21. vs神速の剣
深呼吸をして、戦いの舞台へ上がる。
予選とは違い、ここからは1対1の戦闘だ。初めから集中力を上げていかないと、一息の内にやられてしまうかもしれない。
……ここを勝ち上がれば、次はミーファと当たる。僕はそのときのために、今日まで腕を磨いてきたんだ。負けるわけにはいかない。
目の前に立つ、対戦相手を見る。
全身を素朴な甲冑で固めた鎧騎士だ。素早い動きで攻めてくるタイプとは思えない。また、身に纏う戦士の気風からして、遠くから魔法術で攻めてくる魔導師というふうでもなさそうだ。
ただ、彼が手を添えている腰の長剣……そのつくりが気になる。
鞘にしまわれていて全容はわからないが、ロングソードにしては幅が細い気がする。また、つばと柄の形が特殊だ。
丸く小さなつばと、黒色の柄。シルエットは全体的に僕の風魔剣とも似ているが、もっと似たものを見たことがある。カゲロウさんの店で売っていた、“刀”だ。
刀というのは剣の呼び名の一種だが、カゲロウさんは「これこそが本当のカタナだ」と言っていた。太古の昔に海外の小国から、僕たちの住む大陸に渡ってきた武器だという。
流通は非常に少ないようで、実際に振るう人を見るのは、これが初めてとなる。
『……闘士ユシドに対しますは、ヤエヤ王国の衛兵、闘士イフナ! 魔人領へと続く門を守るガーディアンを務めています。もはや大会常連の暇な人ですが、彼が振るう武器の“刀身”を見た者は、いまだかつていません』
「暇な人……返す言葉もない」
イフナという男性は恥ずかしそうに頭をかく。大会常連ということは、相応の強者だ。
それより気になることを聞いた。数回はこの大会に出ているはずの、彼の武器を見た者がいない……? どういうことだ?
『それでは……本戦、第2試合!』
考える間もなく、試合開始のカウントダウンが始まる。ここまできては、まずは向こうとこちらの初撃に集中するしかない。
自分の中から、観客たちの姿と声を排除していく。今は彼だけを見なければ。
あと7秒。剣を抜き、両手で構える。
あと3秒。対面に立つ彼が構える。腰を落とし、鞘と柄に手を添えている。あれは……?
あと1秒。相手は刀を抜かない。
ゼロ。彼の姿が、消えた。
背後から、チン、という硬質な音がして、振り返る。
闘士イフナは僕に背を向け、刀を“仕舞って”いた。
「ぐあああっ!?」
全身を打ちのめされる痛み。棒で何度も殴られたかのようだ。一回ではなく、何度も。
ただの一瞬で身体中を襲ったその鈍い痛みに、膝をつく。剣を支えにして、倒れ伏すことだけは拒んだ。
「おや……。やはり闘技用の剣では、鞘走りが心もとないな。悪い、初撃で気絶させたかったんだが」
やはり今のは、怪しげな魔法術のたぐいではなく、彼の剣技!
一瞬十斬。超高速で剣を鞘から抜き、すれ違いざまに僕を斬りつけたんだ。刀身が見えないというのはこのことか……!
それもあの鎧姿でだ。関節の動きなどは邪魔しないのだろうが、重量があるだろうに。
卓越した体捌き、歩法、筋力、剣腕の成せる技だ。試合が始まった直後の調子が上がりきっていない状態では、対応ができない。
強い……!
「悪いがこの技しか俺にはないんでな、ほかに見せられる芸はない。……さあ、もう一度斬るぞ。魔法障壁はしっかり準備したか、少年?」
「……お構いなく!」
そう言い返しつつ、言葉に甘え、ある程度身の守りを固める。
超スピードの剣士。彼と、命を奪い合う必要のないこの場で戦えるのは、僕にとって……
これ以上ない、幸運だ。
「そら!」
「ぐ……うっ!」
またしても全身を打ちのめされる。
だが今度は、踏み込みのタイミングだけは察知できた。一撃目だけは、剣で防いだ。
「見切るのが早いな! 三撃目を防いだか」
三撃目だったらしい。全然だめだ。
気を取り直し、膝に気合を入れ、再び立ち向かう。彼の刀身が見えるまで、何度でも受けるつもりだ。
スピードを兼ね備えた剣士――ミーファの速さを、捉えられるようになるために。
「頑丈だな、闘士ユシド。君みたいなやつには勝てんよ、さっさと魔法術で仕留めにきたらどうだ?」
何度も打ち込みに耐えた結果、全身を鈍痛が苛んでいる。
成果として、徐々に彼の姿の輪郭を追うくらいはできるようになってきたものの、やはり完全には見切れない。
頭の回転速度が、神経の伝える光が、まだ、追いついていない。
「ご謙遜を。あなたの剣速なら、僕の術など切り捨てられるはずだ」
「どうだか。謙遜をしているのは……いや。俺を舐めているのは、君の方だろう?」
闘士イフナが剣呑な言葉を口にする。
……たしかに、本気で勝ちを狙うならば、他にやり方はある。近接戦闘に付き合わないこともできるし、僕はまだ彼に、得意の魔法剣による攻撃を加えていない。
彼のカタナを見ないうちには、次の試合へ進みたくはないのだ。そんな僕の態度は、闘士として立ち会う彼に対してとても失礼だと思う。
だが、それもここまで。
体力は限界だ。もう一度あの剣をくらえば、立ち上がれなくなる。だから、次で決める。
タイミングはシミュレートした。彼のスピードを捕まえる方法も考えた。後は……見えるか、どうか。
剣を鞘にしまう。僕はやや腰を落とし、鞘に手を添え、見様見真似で彼の構えを模倣する。
高速の抜刀術に対応するには、こちらも、高速の抜刀術を撃てばいい。簡単な理屈だ。
息を整え、相手をにらむ。
神速の騎士は再度、その腰の剣に、手をかけた。
「――それはいささか、侮辱が過ぎるのではないか?」
殺気。斬れない剣だとわかっていても、殺されるのではないかという緊張感。僕の身体は彼の眼光に射すくめられ、震えあがる。
だけど。
「さあ。もう一度、斬るぞ」
この瞬間を待っていた。命を懸けたとき、身体の本能が目覚める。
鎧の騎士が、とてつもない踏み込みで、武闘台にひびを入れるのが、見えた。
一瞬の時間が、無限に引き伸ばされる。それは死闘の中でのみ垣間見えるもの。人間の知覚の限界性能を引き出してこそ踏み込める、時の静止した世界だ。
そんな、流れ落ちる汗すら緩慢なはずの世界の中にいながら、闘士イフナは超人的な速さで迫ってくる。すでに彼は剣を抜き、こちらを叩き伏せようとしていた。
だが……ついに見えた! 黒い鉄の刀身。おそらく本来は、片側が刃になっているのだろう。やはりカゲロウさんの打ったものと似たつくりだ。
細長い刃は速度という機能を追求したかのような、洗練された姿をしている。きっと彼本来の得物であれば、あの黒い刀身の中に、美しい白刃が光っているはず。そのひらめきを見るときには、こちらの首は胴体と泣き別れになってしまうのだろう。
しかし今。刹那の中の動きを捉えた今ならば、その死のイメージは不要。
柄を握った手に、全身全霊の力を入れる。
本当は見切ったところで、僕が彼のような剣速で腕を振るうことなど、できやしない。
だがもし、付け焼刃の力で、それを補うことができるとしたら。
やってみる価値があるかどうかは、やってから決まる。
剣を引き抜く。その速度は実にあくびのでるような遅さで、彼の足元にも及ばないもの。
だけど、ここだ。同時に僕は、鞘の中に溜めていた風の魔力を、解き放った。
狭い鞘の中に押し込めていた空気の圧力で、腕がぐんと押される。剣を手放してしまわないよう、渾身の握力で挑む。剣の速度はどうやら闘士イフナの技に匹敵するもので、カウンターとしてはこれ以上ないタイミングだ。
騎士の表情が驚愕に染まる。やがて二つの刃が、交差した。
僕たちは互いにすれ違い、立ち位置は逆転していた。観客たちには一瞬の出来事だったのだろう。誰もが声を発することなく、静けさが場を支配していた。
背中越しに闘士イフナの存在を感じる。しかし互いに動かないのは、今ので決着がついたからだろうか。
「い……ってえ!」
肩の痛みに、剣を取り落す。尋常でない速度で剣を抜き放つという、無茶な技を試したからだ。激しい勢いのままに僕の腕は、普段は届かないところまで行ってしまったようだった。これは、もっと改良する必要がある。
あわてて左手で剣を拾い、振り返る。闘士イフナはどうしたんだ……?
それは、すぐにわかった。
「……まったく、邪道もいいところだ。風の魔法剣士とは、突拍子もない手を使う」
「それは、なんというか、すみません」
「おう。だが君の眼はたしかに、俺の剣を見つめていたな。ならば……此度は、こちらの負けだ」
刀の騎士が、はじめて、バルイーマの民の前で、その刀身を晒す。
黒い鋼は……その中心から、真っ二つに折れていた。
「得物がこうなっては、俺はなーんにもできん。まいった! 降参!」
イフナさんの合図に、人々がやがて、歓声を上げる。
『勝者は、闘士ユシド! 何が起こっているのか全然わかりませんでしたが、すばらしい戦いだったと言っておきましょう!』
客席からの熱量に、戦いの終わりを実感して、尻もちをつく。
……彼はあっさり降参してくれたが、実力の上ではこちらの完敗だ。武器を失えば負けなどというルールはないのだから、片腕を痛めた僕から剣をとりあげれば、向こうが勝利していたはずだ。
なぜ、勝ちを譲ってくれたのだろう。
「なあ。さっきの居合術な、腰をもっと落とした方が良いし、足の位置もおかしい。身体のひねりも遅い」
「は、はあ。面目ないです」
「しかし、だからこそ……君はもっと、強くなれる。そうだろ?」
その言葉の中に、理由が、見えた気がした。
「こういう若者が見られるからこの大会は好きなんだよ。……闘士ユシド、もっと腕を上げたければ、いつか王都の方に寄ってくれ。門番は暇だからな、訓練に付き合ってくれよ」
「……ええ、ぜひ!」
固い握手を交わす。
ヤエヤ王国の騎士、イフナ。勇者のような恵まれた魔力を持たず、たたひとつの技を極限に鍛え上げた強者。その力をこの目で見られたことは、きっと得難い財産だ。
ここまでくると、もう。
僕もこの闘技大会のことが、好きになってきていた。
「お疲れさん、ユシドく――あいでっ」
「おい! ボロボロじゃないか! 一体どうしたことだ、こんなに顔を腫らして」
「いたっ!」
声をかけようとしてくれたティーダさんを弾き飛ばし、駆け寄ってきたミーファが僕の顔に手を伸ばしてくる。少し汗ばんだその手が触れると、そこに痛みが走った。
ボコボコにされたからなあ。次までに治さないと。
「治療してやる。大人しく座りなさい」
「あ、ありがとう」
「おじさん便所行ってくるわー」
僕が地面に座りこむと、ミーファもまたすぐ対面に座った。
治癒の魔法術もまた例に漏れず、対象との距離が近いほど力の効率が良い。だから、自然と至近距離になる。
ミーファは真剣な表情で治療をしてくれているのに、彼女が当ててくる手と魔力のあたたかさで、鼓動が早まってしまうのは、なんだか申し訳なかった。
「お前、なぜオレの教えた魔法剣を使わなかった。そこまでの傷を負うことなく、あの騎士を倒せたはずだ」
「ええと……学んでたんだよ、相手からいろいろと。素晴らしい剣士でね、今度会うことがあったら、修行つけてくれるってさ」
「修行? オレ以外のやつと……?」
すべては君に勝つために必要なことだ。これは僕の大切な、人生の目標だ。
だけどミーファは、不満そうな顔をした。あの舞台で戦う約束をしたのに、迂遠で危ない勝ち方をしたのが気に入らないのだろうか。だとしたら悪いことをしたかも。
「……そうだ。お前がオレに勝ったら、なんでもいうことを聞くという話があったな。それは不公平だと思わないか? オレが勝ったら、そのときはユシドがいうことを聞くべきでは?」
「え? う、うん」
これをもちかけてきたのは、ずっと昔のミーファなんだけど……まあ、今となっては不公平、なのだろうか。
「ならオレが勝ったら……キミはもう、他の者に師事するな。ずっとオレの………オレの、弟子でいろ」
「ええ? でも、せっかく……」
「口答えするのか? 教え方が不満なのか」
「そんなことないよ」
「嫌なら、別にいい」
どうしたってそんなことを言うのだろう。彼女の表情は平坦で、考えがうまく読み取れない。
子どもの頃、僕が彼女の修行を途中で放り出して外に行ったことを、本当はずっと許してくれてはいないのだろうか……。ミーファから見れば、不義理な弟子なのだろう。
……そんなことを約束しなくても、僕は君の元から離れたいなんて、これっぽっちも思っていない。まだ教えてもらいたいことは、もちろんたくさんある。
だけど、“弟子”のままでは、いたくないんだ。
隣に、並びたい。
「いいよその条件で。負けないからね」
「……そうか」
ミーファは立ち上がり、今度は僕の背中の治療を始めてくれた。
だから今、どんな表情をしているかは、わからない。
ただ、彼女の手は、とてもあたたかくて、優しかった。




