31. ハンターデビュー
「いくぞ魔物よ、『ハイドロレイ』っ!!」
「わあーっ!! すごいや、本物のアーサーだ、S級ハンターだー!」
「ぎゃあ! この犬でかい!!」
「アーサーが負けてる! あははは」
庭で子どもたちと水遊びをしているシークを、開いた窓から眺める。
イフナは兵士としてそれなりに高給をもらう立場にいるようで(あれほどの手練れなのだから武官としては最強の部類だろう、当然だ)、家は立派な一戸建て。若々しい美人妻に二人の子ども、やたらおっきい犬という家族構成だ。イフナが戦死でもしない限り、この世で最も幸せな家庭の姿なのでは。
時刻は日も傾いてきた頃。イフナの奥様は突然の大量来客に戸惑っていたが、今は晩御飯の準備で大忙しだ。オレも手伝おうとしたが、また今度でいいと言われた。
何度も来る予定はないのだが、彼女は言外にいつでも寄っていいと言っているのだ。自然な態度の優しさに、嬉しくなってしまう。あの夫にしてこの妻ありって感じだな。
「少し奥で話そう」
子どもたちの相手をシークに任せ、オレ達はイフナの書斎に案内される。
部屋の扉を閉め、聞く姿勢を整えると、彼は優しい父親だった先ほどまでの顔を変え、真剣な表情をつくった。
「――魔導師失踪事件?」
「ああ」
ユシドがイフナの言葉を復唱する。
今このヤエヤ王都で、いや、王国の全土で起きていること。それは。
優秀な魔導師たちが次々と、手がかりも残さずに失踪している、という話だった。
失踪するまでの彼らには、何も変わった様子はない。いつものように職務や生活に励んでいるだけだった、その翌日。身近な人間の前からこつぜんと姿を消す。ゆえに、このあまりに不審な件の調査を進めている人間のうちでは、彼らは何者かに誘拐されたという説が有力なのだそうだ。
「王宮付き魔導師も務める重役の文官たちに加え……これは最高機密なのだが……この国の、第二王女までもが行方不明だ」
「なんだって!?」
「そんなことを俺らに話していいのか? イフナさん」
「君たちの耳には入れておくべきだろう。もちろん、他言無用で頼む。門兵たちも言葉を濁していただろう?」
これが本当なら、国中が混乱するほどのニュースだ。ここまでの厄介ごとだとは……。
「本当はもっと明るく歓迎したかったのだが。そういうわけだから、君たちはこの国には長居しない方が良いだろう。……俺がどうにかして、向こう側の領土へ送ろう。君らの実力と実績なら、形式ばった許可証など必要あるまい。そもそもさっき言った通り、法を管理し取り締まる立場の人間が不在だ。咎めるものもいないさ」
赤い夕陽がさしてきて、イフナは部屋の窓にカーテンをかけた。
「君たちが指定した日にでも、関所まで案内しよう。どうするね?」
オレとティーダは口を開かない。ただ、ユシドを見つめた。
こいつの言葉にオレは従う。……まあ、大体、キミの考えはわかるけどね。一部のこと以外は。
「関所に案内してもらうのは、まだ先でいい。王国の危機とあらば、見過ごすことはできません。何か協力できることはありませんか?」
ほら。
真っ直ぐにイフナを見るユシドを、横目に捉える。気持ちは同じだ。
王都は評判が良い。ヤエヤは民が幸せに暮らす国だ。その陰で、彼らに危機が迫っている。目の前のイフナにも、庭の子どもたち、優しい奥さんにも。このまま優秀な人材を失った状態で、さらに多くの人間が消えていくことが続けば、この国はゆるやかに終わっていくことになる。
それに、彼らをさらった何者かが、何を企んでいるのか。
こんな事態を放置して勇者探しに出発するのなら、人々を救うためだという旅の大目的に反する。
「……ああ……ありがとう。俺はたぶん、君がそう言うことを期待してしまっていたんだ。卑しい人間だ」
「そんなことはありません。僕たちと……あなたの、仲ですから」
その通り。イフナはあんなことを言っているが、彼は人々を守るために自分の身を省みず、オレ達を助太刀してくれたことがある。今度はこちらが力になるのが筋だ。
あたたかい食事と家庭に癒されたオレ達は、イフナの家のリビングで顔を突き合わせ、再び話し合いを始めた。
よく食べ、よく遊んだ子どもたちは、寝室で奥さんが寝かしつけている。王都の危機を放置していては彼女たちにも不幸が訪れることだろう。美味しいシチューを頂いて、その笑顔に癒されたんだ。恩は返さないとな。
「イフナさん、魔導師の誘拐はバルイーマでもあったんだ。把握しているか?」
イフナが頷く。
ティーダが話しているのは、オレとデイジーさんが誘拐されたときのことだ。彼はあの件について、実行犯が捕まった後も気になって調べていたのだという。
オレ達をさらったチンピラたちは、事件当時、様子がおかしかった。さらに牢に入れられた彼らは、そのときの記憶を失ってしまっているのだという。ここからわかるのは……彼らを操った、真犯人がいたのではないかということだ。
そしてこのことが、王都で起きている事件と関係しているとしたら。
「ここの事件は人々がただ消えるというものらしいが、バルイーマの一件ではおそらく真犯人がいる。ふたつが同じ事件だとすれば……黒幕は強力な暗示を操る魔導師。あるいは、魔物だ」
少し、冷や汗が出た。
さらわれた人間たちは、どうなってしまうのだろう。もしもあのとき、共にさらわれたデイジーさんが、オレと一緒の場所に閉じ込められていなかったなら……。
「魔物の線は薄い、というのが我々の考えだ」
「なぜ?」
「この王都を守る破邪結界は特別製でね。強度は並だが、魔物避けとしてならば、この世界でも最上級の性能がある。というのも……」
イフナは自分の鎧の一部に彫り刻まれた図絵を指す。この街の中でも何度か見かけたそれは、ヤエヤ王国の紋章だろう。
「この国の王族は大昔の“光の勇者”の血を受け継いでいて、強大な破邪の力を扱える者がいつの時代もひとり以上はいるんだ」
「へえ……」
もしかすると、光の勇者を探しにここへ立ち寄ったことは、かなり正解に近かったのか。
いや、もし今代の勇者が王族であれば、ともに旅人に身をやつしてくれ、なんてことは頼みにくいが。
「そんな王族が陣頭に立ち、優秀な王宮魔導師たちと共に作り上げたのがここの結界なのさ。さらに、時代の流れに伴い機能を増強し続けている。魔物がこの王都の内で、堂々と人々をさらっているとは考えにくい。……闘技大会に現れたあの炎の魔物クラスならば、侵入は可能だろうが、真の姿を隠して人に潜むことは絶対に無理だ」
「イフナさん、ものごとに絶対ということはない。例外は常にある。魔物の可能性は捨てない方が良いでしょう」
ユシドが口を挟む。
そうだな。オレ達からしてみれば、むしろ魔物だと考える方がしっくりくるくらいだ。やつらの相手ばかりしているからかもしれない。
「ああ。侵入はできないまでも、王都の外から人間に暗示をかけ、手駒にして犯行を進めている可能性も考えられる」
「魔力のある人間を消すなんて、小狡い知能のある魔物の仕業に決まってる。……はやく、殺さなきゃ」
ここまで話を黙って聞いていたシークが、焦るように声を荒げた。彼女の髪がざわつき、少し気温が上がったように感じる。
絶対とか、決まっているとか、そう断言することはできないとユシドが言ったばかりだというのに。……だが、シークの過去を考えると、そうやって熱くなるのも無理はない。
場が静まり、イフナは考えるような表情をする。
「あ……すいません、話の邪魔を」
「イヤ……皆さんの意見はもっともなものだ。とても参考になったよ」
やがてイフナは微笑みをつくり、張りつめた空気を緩める。
「今日は、ここまでにしよう。夜も遅いし、王都には今日来たばかりだろう。……いや、協力を求めたのは俺だが。すまないね」
「いえいえ。ご馳走をありがとうございました」
向こうが気に病むのを避けるため、イフナに礼を言う。彼の妻の料理はおいしかった。よければ、学ばせてもらいたいところだ。
「僕たちは、今後この街で何をすれば?」
「今のところは、普通に生活してくれればいい。もしも何か気になる情報を得ることがあれば……すまないが、俺に直接声をかけてほしい。言伝はダメだ。王宮に内通者がいないとも限らない」
なるほど。
では、怪しい者がいないか目を光らせながら、ここに滞在していればいいか。魔物退治しか能のないオレなどが無駄に動いて、イフナ達王国兵の必死の調査を滞らせてしまうのも怖い。ティーダならば、うまくやるかもしれないが。
魔力の大きい狙われそうな人物を、今のうちに聞いておくのもいいかもしれない。
ともかく、こちらから見えない敵を責める手立てがない以上、大きな動きをじっと待つしかないか……。
「最後にひとつ。……くれぐれも気を付けてくれ。君たちのような優秀な魔法術使いが、狙われないはずはないのだから」
オレ達はイフナの家を後にし、宿への道を歩く。
暗い路地や、ありもしない邪悪な気配に、気を配りながら。
華やかで美しい王都。その陰に何が潜んでいるのかは、まだ、わからない。
そうして。
不穏な幕開けではあるものの、オレ達の王都生活がスタートした。
その建物の前に立ち、屋根のすぐ下あたりにでかでかと取りつけられた看板を見上げる。
ヤエヤ王都支部のハンターズギルドは、困難な仕事が多く舞い込んでくる激戦区なのだという。それゆえ選りすぐりの精鋭たちが集まってくる、というのが支部としての特徴だ。
となれば例によって、大きな力を持つだろう光の勇者の手がかりもあるかもしれない。思い返せばティーダもシークもギルドの退治屋として活躍していたわけだし、新しい支部を見つける度にそこをあたってみるのは、勇者探しの手順として間違ってはいないだろう。
扉を開け、ぞろぞろとそこへ入っていく。
中の様子を見ながら、オレ達は受付の方に向かう。荒くれたちの集まるギルドというこれまでの印象と比べ、王都支部は人も建物の雰囲気もどこか落ち着いている気がする。そこで掲示板を眺めている鎧の青年は賢そうな顔つきだし、あそこで食事をしている男女4人のパーティーはクールでスマートな美男美女たちである。受付にいる女性もどこか気品のある立ち姿だ。
エレガント支部。
「お、おい。もしかしてS級のアーサーじゃないか?」
「狩場を変えたのか」
こちらへの視線を感じて耳を澄ませると、先客たちがざわめいている原因は、どうもうちのお子様ナイトのことらしい。
「アーサーだ……『水葬王子』のアーサー……」
「『炎帝』のアーサーじゃないのか?」
「いや『切れたナイフ』のアーサーだよ」
「堕天使と天使のハーフだって噂だぜ」
フードを深く被った顔で何故ここまで有名になれるのだろうか。大剣とローブ姿の小柄で通ってるのかな。しかしS級とはそこまで、どこに行っても一目置かれる存在なのか。
実力はたしかにその名声に見合うだろうけれど……こんな可愛らしい子がね。
彼らにはわからないだろうが、シークはローブで目元口元を隠しながらも、ふふんと鼻を鳴らしている。ドヤ顔でもしているのだろう。あんな通り名をつけられたら恥ずかしくて表歩けないと思うんだが。
オレはそっと彼女に近づき、耳打ちした。
「有名人じゃないか。正体は“お湯の勇者”なのにな」
「むっ。それ、あんまり格好良くないです」
「いいじゃない別に。それが一番シークに合ってるから……」
先頭のユシドが受付のお嬢さんと話し始めるのを見て、こちらは話すのをやめる。
今日からオレ達はここで仕事をするつもりだ。旅の資金には十分すぎるほど余裕があるのだが、まあいくらあったって困ることはない。ひとつの町に長期滞在をするならば、このようにして生活の資金をさらに稼ぐようにしている。ハンターの仕事は資格さえあればいろんなところで受注できるため、我々のような旅人に向いている。
「……というわけですから、すぐに高ランクの依頼は……」
「あ、そうか。たしかに」
何を話していたのだろう。ユシドがこちらへ振り返る。彼が視線を向けているのは……オレだ。
近付いてくる。オレは翠色の目を正面から見ることができず、彼のくしゃくしゃの髪を見ながらその声を聞く。
「ミーファはまだ駆け出しのFランクだったよね。僕らと一緒でも、いきなり高ランクの依頼は受けられないんだってさ」
「えー」
このパーティーで依頼をこなすなら、最低ランクのオレに合わせたものを受注していかなければならない、ということらしい。ハンターの命を守るためだろうが、この場合は面倒なルールだ。駆け出しにあてがわれる任務に勇者4人で乗り込むなんざ、人材の無駄遣いも良いところである。
これを避けるには……
「それなら、オレはひとりでコツコツやっていくよ。駆け出しだもの」
「いいの? ひとりで平気?」
「なんだその言いようは」
思わず、ユシドの目を見つめ返す。君はオレの母親か。
「だって、その、ミーファって寂しがり屋だし」
「なにぃ?」
こいつ、オレのことをそんなふうに思っていたのか。
そんなわけあるか。勇者ってのは孤高なもんだ。仲間がそばにいなくたってやっていけるさ。
「ふん、お前こそ! オレがいなくなったら寂しいんじゃないのか? だって、お前はオレのこと、が……」
そこまで口走って、止まる。困ったように笑うユシドは、何を考えているのだろう。
いや、困りもするだろう。自分の言いかけたことを振り返ると、嫌なやつだな、と思った。
「……なんでもない。ごめんな」
「あ、ミーファ、僕と一緒に――」
なんとなく、そこから逃げることを選んでしまった。よくないな。いつも通りにしてほしいと言ったのは、オレなのに。
魔物の相手でもして頭を冷やしてこよう。
背中に「また後で」と声をかけられ、振り返らずに手で合図を返した。
地方の地図を頭に叩き込みながら、身体の筋肉を伸ばす。
掲示板から見繕ってきた仕事はこうだ。王都から南の方角にある森にある、ジュマという樹木の葉を採取してきてほしい。手元にその品が足りなくなった薬師からの依頼で、達成も容易なら報酬も少ない。
低いランクのハンターにはお似合いの内容というわけか。まあどんなハンターにだって見習いの時期はあったんだ。しっかり倣うとしよう。
そうだ、王都にいる間にAランクになるのを目標にしようか。そうすれば、ユシドとも堂々とパーティーを組める。
……いやいや。別にそれは、関係ないというか。Aランクになった方が自由に使える小遣いも貯まるというものだ。うん。とにかく真面目に働こう、そうしよう。
身体の調子を整えたら、いよいよ目的地へと出発だ。
オレはギルドの前からスタートし、大通りを経て王都の出入り口へと向かう。
ただし、走ってだ。
古来より受け継がれてきた鍛錬方法のひとつ、ランニングである。運動時のスタミナを強化するための手立てのひとつだ。
なぜそんなことをするのかというと、別にユシドに負けたのが悔しかったとか、そういうことはこれっぽっちもない。
いや、嘘だ。あれで思い知らされたよ。
今のオレは風の勇者ではなく、新たに生まれた雷の勇者だ。ある程度の知識や経験があるとはいえ、これまでのたかだか数年の鍛錬では、自分の力への理解度というものは、決して仲間たちより優れているとは言えない。だからもっと鍛えなければ。ユシドと共に戦う勇者として、あいつに負けたままではいられないと思う。
……しかしこんなふうに努力なんぞしている姿を見られるのは嫌なので、ひとりで仕事をするというのはちょうど良い話だったかもしれない。
それともうひとつ。これは、依頼を片付ける時間を短縮するためでもある。たらたら歩いて向かったのではいつまでたってもあいつらのランクに追いつけないからな。勤勉にいこう。
「ひゃっほー!」
王都の門を抜け、人や建物に衝突する可能性がなくなれば、オレの脚は雷と風の魔力を纏い始める。
景色が後ろに流れていく速さが格段に増す。風そのものにでもなったような気分になれた。
しかし二つの魔力と体力を同時に激しく消耗するこの魔法術。すぐにでも息切れを起こしてしまいそうだ。
だがこのスピードこそ、仲間たちにはない自分の強みだろう。より使いこなせるようにこうしてひた走ることは、無駄にはならないはず。
街道は使わず、森までの最短距離である、整備されていない草原を突っ走る。途中で弱そうな魔物たちも見つけたが、止まれずにスルーしてしまった。追いかけられもしなかったのは、彼らも、何とすれ違ったのかいまいちわからなかったからだろう。
そうしてやがて森に入るころには、全力の運動に肺や心臓が悲鳴を上げていた。
「はぁ、はあ、ふーっ」
我ながらよくやった。王都からこれほど早く南の森にたどり着けるのは、オレか一等の名馬くらいのものだ。
ちょうどよい木陰をみつけ、頑丈そうな木の幹に背を預ける。地面を見つめて息を整えると、やがて心臓も落ち着いていった。
頭上を見上げる。木々のつけた葉が天然のカーテンとなり、降り注ぐ陽射しをやや遮っている。見たところこの森は豊かな緑が広がっており、王都の人々は自然がもたらす資源をむさぼりすぎず、うまく付き合っているようだ。
森の中を歩く。人間によって管理されているのか、ここは魔物の支配が薄い。邪魔者のいない静謐の中で、こうして草葉の擦れる音やにおいを感じていると、まるで故郷のあの小さな森に戻ってきたかのように思えてくる。
目的のものを探して彷徨っていると、やがて大きく太い樹木を見つける。種類は違うのだろうが、やはり思い出の中のあの大木を思わせた。頑丈な幹に手を触れながら横へ顔を向けると、背が低かった頃のユシドや、旅立つ直前のユシドの姿をそこに幻視した。
思えば、ふたりで故郷にいたときから、あいつはオレを好いていたのだろうか。
だとすれば、気持ちに気付かないオレを見ては、いつもやきもきしていたことだろう。それをオレに悟らせなかったのは、こちらが鈍感だというのもあっただろうが……きっと、ユシドが優しいやつだからだ。気持ちを伝えれば、オレがこうなってしまうことを予感していたんだろう。
しかしあいつも若い。いつまでもそれを秘め隠すということもできず、健気にも、オレに戦って勝てば、という決めごとを達成してから想いを伝えてきたわけだ。
そんなふうに純粋に慕ってくる少年に、自分は……。
風に枝葉がそよぐ音で、意識が現在に引き戻される。
ここのところ何度、こんなことを繰り返しているだろう。ひとりの時間をつくっても同じことだ。あいつがいなくても、あいつのことを考えてしまう。
自分が見かけ通りの普通の少女だったのならば、こんなに悩むこともない。ただのミーファ・イユは彼の想いを受け入れるだろう。そう、思う。
「ん?」
見上げた大樹の、何かが気にかかった。風の魔法術を使って飛翔し、ざわめく枝葉を観察する。
……この葉の形。依頼にあったジュマの樹のものではないか。適当に散策してここに辿り着くとは、我ながら幸運を持っている。
指定された量の葉を採取し、大樹に感謝をささげ、オレはその場を後にした。
記憶したポイントを辿りつつ無事森の出入り口まで戻ってきたら、深呼吸しつつ身体の筋肉を伸ばす。
鬱蒼とした森林というよりは、空がチラチラと見えるくらいの涼しい森でよかった。おかげで体力も気力も回復したように思える。
よし、とひとつ意気込み、オレは来たときと同じように、ダッシュで王都へと引き返すのだった。
依頼の品をギルドに持ち込み、決められた報酬を受け取る。これの7割は仲間との旅の資金として納め、3割は小遣いにしていいとユシドから言われている。それを思うと楽しくもなってくるものだ。
仕事を達成した実績は数値化して受付のスタッフによって記録され、このポイントをためていくとハンターとしてのランクが上がっていく。腕っぷしで仕事をしている我々のような人間にもわかるように定められた、単純な仕組みである。実は経営者側にとってはもっと複雑に考えられたシステムだったりするのかもしれないが。
壁にかけられた、時刻を示す数字板を眺める。受付の女性も驚いていたが、先の依頼開始から大して経っていない。まさに電撃のような依頼達成である。この分だとすぐにSランクになれるんじゃなかろうか。
持久力の訓練を課しているため多少は消耗しているが、休み休みやれば余裕はある。この分なら一日に多くの依頼を達成できるかもしれない。
鼻息を荒くして依頼の掲示板へと向かう。次は、魔物退治とかがいいな。
それから半月ほど経った。こなした仕事はもちろん、両手では数え切れないほどにはあるだろう。
「お疲れ様です。では……。あら、ミーファさん、そろそろDランクが近づいてきましたね」
「おーそーいーでーすー」
「いやいや。うちの支部では異例の昇進スピードですけどね」
依頼受付窓口の机に頭を乗せ、ぐったりとダレる。
体力が足りていない、というわけではない。毎日ランニング、ランニングで、息切れまでの時間も随分伸びた気がするくらいだ。
ランクが。全然。上がらないのである。
今はFからひとつ上がったE級ハンター。かけだしから見習いへといったところだろうか。退治屋の実績を積むのがこうも大変だとは想定外だ。ユシドなどはAランクには半年前後で辿り着いていたはず。それを思うと、オレが未だEなのは何かの間違いなのではないか。
……まあ、今日に至るまでに、原因はおおよそ分かってきた。
この“ヤエヤ王都支部”という場所のせいだ。
強力な魔物が多く激戦区だといえるこの地域は、腕利きのハンターたちが名を上げるのにふさわしい場所であるはずだ。……そこが、問題なんだ。
強い魔物を討伐してほしいという依頼はたしかに多い。今日はどんな珍しいヤツを倒してやったという話は、毎晩のようにシークから聞いている。いや、討伐に何日もかかって、彼らが宿に帰ってこない日もある。他にも、ギルドで顔見知りになったハンターたちも各々忙しそうだ。ここの所属ハンターたちが実績と実力をめきめきと伸ばしているのは間違いない。
では何が問題なのか。
強い魔物が多いせいだろうか。……弱い魔物が、少ないのだ。
FやEランクにあてがわれる魔物は弱い。オレの仕事は99パーセントが移動時間で、彼らの相手などものの数秒で終わってしまう。依頼を検分しようと掲示板の前で粘っている時間の方が長いかもしれないくらいだ。
そんな魔物は国民を脅かすことはないのか、それとも強い魔物の陰に隠れて見えていないのか、とにかく下級のハンター向けの討伐依頼が少ない。
少ないんだ。
依頼が少ない。実績が積めない。ランクが上がらない。だから、上位の討伐依頼を受けることができない。
これはもう、システムの欠点だとしか言いようがない。いや、十分すぎる経験を経てから上へ進むことになるという点は、欠点ではなくメリットなのかもしれないが。
結論。このヤエヤ王都支部でソロハンターとしてデビューをするのは、おすすめしない!
たぶん、よそで経験を積んだベテランがここへ活動拠点を移す、というのが正道だ。うちの3人みたいに。
不景気に干上がっている初心者のオレをよそに、周りのハンターたちは毎日忙しく充実しているように思う。行きかう声に耳を傾けているだけでも、だれだれのパーティーがどこどこの厄介なモンスターをついに倒しただの。どこぞのダンジョンで伝説級の秘宝を発見しただの。彼らは冒険者という言葉の見本にふさわしいだろう。
多少仲良くなった受付嬢の人によると、これはS級ハンターのアーサーが率いる新参の3人パーティーに刺激を受け、支部全体が盛り上がっているということらしい。
そして、それに伴うように、この頃は民間の困りごとが以前より多くギルドに回ってきているとか。……これは、失踪事件への対応で兵士たちが忙しくしている影響もあるだろう。
以上のことから、今は稼ぎ時のはずなんだ。こういうことに乗り遅れると、非常に損をしているように感じる。
こうして今日も、忙しなくギルドを行きかう若者たちを見ながらため息を吐く。
なんかこう、大物狙いで一気に昇格! とはいかんのだろうか。いかないんだよな。それができないからこうして不平不満を言っているのだ。
ハンターとは、市民のヒーローである割には世知辛く、意外と夢のない仕事だと思わされる。成功をつかめずくすぶる者も多いんだろうな。
「できますよ」
「……何がですか?」
「一発逆転の大物狙いですよ」
ギルドの食堂でひとり寂しく果実水をすすっていると、先ほど仕事を処理してくれた受付のお嬢さんが声をかけてきた。彼女はテーブルの対面に座り、視力を補助する眼鏡という珍しい道具を、きらりと光らせた。
……一発逆転の大物狙い? 誰もが夢を見るようなフレーズだが、システム的にできないのでは。
「ミーファさんが散々文句を言っているように、この仕組みだと、最初から実力を持っている人が長いこと下積みをやらないといけないんですよね。……そういう人材を腐らせないために、ギルドには特例ってものがあります」
「……ずずっ」
甘い液体が喉を潤す。
先に言ってほしい。そういうのは。
彼女は苦笑いし、すみません、とこぼした。まあ新参者の実力などわからないのだから、最初から特例があるなどとは説明しないのか。
「特例を認める基準は、支部によって異なります。例えば、闘技大会で有名なバルイーマという都市の支部では、大会での成績によっては上位ランクの依頼を受けることができるようです」
言われてみれば、心当たりがある。
バルイーマで、ユシドとシークとともに大きな蛙の魔物を倒したことがある。今ならわかるが、あれはかけだしのハンターが受けられるランクの魔物ではない。
なるほど、決勝トーナメントへ進出したというステータスを見たうえで、業務への同行を特別に認めていたわけか。
……しかしそれは、バルイーマの話。ここでは関係のないことだ。
もしも王都でもあの大会の結果が実績として通じていたなら、自分がE級に甘んじているのはお笑い草である。なにせ今年の準優勝者だ。無敵のアーサー様よりオレの方が成績は上なんだぞ。
ともかく。
どうなんだ。王都では、どうすれば特例を認めてもらえるんだ。
受付嬢さんの顔を見つめる。少しの期待を胸に秘め、視線で続きを促した。
「そこであなたの力量を保証するための方法が……あれです!」
彼女は急にテンションを上げ、職務中の定位置であるカウンターを指す。……なに?
「あれですよ! 脇にある水晶玉。あれこそはこのハンターズギルド・ヤエヤ支部が保有する貴重すぎる伝説のマジックアイテム! 通称『ステータス占いくん』です!」
「ステータス……なんて?」
「さっそくミーファさんのレベルを測ってみましょう!」
「は、はあ」
ただの飾りじゃなかったのか、あれ。
受付嬢さんに手を引かれ、窓口カウンターのひとつへとやってくる。ここは彼女のテリトリーだ。
「まずは私が使って見せましょう。ちょっと待っていてくださいね」
彼女はおもむろに、机から一枚の白紙を取り出し、水晶玉の真下に設置した。このなんとかなんとかくんというマジックアイテムは、台座と玉の間に紙片を挟める妙な構造になっており、言われてみればただの飾り台ではない気がしてくる。
彼女が手のひらを水晶に乗せた。すると、それはたちまち淡い光を放ち始める。何かの焦げる臭いがして玉の下を覗き込むと、水晶玉から放たれた小さな熱線が白紙を焼いていた。……どうやら、文字をそこに焼きつけているようだ。
光がおさまる。彼女はセットしていた紙を取り出し、オレに手渡した。
ユタク
うけつけ レベル10
こうげき 22
ぼうぎょ 34
まりょく 41
すばやさ 25
かしこさ 91
「これは?」
「私の“つよさ”ですね。それぞれの項目について、数字が大きいほど優れた能力を持っていると考えてください」
水晶は触れたものの資質を読み取り、数字の多寡で表現するのだという。ただし、あくまで“戦い”についての情報のみ。
ユタクさんの解説はこうだ。
レベルという項目は、戦闘行為の経験の深さを表している。
こうげきは筋力や武器の習熟度。ぼうぎょは身体の頑丈さや敵からの攻撃を防ぐ技術。まりょくは秘められた魔法の力。すばやさは身のこなしの速度。かしこさは……いまいちよくわからないが、高い人間ほど立ち回りが上手いとかなんとか。
古代のマジックアイテムなので、未だ完全には効果を解明できていないらしい。そんなものをギルドで実力を保証するものとして使っていいのだろうかと思うのだが。
「レベルが25もあればいっぱしの戦士ですから、その場合はEランクより上を受けることが十分に認められるはずです。ちなみに、数字が100を超えていれば、その分野に関しては達人の域です。200以上なら超人ですね。S級の皆さんは、どれかが200を超えている人が多いとか」
彼女に促され、オレも手を水晶に置く。これだけのことで特別扱いをしてもらえるのならば、ありがたい限りだ。文句はない。
診断が終わり、紙に焼き付けられた文字を見てみる。
ミーファ
ゆうしゃ レベル76
こうげき 110
ぼうぎょ 85
まりょく 477
すばやさ 189
かしこさ 88
「うーん。基準がよくわかりませんね。これで上位の討伐依頼を回してもらえるのでしょうか。……ユタクさん?」
「レベル76……477……!?」
オレのつよさとやらを見つめ、彼女は驚愕の表情を顔に張り付けていた。顔にかけた眼鏡がずれている様子がどうにも笑いを誘う。そうはならないと思う。
ええと。察するに、魔力が常人より高い数字だから驚いているというところだろう。というか“ゆうしゃ”って書いてあるなこの紙。なんてアイテムだ、とんだプライバシーの侵害である。
まあいい。そこはとぼけるか。……でも、それで仕事を回してもらえるようになるのだろうか。やはり信頼性に欠ける方法な気が……。
「……すみません、ミーファさん。もしかしたらこれ、故障しているかもしれないです。修理を試みますから、もう少し時間を置いて、また来てもらっても?」
「あらまあ。承知致しましたわ」
社交スマイルをつくり返事をする。心乱れた様子のユタクさんが落ち着くようにと思い、余計な口は挟まないようにした。
壊れているのは困る。結局現状が解決できないじゃないか。ぜひ直ってほしい。
ところで、強さの数値化なんて少し面白いなと思う。自分一人ではつまらないが、数字というものは他と比べることができる。
後でみんなも連れてきて、これをやらせてみよう。
「直りましたよミーファさん。パーティーの皆さんも是非。無料ですので」
ティーダ
ゆうしゃ レベル53
こうげき 96
ぼうぎょ 140
まりょく 598
すばやさ 87
かしこさ 135
「直ってない……」
悲し気に肩を落とすユタクさんを尻目に、ティーダのものと自分を比べてみる。なるほど、比較すればたしかに、両者とも戦闘中のイメージに沿うような数字になっているように思える。ティーダよりオレの方が力持ち、のはずはないが、武器を手にしたときの攻撃能力を表していると考えれば妥当か。
ユシド
ゆうしゃ レベル41
こうげき 107
ぼうぎょ 133
まりょく 632
すばやさ 96
かしこさ 92
「な、なにぃ……」
「ミーファ、どうかした?」
「なぜオレよりユシドの方が賢いんだ? 絶対におかしい」
「あ、うん……はい……」
シーク
ゆうしゃ レベル45
こうげき 167
ぼうぎょ 101
まりょく 859
すばやさ 102
かしこさ 39
「は、はっぴゃく!? はち……!?」
「うわあすごいなぁ。最強はシークかな」
「数字だけ見たらムキムキのマッスルだな、お嬢さん」
「ありえん脳筋じゃん」
「ち、ちが……39って、なんかの間違いです! こっ、こんなのただの占いですから! ですよね!?」
数字を比較して考えてみたが、魔法剣の攻撃力や身に纏う障壁の防御力は、ここでは考慮されていないように思える。実際の戦闘では、魔法術が使える状況なら、オレ達のつよさはさらに上昇すると見ていいだろう。
まあ、かしこさはそのまんまだと思うけど。
我々がやいのやいのと盛り上がっていくにつれ、ユタクさんは伝説のアイテムの故障を確信してしんなりとしていった。なんか申し訳ない。
それにしてもシークのステータスは傑作だったな。結局初心者のランク問題を解決することは望めなさそうだが、この時間は楽しくて気分転換になった。
所詮、占いだし。半信半疑で受け止めて、楽しむくらいがちょうどいい。
……しかしまあ、ユシドの“レベル”は興味深かった。彼のそれはオレよりも大きく下だったけれど、それでもあのときオレに勝ったんだ。
数字では表せない何かというのも、確かにあるのだろう。それはどこか、とても彼らしいなと思った。
後日。
直らない故障に苦しむユタクさんには、あの数字で受理するようにという支部長の声がかかったらしく、オレの特別扱いは無事に認めてもらえることになった。ありがたい。
しかしながらレベル70オーバーというのがどうも彼女をおののかせてしまったらしく、せっかく話せる仲になった彼女がしばらく委縮した態度になってしまったことは、オレにとって悲しい出来事であった。




