27. 武闘大会決勝戦
バルイーマの市民たちを脅かした武闘大会の騒動から、数日が経った。
決勝トーナメントに勝ち進んだ闘士のひとりの正体が、魔物の化けた姿であり、人目をはばかることなく堂々と居住区を歩いていたという事実は、住民たちを戦慄させた。今後は同様の事件が起きないよう、自治組織の主導で対策が練られ、街を取り囲む結界の強化や出入りの手続きの厳重化等が、実施されるに至る。
行政・市民ともに愛すべき地元の行く末を案じ、変化に対応する日々はあわただしくなる。この未曽有の事態に、宙に浮いてしまった闘技祭は、そのまま中止することを余儀なくされるかに思えた。
しかし。この催しは、バルイーマに住む人々の心の柱である。あらゆる困難にさらされても、決して折れない人間の闘志。魔物の脅威に迫られたくらいで、この“立ち上がる意思”の象徴が崩れ落ちるようなことは、あってはならない。
それゆえ、今日、この日がやってきた。これは、転んでも立ち上がる、バルイーマ市民たちの意思のあらわれだ。
修復するだけに留まらず、改装され、より頑丈に、より多くの人を内に集めるようになったコロシアム。ひときわ大きな歓声に迎えられ、二人の闘士が、真新しい舞台へと上がる。
闘士アーサーの棄権により、残された闘士はこの二人のみ。
バルイーマ闘技祭・武闘大会、決勝戦。
ミーファ・イユ対ユシド・ウーフ。
人々の目が、若き二人を熱く見つめる。
「頑張れーー! ミーファちゃーん!!」
「ユシド様ー!! 負けないでーーっ!!」
周りの観客たちが熱狂する声を耳にし、ティーダは思わず笑みを漏らした。
「人気あるなあ、ふたりとも。見ろよ、ユシドくんは恥ずかしそうだ。慣れてないんだろうな」
「あれ。ミーファさん、なんか機嫌悪そうじゃないですか?」
シークはその鍛えられた視力で、舞台に立つ少女の微妙な表情の動きを捉える。
初めの方は上品な微笑を浮かべ、優雅に手を振っていたミーファだが、声援をかけられる中で、わずかに眉根を寄せた渋い顔つきになっていた。
「あれはなあ。ユシド君が女子からキャーキャー言われ始めたのを知って、もやっとしてんだよ」
「へーっ。ミーファさんって、ユシドさんのこと好きなんですね」
「んぐっ!? ゴホッ! ゲホ!!」
シークの左隣に座っているデイジーが、急にせき込む。飲み物を吸い込んでしまったのだと判断し、シークは少女の背中を優しくさすった。
「ありがどう、アーサーさま……シークちゃん。でもそのこと、二人の前で言わないようにね」
「そうだぞ。今の段階で直接からかっていいのは、ユシド君だけだ。シーク、このパーティーでうまくやっていきたいのなら、人間関係をしっかり把握しておくように」
「は、はあ」
左右からの謎の圧力に屈し、シークは小さな身体をさらに縮こまらせた。
「ユシドさんの方は、ミーファさんのことが好きなんですか?」
「そう。こちらは本人をからかってもいい。気持ちを自覚しているからな」
「へえーーっ! じゃあ両想い!?」
「うふふ……」
「へへへっ……」
返事の代わりに、おもむろに薄ら笑う二人の大人を見て、シークは不気味に思った。
この話題は掘り下げれば長くなりそうだと察し、他のことを考える。
さまよわせた視線が、高い場所にある、火のように赤い髪にぶつかった。
「あの……じゃあ、その……ティーダさんは、ミーファさんに惚れているとかは、ないんですよね」
「はっ?」
思わず舞台から視線を外し、ティーダは少女を見下ろす。
なにかを期待するような目の輝きだ。考えてみればシークも、平和に生きていれば、そういうことに興味の出始めるお年頃といったところだろう。
ティーダは適当に返事をした。
「ミーファちゃんは可愛いが、あれはユシドくんとセットだから可愛いんだよな。おじさんは、今は好きなひといないし、一生彼女募集中だ」
「そうですか。ふふ」
「笑いやがったな」
「いえ、べつに」
やりとりを真横で聞いていたデイジーが、「おじロリ……」と意味不明な単語を口走った。
シークはやや上機嫌な様子で、再び観客として武闘台の二人を見つめる。司会の大声を聞き流しながら身体を伸ばしているふたりが、徐々に互いだけの戦いの舞台へと埋没しつつあるのが、戦士であるシークにはわかった。
「ミーファさんとユシドさん、仲いいですよね」
「幼馴染らしい」
「なるほど。お二人のどちらが強いんでしょうか……」
「シークちゃん、サンドイッチあげる」
「ありがとうございます。もっもっ」
二人のどちらが強いか、という疑問は、これから解消されることになるだろうか。それは一つの試合の勝ち負けで決まるようなことでは、ないのかもしれない。
隣の少女を見て、餌付けされる動物を思い浮かべながら、ティーダは話題に乗った。
「どっちが強いかといったら、戦闘経験が深いのはミーファちゃんだな。なんでもユシド君の魔法剣の師匠らしい」
「なるほど……。確かに、身体の動かし方に似ている部分があります」
師匠と教え子。ミーファの方が年齢はひとつ下であるからして、常識的に考えればそれはおかしな話だ。
しかしこれまでずっと二人を見ていたティーダは、今ではその話は確かだと信じている。少女は雷の勇者であるにも関わらず、風の属性についても造詣が深い。少年に風の魔法剣を教えたというのは、本当のことだろう。年若い彼女が、いつ、どこで、どうやって魔法剣を修得していたか、というのは、不可解ではあるが。
「とはいえ、ユシド君もあの子に勝つためにかなり頑張ってたからな。勝負は分からない」
「ユシドさんも負けず嫌いなんだ。意外です」
「ん? ああいや、あいつがミーファちゃんに勝ちたいってのは……」
「?」
言葉が途切れる。
あれは彼の修行相手をしたときに聞いた、内緒話だ。自分の口から人に明かすのも悪いな、とティーダは思った。
「まあ、勝ったときのお愉しみさ。師匠を負かしたあかつきには、なんか企んでるらしいよ」
「むうん。ゲコクジョウ、ですね……!」
「そう、そんな感じ」
「うぐうう……ミーファさんを応援してあげたい……でも、教え子に追い抜かれて悲し気に微笑みながら健闘を称える美少女の顔も見たい……! 私は、私はどうすれば……」
何かをこじらせている人を尻目に、シークとティーダは、いよいよ開始位置についたふたりを見つめる。
すでに互いに視線を交わすふたりの耳には、声は入らないかもしれない。
そう思いつつも、シークはひとつ、好きな仲間の方を応援する声をあげた。
「どっちもがんばれー!」
「ははっ」
それを聞き流しながら、ティーダもまた、彼らの心の内に想いを馳せながら、若い二人を眺める。
――まあ、俺はユシドくんを応援するけどな。
ティーダがにやつく。なぜならば、その方が絶対に、彼にとっては愉快なことになるからだ。
互いに勝ちを譲れない二人の戦いが、ついに始まる。
深呼吸をする。
目を閉じ、意識を自分の内側に集中すれば、やがて周りからの声は聴こえなくなる。声援を無碍にするのも罪悪感があるが、こればかりは仕方がない。
目を開く。そこにいるのは、我が子孫にして、風の力を継ぐもの。年若い教え子。旅の仲間。……ミーファ・イユの、友。
今だけは。この目の中に、あいつの姿以外は、何もいらない。
つるぎを抜き、ゆっくりと歩く。彼我の距離は縮まっていき、声を交わせる近さになる。そこで、足を止めた。
……その顔を、覚えている。
最後にこうして向かい合ったのは、一年も前のことだ。これまでの旅の中で、やつに教えることは多くあったが、思えば、立ち合って剣を交えるようなことはしていない。戦いの訓練相手は、そこら中で襲い掛かってくる魔物たちで事足りたからだ。
彼の魔力の光のような、翠色のひとみが、こちらを油断なく見下ろしている。長刀を正面に構え、間合いに入ったことを警戒する様子は、以前のあいつとは比べ物にならない経験値が見てとれる。
もっと、もっと、さかのぼる。
うちの森にあった大樹も登りきれない小さな身体は、こんなにも背が伸びた。体格は大人のそれと同じで、もしかすると、前世の自分にも、もう届いているかもしれない。
何も語らずに、剣の切っ先を向ける。
身体は大きくなった。なら。
あの頃のオレの攻撃を、君はどうする?
《gray》《i》身を低くして突進する。ぐんと距離をつめると、ユシドの驚いた顔が見えた。次いで、横薙ぎに振るわれる木剣。こちらの足元を払うような軌道だ。もし咄嗟に反応して、しかもこちらをなるべく怪我させないような振り方をしたのだとしたら、すごいな。やはり逸材かもしれん。《/i》《/gray》
《gray》《i》ユシドの眼前でにたっと笑って見せ、地面を蹴る。木剣も相手の頭上も飛び越え、宙返りしつつ、その背中を枝でぴしゃりとやった。《/i》《/gray》
身を低くして突進する。
疾風迅雷をまとった足で地を蹴り、ぐんと距離をつめると、ユシドの真剣な顔がよく見えた。
やつは剣を振らない。それどころか、油断なく手にしていたはずの剣を、鞘に――。
彼の眼前に来ると、思わず、笑ってしまった。何故かは分からない。
正面からは攻撃せず、地面を強く蹴る。
相手の頭上を飛び越え、宙返り。攻撃体勢に移り、その無防備な背中に、きつい一撃を見舞おうとした。
時間が静かに流れる、その一瞬の中。前を向いていたはずのユシドと、目が、合った。
「“風神剣・抜”――!」
眼前には、はやてのごとき速度で迫る、白い刃があった。
鋼鉄の剣が交錯する。強い衝撃に腕が襲われ、互いの武器がぽっきり折れてしまったと思わせるくらいの、甲高い金属音がした。
超高速の、抜刀術。こちらが攻撃をしかけた後に始動したというのに、このように合わせてくるとは。イフナとの戦いで編みだした技を、自分のモノにしたか。
だがね。その剣は、そう便利なものではない。
刃が接触した刹那の中。オレは身体をひねりつつ、剣をわずかに傾ける。それだけで、耳や髪をかすめるようにしながら、ユシドの剣がすっとんでいく。
この技は速い。発生の直後は、当人ですら制動をかけられないほどに。だからこそ、事前に警戒していれば、このように紙一重で受け流すことはできる。
地面に根を張るように腰を落とし、己の刃に雷光を纏わせる。
あれほどの剣では、凌がれれば隙になってしまうだろう。そこが欠点になっているはずだ。そう思って、渾身の力で斬りかかる。
……ユシドは。
抜刀術のその勢いのまま、一回転した。
今度は、受け流さなかった。二つの刃が、正面から鍔迫り合いを演じる。
武器を思い切り振り、そのまま回転して戻ってくるなど、奇抜でカッコ悪い。それでいて威力は損なっていないのだから、文句も言えん。
剣の押し付けあいに、腕の筋肉が悲鳴を上げる。膂力ではユシドの方が勝る以上、この状況は不利だ。
だけど、もっと、楽しみたい。
剣に纏った金色の輝きが、力強さを増す。それに伴い、相手の剣が纏う風の息吹もまた、ぐるぐると渦巻きを厚くし、雷とぶつかりあって嵐を起こす。
稲妻と突風が、オレたちの素肌を撫で、傷つけていく。そんな凄烈な魔力の斬雨の中、ユシドは、笑っていた。
「ミーファ、楽しそうだね」
「おまえこそ」
指摘しようとしたことを、先に言われる。
踏ん張る脚が折れる前に、オレは魔力の放出量を上げていく。武器の性能に差はない。筋力は向こうの勝ち。ならば、魔力の扱いで勝負をかける。この世は広しといえど、大抵の相手には、これで片が付くはずだ。
しかし、それでも。その風は、力のせめぎ合いに揺らぎこそすれ、弱々しく屈し立ち消えることなど、ありえない。
それもそうだな。キミはその身に世界に選ばれた魔力を秘め、手にしているものは風魔の剣。
いつまでもオレに教えられるだけの子どもでは、もう、なくなった。ここにいるのは、雷の勇者と共に並び立つ、風の勇者だ。
「ずいぶん荒れているじゃないか、その剣!」
「ああ。彼も、君たちに勝ちたいんだって……さ!!」
ユシドの魔法剣が勢力を増す。雷属性の剣に相手を感電させるという特性があるなら、風の剣には相手を押し飛ばす特性がある。
ああ、やはりユシドの潜在能力は、オレをも凌ぐ。……ここまでか。
体勢を崩されるのを避けるため、自分から地面を蹴り、後退を選ぶ。
ただで退いてやるのも悔しい。相手の風の勢いに自分の軽い身体を乗せ、大きく跳ぶ。宙を浮きながらタイミングを計り、雷撃の槍を投げつけた。
「はっ!」
だがそれは、ユシドが素早く振るった剣によって、かき消された。
石造りの地面に降り立ち、再び斬りかかろうとして、思いとどまる。
これだ。ユシドの厄介な技。純粋魔力攻撃を、剣の一振りで切り裂く。これまでの様子を見るに、どの属性が相手でもやってのけるようだ。
「はああっ……!」
空いた距離に甘えて、魔力を溜める時間を設ける。剣を持っていない左腕に、力を集中させていく。抑えきれずに放電のような現象を起こす腕を振りかぶり、渾身の威力がのった金色の輝きを、相手に向かって伸ばす。
――やはり。それは切り払われ、二つに割れて地面を蹂躙した。
かなりの大出力でも、やつの調子が良ければこうして対抗できるのだろう。そして今日は、絶好調と見た。
息を整えることを選び、その場にとどまると、オレたちは試合開始直前のように、互いににらみ合う状態になった。どうやら向こうからは攻めてこない作戦らしい。カウンター狙いだというのなら、オレの倒し方をよくわかっている。生意気だ。
遠距離攻撃が通じず、近寄ればカウンター。オレの攻撃偏重のスタイルに対して、守りに重きを置いた戦い。
手強いな……!
「すぅーっ、はぁっ。すぅっ……」
ひとつ、気付いたことがある。
先ほどオレは、攻撃の魔法術を二度、ユシドに使用した。そのどちらもが剣によって阻まれたが、厳密には、結果が異なっていたといえるかもしれない。
一度目の雷は、剣によって完全に霧散した。そして二度目の雷は、真っ二つに割られて、ユシドの周りの地面を焦がした。
つまり規模の大きい二撃目は、完全に消し去ることができたわけではない。
当たり前の話を再確認するが。ユシドのあの剣は、術を無効化する特異能力・体質のたぐいではなく、剣による技術だ。手元が狂ってミスをすることもあれば、こちらの術の使い方によっては、はじき返せない場合もあるのではないか。
万能の力ではない。ならば、ユシドの守りを突破することは、出来る。
「ふんっ!!」
剣を鞘にしまい、駆け出しながら、雷を二本、投擲。
威力は一度目に撃った術のように低いものだが、数は見ての通り、倍。やや時間差をつけて襲い掛かる二つの魔法術だ。これに対する、ユシドの出方を見る。
……剣を、二度振った。ひとつの雷撃は魔力の粒子へと霧散したが、もうひとつは弾き逸らされ、あらぬ方向へと受け流された。
予想通りだ。これが、対処法その1。あくまで剣を使った技であるため、ユシドの剣速を上回る速度や、手数でもって攻撃をする。
これをさらに増やしていけば、どうなる?
戦いの中で調子を上げ、今や体内で激しく燃えている魔力を、下半身にもまわす。腕に比べればそこそこ鍛えているオレの脚は、風雷二色の魔力を纏うことによって、人間の常識を外れた疾走を実現する。
ユシドを中心に円を描くように、地面を焦がし、埃を巻き上げ、駆ける。今のあいつは、オレという檻の中にいる。
腕を獲物に向かって真っすぐに伸ばす。電撃の矢をイメージし、鋭い針のような魔力を、断続的に飛ばす。
全方位からの、無数の攻撃。
「おおおおッ!!」
ユシドが剣を振るう。初めの内は矢を散らしていたが、やがて刃の守りをくぐり抜けたものが、ユシドの身体に突き刺さり、痺れさせる。そうなればもう、結果は自明だ。
千の針による怒涛が、あいつを襲う。
「ふぅーーっ……」
走った石畳には焦げた跡が残る。ブレーキをかけると、長い制動距離に黒い線が描かれた。
スピードには自信があるが、スタミナが足りない。最高速度で何周もグルグルと回るなんて、普通しないからな。今の技は自分にとって、消耗が激しいようだった。
それに。
砂埃と、砕けて散った魔力の霧の中から、真っ直ぐに立つユシドの姿が現れる。
すこし表情を苦し気に歪めてはいるが、大したダメージではないだろう。一発の威力が低いのなら、風でまとめて吹き飛ばしたり、魔法障壁で防ぐことができるからだ。オレならばそうした。ユシドも、また。
「はあッ!」
こちらの息が上がってしまう前に、再び駆けだす。心臓があげる悲鳴を無視して、この戦いに心を捧げていく。
ユシドは無傷ではない。身体に電撃を食らったような痺れが残っているはずだ。
対処法その2。
遠距離攻撃が通じないなら、素直に直接斬り合う。
ギン、という音。剣が剣とぶつかる音だ。
今度は鍔迫り合いをしない。あれはユシドが有利になる体勢だ。先ほどは“力”で押し負けた。
ならば接近戦では、常にオレが不利か? 違う。お前が武器を振るうときの、身のこなしの“速さ”は、まだオレには及ばない。
「せえッ!!」
「うっ! ……おおおっ!」
いつものような、互いの顔を突き合わせて、他愛もない話をする距離。
今は、違う。
その内側に、二人分の剣の嵐が巻き起こる。幾度も幾度も腕を振り、熱に浮かされるままに身体を動かし、剣閃をぎりぎりで躱し、鋼をぶつけあう。
心が沸き立つ。ユシドの動きはオレよりやや遅いものの、その目は常に、こちらの剣を捉えていた。一方的な攻めなど、できなかった。反撃は徐々に、その精度を上げていく。
互いに相手を斬り殺してしまうことのないよう、武器に細工をしてあるとしても、苛烈な剣戟の中で、オレたちはわずかに傷ついていく。
いま、頬を熱い感覚が走った。まったく、顔に攻撃を受けてしまうことには、実はいつも気を付けているんだけどな。キミの前では敵にどんな攻撃を受けても、澄ました顔で取り繕いたかった。
でも、戦いの相手がユシドなら、それもいいか。オレとお前は、対等な戦士だ。
オレの剣が、ユシドの頬をかすめた。その薄く赤い痕に、心臓がひとつ跳ねる。
ああ……悪くない。キミに傷をつけることも、キミに傷をつけられることも。
その傷はきっと後で治してやる。でも、オレのは別に、今すぐ治さなくたっていい。強くなったキミの熱が、そこに感じられるんだ。
オレは刃に雷を纏う。笑いはうまく堪えられているだろうか。あまり戦い好きが過ぎると思われるのも嫌だ。
ユシドは大きくかわし、瞬いた電光が彼の服を焦がす。
仕返しだとでもいうように、次いでユシドの剣がうずまく。振るわれた暴風はぶわりと膨れて、紙一重での回避を許さない。魔法剣による攻撃は、範囲が通常の斬撃より拡張される。基本的なことだ。
オレは大きく後退し、距離を開ける。
動きを止めて落ち着くと、自分がずいぶん、いつになく、呼吸を荒くしていることに気が付いた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はっ、ハハ……!」
もう少し、斬り合っていてもよかったのに。楽しい時間というものは、終わるのが早い。
とはいえ、そろそろ勝負を決めないといけない。体力も魔力も、かなり消耗した。
ユシドを見やり、隙をうかがう。あいつにはまだ、オレよりも余力があるように見える。それはとても悔しくて、とても、嬉しかった。
だったら、音を上げてはいられないな。オレはキミの前では、強いミーファでいなければならない。
息を整えたら、慣れた姿勢で剣を構える。まだまだ続けようと語りかけるように、背筋を伸ばし、胸を張ってみせた。
すると。ユシドが、遠くから声をかけてくる。
「まだ、本気を出していないだろ」
「なに?」
信じられない言葉を口にするものだ。オレの戦いは、お前の目には手加減をしているように映ったのか?
……いや。
ああ、そういうことか。
ユシドがオレを指さす。そのまま、その手をゆっくりと上へ掲げ、真っ直ぐに天へと向けた。
対処その3。
ユシドが剣で切り裂いているのは、魔力による攻撃術だ。
ならば――天然自然の落雷は、その手の小さな剣で、斬ることができるものか?
ユシドの言いたいことはわかったよ。
だが、お前も消耗しているはずだ。そんな状態で、紫電の閃きに挑むのか? 天の雷には、制御するオレとて手を焼いている。雷属性魔力の守りがないお前が受ければ無事では済まない。自身の魔力での攻撃のように、調整は効かないんだ。
お前を、焼き殺したくは、ない。
「僕が君に勝ったら。ひとつ、言いたいことがあるんだ。聞いてくれるだけでいい、他には何も望まない」
ユシドが話したことは、それだけ。それ以上は喋らなくなって、あいつはただ剣を握った。
続きを聞きたいのなら、この戦いを終えるしかない。そしてあいつは、オレの技を待っている。凌いで見せると不敵に構えている。
そんなあいつを信じられるだろうか? 光の速度で迫る雷を、身をひるがえして躱すのか。鉄をも焼き焦がす力を、その刃で跳ね返すのか。あらがえるはずのない空の光に、その身を焼き尽くされることなく立ってみせるのか。
ああ。
この先が、見たい。
お前は、オレの強さを信じているな。ならば、その信頼に応えよう。オレもまた、お前の強さを信じよう。
遠く、高い空に向けたつるぎに、紫色の光が落ちる。
この身体を焼き尽くそうと暴れるいかずちを、この身の魔力によって押しとどめる。
オレがひとつ、この刃を振るえば、抑えるもののいなくなった天の雷轟は、この場に居合わせた者にその怒りを向けるだろう。
遠くの彼に、目を向ける。
翠色の瞳が、紫電の光彩/虹彩を見返していた。
「雷神剣・神雷風裂」
剣を両手で握り、目の前の空間を斬り上げる。
稲光がほとばしる。敵対者は瞬きの間に、その身を焼き尽くされてしまうだろう。数多の魔物を屠ってきたこの破壊の光は、ひとりの人間が立ち向かえるのものではない。
その、刹那だった。
オレとあいつだけしかいない、時間の止まった世界。
その中で、ユシドは。
輝く風を、剣と身体に纏い。小さな台風のように、回り、踊った。
「あ―――」
渦に乗った雷は、くるりとカーブしてそのままに戻ってくる。
あり得ざる魔法剣技と、迫る紫翠の光を見て。オレは思わず、笑った。
あまりに騒がしい声に、目を開く。
視界には青い空。黒い雷雲などどこにもない。
首を傾けると、コロシアムの客席には、盛大に歓声を沸かせている人々がいた。盛り上がりはこれまでの試合の比じゃない、まるで大会の優勝者でも決まったかのようだ。
そうか。
ユシドは、勝ったのか。
「よっ……とと、いて」
身体を起こそうとして、全身の重さに負けて無様に尻もちをつく。
どうやら跳ね返された自分の攻撃を防ぐために、全魔力を使ってしまったらしい。魔力が枯渇するのは久しぶりだ。……しかも、人間相手となると、何年ぶりのことだろう。優に200年は超えていることだろうさ。
加えて、体力も限界だ。もう動けそうにない。
なけなしのプライドでなんとか上半身を起こし、人々を眺める。
彼らは勝者を讃え、敗者にもまた、惜しみない激励を贈る。力なく手をあげて返事とするのは、少し恥ずかしかった。
「ミーファ!! あの、身体は大丈夫?」
「いや、もう、死ぬかもしれない」
「ええ!?」
「うそ。自分の技で死にはしないよ」
駆け寄ってきたユシドは、からかうと表情をころころと変え、あわてふためく。さっきまでの戦士とはまるで別人で、どちらの顔も、我が子のように愛おしく思う。
ああ。
完全に、負けてしまった。
ああくるとはな。ずるいな。すごいな。あんな技、前世のオレでもできはしない。同じ風の勇者だというのに、まったく違った発想をする。それは彼が、旅路の中で、多くの人や出来事から様々なことを学び取り、自分の中で育ててきたことの結果だ。
これじゃもう、師匠面はできないな。
認めよう。こうしてユシドは、オレを超えていく。
それは本当に、心の底から嬉しくて。……少し、寂しかった。
「……やあ、いつまでも敗者の顔をじろじろ見てるんじゃないよ。君にこっぴどくやられて、立てないんだ。手を貸してくれ」
にっと笑い、ユシドに手を差し出す。
彼は、なにか、逡巡するように一瞬固まり。そして、この手を取った。
力強く引かれ、オレは立ち上がるのを通り越して、つんのめる。
「うわっ!? お、おい……」
力の入らない身体は、やつの胸で受け止められる。
ユシドの顔が近くにある。それはいいが、少しくっつきすぎだ。衆人環視の元だ、ティーダやデイジーさんに後でおちょくられても知らないぞ。
けれど、そのおかげで。歓声が埋め尽くす中でも、オレにだけは、ユシドの声が聞こえるだろう。息遣いや、鼓動の音さえ、わかるのだから。
視界いっぱいに広がる顔が、緊張した面持ちになる。そういえば、言いたいことがあると、言っていた。
大きく息を吸う。
エメラルドの瞳がオレを、真っ直ぐに見つめる。
「ミーファ。ミーファ・イユ。僕は……僕は、君のことが、好きです。あなたを、愛している」
「…………へう……?」
師弟の、日々の終わりに。
その言葉と、心臓の鼓動が、オレだけに向けられていた。




