しで手が届く。

 そして――


「うあああああああああああああっっ!!!!」


 爆発が起きたような凄まじい熱波に、身体を押し戻される。

 シークの髪が紅く、炎のように逆立っている。いや、例えではなく、凄まじい炎の魔力が全身から噴き上がっていた。

 両腕に噛みついた光の枷に、びしりと亀裂が入っていく。そしてそのまま、あっけなく割れ砕けた。

 光魔の封印を上回るほどの魔力の放出! だが、今のシークにコントロールできているのか!?

 猛り狂うシークの魔力はやがて、炎のそれだけでなく、水の属性もまたあらわれ始めた。髪色が赤と青に、交互に激しく変化している。異様な姿だ。呼びかけてみても、返事がない。


「ああぁあぁああああ――!!!」

「シーク!! やめろ!!!」


 ティーダの声をも無視して、シークは敵へと突っ込んでいく。

 マ・コハに組み付き、光の衝撃波をものともせず、離れない。

 魔力が際限なく上昇し、感じているだけでこちらの鼓動が破裂しそうなくらいになる。髪色はちかちかと明滅するように切り替わり、やがて――

 一瞬、なにも見えず、なにも聞こえなくなった。


 地面に転がる。すさまじい衝撃に吹き飛ばされたからだ

 すぐに身体を起こす。視界が揺れ、耳鳴りがひどい。この広い部屋の中で、何かが起きた。

 何とか歩き出し、さっきまで見ていた方向に進む。その先には、誰かが倒れていた。

 ……シークの、小さな身体は。

 己の発した魔力の爆発で、ひどい火傷を負っていた。


「シーク!!」


 遠くにいる彼女に向かって駆けだす。

 ダメだ、だめだ駄目だ。気絶している。ひどいケガだ。だけど皮膚の損傷なら、すぐに治癒の術を施せばなんとかなる。でないと、残る。痛みが、痕が残る。早く治さないと。

 ふらつく足で進む、その先。シークに、オレの前に辿り着く者がいた。


『なんて魔力なの……この子、わたしたちよりも、ずっと……』


 マ・コハだ。苦し気に表情をしかめ、全身の損耗部分を再生させている。

 あれほどの爆発を間近でくらって、まだ生きているのか。

 やつは再生した右腕に、光の刃を出現させた。

 ……待て。待ってくれ。やめてくれ。


『こんな力を持っていたら、生きているのがつらいでしょう。次は、幸せな子に生まれてね』

「やめろ!!!」


 断頭の刃が、振り落される。


「……ッ!」


 それを、男が、槍で受け止めた。


『じゃましないで』


 ティーダはシークの前に立ちふさがり、槍で光魔の攻撃をさばいている。今のうちに、シークを助け出さないと!

 進むオレの前に、光の矢が突き刺さった。足が止まる。光魔の金色の目が一瞬、オレを見ていた。

 こんなことで、止められてたまるか!

 走りだす。光の矢がひとつ、肩に突き刺さった。痛みで立ち止まり、また進む。その度に矢が増えていく。くそ……!!

 視線の先ではティーダが必死にシークをかばっている。だが、光魔の狙いはあくまでシークの命だ。

 オレにも向けられていたあの光の矢が、ティーダの頭上を跨いで、シークに落ちようとしている。ティーダは光魔に背中を向け、シークに覆いかぶさった。

 矢が、広い背中に突き刺さっていく。


「ぐ、く! ……おおおっ!!」


 痛みに顔を歪め、ティーダはがむしゃらに槍を振るった。

 十字の刃が、輝く細腕に易々と受け止められる。


『イガシキの身体を、勝手に使わないで』


 返すように、少女が刃を振った。


「ぐああああああーーっっ!!??」


 聞いたこともないティーダの絶叫。何が、起きている?

 目を凝らして、それを見る。

 ……彼が槍を握っていた右腕が。肘の少し先から、なくなっていた。


「あ、ああ」


 槍と、ティーダの腕が、地面に転がる。流血と凄まじい痛みに、大事な仲間が襲われている。

 光魔は無邪気な笑みをやめ、目の前のふたりを冷たく見下ろしている。ティーダの腕を斬り飛ばしたその魔力の光は、未だ曇りなく白銀に輝いている。

 …………死ぬ。みんなが。


「はあああっ!」

「!! ユシド……!」


 ふたりにとどめを刺そうとする光魔に、ひとりが立ち向かった。

 ユシドだ。焼けてしまったのだろう上着を脱ぎ捨て、薄い服と、手足だけで、敵に向かっている。

 ダメだ。剣も魔力も無しに挑んでは。お前まであいつにやられたら、オレは。

 キミが、みんなが死んだら、もう生きていたくなんてない――!


 身体の矢を抜き、動ける程度に傷を治して、走る。地面に打ち捨てられていた、ティーダの槍を手に取った。

 まだ、彼の太い腕が力強くそれを握り締めている。痛々しいその指を解き、オレは槍を携えた。


「ユシド!! 下がれッ!!」


 言葉を聞きつけ跳んだユシドを避ける軌道で、斬り払う。

 長い槍の刃先が、光魔の腕に傷をつけた。


「ふたりの応急処置をしてくれ。オレが、あいつを倒す」

「………」


 ユシドは、異論をはさまなかった。

 ふたりともこのままでは死んでしまう。一秒でもはやく処置し、地上に戻って、ちゃんとした治療をしなければならない。

 そのためには……

 彼女を、殺さなければならない。


『よかった。やっぱり、ミーファさんといる方が楽しいの』


 唇を噛みしめ、槍を勢いよく突き出す。足を狙ったそれは、相手が少し下がっただけで外れた。

 ……マリンじゃない。そんな人間は、最初からいなかったんだ。目の前にいるのは光魔だ。言葉を聞くな。……顔を、見るな。

 槍を回し、敵を追い立てる。剣に比べれば経験は浅いが、ある程度は使いこなせる。回転で追い詰め、要所で突きを入れる。

 心臓か、首を刺すことができれば。でも、当たらない。マリンは踊るように、オレの槍をかわしていく。攻撃はうまくいって手足を傷つける程度だ。

 彼女の体捌きが驚異的なわけじゃない。動きは見えている。相手も消耗しているはずで、障壁による防御がない。もうすぐ倒せるはずなんだ。

 雑に大振りの攻撃をすれば、マリンは後ろに大きく跳んで、反撃もしてこない。オレを弄んでいるんだ。わざと時間をかけているんだ。くそ。くそ……っ!


「交代」


 肩を、誰かに叩かれた。

 それほど自分が、隙だらけの棒立ちだったということ。


「手が震えてる。僕が代わる」

「なんで……」

「治癒の術は、傷に直接触れて魔力を送ればなんとか機能する。ふたりにかけ続けてくれ」


 槍を奪い取られる。

 オレは、ただ情けなく、自分よりも大きなその背中を見ていた。


 少年が鋼の槍を振る。師に教えられた武器ではないが、それなりに扱えているようだ。

 だが、それなりだ。光魔が白兵戦の達人というわけではないが、ユシドの槍術はそれにも及ばない。突きを中心に攻撃を続けた少年はいつからか、記憶の中の仲間の動きを真似た、守りの姿勢に転じてしまっていた。


『がっかりねユシドさん。あなたも、お友達にはいらない』


 光魔の手に現れた刃が、槍を弾き飛ばした。強い衝撃に、慣れない右手はそれを放してしまう。

 二本の光の槍と、数え切れない光の矢。宙につくられたそれらが、ユシドに切っ先を向ける。飛来する白銀を、紙一重で回避する。矢の一、二本は身体をかすめ、焼け付くような痛みが彼を襲う。

 ユシドは膝を折り、光魔の前に屈してしまった。


『じゃあ、さようなら』


 心臓が止まるような光景に、オレはふたりの治療を手放し、失いたくない人に、届かない手を伸ばす。

 翠色の瞳が、こちらを見た気がした。


『あ……、な、に……?』


 ――振り抜かれている。

 ユシドの手に、風魔の剣が握られているのを見た。

 それはすぐに重さに負けて地面に落ちたけれど、ユシドはたしかに、地面にあった剣を鞘から抜き放った。

 最初に鞘に巡らせていた風の魔力が、まだ残っていたのか。いくら重くとも、あの力があれば一度限り刃を振ることができる。できたんだ。

 そして、剣を捨てた位置に敵を誘導した? この反撃を狙っていたのか。

 ……お前は、いつの間に、そんな。


 負わせた傷はただのひとつ。だが、たかが一撃は、たしかに彼女を苦しめているようだった。

 ユシドが傷を負った少女に躍りかかる。今が、敵を倒すための好機だ。


退()けッ、人間――!!!』


 光の瞬き。ユシドは小さな人形のように吹き飛ばされた。

 地面に転がり、必死に動いているけれど、立ち上がれていない。


『こんな傷、すぐに治して――』


 深い切り傷を手で庇いながら、マリンはあえぐ。

 そして……その小さな口から、紅い血が吐き出された。


『が、ぐ……いた、い』


 鋼の槍が、彼女の心臓があるべき位置を貫いている。

 槍は高速でまっすぐに投擲されたものだ。

 それをやったティーダは、オレのすぐそばで荒い呼吸をして、痛苦に表情を歪めている。

 槍を投げた彼の右腕がボロボロと崩れ、腕の形をしたものから、ただの石くれへと戻っていく。


「クソ。……ズレ、た…………」


 ティーダは膝をついた姿勢で、気絶してしまった。

 腕の流血はなんとか止めているけど、無茶だった。オレが、やるべきことだった。


「………」


 傷ついた仲間たちの姿が目に焼き付く。

 オレのせいだ。オレが、マリンと、ちゃんと戦わなかったから。

 そんなに、恐ろしい敵じゃなかったはずだ。イガシキも言ってた。今のあいつに力はないとか、そう言っていた。

 立ち上がる。身体が、ふらりと力なく揺れた。


『う、あ。かふっ!! はあ、はあ』


 聴き慣れた、か細くて儚い声がした。ずっとこの王都で一緒にいた、ある女の子の声だ。

 綺麗だった銀の髪のあちこちを紅く染めて、彼女は地面を這っている。どこかへ、逃げようとしているように見えた。


『殺せ』


 少し遠くに転がっていた、鋼の魔物が言う。


『代わりをやってくれるお仲間は全員やられたぞ。お前が、とどめを刺せ』


 ゆっくりと歩く。


『今のあいつは何故か人間とそう変わらない身体を形成している。首を絞めて……いや、首の骨を折れ』

『あ、うっ!?』


 這い進む少女に追いつき、弱々しい身体を蹴り転がす。

 仰向けになった彼女に跨り、首に手をかけた。


『やめ、て……ミーファさ……くるしいのは、いや、なの……』


 鮮血に濡れた身体。白く細い首。少しの温度。指で感じる感触は、人の肌そのものだった。

 一緒に戦って、一緒に歩いて、一緒に笑ったその顔が、眼が、オレを見ている。


「あ、あ……マリ、ン……」


 指に、力が入らない。オレは彼女を殺す手を、緩めてしまった。

 マリンの口が空気を求めるようにあえいで……

 金の瞳が、オレを睨みつけた。


「うぐっ!? く、な、これは――」

『ひどい。ひどい、ひどい、ひどいひどいひどいなんてひどい人!!!』


 光の輪がオレの身体に巻きつき、締め付け、腕や足を動けなくする。

 地面に転がされたオレは、うずくまりながらも身体を起こそうとするマリンを見上げた。

 垂らした長い髪の間から、彼女が語りかけてくる。


『ね、ミーファさん。あなたが一番苦しむことを、思いついたの』


 楽しそうに笑う口元が、髪の間から見えた。

 オレが拘束を解こうとしている間、彼女は赤ん坊のように地面を這い進んでいく。やがて進むのをやめ、前方に視線を向けた。マリンが見ているのは……傷ついて動けない、ユシドだ。


『あなたの愛する子の魂は、わたしが永遠に囚えるわ。ミーファさんなんて、ひとりで取り残されてしまえばいいの』


 マリンを中心に、地面に白銀の魔法陣が描かれる。規模の大きな術だった。残された魔力をここで使う気か。

 こちらまで広がってきた魔法陣の記述の一部が、視界に入る。

 この紋様。術式。

 ……ずっとずっと前に、見たことが、ある。生命と、魂に関する言葉と図絵。

 忘れない。忘れるはずがない、これは!

 あれを、ユシドにだと? ユシドがオレと同じ目に遭うのか?

 ……やらせるか。

 やらせる、ものか。


「があああああああああっっ!!!!」


 雷が全身を駆け巡る。

 まだ魔力の放出は封じられている。シークのように無理やり封印を突破することはできない。だが、体内の魔力を操ることはできる。

 魔力による身体強化。何度も目にして、理屈はわかった。だが使い慣れない技術は諸刃の剣も同然だ。雷が血管を、神経を巡り、筋肉を焼く。全身が引き裂かれるような痛みだ。

 だが、これでいい。魔力の流動が無理やりに筋力を補強していく。

 身体を締め付ける光の輪を打ち破ろうと、オレの細い腕にありえない力がかかった。やがて痛みと痕を残して、光が砕け散る。


『これで、おしまい』


 光魔が前方に展開した光の環が回り輝く。

 そこから放たれた呪いが、ユシドに届く前に。オレは、彼の前に立った。


「っ!! ミーファっっ!!!」


 くらいかがやきが、視界を圧しつぶしていった。


『……ふ、ふふ。あはは。あははははは』


 ころころと、かわいらしい笑い声が耳を叩く。


『本当にその子が大事なのね。いいわ、いいわ! これでよかった。あなたと一緒に、これからずっとずっと過ごせるんだもの』

「最期の言葉はそれでいいか? 光魔マ・コハ」

『え?』


 術を終え、ふらふらと立ちながらこちらを見ていた魔物は、きょとんとした顔をした。

 オレはゆっくりと歩き、途中で地面に転がっていた鋼の剣を拾う。


『そ、んな。繋がりができない? どうして術が効かないの? ま、まさか……』

「マリン。お前の悪意は、わかったよ」


 目の前のそれを押すと、力のない少女のように、こてんと倒れた。

 刃を引き抜く。もう、重いとか、抜けないとか、そういうことはなかった。


『…………ま、待ってミーファさん。ごめん、なさい。もうしないわ、こんなこと。絶対にしないから』


 力を使い果たした光魔は、ひどく怯えたような顔でこちらを見上げている。

 その小さく細い身体に馬乗りになって、身動きをとれないようにする。


『いや! どうして!? 友達なのに――』

「最初からオレを狙って呪いをかけていたのなら、別に構わなかったよ。君に付き合ってもよかった」


 そうだ。最後まで、ちゃんと憎めなかった。

 うまくやったものだよ。倒そうとするたびに、想い出がちらつくんだ。友達だっていうのは、オレも、そう思っていたから。

 でも、もう、終わり。

 君は、絶対にやってはいけないことを、しようとした。

 友達でも、誰でも。それだけは許さない。


「お前はオレの大事なものを奪おうとしたな」


 剣の切っ先を、胸に当てる。


「絶対に許さない。……死ね」

『いぎっ!! み、ふぁ、さ』

「死ね。死ね、死ね、死ね――――!」


 何度も何度も何度も何度も何度も剣を突き立てる。血が顔にかかっても、腕の感覚がなくなっても、それをつづけた。

 やがて、誰かが、オレの腕に触れる。


「もう、そこまでにしよう」

「うるさい!!」


 許せるものか、お前は、お前はあの呪いを知らないんだ――


「よく見て。もう、ただのマリンだ」


 ユシドの声に、剣を止める。

 ぐちゃぐちゃに紅くなっていた胸は、淡い白銀の光のつぶに崩れていって。光の王冠も、瞳の発光も、もう消えていた。


「ちゃんと看取ってあげてくれ。きみの……友達、だったんだろ」


 マリンと、目が合う。

 前髪の下から覗く、月のようにきれいな瞳だ。


「……ねえ」


 小さな口を開いて、話しかけてきた。


「どうして、あなたたちは、そこまで、他を、想えるの? カタチを真似してみても、やっぱり、わからない」


 そんなの……人間にだって、わかることじゃない。ばかげた質問だ。

 ……君は、どうしてこんなことをしたんだ。

 本当は、どうしたかったんだ?


「ねえ、ミーファさん。わたしも、わたし、も……ともだち、に。みんなと、たび、に……」


 流れ出した赤い赤い血が、銀の髪が、白い頬が、金の瞳を閉じたまぶたが、やがてばらばらに崩れて、白銀色の光の粒になって宙へ浮き上がっていく。

 暗い地下を淡く照らす、無数の光たち。

 それはまるで、あの夜に彼女と見た、満点の星空のようだった。


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