38. 学生生活
突然、オレの頭に、硬いものが落ちてきた。
「いだっ!?」
暗く心地よい眠りの中に、いきなり稲妻が迸ったのだ。思わず飛び起きる。頭を撫でながらしばし周りを見渡すと、自分が宿のベッドにいて、時刻は早朝だということがわかった。
そして。顔面を狙って降ってきた凶器の正体は、相棒である鋼鉄の剣だった。昨晩、いつもより朝早くに起こしてくれと彼に懇願し、枕元に立てかけておいたのだ。ちゃんと頼んだ通りに目を覚まさせてくれたというわけである。
しかし方法は乱暴極まりない。当たり所次第では鼻が折れる。いずれ自分で起きられるように、起床時間を身体になじませないと。
「いて……あ、ありがとう、イガシキ」
応答は返ってこない。だが聞こえてはいるはずだ、お礼に後で手入れでもしてやるか。
ベッドから降りて、伸びをする。隣のベッドでは、まだシークが寝息を立てていた。彼女を起こさないように一日の準備をしていく。
しばらく経つと、鏡の中には学生服を着た自分が立っていた。顔や体の向きに角度をつけ、様子を確かめる。ふむ、変なところはないな……。
仕上げに胸元のリボンや頭のカチューシャの位置を整えていると、静かな空間で、かすかに隣の部屋のドアが開く音が聞こえた。
荷物を手に取り、急いで外に出る。
「うわっ、びっくりした」
扉を開くと、すぐに人と鉢合わせる。汚れの目立たない色の作業服を着た青年……ユシドだ。
「よう、奇遇だ」
「あれ、もしかしてもう出るの? 今日は早いんだね」
「まあな」
適当な会話をしながら一階に降り、共に食堂に準備されていた軽食をいただく。宿の人が昨夜から用意してくれていたのだろう。
テーブルの対面に座るユシドの顔をときおり眺めながら、静かに朝食の時間を楽しむ。ふたりだけの朝というのも、久しぶりな気がする。
「ミーファは、こんなに朝早くから登校するの? なにか用事かい」
「ああ、まあ、その……朝の方が、道が涼しいから」
「あはは、なんだそれ。いやでも、ちょっとわかるな」
咄嗟に口にした理由で、こいつは納得してくれたようだ。
ユシドは、清掃会社の職員は、学生よりも始業時間が早いらしい。彼はいつもこの時間に宿を出ていく。今日からは自分もそれに合わせるつもりだ。
その方が、いいなと思ったから。
食事を終え、宿を出て、二人で街道を歩いていく。
いい歳して若者、子どもたちの真似など気恥ずかしいものだが、それを誰かに指摘されることもない。学園に向かって歩くこの時間は、ひとりよりもふたりのほうが気持ちがよく、落ち着く。一時はふたりきりの時間が気まずく感じたけれど、それでもやはり、隣でこの肩が揺れていると安心する。
他の学生と鉢合わせることもなく、静かな通学路を進んでいると、いつものように学園の門が見えてきた。……つまり、ふたりだけで他愛のない話ができる時間は、今日の分はもう終わりだ。
少し残念で、惜しかった。勇者の旅路を進むときとはなにか違う、この不思議な時間が。
オレもユシドも、この王都に生まれ育っていたのなら、こんな日常もあったのかもしれない。そう思うと、このかりそめの日々が少しだけ、尊く、貴重なものに思えた。
「じゃ、またね」
「ん」
別れ際にユシドが手を振ってくる。オレはつい同じように手を振り返したあと、この青くさい仕草を少し恥ずかしく思った。だけど、悪い気分ではない。
さて。
学園の敷地に足を踏み入れたからには、今日も気を張っていこう。学生生活を楽しむばかりでは本末転倒が過ぎる。このままではさすがに、王都の人々に顔向けできないというものだ。
荷物を背負い直し、自分の配属されたクラスの教室に向かう。これはホームルームというそうだ。
ただし、今日からはなるべく遠回りをしていく。
朝早くに登校するのは、本来の目的を考えると正解だ。始業時間までにひとつくらいは、まだ立ち寄っていない場所を探索することができるだろう。ああでも、迷わないように気をつけないといけない。ここはまるで王宮のように広く複雑だ。
「むっ」
どこを調べたものか考えながらゆっくりと歩いていると、耳が自然のものではない音を捉えた。集中すると、何かが何かにぶつかる鈍い音が、断続的に聞こえてくる。
我ながらいい聴力だ。風の勇者としての経験も捨てたものじゃないな。そう自画自賛しつつ、音の方向へあたりをつけ、歩を進めてみる。
校舎のとある角をひとつ曲がると、開けた場所に出た。身体を存分に動かすことができそうなスペースだ。
……そこに、誰かがいる。背格好からして学生か。服装も、武芸科の生徒がよく着ることになる簡素なデザインの訓練着だ。
ひとつ大きく呼吸をして、近づいていく。ここまで来たら、少し声をかけてみよう。
金の髪が印象に残る女生徒だ。お淑やかそうな外見に反し、彼女は拳を握って、丁寧な動きで木偶人形を殴打している。そこには確かな威力が宿っており、これが異音の正体だとすぐにわかった。
朝っぱらからひとり訓練とは感心な若者だ。それに、あれは武術を修めている者の動きだな。オレの剣は我流の適当なものだから、ああいう綺麗な動きができる戦士は尊敬する。
そして。近づいてみてわかったが、オレは彼女のことをどうやら、すでに見知っていた。
「ごきげんよう」
「……あなた、留学生の……」
名前は覚えていないが、この少女とオレはいわゆるクラスメイトだったはず。同じ授業を受けているのを何度も見た。
つまり、武芸科の魔法術クラス、というところに所属していることになる。そのわりに見事な技だ。彼女、なぜ武術クラスではなく魔法術のほうを選択したんだろうか。
勇気を出して話しかけてみたが、言葉を交わすのはこれが初めてだ。何故なら……
「……近寄らないで。危ないから」
うーん、やっぱり。
彼女は人を避けているのだ。教室でも孤立しているように見える。ずっと機嫌が悪そうな顔をしていて、なかなか話しかけられなかった。こっちもあまりコミュニケーションは得意なほうではないし。
案の定、冷たい態度で突き放されてしまった。うーんどうしよう。
せっかく声をかけたからには、ここはひとつ、怪しい教室の噂とか謎の怪物の話などないか、なんてことでも聞いてみたいんだけど。
「そんな、そうおっしゃらずに。あの――」
人当たりの良い笑顔を意識し、食い下がろうとした。
微風でオレの髪が揺れる。目の前には硬く握られた拳。……彼女がいま、突然すさまじい勢いのパンチを放ち、オレの鼻先で止めたのだ。
次の言葉が出てこない。寸止めする気なのはわかっていたが、か弱い留学生に対して随分と当たりが強い子だ。何か気に障ったことをしただろうか。
「あなた。ここは危ないから、あまりひとりで歩かないで」
「……わかりました」
攻撃が当たってしまう、とでも言いたいのだろうか。
ほんとうに機嫌が悪そうな顔だ。嫌なことでもあったのだろうと察するが、しかしこれが右も左もわからない新入りへの態度かい。
どうせ短い付き合いだし、望み通りそっとしておくか。
当たり障りのない笑顔をつくり、小さく会釈して、その場を後にする。笑ってしまうほど会話にならなかったな。喉がさび付いてしまう。
去り際、こっそり感覚を彼女に向けてみる。すると、身体を動かす瞬間の彼女には、かなり強い魔力を纏っている気配があった。
けれど視覚的にはどの属性も使っているようには見えない。それが少しだけ、気になった。
いい収穫を得られないまま、ついにホームルームへ辿り着いてしまう。
まだ学園内には活気がなく、学生の姿はまばらだ。教室に入ったところで誰もいないだろうし、荷物を置いてまた散策しようか?
そう考えながら、そこへ足を踏み入れる。
教室の中を見渡す。前方には教師が授業を披露してくれるお立ち台があり、それ以外の空間は生徒の席と荷物置きの棚だ。席は階段状に上へ上へと学習机が並べられ、講師を皆で見下ろす形になっている。だから、前に座った者の頭で先生が見えない、ということはない。この様式は以前にバルイーマで見た、コロッセオの観客席のようだ。
まだ始業まではずいぶん時間があり、ほかのクラスメイトの姿はない……と、思っていたのだが。ほとんど人気のないがらんどうの教室に、銀の髪がきらめいているのを見つけた。少しうれしくなり、自分の頬が持ち上がるのがわかる。オレは彼女に近づいていきながら、挨拶の言葉を考えた。
「やあ、マリン。ごきげんよう。早起きなんだね」
「ごきげんよう、ミーファさん」
マリンはこちらを認めるとみるみるうちに笑顔になり、さながら日の出のような表情変化だ。それと、その様子はまるで飼い犬のようなかわいらしさがあった。クールに黙っていれば、おとぎ話の妖精みたいなんだけど。まあ、表情豊かな人のほうが好きだから、これでいい。これがいい。
「朝早くから何してたの?」
「とくに用事はないんですけど、ええと、なんだかミーファさんと一緒にお勉強できるのが楽しみで。その」
うーん。かわいらしい。随分懐いてくれたものだ。オレだってマリンが同じ教室にいるのはうれしいのだが、気恥ずかしくてこうも素直には言えない。
そう、同じ教室。先日このクラスに配属されたときは、彼女のとても驚いた表情を見ることができた。オレが潜入したこのクラス……王立学園武芸科・魔法術クラスは、ちょうどマリンの通う教室だったんだ。これは望外の幸運である。
何かあったときに光の勇者である彼女を守ることができるし、知り合いがいると学生生活もやりやすい。また、もし事情を話せば、きっと学園内の調査に協力してくれることだろう。
まあ、まだ話していないし、調査も思ったより進んでいないのだが。
荷物を棚にしまったら、マリンの隣の席に座り、彼女に話しかけてみる。話題はついさっきの出来事についてだ。
「さっきクラスメートの子に会ったんだけど、マリンはどんな人なのか知ってるかな? ほら、キラキラした金髪で、きれいな顔立ちの。……それと、武術が達者なんだ。そこらのハンターより腕っぷしは強いかもな」
マリンの表情を伺いながら、あの少女の特徴を思いついたものから並べたてる。
しばらく考える顔をしたあと、マリンはおもむろに口を開いた。
「……ああ、あの方ですね。チユラさま」
「さま?」
「チユラさま……ええと、チユラ・メグォーサ・ヤエヤさまは、この国の王女様のひとりです。つまり、王様の娘」
「はっ!? あれが……?」
思い出すのは顔面につきつけられた握りこぶしの迫力である。
オレのような庶民が想像するお姫様のイメージとは反する少女だったが。人形をドンドコとテンポよくボコボコにしていたし。
「この国の王族は“光の勇者”という人の子孫ですから、あの方もかなりの魔力を持っていそうですね」
マリンの口から光の勇者という単語が出てきたことに、一瞬どきりとする。たぶん、マリンのほうが、王族の人たちよりも強い魔力を持っていると思うよ。……近いうちに、ちゃんと伝えないとな。
しかし、魔力、ね。
あの王女様、術なんて必要なさそうだったけどな。
「同じクラスってことは、あれで魔法術の専攻なんだよな」
「聞いた話では、武術はもう人に教えてもらうようなことはないから、あえて魔法術クラスに入ったんだという噂です」
「へえ! すごい子もいるものだ」
そういうエピソードを聞くと、記憶の中の彼女が、だんだんと上に立つ人間のオーラを纏っていくような気がする。たしかに、姿勢や細かい仕草には気品があるように見えたし、お姫様っぽさのある器量良しだったかも。マリンが嘘をつくはずもないし、本当に王女様なんだなあ。
……となると、ああ、なるほど。機嫌が悪い理由が分かったかもしれない。
公には明らかになっていない話だが、この国の第二王女が今、行方知れずになっている。さっきのチユラ姫は第二王女の姉妹ということになるわけで、身内を失った被害者だ。張りつめた顔にもなるはずだし、「ここは危ない」という言葉の意味も見えてくる。
しかし、ということは。彼女は王都の不穏さを知っていながら、人気の無い場所で朝からひとりでいることを選んでいることになるな。
……まさかとは思うが、自分を囮にしているのか? バカな、貴人のやることではない。
いや。あの苛烈そうな性格からして、あり得るかも。
マリンだけじゃなくて、あの子もそれとなく見守った方がいいだろうか。
「な、マリン。少しお散歩でもしませんこと?」
「え、あ……はい。散歩。はい。ふふふ」
快く承諾してくれた彼女と一緒に、教室を出る。散歩と言ったが、実は例のお姫様を遠くから見学できる場所へ向かうつもりだ。どうにも放っておけない。
学園には今のところ邪悪な気配のかけらも感じられないが、これくらいの用心は必要だろう。イフナも、学生たちを守るという役割を、オレたちに期待しているはずだ。
道すがら、歩きながら話す。
「学園の人たちのこと、もっとオレにも教えてほしいな。そうだ、ストーンとシャインは? 武芸科じゃないのか?」
「あの子たちは学年が違うんです。わたしよりひとつ年下で……」
「なに!? 今日一番の意外な話」
「あ。それって、わたしが子供っぽいってことですか? もう」
「はは」
自分の席から、眼下で歴史を語る教師を眺める。
学問としての歴史など興味は無く、初めはぼうっと聞き流していたが、いつの間にかしっかり耳を傾けるようになっていた。そこから何を学びとるかとなると難しいが、学習内容に合わせて先生が語る、教科書に載っていないエピソードが単純に面白いのだ。
「……皆さんも知っている通り、初代国王は“光の勇者”ですが。これはおとぎ話ではなく歴史的事実だという説が根強い。そして、彼らの実在を前提とすると、七勇者たちは実に歴史の様々なページに登場しているのです」
今日はなんと、七属性の勇者たちの伝説についての講義だ。オレの故郷シロノトでは勇者の存在はおとぎ話などではないのだが、この辺りではどのように伝わっているのか。さすがにこれは気になるところ。
「たとえば、かの有名なバルイーマの武闘大会。あの町へ行ったことがある人はいますか? ……はい。あそこには、やたら大きくて趣味の良くない闘士の像があるでしょう。モデルになった人物、大会の歴史の中で最も強かったとされる彼、アチラス・アチコーコは“火の勇者”だったという話です」
脳裏に筋骨隆々の男の像が思い浮かぶ。ああ、たしかに、なんかこう、メラメラした髪型をしていたな。
しかし、最も強かったとは聞き捨てならないね。実は当時のレベルが低くて、オレの方が強かったかもしれないじゃないか。……まあ、負けましたけど。ユシドに。
あのとき負けなかったら、今もあいつを、ただの子孫として見ていたのかもしれないな。
「他には、今ではよく知られているハンターズギルド……古くは冒険者組合だとか、魔祓士互助会とか、いろいろ変遷があったようですが。この組織の設立に関わったメンバーである、かのキビトー・ザワワスは、地の勇者だったとか。これは、真偽の怪しい話ですが」
ここまで語ってから、先生は休憩するようにひとつ息をついた。
彼女が次に口を開くと、声のトーンがやや変わる。彼ら教師が授業を先に進めるときにやりがちな手法だ。話術の一種といえるかもしれない。
「さて。ここまでの話をふまえて、あなたたちは“勇者”たちについて、どんな人物像を思い浮かべますか」
「……はい。彼らはみな人格に優れた、偉大で立派な人物たちだと思います」
「なるほど」
前の辺りに座っていた女生徒が、模範的なものに聞こえる意見を発表した。
ふふ、そうだろうとも。人々を苦難から守ることが勇者の使命なのだから、それはもう聖人君子ばかりさ。少なくともオレが知っている勇者はみんなそうだ。仲間として、誇らしく思う。
「そうとも限らないかもしれませんよ」
「ん?」
ちょうど自賛の思考にふけっているところに、先生が冷や水をかけるような一言をつぶやいた。心を読まれたようで、思わず声が漏れてしまう。
先生は息を吸い、学生たちの顔を見渡しながら、再び語り始めた。
「教科書にはない話ですが。このヤエヤ王国と魔人族領を隔てる長大な壁には、かつて二つの関所が設けられていました。西の関所と南の関所です。しかしご存知の通り、豪奢で文化的な建造物だったとの記録がある西の関所は、歴史上のいつからか、倒壊しかけの廃墟になっていますね」
周りの学生たちが頷いている。
この国と魔人族の国土は、大きな石壁と結界で隔てられている。これは魔物たちの拡散を防ぐため魔人族たちが作ったものを、ヤエヤの王が引き継ぎ、以来はこの国が管理しているという話だ。……ずいぶん昔に聞いたことだが、我ながらよく覚えていたもんだ。
しかし、魔法術や精鋭の兵たちで守られているはずの関所が、ひとつ潰れてしまったのか。強力な魔物の仕業だろうか。当時の七魔の一騎が現れたとか?
「あれはですね。200年ほど前、当時の王は関所を通過する者に重い通行料金を課していたのですが。それに腹を立てた風の勇者シマド・ウーフが、剣の一振りで壊滅させたという話です」
「えっ」
思わず声を出してしまったが、周りも何やらざわつき出したため、幸い目立たなかった。
……えっ、ヤエヤの関所を破壊した? 記憶にない。そんなことしたかな。
たしかに旅の中で、建物のひとつやふたつ、吹き飛ばしたりはしたけど……うーん。あっ、いやでも、やったかもしれない。
あのご時世はどこも不景気でオレも資金がなく、だというのにどこの国も税がやたら重かったりして、イラついたものだ。そのときにやっちまった可能性は、否定できない。
旅の中でぶっ飛ばしたもののことなんかいちいち覚えていない、と言ったら、この国の人たちは怒るかな。
「しかしその事件以来、若かった当時の王は心を改め、次第に善政を打ち出していくことになります。実はこの人こそが皆さんも知る名君、マァル・アガーハート・ヤエヤ2世なのです」
全然知らん。
周りの学生の反応を見てみると、まあ自国では有名な王様のようだ。
短気な時期のオレが悪いことをしたなと思ったが、改心したならいいや。
「さて。勇者シマドの行動は結果として国を豊かにしたとも解釈できますが……ここまでの話を聞いて、皆さん自身は彼の行動をどう考えますか? 今から5分間、周りの席の人と話し合ってみてください」
知っているぞ。グループディスカッションってやつだな。どの先生もやりたがるあたり、教育者業界の流行りとみた。
オレは周囲の学生たちと顔を突き合わせ、議論に臨む。このグループはお嬢様っぽい女生徒が多い。いいね、可憐な女性陣から褒められるのなら良い気分になれる。みんなで勇者シマドを讃えたまえ。
「横暴な方もいるものですね。非常識です」
「えっ?」
「勇者の振る舞いとは思えませんわ。偽物なのでは」
「えっ?」
心地いいそよ風を肌に感じ、上を見上げてみると、青い空が広がっている。
次は屋外での授業。魔法術の訓練の時間だ。身体を動かしやすい訓練着に着替え、教師が出したテーマに沿って術の訓練をする。
魔法術を他人から教えてもらうなんて、何年ぶりのことだろう。
正直な話オレは未だに、雷の術は、風属性ほどには習熟していない。それは昔の仲間である先代雷の勇者の強さを思い出してみれば、明らかな事実だ。
魔力が多くても、扱う技術がなければ勇者たりえない。それはユシドにもよく偉そうに言ったが、実は自分のことは棚に上げていたわけだ。
そこでせっかくのこの機会、ぜひ色々と学びたいものだが。
「本日のテーマはこれです。よっと」
眼鏡をかけた、理知的なイメージの男性がみんなの前で話し始める。彼は魔法術クラスの担当講師のひとりで、細身で落ち着いた感じがいかにも魔導師らしい。
彼は持参したカゴの中から、ひとつの球を取り出した。ちょうど片手で掴んで持ち上げられる大きさだが、異様に重そうだ。金属製かもしれない。
やがて、先生の腕が淡く光りを放つ。魔力の輝きだ。それに伴って、ボールがふわりと手のひらから浮きあがる。……風属性の魔法術だ。オレもよく使っている。
浮き上がったボールは、先生が腕を振るのに連動して、縦横無尽に動き回る。学生たちのほとんどはそれを感心した様子で眺めていて、何人かはつまらなさそうに見ていた。
「今日はこのように、“物を運ぶ”ということが主題です。物体を優しく運ぶにはこのように、風の魔法術が適していることが広く知られています。皆さんの中にも、既に修得している方はいるでしょう」
歴史の時間の女性教師と似た口調で、彼の講義が始まる。
風の運搬術など、風属性メインの魔導師は一番初めに修得するといってもいいくらいポピュラーだ。オレの今の魔力でも、武器などを身の回りに複数浮かせることだってできるし、これに関して新しく学べることなんてあるだろうか。これじゃつまらないな。
せいぜいたくさん浮かせて、魔導師としての力をアピールするか? その方が、例の事件の犯人の注目も得られるかもしれないし。
「ではしかし、それならば。他の属性を扱う魔導師は、物体を運ぶことはできないのか?」
「!」
先生の言葉が頭に入ってくる。
「そう。他の属性でも、工夫を凝らすことで、物体を移動させることは可能です。ほとんどの人は自分の魔力に目覚めたとき、試したことがあるでしょう? そしてより重いものを運ぶためには、風のエネルギーでは足りない場面もあります」
なるほど、なるほど。興味深い。先生は人の関心を引くのがうまいじゃないか。オレも指導の腕を見習いたいな。
「今日の時間では皆さんに、自分の持つ属性にあった運搬のすべを見つけてもらいたい。これがめあてです」
周りの学生たちから魔力の気配が漂ってくる。彼らも試したくてうずうずし始めたのだろう。
「まずは10分間時間をあげます。自分で思いつくやり方を試してみてください」
その言葉で、学生たちは自分のボールを受け取り、敷地内に散らばっていった。
オレも同じようにする。今試すべきなのはもちろん……雷の魔力だ。
「うーん」
そして10分後。
オレはそこそこの重さがあるボールを前に、腕組みをして唸っていた。
風を使えばこれを持ち上げてよそへ持って行くのは簡単だが、“雷”でモノを動かすなんてどうやる? わからん。
わからなさすぎて適当に電撃を放ってみたら、なんか周囲の学生たちがそそくさと離れていった。おかげで集中できるが、助力を求めづらい。マリンだけちょっと近くにいるけど、彼女は雷使いじゃないしな。
行き詰ったところに、ようやく先生の集合の声がかかる。生徒に悩みや疑問ができたところに指導を入れるという授業計画なんだろう。なかなか勉強になる。
「今から紹介するのは書物や伝聞で今日に残された、各属性の物体運搬術です。参考にしてみてください。ただし、これこそが正解だという話ではありませんからね」
先生が魔力を発揮し始める。先ほどは風の属性を操っていたが、これは……。
「地属性。地面のある範囲だけを流動させる。または、土や岩の荷車を作り、魔力で操る……など」
地面に転がったボールが、ひとりでにずるずると動く。そのあと、もこもこと生えてきた小さな車がボールを運び、生徒のひとりの足元へとたどり着いていた。
あー、そういえば。いつかの戦闘時、ティーダが腕を組んで直立したまま地面を滑るように高速移動するという、変態みたいな動きをしていたのを見たことがある。あれはこういう理屈だったんだ。
術の成果を見て、学生たちからまばらな拍手が送られる。しかし先生の講義は、これで終わりではない。
「水属性。水流に乗せて運ぶ。あるいはこうして……水の噴射で打ち上げ、水のクッションで受け止める。まあ荷物が濡れるんですが」
「火属性。非常に難しいです。ボールに術の発動陣を設置して……噴射で一気に持ち上げる! そしてそのまま火力をキープすると、このように持ち上がります。これは風属性を同時に持っている人じゃないと、感覚がつかみにくいかもしれないですね。しかしパワーはあります」
先生が目の前で実践していくたび、鉄のボールがぽんぽんとぶっ飛んでいく。危なっ。
たしかに色んなアプローチがあって面白いが、風で浮かせるのに比べると難しいしデメリットがある。運搬に適しているのが風属性である理由がよくわかる授業でもあるな。
一部の元気な学生たちが先生に野次を飛ばすのを聞き流しながら、次の属性を察知する。先生の腕が、雷属性の特徴的なスパークをまとい始めたのだ。
というかこの人、さらっと5つの属性を操っていないか? それってとんでもない話だぞ。ひとつの才能だな……。
「そして、雷属性。攻撃に特化し、あまり汎用性のない属性のように知られていますが、実は特殊な運用方法があります」
先生が腕を鉄球に向けると、そちらも雷の魔力を纏い始めた。……なんだ? 今、腕と球の魔力が、不思議な形状と動きをした。
しばらくすると、鉄球が浮きだした。まるで腕に引き寄せられるかのように動き、やがて先生の手に収まる。こんな作用を、雷の魔力で?
「やり方はですね。雷を、さながら竜巻のようなルートで流します。この竜巻を、運びたい物と自分の腕に巻きつける。すると……ふたつの魔力が、引き合う力を作りだす。また、流れを逆回転させると、反発し合う力に」
先生の手の中のボールが浮く。正確には、手とボールが互いを撥ね退けようとしているという。
「このように雷の魔力には、金属を引き寄せ、または遠ざける力があります。古代の人類はこれを“磁力”と呼んでいたそうですが、仕組みはよくわかっておらず、現代では不可解なパワーです。あ、まあ、人体に危険はないですよ。ないかな? ハハハ」
「へえ……」
何笑ってんだと思ったが、ともあれ興味深い。金属を引きつけるというなら、剣を取り落してしまったときなんかに使えるかもしれないな。
さっそく真似をしてみようか。
「ああ、っと。もうひとつ、光の属性についてですが。これは私も研究不足でね。どう応用したものか困っていまして」
「簡単です、そんなの」
後ろから声。学生たちの間を通り抜け、ひとりの女生徒が前へ出てくる。
……おや。例のお姫様じゃないか。
彼女は先生が地面に放置していた、一番大きく重そうな鉄球を見つめている。あれは重いぞ。先生もちゃんと運ばずに、足で転がしていたのを目撃したからな。
みんなに注目される中、彼女は……鉄球を、ひょいと持ち上げた。普通に手で掴んで。
驚きのあまりバカみたいな声をあげるところだったが、なんとか堪える。からくりを見極めようとよく観察していると、チユラ王女から魔力の気配がした。そして、わずかに身体全体が発光している。
「肉体を強化して、自分の腕で持ち上げる。武術家と同等の膂力を得ることができます」
「なるほど、さすが光の勇者の子孫ですね。ありがとうございます、チユラさま、じゃない、チユラさん」
学生たちの拍手。オレもまた、手を叩いて賞賛した。
それって魔法か? とも思ったが、光の属性にそんな使い方があったとは。あの子から今朝感じた魔力は、光属性のものだったというわけか。
魔力で身体能力を強化する技術は知っているが、あれはうまく扱わないと、流した魔力に肉体が傷つけられてしまうリスクがある。武器が魔法剣に耐えきれず壊れてしまうケースと同じだ。
しかし光の属性は、傷を癒すことにも効果を発揮する。肉体に備わったエネルギーを活性化させる力があるわけだ。それを考えるとなるほど、他の属性と比べると、身体強化を成しやすいのかもしれない。
……でもなんか……やだなあ。
マリンがシークみたいに、片手で岩を持ち上げるような細マッチョになったらどうしよう。
先生から全体への助言はこれで終わり。後は自分でいろいろ実践してみるための時間だ。
雷を腕に纏わせてみる。バチバチと弾けるこの金と蒼の雷光は、このまま放てば触れるものを傷つけてしまうだろう。
これを形状変化させ、腕の周りをうずまくように流動させていく。……そもそも放出した魔力の形を任意に変えること自体がなかなかに難しい技術なので、これを学んでいる王立学園の生徒たちは、やはりレベルが高い魔導師になるのだろう。
さて。魔力を竜巻のように流す、すなわち回転を取り入れた動きをさせるということには、風の勇者としての経験が役に立つ。風の魔力でより強い威力を発揮するには、この運動の修得が不可欠だったからだ。たとえば、現にユシドの技も、竜巻による暴風を作り出すものが多い。
ちなみにこの回転の動きをさらに質量のある水の魔力でやると、シークが好んで使っているあの恐ろしい技になる。ティーダってあれの前に立ってよく生きてたよな。
竜巻を起こすイメージ。あの要領で、雷の魔力を操る。
あちこちに飛んで行こうとしている電気を、腕の周りで一方向に誘導し、さまよわせる。やがて雷が形作ったものは、竜巻というより、“ばね”に例えたほうがしっくりくるかもしれない。
よし。次は、鉄のボールに向かって同じ作業を……
「ん?」
腕に、なにか小さく軽いものが飛んできた。そして、ひっついている。
それは王立学園の訓練着の袖についている、小さなバッジだった。学園のシンボルマークが掘られている。校章というらしい。
見ると、自分の袖についていた校章がない。剥がれて腕にくっついてしまったようだ。
なぜだ。……ええと。金属だから?
「うわ! うわわわ!?」
他の生徒の校章が、腕にどんどん飛んでくる。みるみるうちにオレの腕はバッジに埋め尽くされていき、もうなんか芸術的なものになっている。
それと、ビシビシと地味に痛い。学生たちの困惑の声に罪悪感もわいてくる。
「うおっ!」
腕に重みが。見れば、鉄球がくっついていた。
お、おかしい。まだ先生の示した手順を行っていないのに、なぜくっつく?
「ミーファさん、あぶない!!」
声に振り向く。マリンの声だ。
ものすごい勢いで、大きな鉄球がこちらに飛んできていた。王女様が持ち上げていたやつだ。ものすごくまずい。
咄嗟に身構えようとするが、右腕が重くて持ち上がらない。オレに引き寄せられているから、避けられもしないだろう。破壊するしかないか……!
「はっ!!」
「え……!?」
そのとき、誰かが目の前に躍り出た。金の髪が風に揺れる。
「はやく魔力を解いて!」
「あ、そうか」
少女の言葉に、腕の魔力放出を取りやめる。すると引きつける力が無くなったのだろう、校章バッジの群れが一斉に、どばっと地面に落ちた。これではどれが誰のものやら……。
そして、重いものが地面に落ちる低い音。鉄球だ。
気付いて、王女様に駆け寄る。彼女は一番大きな鉄球を受け止め、身を挺してオレをかばってくれたんだ。
「助けて頂いてありがとうございます! お怪我はありませんか? ええと、チユラさん」
「いえ」
わずかに汗をかいてはいるものの、怪我は本当にないようだった。彼女のそばに転がっている大きなボールを見る。これを無傷でキャッチしたというのか。武術に優れているという話は真実だな。
もう少しちゃんと感謝を示したいと思い、言葉を選んで組み立てていると、やがて、異常に気付いた先生や生徒たちが駆け寄ってくる。
「……どうやら、雷魔力の出力がでたらめに強すぎたようですね。あんな現象は初めて見ます」
「あー、その、あはは。……申し訳ありませんでした、先生、皆さま」
本当に申し訳ない。頭を下げ、みんなに謝った。初めて試すことだから、細かい手加減を失念していた……。
一瞬の間のあと、クラスメイトたちが一斉に、よってたかって声をかけてくる。妙に明るい表情からして、どうやらオレを糾弾してはいないようだが、何が何やらわからん。
彼らの隙間から、ひとり離れたところへ行ってしまう王女様が見えた。
態度は冷たいが、明らかに善意で助けてくれたようだし、しっかりお礼をしたいのだが、他の生徒たちにやたら話しかけられる。もう一回今のを見せてくださいまし! とか聞こえた。大道芸人だと思われている。
……あとでちゃんと、改まって、お礼を言いたいな。
そう思いながら、実はたぶん優しい少女に、視線を向け続けた。




