14. デイジーの大変な1日
あれは、いつの日の話だっただろうか。
「なあ。次はどんな勇者が現れると思う?」
「おじさんは可愛い女の子がいいな。癒されたいぜ」
「お、ティーダ殿、気が合うね。オレも野郎ばかりはどうかと思ってたの」
「「わっはっはっはっは!!」」
豪快に笑いあうふたり。おかしなことを言って僕にツッコませようとしているのか?
我慢できず、かといって堂々とも言えず、小声で反応してしまった。
「いや……女の子いるでしょ……一番かわいいのが」
「え? なんて?」
「なんでもありませんー」
これは旅路の中の1ページ。とりたてて記録に残すような場面でもない、道の途中の話。
こうして退屈を紛らわすやりとりは、何度も、いつでもやってきた。そんなしょうもない雑談の中で、ひとつ、今でもよく記憶に残っている話がある。
「ユシド。次の勇者が女の子だとして……」
彼女のひとみが、こちらの心を見透かしているかのように、くらい陰影の中から語りかけてくる。
「その子に恋をしてはいけないよ、と言われたら、どうする?」
鉄の鍋をかき回す音に急かされ、色とりどりに盛り付けられた皿を手に持ち、店内を駆け回る。
木製のタルが人々の手の中でぶつかり合い、耳を休ませない喧騒が飛び交う。
近頃は例のあれの時期が近づいてきたこともあり、この店は、私が働き始めてから最も盛況な書き入れ時に直面している。おそらくよその店も、どこもこのような状態だろう。
店主の夫婦ともども、日夜こうして客との戦いを繰り広げている。おかげで今度のお賃金には期待をしてしまうというものだ。
「デイジーちゃん! こっちにもビール2つ! あとあっちの人が食べてるやつ」
「あいあーい! お待ちを!」
「おねえさーん、こっちもー」
卓にすべての料理を無事に届けたものの、一息つく暇も無く、新しい注文がすぐにでも入ってくる。伝票に手早く書き込み、すぐに厨房へと伝える。
そういったサイクルを何度も、何時間もこなしていく。時期に乗っかって営業時間を伸ばしているから、まだまだ客はやってくる。
――そんなふうに日々を過ごしているのが、花も恥じらう年頃の乙女。彼氏募集中のうら若き少女、私ことデイジー・マーサンドだ。
ちなみにここで働かせてもらっているのは、制服のデザインがひらひらしていてかつ清楚で斬新で可愛いからである。
注文の呼びつけに備えて机間巡視をしていた私は、新たなお客様の訪れを知らせるベルの涼やかな音に、視線をつられた。
……そこでは。ともに給仕として働く同僚である、金の髪の美しい少女が、いつものようにうやうやしく礼の姿勢を取ろうとしていた。
「いらっしゃいませ。ようこそお越し……なんだ。アジさんに、クーターさんか。この頃は毎晩飲み過ぎじゃありませんか? 帰れば?」
「ミーファちゃん、そりゃないでしょ! ミーファちゃんとデイジーちゃんに会いに足しげく通ってるんだぜ?」
「最初の頃のお淑やかな~感じに戻ってくれー」
常連客の二人をすげなくあしらう少女は、名前をミーファさんという。歳はたぶん、同じくらいだろう。
元は3か月ほど前に、うちの旦那さんとおかみさんが経営する宿屋に宿泊した客だったらしい。ここにははじめ、他に二人の男性と食事に来ていたのを覚えている。
常連でなくともあの容姿は記憶に残る。どこぞのお嬢様がお付きを伴って、お忍びで下々の店へやってきたのだなあと思って、緊張したものだ。
だけど何がどういうことやら、彼女はいつの間にかここで従業員として働くことになっていた。おかみさんに彼女を紹介されたときは言葉を失った。
理由を聞いたところ、例の大会に参加するためにここへやって来たが、早く来すぎてやることがないのだという。それで庶民の生活を体験してみようとは、お金持ちは変わっている。と、聞いたときは思った。
しかし例の大会に参加とは。線の細い(出るところは出ている)彼女のやることとは思えない。
おそらく一緒にいた二人の男性が出場するのだろう。
そう。
ここバルイーマで、数年に一度行われる闘技祭。そのメインイベントである、世界中から腕利きが集まる闘技大会に。
「おー、ここは空いてるかあ?」
再び店の扉が開き、団体様が顔をのぞかせる。
見ての通り、店内はギュウギュウ詰めだ。残念だがお待ちいただくか、今夜は別を探してもらうほかない。
しかし彼らの先頭に立つ体格のいい男は、店に足を踏み入れてきた。そのまま辺りを見渡すと、床を軋ませながらずんずんと押し入り、先に大テーブルの一席に座っていたアジさんの肩を掴み、無理やりに席を立たせた。
「兄さん、ここ譲ってくれよ。オレ達腹ペコなんだ」
「……そうだなあ。もう一食分も待ってくれれば、席も空くんじゃねえかな。なあ、みんな?」
「いますぐ空けろって言ってんの」
そう言って男は、乱暴にアジさんを突き飛ばしてしまった。背後のテーブルに叩きつけられ、料理や飲み物のいくつかが床にこぼれる。
男の後ろから、これまたガラの悪い人たちがぞろぞろ入ってくる。先ほど起きた、卓上の皿が巻き込まれて割れる音に、店中が静まり、やがて小さくざわめく。
……ああ、困ったものだ。大方、彼らは既に酒を飲んで気が大きくなっているのだろう。
この頃はよそからやってくる腕自慢たちを街中で見かけることも増えたが、中にはあのような世間知らずもいる。よりによってアジさんに手を出すとは。あの人パッと見弱そうだから仕方ないとはいえ。
ざわめきはやがて、剣呑な雰囲気を帯びてくる。いけない。誰かが何かしら弁償する破目になる前に、おかみさんを呼ばねば。
闘技の祭なんてものがある街の住民が、どんな性格なのか、外から来た彼らはわかっていない。アジさんはゆっくりと立ち上がり、両手に硬い硬い握りこぶしをつくった。
「困りますわお客様。店内で揉め事など起こされては」
爆発寸前の静けさに、大衆酒場には場違いな、淑やかな声が水を差す。
給仕服を身に着けていてもどこか気品のある器量をした女性。ミーファさんが、男とアジさんの間に割って入った。
「な、なんだあんた? ……超可愛いじゃねえか。どうだい、俺達と一緒に飲まないか」
「そういったことは業務内容にないので……」
「わかったよ。なら、今からデートでもしようや。もうこの店はいいわ」
男が彼女に手を伸ばす。いけない! 誰か……アジさん、クーターさん、誰でも良い、あの子を……!
助けてあげて、と声に出そうとした。
「痛えっ! なにしやがる、この女!」
「デートは先約が入っているので」
ミーファさんは背後から引っ張り出してきたモップの柄で、男の手をびしりと叩いた。
そのまま、先端を突き付けて言う。
「あなた、闘技大会の参加者ですか? ……なら、わたしと戦って勝てたら、なんでもいうことを聞きましょう」
「な……ミーファちゃん!?」
「アジさん。次店のもの壊したら出入り禁止だって、おかみさん言ってたよ」
「ヒエッ……すいません……」
自分より小さく弱そうな少女に挑発された男は、しばし怒りに顔を歪ませたあと、ふいに笑顔になった。なぜそんな表情をしているのかは、想像に難くない。
勝ったら、何でも言うことを聞く。そんなことを言うものじゃない。あの子、世間知らず過ぎはしないだろうか。女の子の自覚あるのかしら。
「オーケー。今日ここに来てよかったぜ」
「では、表に出なさい」
ふたりは店を出る。表で一勝負やるとの話に、血気盛んな客たちがジョッキ片手に、ギャラリーにと押し寄せる。これだからバルイーマの連中はよくない、誰か止めるべきでしょうに。
意義を唱えようとして駆けだすと、アジさんに呼び止められた。
「デイジーちゃん、ミーファちゃんなら大丈夫だよ。万が一傷つきそうになったら客総出で止めるさ」
「何言ってるんですか、傷がついてからじゃ遅いんですよ!」
「大丈夫だって。彼女、ただ者じゃないもの」
そりゃあ、ただ者ではないでしょうよ。あの子のご両親がどこぞの領主さまだったりしたら、私、迎えに来るお付きの人に顔向けできないんですけど。
不安な気持ちのまま、仕事を放りだして外へ出る。
表の通り道。屈強な男と、美しい少女が、すでに対峙していた。
男の手に武器はない。さすがに最低限の人間性はあるらしい。大してミーファさんは、わたしと同じデザインのひらひらの給仕服に……武器のように手にしているのは、床掃除に使うモップである。
「それ!」
男が、ミーファさんを包み込むように、両手で掴みかかろうとしてくる。攻撃というよりは、まあ、上玉に対する目的の見える行動だ。
それを彼女はかいくぐり、背後から棒で身体を打ちつけた。男の口からは奇妙な悲鳴、ギャラリーからは歓声が上がる。
……見事な身のこなしだ。私も闘士にはうるさく目が肥えている方だが、今のは何か経験を積んでいる人間の動き。いまどきのご令嬢は、護身術もたしなんでいるということだろうか?
しばらく、攻防が続く。
男は最初のように、掴んでさらうような余裕のあるモーションをしなくなってきた。拳を握り、素早いフットワークから腕や脚を繰り出している。こちらもやはり、腕っぷしに覚えのある人の動作だ。
しかしミーファさんには当たらない。まるで見切っているかのように最小限の動きでかわしている。あんなひらひらのスカートを着ているというのに、足さばきには誤りがない。
これ、もしかして。
あの子ほんとに、大会に出るの?
「クソ……!」
大勢の前で恥をかかされ、頭に血が上ったのか、男は腰の短剣を抜いた。観客からのブーイングにすさまじい形相で睨み返してくる。まずいな、我を失っている。ミーファさんのやったことは相手のクールダウンではなく、これ以上ない煽りだ。
客たちは……介入しない。皆の目は、もはや助ける対象を見るものではない。次に何を見せてくれるのかという期待の視線を、誰もが向けていた。
彼女が動く。まるで剣を逆手に持つようにして、モップを右手に構えた。あんな適当な剣術の構えは、これまでの大会では見たことがない。彼女の故郷の武術だろうか。まさか我流ではあるまいし。
静かになる。これから一瞬で、大会参加者としてのふたりの攻防がある。
自分が息を呑む音が聞こえるほどの静寂。
……いや。なにか、音がする。ぱちぱち、バチバチと、おかみさんが厨房で炒め物か揚げ物をしているのを、遠くで聞いたときのような。
「うおおおっ!!」
「……雷神剣!」
黄金色の光が一瞬、夜の通りを照らした。
男の身体が、地面に倒れ伏す。……やがて、店の前は、野太い歓声に包まれた。
私は見逃さなかった。彼女のモップが、金の光を纏っていた瞬間を。おそらく雷の魔法術を使ったのだ。
……知らなかった。あの子があんなに強いなんて。最近微妙にお嬢様っぽくないところもあるなとは思っていたけれど、まさか荒くれを倒してしまうような魔法戦士だったなんて。
闘技大会ではどこまで行けるだろうか。決勝トーナメント入りも狙える? やばいな、顔も良いし、それなりに仲良くしている。それでさっきみたいに普段とギャップのある顔を闘技場で見せられたら、ファンになってしまいそうだ。
この店の客限定とはいえ、大会前からこの人気の獲得ぶり。
グッズ。出るかもしれんな。初出場で異例の。
「何の騒ぎだいッッッ 静かにおしッッッ」
「あ! おかみさん」
がらんどうになった店内と外の喧騒をおかしく思ったのか、ここ『オリトリ亭』の店長が姿を現した。
ミーファさんはぱっと笑い、彼女に駆け寄る。
「わたし、店を荒らす悪漢を倒しましたのです。どうですか、今月のお賃金にいくらか上乗せなど」
「バカ言うんじゃないよ!!! モップが黒焦げじゃないのさ!!!!」
「いてえ!!」
おかみさんがミーファさんの額を闘気のこもった指で弾くと、爆破の魔法術がさく裂するような破壊音がした。あーあ。あの人を怒らせたら、先ほど圧倒的な強さを見せたミーファさんでも頭は上がらないだろう。
怒号を受け、急に物分かりがよくなった客たちが店内へぞろぞろと戻る。アジさんなど汗を浮かべながら、てきぱきと自分がぶつけられてめちゃくちゃになった机を片付けていた。あれは多分冷や汗だ。被害者なんだからやらなくていいのに。
「ミーファさん」
おでこから煙をあげてひっくり返っていた彼女に、手を差し出す。
ミーファさんは、へへ、と男の子のように笑って、ありがとうと言った。
……なんか、最初の頃の印象と違う。思えば仕事中、こういう表情やしぐさをしていることも、あった気がする。
私は急に、彼女に対して、これまでにない熱い関心がわいてくるのを、自分の心に感じていた。
「さ。お仕事の続きですね、デイジーさん」
「うん」
ちらりと後ろを振り返る。
こてんぱんにやられてしまった彼と取り巻きたちは、すでにどこかへ去ってしまっていた。
これから内心穏やかでない日々になるのだろうが、あんな揉め事はバルイーマではそう少なくもない。彼らが反省してくれれば、またこの店に来てくれていいのにと思う。
店の扉を開けると、愛する職場のやかましさがすっかり戻っている。
私はひとつ思い立って、先を行く金の髪の女の子に、声をかけた。
「ミーファさん。明日は夜までお休みだから、このあとどうかな、ちょっとお茶というか」
女の子らしくお茶などと言ったが、オリトリ亭は酒場だ。おかみさんも豪快な料理が得意だし、そう上品なことにはならないだろう。
だけど彼女は、満面の笑みで応えてくれた。なんだか嬉しくなって、力がみなぎってくる。
――さて。残りの仕事も、頑張ろう。
ちなみにそのあと私は、彼女に酒を飲ませたことを後悔した。