01. 約束
はるか後方のお屋敷から、メイドの怒号が聞こえる。
「お嬢様、どこへ行かれたのです!! もう、またお屋敷を抜け出して……」
彼女には悪いが、大事な成長期に屋敷に閉じこもって習い事など、つまらん。
遠くには行かない、ということでひとつ許して欲しいところだ。
オレは領内の小さな森を目指し、跳ねるように駆けた。あそこは屋敷に近く危険もない。本当ならもっと先の町中まで出たいが、それは母親をカンカンに怒らせそうだ。
息を胸いっぱいに吸い込む。風が気持ちいい。昔からこの感覚は好きだ。
「あー、肩がこる」
森へ辿り着き、そんなことをひとりごちる。言葉とは裏腹に、身体は元気が有り余っていた。
今年でオレは8歳となる。外で遊びたいお年頃だ……などと考えていることを、前世の友人達が知ったら大笑いしそうだ。
伸びをして、何をしたものか考える。
視線の先、良いところに背の高い立派な大木があった。この森の主だと勝手に思っている。枝が太いのがまた良い。
「よっと」
脚が一瞬、“風”を纏う。
一足飛びのうちに、オレは自分の身長の何倍にもなる高さへと跳びあがった。
太い枝へと着地し、しかし納得がいかずにうーんと唸る。やはり以前のようには風の魔法を扱えていない。今のはもっと上の枝を目指していたのだ。
この身体は風の属性にはあまり適していないのだろうか。
前世で磨いた技を失ってしまったのかと思うと、なんともやるせない。
「おや?」
見晴らしのいい枝に座り、森の空気を楽しみ、景色を眺めていると、珍しく自分以外の客が現れた。町の人々はここを領主の敷地の庭だとでも認識しているらしく、あまり足を踏み入れないのだが。
来訪者は……なるほど、まだ幼さの抜けない少年だ。下を向き、察するにべそをかきながら歩いているようだ。
この森はいいところだが、下を向いていてもあまり面白くはない。虫や草花に土なんかを愛でるのは少々上級者向けだ。どれ、先達として遊び方を教えてやるか。
オレは枝から飛び降り、うつむく少年のすぐそばへ華麗な着地を決める。
「やあ、ごきげんよう」
「う、うわあ!? なんだ、キミ……」
すっとんきょうな声をあげて驚く少年を見て、いたずら心が満たされる。彼はこちらが年端もいかぬ女子と認めると、急いで目の辺りを腕でぬぐっていた。
ふむ、からかい甲斐がありそうな子だ。興味がある。
初めましてだし自己紹介でもするか。誰が相手でも、仲良くなるにはまずそこからだ。
自分と同じくらいの背丈の少年と目を合わせ、なるべく陽気に話しかけてみる。
「はじめまして。オレは……ミーファっていうんだ。君は?」
「……ええと」
何やら少し逡巡する様子。名乗りたくないのだろうか?
しかし名乗られれば名乗り返すのが礼儀というものだ。少年もそれをわかっているようで、虫の鳴くような声ではあるが、返事をしてくれた。
「……ユシド。ユシド・ウーフ」
「ウーフ? それって」
どきりとする。ウーフという名は、先代風の勇者であるシマド・ウーフの家名と同じだ。
というか、オレがそのシマドだ。死して200年ほど経った今、以前の記憶を持ったまま新たな生を受け、勇者の責任から解放されて気ままに子どもをやっている。
つまり、この少年は……
「前の風の勇者の子孫?」
「う、うん」
「ほお……」
オレの、子孫。ということになる。
「君みたいな小さい子も知っているんだね」
「ん? あ、ああ。まあね」
意識してみると、ブラウンの髪に翠色の瞳は以前の自分に似ている。顔はあまり似とらん。
孫かひ孫か、ともかくその顔を見られた嬉しさが、後から押し寄せてきた。うん。平和な世を求めて旅した意味はあったのだ。そして、無理にでも子を作った意味も。
……あれ。
しかしなんだってそこで暗い表情になる? も、もしや先祖のことが嫌いなのか?
「じゃあ、僕はこれで」
「あ、こら、待ちたまえよ」
そそくさと帰ろうとした少年の服の裾を掴む。そのまま木陰に引き込み、ぽんと地面を叩いて隣に座るよう促した。
町のどこかにオレの家系が住んでいるだろうとは思っていたが、でかい屋敷に籠りきりのご令嬢生活のせいで、これまで確かめられもしなかった。こうして会えたのは初めてなのだ。簡単には逃がさぬ。
少年……ユシドはおそるおそるオレの隣に腰掛ける。なぜそんなに暗い顔をしているのか問うと、吐き出す機会が欲しかったのだろうか、たどたどしくも、想いを語ってくれた。
「これ、知ってる?」
「それは……!」
ユシドが右手の甲をこちらに見せる。そこには、形容するならば剣か矛のように見える図絵が刻まれていた。あざにしては綺麗すぎる。
オレにとってそれは、とても見覚えのあるものだった。
これは勇者の紋章。世界に選ばれた、使命を背負う者の証である。
「もしかして、『風の勇者』に選ばれたのか?」
ユシドは頷いた。思わず感嘆の息がもれる。我が一族から再び風の勇者が現れるなど、なんと光栄なことだろうか。口の端が上がってしまうのを抑えられない。
ところが、どうも彼の暗い表情の原因はそこにあるらしい。
「勇者に選ばれるなんてすごいじゃないか! ひとつの時代にたったの7人だけ、最も強大な力を秘めた者が選ばれるんだぞ」
七人の勇者には、その時代最高峰の魔力を持つ者でなければ選ばれない。それが使命を果たすのに必要な力だからだ。
この子が“風の勇者”に選ばれたというならば、前世のオレに匹敵する力にいずれ目覚めるはず。何が不満だというのだろう。
「その、僕なんかに勇者の使命がつとまるとは思えなくて。こんなに弱い僕なんかが」
「それはほら、これから修行して強くなるものさ」
「色んな人の期待に応えられるだろうかと思うと……」
「今すぐ旅立てっていうものじゃないんだから、焦らずにいなよ」
「……今まで仲良くしてくれた友達と仲が悪くなっちゃったんだ。なんでお前なんかが勇者なんだ、って」
「あー……」
それが本題か。それはその、たしかにオレにも似たような経験がある。
若いときは嫉妬やらを向けられ、力を得た後はこちらに取り入ろうとする人間が大勢、自分の前に現れた。もちろん尊敬を向けてくれたり、ずっと変わらず接してくれる友人もいたが、この子がそれに気づけるのはまだ先だろう。
自分は何も変わっていないのに、ただ手に紋章が表れただけで環境が変わってしまった。今はそういう時期だ。これに戸惑わない子供はいない。
「気にするなよ、そんなの。そのうちうんと強くなって見返してやればいい」
「……そんなことがしたいんじゃないんだ」
さっきより少し、語気が強くなった。
「僕は……またみんなと仲良く、友達でいたいだけだ」
「なら、そうしなさい」
自分の気持ち、したいことがはっきりしているなら、後は行動するだけだ。
「どんなに冷たくされても、オレ達は友達だーっていう態度でぶつかっていけばいいよ。前までは普通に仲良かったんだろう?」
「う、うん」
「なら大丈夫さ。君の友達も、君と同じように戸惑っているだけだよ」
「……そうかな。うまくいくかな」
そんなことはわからない。彼の元友人たちが今どんなことを考えているかなど、想像するくらいしかできないのだから。
無責任なオレの助言で、このユシド少年は人間関係にさらに深い傷を入れてしまうかもしれん。
ううむ。とはいえ、いつまでもそう思い悩んでいても状況は良くならないものだ。やはりガンガンいくのがいい、子どもの社会は陰湿だが単純なところもある。
背中を押す方針で行こう。
「まあまずはぶつかってみなって。どうしてもうまくいかなかったら仕方ない。オレが友達になるから、それで我慢しなよ」
「え? ほ、本当?」
「ああ。約束しよう」
ユシドの手を取り、小指を自分の小指と絡ませる。昔からこの世界にある、小さな約束を結ぶときのしぐさだ。
ユシドは少し顔を赤くして立ち上がった。おう、照れてるのかい。おじさんとしてはどうにも可愛くて仕方ないな、そういうの。
遅れて立ち上がり、その顔をじっと見上げる。最初に見せた暗い表情と比べるとずいぶんマシになった。
「その、ありがとう。僕みんなのところに、もう一回行ってみるよ」
「おー、いけいけ」
わずかな時間だったが、我が子孫と言葉を交わせて楽しかった。これでこそ生まれ変わり甲斐があるというものだ。
彼が無事友人と仲直りできればもうここには来ないだろうが、同じ町に住んでいるならいつかまた姿を見る機会もあるだろう。そのときは“風”を継ぐものとしての雄姿を期待したい。……いいや、そうでなくともいい。必ずしも勇者が旅立つ必要はないのだ。末永く健康で、楽しく生きていてくれたなら。
名残惜しい気持ちを抑えて、その背中を見送る。
すると、ユシドは一度、こちらを振り返った。
「あ、あの、えっと……ミーファ?」
「なんだ」
「ま、また明日」
最後にぽつりとそれだけ言って、あの子は走り去っていった。
これは……なんとしても、また屋敷を抜け出さないといけなくなったな。
明日はどんな話が聞けるだろう。願わくば、次はユシドの幸せそうな顔を、もっと見たいものだ。
「ごきげんようユシド」
「わ……っ、と、もうそんなに驚かされないぞ」
「ハハ、なんだつまらない」
脚で枝にぶら下がり、逆さまの状態で突然目の前に現れてみたのだが、期待したリアクションは得られなかった。
だがそうやって驚くまいと身構えている姿も面白い。ユシドには悪いがなかなか飽きないものだ。
今日の彼を観察する。先ほどから、木で出来た剣を振り回しては、ああでもないこうでもないと難しい顔をしていた。
何をしていたのか? と、わかりきったことを聞いてみる。
「ん? ああ……剣を教えられる人が周りにあまりいなくてさ。自分で練習でもしようと思って」
「ほほう」
いい心がけじゃないか、我が子孫は! まだ齢2桁になった程度だろうに、もう鍛錬を始めるとは。オレを超える勇者になるぞこれは。
「ごめんよミーファ、棒ふりなんか見ても退屈だよな」
「いいや。何を隠そう、オレはそういうの大好きだぞ。続けて続けて」
「そうなの? 近所の子たちとは少し違うなあ」
そりゃそうだよ、中身はお前の倍以上生きたおっさんだもの。
ユシドが懸命に剣を振るのを観察する。さすがにまだ子どもだ、基本的な動きもできていやしない。やはり誰かに師事するか、指南書にでも目を通すべきだ。
しかし、剣の師がいないのは仕方のないことかもしれない。この町は先代の『風の勇者』や先々代の『雷の勇者』を輩出した歴史ある土地ではあるが、勇者の張った結界に長年守られているゆえか、よそのように街を守る腕利きなどは数がいない。悪く言えば平和ボケしているのだ。
以前のオレも、旅立つ自信をつけるには時間がかかったものだ。戦い方は我流で、剣の腕は正直めちゃくちゃである。しかし戦いの経験値だけはこの世の誰よりも積んでいる……かもしれない。いまちょっと誇張した。
……待てよ。そうだ、いるじゃないか。次代・風の勇者に、おあつらえ向きの師匠が。
「なあ、きみ。オレが稽古つけてやろうか?」
「あはは、何言ってるんだよ」
一笑に付された。まあ、そうだよね。
オレはその辺を歩き回り、しばらくして、良い感じの木の枝を見つけた。片手で軽く振れ、尖っているところもほとんどない。
その先端をユシドに向け、煽る。
「もしオレがお前より強かったら、弟子にでもなった方が良いと思わないか?」
「うん? ええと、そうだね、それは」
「なら……手合せごっこでもしようか、ユシドよ」
「ええっ? ダメだよ、危ないぞミーファ」
「まあ、たしかに危ないかもな――お前がな!」
身を低くして突進する。ぐんと距離をつめると、ユシドの驚いた顔が見えた。次いで、横薙ぎに振るわれる木剣。こちらの足元を払うような軌道だ。もし咄嗟に反応して、しかもこちらをなるべく怪我させないような振り方をしたのだとしたら、すごいな。やはり逸材かもしれん。
ユシドの眼前でにたっと笑って見せ、地面を蹴る。木剣も相手の頭上も飛び越え、宙返りしつつ、その背中を枝でぴしゃりとやった。
「あいたっ!?」
「ふふん、オレの勝ち」
ユシドは振り返って、オレの顔を見たまま茫然としている。いい表情だな、もう少しアピールするか。
オレは少し開けた場所に目を向け、ユシドをやや下がらせた。樹木をむやみに傷つけないようにしなければ。
「見てろ、驚くのはこれからさ。はああ……!」
枝を両手で握り締め、大上段に構える。自分の内側に秘めた力を起こし、外の世界へ働きかける。
風、あるいは気流という形の現象としてあらわれるそれを、ただ放出せず、手の中の“剣”へかき集める。金の髪が荒々しくなびいた。
「せえっ!」
吹きすさぶ風を、剣の振りと共に解き放つ。狭い面に集約された風の魔力が広場に小さな竜巻をつくり、周りの木々を騒めかせた。草葉が舞い上がる。
ふむ。昔はこの一振りで魔物の軍勢を吹き飛ばしたものだが、今ではこんなものか。
……剣たりえなかった、木の枝を見る。刀身に見立てた部分がズタズタに引き裂かれてしまっていた。本来は頑丈な剣に乗せて放つものだ、こうなるのは必然だろう。
しかし実に久しぶりにこの技を使ったが、身体が違うと加減もよくわからないな。風の魔力が弱いからといって威力を引き上げようとすると、暴発するかもしれない。扱いには気をつけねば。
「うそだろ……今の、魔法剣ってやつ? 昔の勇者さまたちが使っていたっていう」
「よく知ってるじゃない。おうちで本でも探したか?」
「う、うん」
ユシドはやや目を輝かせながら詰め寄ってきた。そうそう、その顔が見たかったんだよ、お前のじいさんのじいさんは。
「信じられないや。僕より1つ年下なのに」
「世の中メチャクチャ強い子どもだっているものだ。オレのことは格上だと思いなさいね」
「むううっ」
「そのうちこの技を教えてあげよう。先代風の勇者も魔法剣を得意としたという」
ユシドは喜んだり、悔しそうな顔をしたり、考え込むような仕草をした。ガキは何を考えているのかわかりやすくていい。オレの子孫ならばなおさらだな。
「ミーファってさ、何者なの? あっちのお屋敷の子だけど、ただのお嬢様じゃないよね。……勇者についてやけにくわしいし、あと、すごいつよい」
おや、気になるかやっぱり。
前世が風の勇者だから……というのが答えだが、なんだか今ばらすのも面白くないな。どうせならこいつがもっと大きくなってからがいい。
それっぽい理由をつけてごまかそう。子どもだし大丈夫だろ。
「言ってなかったっけ? うちは前の前の『雷の勇者』の家系なんだ。勇者に詳しい理由は君んちと一緒さ」
「えー!?」
ユシドは目を丸くして驚く。向こうの大きいお屋敷が雷の勇者の家だったなんて……などと呟いていた。知らないだろうと思ったよ。
オレが風の勇者に選ばれる前は、この町からは雷のが出るんだってずっと言われていたくらい、由緒ある家なのだが。
適当に生き抜いたオレと違い、かの先々代雷様は旅を終えたのち、ここを牛耳る領主として一族を栄えさせたのだ。おかげでこのミーファ・イユの人生はそこそこ上流階級である。
それと比べて、直近の勇者の子孫なのに普通の町民であるユシドを見ると、もうちょっと真面目に人生やるべきだったかな?と思わなくもない。
なんとなく、聞いてみる。
「なあユシドよ。おまえ、先代のことはどう思う?」
「どう思う……ってなに?」
「すきか? きらいか?」
「ええと、ふつーに尊敬してるけど」
「はは、そうか」
……まあ。こうして出会えたのだから、これからユシドに良くしてあげることはいくらでもできる。
それこそが今世の自分の務めではないかとすら思えてきた。こいつのこれからを想像するだけで楽しくなるこの気持ちは、親類ならではのものだろう。
「ようし、剣を構えてみせろ。オレが君を一人前の勇者にしてやるからな」
「……うーん、でもな……」
「なんだよ、まだ不服かね?」
力は見せつけてやったが、男の子のプライドも刺激してしまったのだろうか。ユシドはオレの申し出に渋った。
どうやってその気にさせたものかな。子どもをうまく誘導するのは親の楽しみであり、罪であり、難しいことのひとつだ。
「じゃあこういう遊びにしよう。いつかお前がオレに勝てたら、なんでも言うこと聞いてあげるよ。はたしてできるかな?」
「……わかった! よろしくお願いします」
それでよろしい。やや考えるような間があったが、ひとまず師事する気になってくれたようだ。
ふふ、どう育てたものかな。とりあえず、以前のオレにできたことくらいは全部できるようになってほしい。世界の平和を保つのはおまえだ、我が末裔よ。
「ミーファ。さっきの話、約束ね」
「お、おお。街中を大声あげながら走り回れでも、大人にイタズラしろでも、なんでもドンと来なさいよ」
ユシドが小指を差し出す。そこまで改まるような話なのかと苦笑しながら、オレは自分の指をそこにつないだ。
今にして思えばきっと。
それは彼にとって、大切な約束だったのだろう。