29. 旅中の一夜
鋭い意気をもって、少女は怪物へと躍りかかる。
「雷神剣!!」
手に握られた金色の光は薄く伸びた刃となり、激しい雷電を伴って岩の人形を斬りつける。必滅の魔力が込められたその一撃は、敵の身体を両断するかに思えた。
しかし。雷の魔力は、大地の魔力で補強された岩肌を破るのに、あとひとつ不足していた。その身体に痛覚を持たないロックゴーレムは、雷鳴の嘶きにもひるむことなく、勇者たちに立ちはだかる。
「むっ。修行不足か……」
勇者の中でも随一の攻撃能力をもつミーファだが、魔法剣士が真価を発揮するのは武器を手にしたときだ。腰に下げた鞘が、振るうべき刃をつかんで離そうとしない以上、少女はただの魔導師でしかない。また、雷属性では地属性の魔物には歯が立たないというのが、この世界の通説である。少女が苦戦を強いられるのは、彼女を知らない者が見ていたならば、仕方のないことだと言うだろう。
しかし、属性の相性関係などという常識は、規格外の魔力を持つ彼ら勇者には当てはまらない。
ミーファは体内の魔力をより大きく爆発させ、さらなる一撃を腕に装填しようとした。
「ミーファさん、ちょっと代わってください! 試したい技があるんです」
背後からかけられた声に耳を傾け、ミーファはゴーレムの巨大な腕から逃れつつ、後退した。
声をかけた少女、シークは手にしていた大剣を背に戻し、青い魔力が輝く左手を敵にかざす。
「ユシドさん、“風神剣・穿”をお願いします!」
「わかった」
ブラウンの髪を風になびかせ、少年は気合と共に剣の切っ先を突き出す。魔法剣によって引き起こされた風の螺旋が、土色の巨躯へ襲い掛かる。
そこにタイミングを合わせ、シークは強力な水属性の魔法術を撃ち放った。
「メイルストロム!!」
自転しながら突き進む水の槍に、竜巻によるさらなる捻じれが加わる。巨大な水風の槍は、さながら渦潮のように深く岩を穿ち、たちまちゴーレムを粉微塵に破砕した。
「やった!」
「つよっ」
ミーファは二人の連携技を目の当たりにし、感嘆の声をもらした。
まず、人の技の名前を覚えているというのが結構すごい。そう感心するミーファは、例えばティーダの魔法術技の名称などはまったく覚えられていなかった。彼はものぐさな性格なのか、それとも自分の力をひけらかすことが嫌いなのか、滅多なことでは自分の開発した攻撃の術を見せないからだ。今の戦闘でも、ティーダは仲間たちの盾を造りだすことや、敵の動きを妨害することに専念していた。
しかしシークは、すでに仲間の能力をよく把握しているようだ。戦闘における意識の高さが伺い知れる事実だが、そこには少女が秘めていた仲間への憧れもあるのかもしれない。
消えゆくゴーレムの残骸を検めている少女を見つめ、ミーファは穏やかに笑った。
だが、その視線にあらぬことを感じたシークは、あわてて何かを弁明し始める。
「み、ミーファさん! これはたまたまの成果ですから! ユシドさんとのコンビネーションは、ミーファさんがベストですよ!」
「……何の気遣い……?」
腕組みをしながら、ミーファは眉根を寄せた顔でシークをじとりとにらむ。
そして、横にいたユシドに一瞬視線をやり、また逸らした。
「おお~しみるう~」
「えっ? どこか怪我してるんですか?」
「ううん、お湯が身体に染み渡るなーって意味だよ」
木々に囲まれた小さな空間。少女たちが見上げる夜空にはやや白いもやがかかっている。ふたりが浸かっている湯船から立ち上る湯気だ。
金の髪を湯に浸からないように上げ、岩で作られた浴槽の縁に腕をかけ背中を預けるミーファ。野宿であるにもかかわらず、一流の宿屋のような待遇を受けられることに、天を仰いで感動する。
それもこれも、地術で浴槽を作ったティーダと、絶妙なお湯を生み出すシークのおかげだ。
頼れる旅の仲間に感謝し、ミーファは傍らの少女の頭をどこか粗野な仕草で撫でた。シークは気持ちがよさそうに目を細める。森の気配に耳を澄ませ、空にかかる星を眺めながら、ふたりは他愛のない会話を楽しんだ。
「いつもシークのこれのおかげで、躊躇しないで思い切り運動できるよ」
「ミーファさんも、汗とか汚れとか、気にするんですね」
「それは、うん」
ミーファの脳裏に、今世の母親の姿が思い浮かぶ。前世では無頓着であったが、この十数年の新たな生においては、清潔さに気を配ることを強くしつけられた。淑女たれという教育である。
環境が変われば人は変わるものだと、ミーファは内心でしみじみと頷いた。
「汗臭いと、ユシドさんの近くに寄れないですもんね」
「……ふうーん。良い度胸だねシーク。オレをからかおうなんて」
「ひゃんっ!?」
口で勝てぬなら手を出す。それがミーファという人間であった。シークは鍛えられた腕の中にわずかにある柔らかい部分をつねられ、情けない悲鳴を上げる。
「むううーっ! そういえばミーファさんとは、まだ決着がついていませんでした。反撃!」
「うわッ!? おい、揉むなエロガキ!」
公衆浴場でもないプライベートなこの露天風呂では、マナーを気にする必要もない。ふたりは湯の中で、少女のような無邪気さで暴れ回り、遊んだ。
「そろそろ上がろう」
疲れを癒すはずの湯浴みで体力を使い、苦笑した様子でミーファが湯船から立つ。二人でまとめて入浴をした日は、いつもこんな風にはしゃいでしまう。
夜風で身体が冷える前に、用意していた布で身体を拭こうとして、ミーファは脱衣所の代わりと決めていた茂みへと視線を向けた。
「あれ? 背中……」
背後にいるシークの声に何かを感じ、ミーファは足を止める。
「ミーファさん、背中の真ん中の辺りに、小さな黒いアザがあります。この前は、真っ白できれいな背中だったのに」
「アザ? いつの間に不覚をとったかな。背中になんて」
「痛くはないですか? ……でも、傷跡というより、何かの模様に見えますけど。もしかしてタトゥーですか? わいるどです」
「え? 背中にタトゥー、なん、て……」
言葉が途切れる。その背を注視していたシークは、やがて、少女の身体が小さく震えていることに気が付いた。
表情は見えないが、寒そうにしているのは明らかだ。早く上がって、火にでもあたった方が良いだろう。
「ミーファさん? あの、大丈夫ですか? 湯冷めしちゃうし、身体を拭かないと」
心配したシークは、少女の顔を覗き込む。
……そこにいたのは、いつものように悪戯っぽく笑う、いつものミーファ・イユだった。
「年上の背中をじろじろ見るなんて、シークはえっちだなあ」
「ええっ!? ちょっと見惚れてただけです!」
「だから、そこがスケベなんだって」
「違いますよっ!」
心配して損した、とでも言いたそうに、シークは肩をいからせながら茂みへと引っ込んだ。
ミーファは笑みを浮かべ、その様子を見送る。
そして。その表情を、無機質で平坦なものに戻した。
一陣の夜風が、一糸纏わずそこに佇んでいる少女を撫でる。その身体は、寒さに震えてはいなかった。
焚き木の灯りは、聖なる炎だ。破邪結界の陣と合わせて、悪意ある魔物たちを寄せ付けない。
地術で形成された石造りの簡易な椅子が、焚き木の周りに並べられている。ちょこんと腰掛けているシークの後ろに座ったミーファは、淡い翠色の魔力をただよわせながら、その長い黒髪をくしけずっていた。風の魔法術を使って髪を乾かしてやっているその様子は、傍から見ればまるで、顔の似ていない姉妹のようでもあった。
やがて、艶やかに仕上がった自分の髪を見て、シークは無邪気に喜ぶ。
「ありがとうございます! ミーファさんの髪が綺麗なのは、いつもこんなふうに、丁寧に扱っているからなんですね」
「まあね。……それよりさ、魔力は髪に宿るっていう話があるじゃない。オレは最近それが本当だと確信した」
「そうなんです?」
「シークって本気出すと、髪と瞳の色が赤か青に変わるんだけど、自分で気付いてる? それが根拠なんだけど」
「えっ!?」
「はは、やっぱり。そういうわけだから、髪は大事にした方が良いよ。君のお母さんに似て、綺麗な髪質なんだから」
「は、はい。えへへ……」
長い黒髪を大事そうに撫で、シークははにかんだ。
「ミーファさんって、優しくてきれいで、その。お母さんか、お姉さんみたいです」
「あん? カッコイイお兄ちゃんではなく?」
「え。いやそれは全然」
「そう……」
どちらかというと褒めるニュアンスを込めた言葉に、残念そうな反応を返すミーファを見て、シークは少し不思議に思った。
そのまま、二人の会話は続いていく。まだ眠る時間ではないから。
「まあ、オレも、シークは妹みたいだなって思ってた。故郷の妹に少し似ているよ。あ、性格の話ね」
「おお。ミーファさん、ほんとにお姉さんなんですね」
「……ひとりはまだシークよりも幼くて、年相応に可愛らしい。家ではよく懐いてくれたよ。もうひとりは……最後にケンカしちゃって、それっきりだな」
「そんな! せっかくの姉妹なのに、それじゃ悲しいですよ。帰って仲直りしてください」
「今から?」
「ううーん。まずはぱぱっと、勇者の旅を終わらせましょう」
「ああ、そうだね。……彼女とは、いつ仲直りできるかは、わからないけれど」
ミーファはそう言って、森の木々の間から見える、遠くの星空を眺めていた。
故郷の方を見ているのだろうと、その様子を見たシークは思った。
「ミーファ、シーク。お茶をいれたよ」
「ああ、ありが――」
会話が途切れたタイミングで、少年が声をかけてくる。
その手からカップを受け取ったミーファは、間近にやってきたユシドの顔を見て、言葉を詰まらせ、視線を逸らしてしまった。
そんな態度を気に留めず、ユシドはシークにもカップを手渡し、そのままシークを挟んで向こう側の席に腰掛けた。
座った場所に他意があるのかないのか、ミーファにはわからなかった。
「……ユシド。今の話、聞いていたかい?」
「? ううん」
「そうか」
ユシドはミーファの家族構成を知っている。湯浴みや焚き木の熱に浮かされて、シークに語ってしまった妹の話。それを聞かれたくなかったミーファは、確認を取り、ひとまず安心した。
それだけで、また、会話は途切れる。ミーファは火の様子を見ているふりをしながら、少年のことを見ていた。
そして、自分自身に向かってため息をつく。
いつまでもこのような態度では、向こうも愉快ではないだろう。そう思い、ひとまず心を落ち着けようと、手の中の飲み物に口をつけてみる。
「……熱すぎる」
淹れてくれた本人は聞こえないよう、小さな声で、彼女は呟いた。
「では。第1095回、仲間会議を始めます」
「1095回もやっているんですか!」
「数字は適当です」
「なんでそんな嘘を……?」
「いちいち反応してくれるおもしろい子がいるからです」
シークが頬を膨らませる。
4人目の仲間、ティーダは石の椅子に座るなり、真面目ったらしい言葉遣いで仰々しく話した。赤い髪と鈍色のひとみは、揺れる焚き木のあかりによって妙な胡散臭さを演出している。
会議などとうそぶいても、彼ら勇者の議題はいつも似たようなもの。すなわち、次の目的地と、そこでの方針の再確認だ。
仲間の中では勇者の使命に最も詳しいミーファが、指針となることがらを語り始める。
「今、ここには5つの属性を担う勇者が揃っている。……シークが2人分を担当することができるのかはわからないが、それは置いておこう。だから、残りの勇者は2人だ」
話を聞いたシークが、仲間たちの顔を眺めながら指折り数える。地、風、雷、火に水。この世界で一般的に周知されている、全ての属性が揃っているように思えた。
「あれ? 残りの2つの属性って……?」
「君も使っていた属性だよ、シーク。ほら」
隣に座るユシドが、少女の目の前で揺れる火を指さす。これはシークが、己の魔力をつかって起こした炎だ。火魔テリオモウイを葬るときにも発揮した、悪を討ち払い寄せ付けない、聖の炎である。これは実のところ、破邪の力と炎の術を複合させた高度なものだが、シークはそれを感覚的に扱うことができていた。
次いでユシドは、彼らが野営の構えをしつらえたこの小さな土地を見渡し、その端に描いた境界線を指す。破邪の結界をつくる助けとなる、魔法術の方陣だ。
「破邪の術の元となる魔力。魔法術を学んだ者たちはこれを、“光”の属性とも呼ぶんだって」
光属性は、他の5属性に比べて、いろいろと不可思議な現象を引き起こすことのできる、どこか曖昧な力だ。一般的には、敵意を持った魔物を寄せ付けないことや、攻撃の効きづらい亡霊・怨霊への干渉、そして身体についた外傷を癒すことなどができるとされている。
「そしてそれに対を成す属性がある。こちらは知らない人間が多いだろう。学ぶ機会もないし、そもそもこの魔力を持つ人間はまれだ」
ユシドの言葉を継ぎ、ミーファが語る。
光と対に語られるものとは、すなわち。
「残り2人の仲間。それは……“光の勇者”と、“闇の勇者”になるだろう」
「闇……」
あまり正義の徒とはいえそうにない単語に、シークはおののいた。
闇属性は、それを扱える者が非常に希少な魔力のパターンである。魔法術を生活の一部として受け入れる人々でも、これを知らずに生活している者が大半だ。当然、どんな現象を引き起こす属性であるかは、ほとんど知られていない。
そんなレアな属性を持つ人間の中から、さらにひとりしかいない勇者を見つけ出す。それは途方もなく遠い目標に思えて、シークは眉尻を下げた。
ところが。
「“闇の勇者”なんだが。実は居場所に心当たりがある」
「えっ!」
「……マジか、ミーファちゃん?」
「ああ。オレの家に伝わる情報だ、信ぴょう性はあるよ」
その言葉に、常に落ち着いた態度でいるティーダすら驚く。
静かに語り始めるミーファを、ユシドは何も言わず見つめていた。
「魔人族、ってみんなは見たことあるかな。最近はあんまりこっちの町にはいないみたいだけど……」
魔人族。
彼らは特性として、非常に優れた身体能力と魔力を持つ人種である。外見は、白や黄、褐色、黒といった肌の色をもつ我々に対し、ブルーやレッド、グリーンの肌をしている。さらに魔物のような角や尾、翼を持つ者も存在し、人里にいれば目立つことだろう。それを嫌ってか、彼らはあまり他の人種との交流を好まない。
そして、特徴がもうひとつ。
彼ら魔人族は、非常に長命である。
「前回の、200年ほど前の勇者の旅。そこには“闇の勇者”が参加していたらしい。記録によるとそいつは魔人族の領土の出身だ。つまり何を言いたいかというと」
ミーファは目を閉じ、話を締めくくる。その様子はどこか、遠い昔を思い返しているようでもあった。
「おそらく、そいつは今もまだ生きている。そして新たな勇者たちに、力を貸してくれるはずだ」
やや、間が空く。
ミーファは手にしていたカップに口をつけてのどを潤し、そしてユシドを見た。
彼女はいつも、“風の勇者”に行く道を決めさせている。その視線を受け、ユシドは今後の具体的な話に移る。
「じゃあ、次は魔人族の国へ行くべき?」
「いずれ通る必要はあるだろうさ」
「ちょっといいかい」
口を挟んだのはティーダ。次は、彼が話す番だ。
「魔人族の住処に行くには、隣接するヤエヤ王国からの通行許可が必要だったはずだ。だから、その前に王都に寄った方が良い」
「ふうん。今はそうなのか……」
「ええっと、王都、王都」
ユシドは地図を広げ、灯りに照らしながら精査する。その横からシークが興味深げに、少年が地図に這わせる指先を追っていた。
「では、ここから人里を辿りつつ、王都に向かいます。……王都には優秀な兵や騎士がいて、また伝統ある都に相応しい、大口のハンターズギルドもあると聞きます。しばらく滞在して“光の勇者”の方を探すのもいいかもしれない」
「なるほど。賛成」
「わたしも!」
3人の顔が、ミーファを見た。
「……賛成」
闇の勇者はいっそ後回しでいいだろう。寿命もまだまだありそうだった。住んでいる場所も、この200年で遠くへ引っ越したりなどしていないのであれば、把握している。そこは不安ではあるが、ミーファにとっては最も探すあてのある勇者だ。
魔人族の情勢については、人々の噂の内では、昔とそう変わってはいない。彼らは今も、人類を守るために戦い続けているはずだ。闇の勇者もまた、その役目を守っていることだろう。
むしろ厄介なのは、“光の勇者”の方だった。
こちらは長い間、現れたという記録がない。すさまじい幸運に恵まれている今回の旅でも、出会えるかどうか。
「まあ、それは、いいか」
ヤエヤ王国は評判がいい。強力な魔物がうろつく魔人族の国に接しているにしては、人々を豊かにする治世を続けているという。王族の栄華のあらわれである王城は、観光の名所となるほど荘厳で美しいとか。
焚き木を囲み、次の町の話をする仲間たちを、ミーファは優しく見守る。
彼らと共にいく旅の中、次はどんな出会いや出来事があるのだろうか。それはミーファにとって、何にも代えがたい人生の楽しみだ。
カップの茶を飲んでいるふりで顔を隠しながら、青年と少女に挟まれて笑う、ユシドの顔を見つめる。それは幸せな時間でもあり、今のミーファには、悩ましいひとときでもあった。
「っ……」
背中にちくりと小さな痛みを感じ、少女は目を伏せた。




