忘れて
◆ ◆ ◆
それは夢だと分かる夢だった。
だって色がなかったから。
「一緒に帰ろう!」
高い少年の声がした瞬間、水底から引っ張り上げられるように意識が浮上する。
瞬きを繰り返す鞘の前で、一人の少年が虚空へ向けて声を張り上げていた。
コートにマフラー。吹雪く雪に遮られながら見た少年の姿は寒さ対策万全と言った様子。その姿をはっきりと捉えることができない上に、そもそも向こうはこちらに背を向けていたため他の情報はほとんど得られなかった。
吹雪?
ああ、そうか。
ここは山だ。
雪深く、子ども一人ではとても立ち入ることなどできない場所。
容赦なくぶつかってくる寒風が頬を撫でる度、紙で指先を切ったような痛みが走る嫌な場所。
でも風が凪ぐと輝く銀が美しい、なんだかんだ言って好きな場所。
一つ気付けば、次々と景色に色彩が湧き出す。
風雪の隙間から覗く少年の黒髪、風に枝を揺さぶられている煤竹色の木々、終わりなく広がる月白の新雪が浮かび上がってくる。
けれども少年と相対する者の姿だけが分からない。
否、少年の前にはどのような影も見当たらない。
高速で宙を飛び交う雪の群れだけが、少年を取り囲んでいた。
少なくとも鞘の目にはそうとしか映らなかった。
それでも少年は再度言う。
「一緒に帰ろう」と。
その絵面はどことなく不気味なものだった。だが見れば見る程切なく胸が締め付けられる光景でもあった。
良心が揺さぶられたのか、社会人としての責任感からか、鞘は何故だか少年に何かしてやりたくなってきていた。
迷いはした。
意味不明な状況で意味不明な夢だったから。
けれど最後はやはりと言うべきか、良心が背を押した。
鞘は小さな背中に声をかけようと一歩踏み出す。
危ないよ。誰かとはぐれたの?
そう言おうとして、
「見ないで」
背後からはっきりと声をかけられた。
それが聞き覚えのある声だったから反射的に振り返ろうとして、
そして。
そして――。
◆ ◆ ◆