04. 魔物の罠
「はっ! ぜあっ!」
僕が巨大な昆虫の魔物を1匹斬る間に、ミーファは3匹を葬っていた。
雷電を拳や脚にまとい、投擲し、触れて焼く。シロノトを出てからというもの、もはや戦果ではかなわないと思い、見取り稽古を心掛けていたが……。
どうしてもひとつ、気になることがあった。
「ねえミーファ。剣は使わないのか?」
彼女は今日まで、魔物を倒すにあたって一度も腰の得物を抜いていない。
その戦闘スタイルは僕と同じ、いわゆる魔法剣士のはずだ。そもそも僕に魔法剣を教えたのはミーファである。
徒手空拳と魔法術を合わせて戦っているようだが、慣れている剣に魔力を乗せた方が威力も消費効率もより良いはずだ。
何か考えあってのことだとは思う。格闘術や魔法術の訓練だろうか? 魔物に手加減をしている? ここまで徹底して剣を使わないとなると、いざというときに腕がなまっていたりはしないだろうか。
「ん。あー、これね」
話しながら、ミーファの握った拳がスパークする。彼女はそのまま、上空の巨大な蝶に向かって雷を放った。
「む、外したか」
距離がかなり離れている。ミーファの雷撃は不規則な軌道のせいで、やや狙いから逸れてしまったようだ。
すかさず剣を構える。大きく作りだした風の太刀を放ち、蝶を切り裂いた。敵の動きが遅いため、狙いに真っ直ぐに飛ばせば難しい相手ではない。
「うまいね」
戦闘を終え、剣をしまう。脇に放り出していた荷物を再び背負い、僕たちは歩き始めた。
しかし。
一度こちらから聞いてしまうと、どんどん気になってくる。
先ほど見た場面のように、雷の属性というのは、威力はトップだがコントロールにコツがいるようなのだ。訓練を積んだ魔導師でなければ、術をあらぬ方向へ飛ばしてしまったり、魔物へのとどめにと剣を高く掲げていた味方に落雷させてしまったなんて話も聞く。あまり集団戦向きの力ではないかもしれない。
だからこそ、だ。
だからこそ、魔力を剣に留め凝縮し、任意の対象に向かって解き放つことのできる魔法剣と、エネルギーの大きさに優れる雷の属性は、非常に相性がいいのではないか。そう自分は考えているのだが……。
「剣の話だけど……」
あまりに視線がうるさかったのかもしれない。ミーファの方から、先ほどの話の続きを持ちかけてくれた。
「ちょっと理由があってね。おいそれとは使えないんだ」
「理由って?」
「うーん……ひみつ」
ここぞとばかりにミーファはしなをつくり、指を唇に当てる仕草をした。
うぐぐ、可愛い。惚れた弱みにつけこみやがって。これ以上聞けない。
「まあそのうち見せてやるよ。君からは、スゴイって思われたいからな」
今でもものすごく尊敬しているのだが、伝わっていないらしい。
釈然としない想いを抱えつつ、しかし口ぶりからしていつか凄まじい技を見せてもらえるのだと期待を膨らませ、この話題はおひらきとなった。
僕たちは薄れつつある街道を進んでいく。日が沈みそうだ。近隣の町や村までは距離がある。今日のところは野営となるだろう。
野営の準備としてテントを設営していると、それを見ていたミーファから歓声が上がった。
「おいなんだこれは。素晴らしい。鉄の骨組みと厚い布でこのようなものが……」
平地に立てた三角屋根をしきりにいじり倒し、喜んでいる。これが気になるらしい。
「そして破邪結界の出来もいい。ユシドよ、お前は自慢の子だよ!」
「何を言ってるんだか。野営に使うテントなんて大昔からあるものだ」
「いいや、“これ”は無かった。世間知らずと思ってバカにしているだろう。これくらいの小さな筒から骨組みも幕も一式出てきたのを見たぞ。そのように小さく小さく収納できるものではなかったはずだ」
……その通り。実はただのテントではない。
これは冒険者の間で絶賛流行中の最新マジックアイテムだ。
「お目が高いねえお嬢さん。これね、名の知れた魔法細工師が高度な火・水・地の魔法術を駆使して生成したマジックアイテム。このコンパクトさは他の品には無理だよっ」
「お~!」
「しかしこの世紀の発明が大特価。商隊の小間使いユシド少年はこれだと目をつけ、最後に店先に残った2つを購入したのです」
「おいくらですか?」
「2つ合わせて……40万エン」
「はあ~~~~~??? バカじゃないのかお前」
ミーファは素っ頓狂な声をあげ、呆れ顔で糾弾してきた。
「こんなもんなくても野宿はできるだろ。それだけ金あったら馬でも買っておけよ」
「馬はもっとするけど……いいじゃんか、僕がお給料をどう使おうとさ」
さっきまで上機嫌だったのに瞬く間に説教顔へと変わってしまった。素晴らしいって言ってたくせにな。
「買い物するときは今度からちゃんと相談しなさいよ。なんでこんなもん買ったんだ」
「それは……ミーファはいいとこのお嬢様だから、屋根のないところで寝るなんて安心できないかなと思って……」
「な……バッ……はあ」
正直に理由を言うと、ミーファの呆れ顔がコロコロといくつかの色に変化した。
「そんな理由なら怒れないだろ。……ありがたく使わせてもらうよ」
「う、うん。なんかごめん」
「今度から買い物は一緒だぞ」
ミーファはそのままテントの中へ入っていった。中から「うひゃー」と喜ぶ声が聞こえる。広さに感動しているのかもしれない。
僕はもうひとつ、同じマジックアイテムを取り出した。魔力を食わせることで、縮んだ骨組みと幕が本来の質量と形状を取り戻し、キャンプに十分なものへ姿を変える。
魔物に襲われさえしなければ寿命も長い。その点も、小さな破邪結界を張ったためある程度は安心だ。このように、これからの旅の中では、人里へ辿り着けない日も快適に休むことが出来るだろう。
「おい、なぜ2つ作る?」
「ん?」
テントの入り口から首だけを出したミーファが声をかけてきた。
「なぜって……男女わけないとだろ」
「ははは、バカなことを言うな。ひとつでこんなに広いのに? 詰めれば4人は横になれるほどじゃないか」
それはまあ、そうだけど。最終的に7人が共に旅することに備えて買ったものだし。
「昨日の宿屋では、お前が勝手に部屋を別々にしてつまらなかったからな。今夜は寝かせんぞユシド。これまでの日々を共に語り明かそう」
「ちょ……きみ……バカッ!」
テントから登場した彼女は、早々に装備を脱いで薄着になっていた。素足で詰め寄ってくるのを手で制す。
からかっているのか!? いや、無自覚だ! 耐えろユシド、間違えば彼女との友情も終わりだ……!
火の前に座り込み、たまに燃料をくべる。空を見上げると、暗い空に小さい光が散らばっていた。
魔物は人を襲うが、人の灯りを嫌う。
そのうえ破邪結界もある。そうそう害されることはないだろうが……例外もあるかもしれない。
そう話して、僕は見張りをつとめることにした。
先ほどまでミーファが「なんのための結界だ、こっちで一緒に寝ないか」などとのたまいながら暴れていたのだが、今は静かだ。
耳をすませばかすかに寝息が聞こえる。
どんな寝顔をしているのだろう。ただ1枚の幕をめくれば、すぐ後ろに彼女がいるのだ。
「いかんいかん」
まったく、あの子は。
二人きりで横になるなんて、そんな状況になったら僕は自分がどうしてしまうかわからない。
間違いを起こせば幻滅するのだろう。あの態度は、僕のことを弟だとでも思っている。困った話だ。
惚れた側というのはとにかく弱い。彼女に想いを告げられる日まで、この心地の良い苦しみを耐え忍ばなければ。
「ン………」
膝の上に置いた剣を手に、立ち上がる。
夜風が、何者かの気配にさざめいている。それが近づいてくる方を向いて、僕は柄に手をかけた。
「あ……ひ、人が。良かった……!」
灯りに近づいてきたのは、ひとりの女性だった。
額は汗に濡れ、涙を目に浮かべ、九死に一生を得た様子で安堵している。服装に変わった特徴はない。この地域の住人だろう。懸命に駆けてきたようで足が汚れている。
そして、腕に傷を負っていた。彼女は痛みを堪え、かばうようにそこを押さえている。
僕は剣から手を離した。
「どうなされたのですか?」
「わた、わたしの村が、魔物に襲われて! お願いです、どうかすぐに助けを……」
「そんな! 大変だ……!」
魔物が人里を襲う。当然そういうこともある。辺境の小さな村ではきっと、やつらに対抗する手段が乏しいのだ。
村人たちが危険だ。必死な様子に思わず駆け寄ろうとする。
それを……誰かに、止められた。
誰か、と言ってもひとりしかいない。いつの間にかテントから出ていたミーファが、後ろから僕の服を強くつかんでいた。
「ミーファ?」
彼女は無表情でしばし女性を眺めたあと、よそ行きの微笑を顔に張り付けた。
「話は聞いていました。それは一大事ですわ」
相手を安心させるような柔らかい物腰で、彼女は言葉を紡いでいく。
「まずはあなたの治療が先決です。こちらへおいでなさって」
「い、いえ……」
「ほら早く。治療などすぐに済みますよ」
女性は何故か、ミーファの申し出を断った。……違和感がある。急ぎたいあまり、気が動転しているのだろうか。
「それとも……ここへは、入れないのか?」
たおやかな少女が、声色を変えた。
……ここに来てようやく、ミーファが何を考えているのかに思い至る。
再度女性を見る。やがて、嫌な汗がどっと流れ出た。
この女性の正体は……
「仕方がない。今そちらへ行きます」
今度は汗が出るなんてもんじゃない。寝起きの格好のまま無防備に出ていくミーファを見て、僕は心臓が飛び出そうになった。
危険だ。その女性は……魔物だ!
「ギアアアッ!!」
女性の口があり得ないほど大きく開く。ドロドロに溶けだした顔にはおかしな取り合わせの、鋭い牙が、ミーファの白い首を狙う。
――雷光が、迸った。
夜の木々を、稲妻が白く照らす。
世にも恐ろしい叫び声を僕たちの耳に残し、不定形の魔物は塵になった。
「……ふうっ」
その声を聴いて、思わず尻もちをつく。振り返ったミーファは、いつもの笑みを浮かべていた。
「すまないユシド。半死半生でとどめて情報を得るつもりだったのだが、その……見たかいあの形相? あんまり彼女のお顔が怖いもんで、やりすぎてしまった。許せ」
顔を赤くして謝ってきた。
正直そんなことはどうでもいい。僕はやつの顔より、君のやり方の大胆さに腰を抜かしたよ。もっと安全にやってほしい。
「……君が無事なら、それが最良だ」
「そうか? 優しいな、おまえは」
それからしばらく僕たちは、火の前で話し込んだ。
今夜は正直、もうあまり眠れそうにない。
ミーファの肩に外套をかける。熱い紅茶を口にしながら、彼女は礼を言った。
単に寒いからこうなっているのだけど、まるで彼女が弱々しい女の子のようで、なんだか少し変だった。
「ああ。あの手の小狡い魔物が存在するのは、知識としてはあっただろう? さっきのがそれさ」
魔物には、人間のような知能を持つ個体が存在する。ときに彼らは人への悪意を、より陰湿な形で向けてくるのだ。
それにしても、人間に姿を似せるだけでなく、会話までこなすとは。
「僕はすっかり騙されたよ。見分けるなんてミーファはすごいや」
「いや? あれを見分けるなんてこと、オレにはできないよ」
彼女はコップの中身をすすりながら、僕たちの野営地を囲むように刻んであった“境界線”を指さした。
「できるのは疑ってかかることさ。キミの結界が優秀だから、やつはこちら側へ入ることが出来なかったんだ。誇れ誇れ」
なるほど。
いい経験になった。結界の魔法術の研鑽もまた、怠らないようにしよう。
「……ところでお前。
ああいう大人しめの女子が好みなのか?」
「さて、ユシドよ。少しは休めたか」
「うん」
辺りはまだ夜が明けたばかり。僕たちは仮宿を片付け、装備を整えていた。
ミーファの方こそ休めたのだろうか。顔色は悪くはない。
「これからどうする? 昨夜の魔物が、騙して背後から襲うタイプではなく、テリトリーに引きずり込んで食うタイプだったとしたら、実際にどこぞの村に魔物が巣食っている可能性があるが」
気にかかるのはこのことだ。彼女の言うようなことが起きているのだとすれば、仮にも勇者を名乗る以上見過ごせない。
……もう、遅すぎるかもしれないが。
「あの魔物が模していた女性の姿だけど」
昨夜見たものを思い起こす。そこにヒントが隠れていた。
「身に着けていた首飾りは、トオモ村の特産品に似ていた。地図で言うと、この山を登った先に村はある」
「へえ。よく知っているな。そちらの修行も有意義だったというわけか……」
少しは感心してくれたようだ。僕は強さ以外の部分でも、この旅に貢献できればいいと思っている。この知識が正解を選ぶのに役立てばいいのだが。
「では、キミの選択は?」
「村へ行ってみよう。日中にたどり着けるはずだ」
「わかった。十分に気をつけなさい」
ミーファは必ず行先を僕にゆだねる。だから、後で正しかったと思える選択をしたい。
トオモの山を見上げる。厚い雲が目に入った。
今日は、雨が降りそうだ。