41. 恋のロードレース(前)
「じゃあミーファ、今日はがんばってね」
「応援に行きます!」
「行ってらっしゃい」
「お……おお。ありがと、みんな」
いつものように宿屋を出ようとすると、やたらと仲間たちに激励される。
王立学園の生徒に支給される訓練着を身に纏ったオレは、気恥ずかしさをごまかすようにして適当に手を振って返し、その場を後にした。
これから向かうのは、いつもと同じ王立学園の校舎ではない。王都の最も大きな出入り口、つまりは玄関であるといえる、南門だ。
ゆったりと歩いていると、周りの学生たちも同様に、訓練着姿でそこへ向かっている。彼らは各々が得意とする武器を装備していて、見た目だけなら戦いの予感を思わせる。しかしながら耳を澄ませてみると、「だるいなあ」だの「休もうかな」だの、あるいは逆に「今日こそが一年の頑張りどころですわ」「やってやろう」とか、色んな声が聞こえてくる。
やがて、向かう先に、王都を囲み守る厚い石壁の姿が見えてきた。背は大して高くないが、なんでも魔物避けの術式を直接刻んだ特別製で、結界としての機能は折り紙付きなんだという話だ。オレが地元に張った結界より性能は上。なんか悔しい。
そして、南門が見える。
それに伴う景色として、南門から王都の内側へ続く大通りが、オレの視界に広がっている。常であれば商隊や軍など、大人数の通行を許す広い道路だ。
だが今日は。それが、歳若い学生たちの姿とざわめきで、ごった返していた。
今日は王立学園の授業はない。この日は王国民に許された休養日であり、街の住人たちも休日としている人々が多数だ。つまり学園も休みの日。……いつもなら、そうだ。
だが、年に一度。こんなイベントがあるという。
その名も「ヤエヤ王国王立学園・校内ロードレース大会」なる奇妙な催しである。
内容をおさらいしよう。先生の説明によると……
巨大な円形の道になっている王都の外縁部、すなわち石壁の外を、武芸科の学生たちが一斉に走っていき、ゴールまでの順位を競う。そのスタート地点は南門で、終着点も同じく。
走行には“障害”があるため、各々訓練に使う得物を持参すること。
体力の強化を目的とした伝統行事である。
上位に入賞した者にはなんと、国王様から直々に表彰される栄誉が。
多学科の学生や王都の住人たちの声援を胸に、最後まで必ず走り抜くこと。
とまあ、こんな感じ。
みんなで走り込みしつつ順位を競うなど、奇妙なものだが、まあバルイーマの闘技大会の変則版みたいなものか。学生同士に斬り合いなんてさせられないし。
しょせんは若者たちのお遊び。適当にこなしてしまおう……
と、最初は思っていたのだが。
よく考えればこのイベント、なかなかに過酷である。王都の外縁部を一周と軽く言うが、そこらの町村の一周とは距離が全く違う。そんなに長い距離を懸命に走った経験は、正直あまり記憶にない。一部の学生たちが辛気臭い顔をしているのもわかる。
しかしスタミナの強化は武芸科の学生たちにとって、そして今のオレにとっても重要なことだ。魔物を追いかけて走ること、あるいは逃げるために走ること、いろいろある。走る力というのはある意味、何よりも大事だ。そういうわけで、このイベントで懸命に走った末にちょっとした栄誉が得られるのなら、まあ、真面目に取り組んでみようか。
今はそう考えている。……王都に潜む何者かに実力をアピールするのにも、絶好の機会であることだし。
級友たちにあいさつをしているうちに、所定の時間がやって来た。教師陣の指示に従って整列していく。マリンの姿が同じ列の前に見えたので、あいさつの合図をした。
マリン、杖を持っていなかったな。まああれ、走るのにはすこぶる邪魔だろうしな……。そうなると、どこかの列に並んでいるだろうストーン少年などは、トレードマークの大盾を今日は持ってきているのだろうか? あれを背負ってこの長距離を走るなど、悪夢だぞ。
そんなことを考え、教師の朝礼を聞き流しながら、自分の装備に目をやる。
剣帯には二振りの剣を取りつけてある。どちらも刃引きをした、訓練用に準備していた剣だ。今日はこの備えで行く。
重い荷物を増やすかどうかは悩んだが、念のため二つ持つことにした。紫の雷神剣が必要になる場面がある、かもしれないし、そうでなくとも何回か魔法剣を使うことになるかもしれない。一本では足りないだろう。……イガシキの装甲から造った剣でなければ、やはり技には耐えられない。
……それと、まあ、実戦ではこんな動きやすい訓練着を身に着けているわけじゃない。魔物の攻撃に耐えるために、頑丈な鎧で固める者もいる。そんな姿であちこち走り回らないといけないのが現実だ。つまり、これくらいの重さはあってしかるべきということだ。学生諸君もオレのように、得物の重さくらいは我慢するといい。
身軽そうな格好で消極的な表情をしている、魔法術クラスの生徒たちに視線を移し、そう思った。
確認事項やら激励のことばやらが終わり、いよいよスタートの時間がやってきた。
身体を伸ばし終わったオレは、生徒たちの群れの中でぼうっと開始の合図を待つ。
周りを観察してみる。南門に集まっているのは学生だけでなく、王都の庶民たちもまた、若者たちの奮闘を見物しに集まってきているようだった。それも半端な数ではなく、よくよく見まわしてみれば、王都の外縁部が見える石壁の上や家屋の屋根に人々が集っている。あそこから声援を送り、野次を飛ばすわけだ。
バルイーマの闘技場と同じだな。このロードレースとやら、単なる行事というよりは、国民的な祭りに分類されるようだった。
この日だけは、武芸科の生徒たちが王都の華になれるわけだ。さらには王様も見に来ているようだし……。
「――いた。ミーファさん」
おや。ちょうど良いところに。王様のことから、彼女の存在を連想していたところだ。
声をかけてきたのは、この国の第三王女であるチユラ姫。
そしてもちろん、武芸科の生徒でもある。つまり彼女は、父親の名のもとに催される競争で、これから戦うわけだ。性格と実力からして、やはり上位入りを狙っているのかな。
彼女の武器は、光の魔力を宿す己の手足。重い武器など必要なく、身軽そうな装いだ。うーん、優勝候補なのかもしれないな。武術クラスの生徒に勝てるのはたぶん、彼女くらいだろう。体力バカっぽいし。
「こんなところで何をなさっているの。ほら、先頭に行きます」
「え? あ、ちょっと!」
なんだか強気な表情をした彼女は、あいさつもそこそこに、どこかへ向かってオレの手を強引に引きはじめた。か、怪力! 逆らえないんですけど。
人波をかきわけ、いや、チユラ姫のオーラに圧され勝手に開いた道を通り、厳密なスタート位置となる一線……すなわち、生徒たちの先頭に出る。
その瞬間だった。ギャラリーの民衆たちが。一際大きな声で湧き上がる。
彼らの視線や声は、チユラ王女に向かっている。それを受けた彼女が周囲に淑やかに手を振ると、場の熱量がさらに上がっていく。
すごいな。めちゃくちゃ人気。あまり隣に立っていたくないんだが。
あと、別に髪が短くても民衆にはわかるらしい。以前彼女を髪型で判断し一般人と間違えた、B級ハンターのナンデメイドさんを思い出す。彼はただのアホだった?
しばらく愛想をふりまいていたチユラ王女が、オレへと向き直る。
その顔は、国民に向けるものとも、初めて会ったときのものとも違う。勝ち気そうで、芯の強そうな、熱のある視線。今オレに向けられているそれが、きっと本当の彼女だ。
この短い時間の中で、この子とはとても……気心が知れたように、思う。
「ミーファさん。勝負、しましょうか」
ああ、言うと思った。彼女も飽きないな。
国民に大人気なお姫様の敵役をつとめるなんて、オレには荷が重い。今日だけは勘弁してほしいんだが。
チユラ姫はオレだけに聞こえる声で続ける。口調はくだけていて、王女様という感じは、あまりしない。
「ね。もうすぐミーファさんたちは、いなくなるでしょ。だから、勝負は今日が最後」
「……!」
そのときの顔は少し、寂しそうに見えた。
どうしてそれを……。たしかに、このまま成果が出ないようなら、オレ達は近く学園を去る。学園生活に勤しむことが目的では、ないからだ。
……最後だなんていわれたら。逃げるわけにもいかない。
苦笑いを漏らしてしまいながら、王女様に問う。
「どんな勝負ですか?」
「勝った方が、ユシドさんに愛の告白をする権利を得る」
「………」
……………。
「聞いてます?」
「……は、はあ!? な、なん……そん、え!? いや、ええと」
「あら、おもしろい顔」
いや、だって。それはその、つまり、そういうことで。
それはたしかに、彼女がほのかに? ユシドを良い感じの目で見ていることは? まあなんとなく感じてないことも無かったけども?
大胆すぎるというか、なんというか、というかその言い方だとオレが勝ったら愛の告白をしてもいいよみたいな意味になる。ちょっと待ってくれ。だめなんだそれは。
「お、王女様ともあろう方が、そこらの掃除屋なんかに……」
「いいじゃない。今だけ、想うだけなら」
王都の門の向こう、どこか遠くに視線を投げながら、彼女は言う。
「こういうのって、この今しかできないでしょう。自分の惹かれたひとに、自分から想いを告げるのって、なんだか憧れる」
チユラ王女は笑って見せる。だけどそれは、どこか、儚いもののように感じた。
……そうだ。彼女の立場は、彼女自身が一番分かっている。若く、青く、甘い恋なんてものは、一国の王の娘にとっては、とても遠くにあるものだ。
「ああ、そんなに、恋しくて愛しくて……ってほどじゃないの。あなたたちとは知り合って間もないもの。だけどね」
また、オレを見る。
「わたし、あの人と、あなたのことを考えていると。毎日がドキドキして、楽しい。この想い出があれば、きっと戦っていける。だから……」
「………」
想い出があれば、戦っていける。
その言葉に、“同じだ”と思った。
彼女は、ユシドを好いてくれるという。オレは、ユシドを好いてくれるやつのことは、好きだ。あいつはオレの自慢だから。
愛の告白? それは、ああ、どんな結果になるにせよ、チユラ王女にとって、きっと記憶に残る出来事になる。それをオレは邪魔などしたくはない。
だけど……。
胸に手を当てる。小さな円環の、心地よい冷たさと硬さを、そこに感じた。
「……いいだろう。オレは君に負けないよ、チユラ」
静かに返す。チユラは、少し、驚いた顔をした。
いきなり庶民に無礼な口を叩かれて、びっくりしただろうか? そんなことを考えると、笑ってしまった。
彼女もまた、さわやかに微笑む。そしてそれはだんだんと、不敵に、熱く。
「ふふ。それ、本気でやってくれるってこと?」
「ああ」
もちろん。
人々の大きな歓声を聞き、その声の行先を探す。
運営者側の詰めるテントの近くに設けられた、即席の観客席。あれは名のある招待客の座る席だ。ヤエヤの兵士たちに守られたそこに、ひとりだけ、“あれがそうだ”とわかる人物がいる。彼が、席から立ち上がり、人々に向かって合図したのだ。
豪奢な衣服に身を包み、理知的な雰囲気をまとう男性――ヤエヤ国王、その人である。
彼が手を振りかざすと、空中に大きな円が出現した。なんらかの魔法術だ。水面のように揺らめく白銀の光の中にあらわれたのは……はちゃめちゃに巨大な、チユラの顔だった。
「うわっ。えっ?」
思わず隣を見る。チユラはにこにこと公務スマイルを保ち、空に映し出されたそれと全く同じ表情をしている。これは?
円の中の景色が動く。次にそこにあらわれたのは、金の髪と紫の瞳の少女――オレだ。困惑したような顔が、やがて紅潮していき、あわてた様子で顔を伏せる。
それはまるで鏡を見ているようだった。すなわち……
あの魔法術は、いわゆる“遠視の窓”か。おそらく国民に学生たちの様子を見せるためのものだろう、なるほど、こうすれば見世物として成り立つわけだ……。
それにしても、あれは希少な光属性の術である。また、こんな大規模な行使は初めて見た。王宮の優秀な魔導師はこぞって誘拐されていると聞いたし、まさか国王ひとりが操っているのだろうか。
チユラといい、さらわれたという第二王女といい、魔導師としても確かな力を持つ王族が治める国、ということか。
こんな国に魔物が侵入してどうこうできるとは、やはり信じられないな……。
映像が、王へと切り替わる。
彼が天高く上げた手が光を放ち始めると、観客たちが静かになる。となりにいる、社交的な表情をやめた女の子から肩を小突かれ、気合を入れ直す。
――始まりの、合図だ。
白銀の光球が立ち昇る。それは小さい光だけど、とても明るくて、目に焼き付くようだった。
身体を低く沈める。ふわりと風が吹き、周りの学生たちが困惑の声をあげた。
やってくるその時が近づくにつれ、鼓動が早まっていく。二本の脚に、使い慣れた風と、無意識に出てしまった雷が、まとわりついていく。
すぐそばからは凄絶な魔力の気配。光の熱が、こちらまで伝播してくる。彼女も、負ける気など、少しもないわけだ。
果たして。
王の放った光球が、炸裂した。
大地を蹴る。風がオレの脚を後押しする。
白銀の光に照らされる王都の門。人々の怒号のような熱狂の声。それらをすべて置き去りにして、ただ懸命に駆け出す。
学生たちの中に、大人げない勇者がひとり。けどそんなのはどうでもいい。オレはミーファとして、今の自分の本気で、この子と戦う。
そうして、すべてを駆け抜ける決闘が、始まったんだ。
流れていく景色と心地よい風。それと人々の声援。前方に他の学生の姿はない。今日まで持久力づくりを意識してきた甲斐あって、ゴールまで余裕はありそうだ。このままいけば一番も狙えるかもしれない。
この子がいなければ、の話だが。
並走するチユラに視線を向ける。最後までの距離を考えるとあきらかにオーバーな速度をわざと出しているのだが、涼しい顔でいる。
……むしろ徐々に、オレより足の回転を速くしようとしている気がする。いずれ“ついていく方”はオレになるだろう。ちぇっ、体力バカめ。それに見たところ、魔力による身体強化を使っているな。オレに易々と対抗できるのも頷ける。
どう出し抜いたものかな。
しばらくそうして、頭の中でたくらみを巡らせながら、走っていく。途中、チユラは観客に笑顔を振りまくなど、余裕のあるアピールなどしていた。やるな。王女と争う以上こっちは悪役なので、客に愛想よくする必要はないだろう。
「……ファさん! ミーファさーん!!」
ざわめきの中から自分を呼ぶ声がした気がして、石壁の上に目を向ける。
街の人々の中にほんの数人だけ、オレを見ている者がいる。見慣れた服装に、目立つ赤い髪の長身……が、ローブコートの少女を肩車しているのを見つけた。
「ふふ」
シークが、ティーダの上で手を振り回して暴れていた。いや応援していた。めちゃくちゃ危ないな、そんな高い場所で。
そしてティーダの方はよほどシークが重いのか、なんとも言えない味のある苦笑をしていた。けれどその眼は、こちらに向けられている。
思わず、笑ってしまった。
……よし。いいところ、見せてやるか!
「!! くっ!」
少しだけスピードを上げる。競争の序盤でやることじゃないが、楽しいからいい。
チユラの焦った声と、観客のどよめき。盛り上げに貢献できたと思う。
だがもちろん、彼女もさるもの。チユラの気配はまだぴたりとついてくる。そのうち逆転することもあるだろう。
シークの嬉しそうな声に背中を押され、そのエリアを駆け抜けていく。
……こんなことをしていては、あとでバテて情けなく敗退するかもしれないが、それは嫌だな。仲間の前ではかっこよくいたい。最後までやり抜こう!
「ん! あれは……」
しばらく進むと、平坦な道のりだったコースに、異常な景色があらわれた。
目を凝らす。行く先にあるのは……半透明の、光の板。おびただしい数のそれらが地面から突き出している。なんらかの魔法術だろう。
……いや。より正しく表現しよう。近づくにつれて、あれがなんなのかわかってきた。
“迷路”だ。魔力で壁を形成して生み出した、迷路だ。壁が半透明なのは、ギャラリーが学生達の苦しむ姿を鑑賞するためだろう。
このように、ロードレースには様々な障害が道中に現れるらしい。ただ走るだけならつまらないということかもしれないが、これはまあ過酷だ。
迷路となると足を強制的に止められる。長距離を走るなら、途中で止まってしまうことこそが一番身体に負担だ。意地が悪すぎる。
だが……、
障害が意地悪である分、学生がどう対処するのかも、自由にしてよいとされている。
ならば、こんなものは障害にならないはず。わざわざ付き合う必要はないのだ。迷路など避けてしまえばいい。つまり迂回だ。
……しかし光の迷路は、見渡す限りの広さに広がっている。壁の背も高く、正攻法で挑むしかなさそうに見える。
「なんて、な! よっと」
オレは風の魔力を振り絞り、身体に纏わせる。翠色の輝きが身体を宙に浮かせ、地面が遠くなっていく。
このように、飛行してしまえば、いかに壁が高くそびえようと無視することはできる。ここは青空の下で、天井などないのだ。
光の迷路と、そして眼下に広がる王都の町並みを眺めながら、悠々と飛んでいく。良い景色だ。
だが、風の勇者だったときと比べると、あまり早くは飛べない。残りの距離の中で必要になる場面も考えて、魔力の消費を抑えておかねば。
……シマド・ウーフだったならば。こんなレース、今回のスタートダッシュにも使った風魔力のブーストをゴールまで全開にして、そのまま終わりだっただろうな。
「……ん?」
地上の世界から異音が耳に届き、真下の景色に目を向ける。
そこには悪銭苦闘するチユラの姿があるはずだ。迷路の中に囚われた彼女は、当然ここでオレと差がつくことになるだろう。
……そう、思っていたのだが。
おかしい。豆粒のように小さくなったその姿はしかし、ずっと、ずっと、真っ直ぐに進んでいる。空を行くオレと同じように。
よく、目を凝らす。
「マジか……」
異音の正体がわかった。
あれは、迷宮の壁を、チユラ姫が破壊する音である。迂回せず、進む方向を変えず、拳や蹴りでブチ破りながら真っ直ぐに進んでいるのだ。
脳は筋肉、よって筋肉は脳、したがって筋力のある人間こそ最高に頭が良い。みたいな解決法だな。恐い。どんな教育されてんだ……?
彼女、国民からはどう思われているんだろうか。さっきは愛想よくやっていたのに、こんな蛮行を国民に知られてしまっていいのか?
「うおおおおおおっ!! チユラ様――!!!」
「きゃああっ!! さすがだわ! わたしたちの姫様!!」
いやめちゃくちゃ人気だ……!?
優雅で穏やかな印象のあるヤエヤの人々だが、なんかもう……あれかな。普段みんな、ストレスとか溜まっているのかな。
ともかくチユラは、容姿や愛想だけでなく、あの豪胆なふるまいも含めて国民に人気があるみたい。おとぎ話や物語でいうヒロイン、ではなく、ヒーローの人気だな。
迷路の果てに辿り着き、地面に降りる。
ちょうど降り立ったとき、轟音を立てて壁に大穴を開け、チユラが登場した。後続の学生たちは彼女の開けた穴を通ればいいわけだな……。
再度走り出す。空を飛んでしまったため、地を蹴るリズムを失ってしまった。また調整していかなければ。
チユラもまた並走してくる。あれほどのことをやってのけて、呼吸が乱れた様子はない。
そうしてオレ達はひとつの障害を乗り越えた。しかしそこに差は、まったくつかなかったようだ。
いくらか時間が経ったように思う。さっき、観客が多く集まっていた王都の東門を過ぎた。だからゴールまではあと七割ほどだ。
ほんの少しきつくはなってきたが、限界まではまだまだ。オレは負けるつもりはない。
しかし……そろそろ、何か、きそうだ。
「!」
前方に、進路をふさぐように、岩で形成された壁がある。しかし規模は大したものではなく、跳び越えたり破壊したりするのは容易そうだ。
だが。その前に、人影がいくつか。
その中から、ひとりが前に出てくる。眼鏡をかけた細身の男性だ。
……あれは、魔法術の講師、デキヤ教諭! 他にも、王立学園の教師陣が何人か。彼らは杖や槍など、学生たちと同じく各々の武器を手にしている。それが次の関門というわけか。
これはたしかに厄介だが……高速で、抜き去ってしまえば!
「!?」
脚に力を入れ、魔力を発揮する寸前。突如、地面が揺れ、バランスが崩れる。
そのまま前方、いや、四方を、大地から隆起した岩の柱に囲まれた。視線の先、デキヤ教諭の構えた小さく短い教鞭のような杖が、淡い光を灯していた。
術者は彼。そう考えに至り、半ば反射的に、石柱の隙間から雷撃の矢を飛ばす。威力はさほどでもないが、人間が受ければ身体が痺れるだろう。
……しかしそれは、彼が生み出した岩の盾に阻まれる。これも地属性の魔法術。面倒な……!
「雷は地属性に相性不利です。知っていますね」
「はああーッ!!」
説教を述べる先生に、チユラが突っ込んでいく。たしかに彼女なら、あんな岩の壁などものともしないだろうが――
「うっ!?」
「接近戦をしかけてくる相手には、水属性による妨害が有効だったりします」
チユラが足を滑らせる。地属性と水属性を併用し、彼女の足元を泥まみれにしたようだ。
その隙を逃さず、デキヤ教諭はすかさず水の球を生み出し、チユラの首から下をそれに閉じ込めてしまった。そのまま宙に浮かされ、あれでは手足を振ってもどうしようもない。
……うまい。少ない魔力で、効果的な運用をしている。水の球ならばあのように、敵の動きを制限する檻として機能する。魔力に乏しい者であれば、囚われてしまえば逃れるすべはないかもしれない。
これは、チユラを出し抜いてオレが先へ行くチャンスかもしれない。
そう思ったときだった。彼の眼鏡が、こちらを向いて光った気がした。
向けられた杖の先から、赤い魔力が迸る。岩の間に閉じ込められたオレに、流動する紅が襲い掛かる。熱く、呼吸が阻害される。これは、炎の魔法術!
石柱に込められた魔力が火を外に逃がさないようにしていて、際限なく熱が高まっていく。身に纏う魔法障壁により直接焼かれることは防げても、あぶられた岩に宿る熱は無視できない。規模は大したものではないはずなのに、結果としてはまるで上位の火術のような威力だ。
流石は、かの王立学園の先生だ。
強い……!
「おふたりにはもう少し、ここで足を止めてもらいますよ。……ん? これは」
ほとんどの学生は、彼には才能で勝ることがあっても、術の運用では敵わないと思う。5つの属性を操り組み合わせるデキヤ教諭の腕前は、脅威だ。
だが……
ただひとつだけでいい。己に適した属性を、オレ達は磨き上げるべきだと。それは彼が、授業を通して生徒達に教えてくれることだ。
雷が弾ける。岩の牢と炎の責め苦、そのすべてを、耐えながら内に溜め込んでいた雷によって貫き崩した。
ガラガラと崩れる土塊をまたぎ、訓練用の剣を抜く。今度は、彼の知覚を超える速さで斬り伏せる。そのまま後ろの先生たちを飛び越え、駆け抜けてやる。
走り出す。同時に、チユラが水球を破裂させていた。彼女もやはり魔導師、光魔力の放出によってあれを切り抜けたのか。
当然、血気盛んな彼女もまた、先生へと跳びかかっている。
剣と拳。ふたつの武器が、不敵に笑う彼に迫る――!
「参りました」
刃を止める。
先生は杖をしまい、フリーにした両手を宙に上げていた。
「え、ええと……?」
「ここからこてんぱんにやられてしまっては、後続の生徒達の妨害ができないので……。さあ、君たちは次へ行きなさい」
デキヤ教諭だけでなく、他の教師陣も道を開ける。……拍子抜けだな。いや、彼らと本気でやって、存分に消耗したかったというわけではないけど。
剣をしまい、ちら、とチユラの方を見る。
あちらもなんともいえない表情をしているところで、目が合った。
「……!」
互いに無言のまま、同時に再スタートを切る。
どこかで彼女を出し抜ける場面は、はたしてやってくるだろうか……。




