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Re◆Incarnation―知らずの闇の迷いの徒―  作者: 瑞白青維
4.何者
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瓦解の一手





虚飾(きょしょく)の神】



 時代と共に人々の記憶から忘却され、自らの終わりを悟った神々は、誰にも知られずにひっそりとその命を終える。自らの名を忘れ、形を忘れ、思考を忘れ、己が存在さえも忘れ、最後は人世から跡形も無く消失していく。

 そうして、全く新しい息吹となって再び世界を巡るのだ。

 神々の間ではその事象を「死」とも、「再生」とも、「(かえ)(孵)り」とも呼んだ。

 言葉遊びとでもいうのか。彼らにとってはその事象の名より、その事象をどのような言葉で飾ることができるかの方が重要だった。「自己」の輪郭を失うことよりも、世界そのものに自らが融け、再び咲き誇ることの方にこそ彼らの意識は向けられていたのだ。

 少なくとも、戦前まではそうだったように思う。

 戦後からは流れが変わった。

 世界へ還ることを、死ぬことを、再生することを、人に忘れられることを拒絶する神が現れるようになったのだ。

 一柱現れるとまた一柱、さらに一柱と、神々は人世への執着を見せ、己が神気を穢れに堕とし、天命に抗った。抗えば抗うほど神としての威厳も尊厳も失い、姿形さえも醜く変貌していくというのに、彼らはそうすることをやめなかった。「死」から逃れられるはずもないというのに。

 そうして、世を去り逝く彼らの業火を思わせる執念は、ただただ厄災となって人世に大きな傷跡を残す様になっていった。









 二柱目の虚飾(きょしょく)の神の顕現を感知した壱喜(いちき)心波留(みはる)の決断は迅速なものだった。

 二人は視界いっぱいに蠢く(あやかし)の群れを巨大な結界に閉じ込め、虚飾(きょしょく)の神に直接ぶつけることを考えた。それによって、一柱目と相対している朧狐(おぼろぎつね)が、二柱目の対処に移るまでの時間を稼ぐことが可能だと考えたのだ。

 二人は霊力という特殊な能力を駆使し、(あやかし)を調伏する陰陽師の端くれである。徒人から見れば異能の使い手ということになるのだろうが、あくまでも、どこまで行っても、二人はただの人間で、未成年の子どもに過ぎない。

 二人の力では虚飾(きょしょく)の神に太刀打ちすることは愚か、指一本でも触れることは困難を極めるものだった。

 けれど。

 朧狐(おぼろぎつね)

 彼ならば二柱目も問題なくどうにかこうにかするだろう。

 そんな不動とも言える絶大な信頼のもと、二人は作戦決行のため動き出す。

 結界を成す役割に立候補したのは心波留(みはる)だった。

「結界はやるわ。でも幻術かけたり牽引されたりするのは全部壱喜(いちき)に任せるからね」

 この作戦における結界とは、ただ一つ巨大なものを張れば良いというわけではない。巨大な結界を虚飾(きょしょく)の神の元まで運ばなければならないのだ。人間業では不可能なそれを可能にするためには、(あやかし)を運ぶための結界を(あやかし)に牽引させる必要があった。

 つまり。

 (あやかし)運搬用の大規模結界が一つ。

 牽引(あやかし)用に中規模結界を複数。

 という、二種兼多数のものを要する。

 大きさ、数もさることながら、強度も要するごりごりの力技作戦である。

 白鵲の巣から(あやかし)を守りつつ、運ぶ。

 言うは易し。だが求められる技術は超高度という理不尽さが付きまとう。

 作戦にもよりけりだが、通常結界は一人に負担が集中しないよう数やタイミングなどで担当を振り分けることになっている。

 だが、今回はそれができない理由があった。

 起きるべき人が目を覚まさなかった。

 邸に危険が迫った際、「燈火(とうか)」、「東雲(しののめ)」という二人の守護者が邸を内外から守る手筈になっている……のだが、今日に限ってはそれがなかった。

 普段から両名は深い眠りについており、邸内の誰かが彼らを叩き起こさなければ活動は困難なのだけれど。どうやら今夜は叩き起こし隊が正しく機能しなかったらしい。

 なぜそうなったか。

 壱喜(いちき)心波留(みはる)の脳裏を真っ先に過ったのは、他でもない星海(ほしうみ)の存在である。

 星海(ほしうみ)(さや)に対し、昼に一度奇襲をかけたものの失敗に終わったようだった。頃合いとしては第二撃があってもおかしくはないだろう。混乱に乗じて(さや)を速やかに排除すべく、邸内の者へ何らかの術を施したとしても不思議ではない。

 仮定ではあるが、考慮すべき話だ。

 そんな最悪かつ高確率で起こっているだろう事態も想定した上で、やるべきことは主に二つ。

 一、虚飾(きょしょく)の神に妖の群れをぶつけ時間を稼ぐこと。

 二、(さや)の排除を目論む星海(ほしうみ)を制止すること。

 ついでに隠れ三、邸の守備に助っ人参加することになる可能性があること。

 これらを行うためには二人が平等に疲弊するよりも、二人の内どちらかがぶっ倒れてでも一人分の余力を温存しておく方がより効率的と判断された。特に「二」のために。

「大船に乗ったつもりで任せとけや」

 拳でどんと胸を打つ壱喜(いちき)

 心波留(みはる)は左手に印を結びながらそれに首肯で返した。

 直後、幾つもの結界が出現し大小様々な(あやかし)を綺麗に囲い込む。

 彼女の体が大きく傾いだ。

 咄嗟に手を伸ばし、壱喜(いちき)は彼女の身体を支える。

 苦し気な彼女の眉間には細かな皺が刻まれていた。霊力のほとんどを結界に注ぎ込んだのだ。これより彼女は結界の維持にも注力していかねばならず、他のことに裂ける力は僅かにも残されていないだろう。

 ぐったりと脱力した身体を背負い、壱喜(いちき)は牽引(あやかし)に幻術を施す。

 こうすることで、妖の動きをある程度操作することができるらしい。朧狐(おぼろぎつね)の入れ知恵の一つである。苦手なのであまり取り組んだことはなかったが。

 足元にスノーボードをイメージした形状の結界を置く。細部にこだわる暇はないため、ハンディングは省略。靴底とデッキを接着固定した。

 太く長大な紐状の結界を牽引(あやかし)のそれへ結び、垂れる余りは自身の手に巻き付け握り締める。

 これにて準備は整った。

 さあ、どんなことが起こっていようと冷静で在れ。

 胸中で繰り返し唱え、壱喜(いちき)(あやかし)を発進させる。

 結局、虚飾(きょしょく)の神に容赦なく攻撃を打ち込む星海(ほしうみ)を目にした瞬間、冷静さなどどこかに吹き飛んでしまったのだが。





「随分と好き勝手してくれたじゃねぇか、あぁ!?」

 怒りに燃え滾る怒声を吐き出すと、それを受けた星海(ほしうみ)は静かに左右の手で耳を塞ぐ。

 「うるさっ」。

 音を得た彼女の不満は周囲の轟音に掻き消されてしまったが、壱喜(いちき)の吊り上がった目は微細な唇の動きを見逃しはしなかった。

 一見余裕綽綽としている彼女の疲労さえも見破ってしまうほどに、アドレナリンに溢れた彼の脳は冴えていた。

 赤い飾りの埋まった彼女の額に貼り付く汗、僅かに震えを帯びる指先。普段から良くない顔色が病的なまでに青白くなっているところから察するに、彼女の体力・気力はともに限界が近いことが窺える。

 かくいう壱喜(いちき)も、こうしてこの場に立っていることすら既に辛苦となっていた。心波留(みはる)を背負いながら自分がどうやって立っているのか、我がことながらよく分からない。

 大量の汗を吸って重くなった服と、それ以上に重々しい自重と、身長差もあって恐らく自身と同等の体重だろう心波留(みはる)の、読んで字の如く三重苦を任された膝は笑いが止まらない。

 身が沈むのが先か、失神するのが先か。

 そんな極限に近い彼を支えるのは猛り狂うほどの怒りと、それから――。

「何しに来たの? 早く心波留(みはる)と家に帰りなよ。まだ戦えるなら精々残った力でみんなを守っ」

「お前、(さや)殺してねぇだろうな!」

 華奢な少女の足元に横たわる長身を認め、すまし顔の彼女の言を遮る。

 時折視界に乱入する(あやかし)を剣で薙ぎ払いつつ、ざっと(さや)の状態を確認する。

 目立った外傷はないように見えるが呼びかけに応えられるような状態でもなさそうだ。眠っている……とも違うような気がする。内側で何が起こっているのか分からない以上、無理に覚醒を促すわけにもいくまい。

 優先されるべきはこの場からの離脱だ。

 処置やら言い合いやらは後でいい。

 思うと不意に、眩暈が生じ身体が地に吸い寄せられそうになる。寸でのところで足を大きく踏み出し、なんとか堪えて姿勢を戻す。

 星海(ほしうみ)がそうしているように、壱喜(いちき)もまた自身と心波留(みはる)を守るための結界を展開している。だがそれを介してなお、今この時も淀んだ神気は容赦なく猛威を振い、僅かに残された気力さえ削り取ろうとしていた。

 虚飾(きょしょく)の神の出現は、白鵲(はくじゃく)の巣を暗澹とした穢れで満たしつつある。巣はそれを浄化しようと能動的な働きを見せているものの、神気の発生源が活動を停止しなければモグラ叩きもいいところだ。

 さらに言えば、件の神は二柱。巣の機能も追いついていないのだろう。

 早くしねぇと。

「ああ、くそっ! ……星海(ほしうみ)、言いたいことはエベレスト並みにあるが今はとっととここを離れるぞ。(さや)は俺がどうにか運んでやるからお前は先に家に帰れ!」

「は? 帰るのはそっちでしょ」

 必死の訴えにも関わらず、星海(ほしうみ)はすげなく返す。

 時間の経過とともに彼女も取り繕う余裕がなくなってきているのか、明らかな苦痛に歪む顔で、しかし瞳には仄暗い光が輝き続けていた。

 ここで壱喜(いちき)は漸く気付く。

 彼女の殺気が、自分にも向けられていることに。

「なるほどね。こんなどこから沸いたかも知れない奴を守るために、(あやかし)を引き連れて……引かれ連れて来たってわけね。虚飾(きょしょく)の神のとこに来れば自ずと僕に会えちゃうもんね。餌みたいなもんだし」

「アホか! お前が”ばあちゃん達起こし隊”に小細工したと思ったから邸に居ないと考えはしたが、餌とか一言も言ってねぇだろうが! 会話しろ! ぅ、げっほごほ、ごほっ!

 ……だから、こんなん言ってる場合じゃねぇんだよ! 早く行くぞ!」

「どうぞ? 帰りなよ、壱喜(いちき)。僕もさっきちゃんと言った。壱喜(いちき)と違って僕にはここでやるべきことがあるから、まだここにいないといけないの」

「はぁ!? なんだそれ! そんなことより」

「だって、()()()()()()もまだ生きてるんだもの。放置なんてできないよ」

 星海(ほしうみ)は「こっち」で(さや)、「あっち」で虚飾(きょしょく)の神に視線を投じる。

 何を言われたのか分かりたくなかった。壱喜(いちき)の中できっかり三拍分の時が止まる。

 その間に、彼女は足元から何かを拾い上げた。

 白鵲(はくじゃく)の巣に溢れる色彩とは似ても似つかぬ安っぽい銀。彼女が普段使用する武具とも違う。台所で見慣れた、ただのナイフ。

()()()はね、こういうのじゃないと殺せないかもしれないの。これから試すんだけどさ」

 緩やかに弧を描く唇から紡がれた笑声を耳にした瞬間。

 ぷつん。

 壱喜(いちき)の脳内で何かが切れた。

 頭上からは、世界を揺さぶる神の咆哮が轟く。

 何匹もの(あやかし)が破裂し、ひしゃげた骸となって地を汚した。

 結界に守られている四人にそれらが直接降りかかることはなかったが、稲妻のように身体を突き抜ける啼泣の衝撃は無視できるものではない。

 星海(ほしうみ)は痛みを堪え、呻きを殺し、身を縮こまらせる。それでも数秒かけて場が静まると、身体を震わせながらも胸を張ってそこに立ち続けた。

 一方、壱喜(いちき)には神の一撃が遥か彼方より耳に届いた獣の遠吠えのようにか細く聞こえていた。

 苦しむ星海(ほしうみ)の姿を目の当りにして、そろそろ自分の体がいかれたに違いないと一人確信する。身体機能が正常を保っているのであれば、彼女が「痛み」と取るものを自分が何とも感じないことなどまずありえないのだから。

 視覚、聴覚、触覚……水に身を投げ出した時のように五感が鈍い。

 戦闘不能も秒読みかと思われた。

 となれば。

 壱喜(いちき)は背負っていた心波留(みはる)を慎重に地面に降ろす。

 自身の首から下げる青い石を、力なく開かれた指に握り込ませた。

 最後に、各々を個別の結界で覆い、再度星海(ほしうみ)と向き合う。

「え、何してるの? 壱喜(いちき)?」

 ここに来て初めて、星海(ほしうみ)の表情にかろうじて残されていた軽薄さが剥がれ落ちた。

 彼女の想見するシナリオなど見当もつかないが、恐らく心波留(みはる)をこの場に留まらせることはしないと踏んでいたのだろう。動けない心波留(みはる)がいれば自ら戦線離脱してくれるはず、とでも考えたのかもしれない。

 だがそうはならず。

 訝し気に顰められた眉の下、少女の紫紺の瞳はやたらと心波留(みはる)にご執心のようだ。

 そんな彼女の動揺が冷めぬ内。

 壱喜(いちき)は無言で前へ駆け出す。

 足は鉛のように重い。大した速さは出せないが、元より二人の距離はないに等しかった。

 距離は一気に詰まる。

 瞠目する星海(ほしうみ)。彼女もまた、足が重くて堪らない。

 少女を前に、瞬時に手中へ剣を織り上げる。

 力いっぱい握り締め、振り下ろした。

 ギィィンッ!

 金属の衝突を思わせる高音が鋭く鳴く。

 壱喜(いちき)の斬撃は阻まれた。

 相対する結界の強度に勝てず、砕け散ってしまった。

 瞬きの間、二つの視線が交錯する。

 はっとして口端を僅かに持ち上げる星海(ほしうみ)

「無理だよ。壱喜(いちき)、僕よりずっと弱いもの。だから帰れってさっきから」

 掠れた嘲笑。

 それが終わるより早く、壱喜(いちき)は頭上に剣の群れを創造する。

 虚飾(きょしょく)の神を超える高所に生まれた刃に息を呑んだのは星海(ほしうみ)のみ。

 壱喜(いちき)には自分がどの程度武器を生成しているのか、またその距離感すら掴めていなかった。

 攻撃力の単純な底上げを図り、なるべく高所からという一心で。

 星海(ほしうみ)を目がけて、

 一気に落とす。

 凄まじい破壊音が響き、閃光が空を裂いた。

 砕けるのも弾かれたのも壱喜(いちき)の剣ばかり。

 星海(ほしうみ)の結界は壊れない。

 にも関わらず、彼女の胸中は困惑に彩られていた。





 止めどなく降る光を見上げ、星海(ほしうみ)は息を呑む。

 壱喜(いちき)にこれだけの余力が残されているとは思っていなかった。

 こんな無茶をするとは、思っていなかった。

「おい」

 剣の雨が止む。

 低く呼びかけられて肩が小さく震える。

 感情の読めない彼の視線が、星海(ほしうみ)の紫紺を射抜いていた。

虚飾(きょしょく)の神にあんな氷柱はぶっ刺すわ、(さや)は殺そうとするわ、いい加減にしろやクソガキ」

「……三つ違うだけじゃん」

「早よ()()外せ。んで(さや)寄越せ」

 聳え立つ泥に沈む氷柱を顎で指し示す壱喜(いちき)へ笑んで返そうとするも、できない。顔が強張ってしまって、上手く表情を作れそうになかった。

「無理。僕が結界を解いたら暴れ出すに決まってるでしょ。(あやかし)ごと僕らも吹っ飛ばされるかもしれない。だったらいっそのことこのまま――」

「殺す、とか言うなよ? 呪いのことはお前が一番よく分かってんだろ」

「やってみる価値はある。僕なら呪われないかもしれない……!」

 言下。

 宙に留まる剣の群れが、再び壱喜(いちき)の合図で落ちてくる。

 落ちてくる。

 連続で何度も。

 何度も。

 結界との衝突で生じる火花が絶えず視界を白く焼き続ける。

「ちょっと、それはさすがに自殺行為……ねぇっ!」

 彼らの武器たる霊力はその身に無限に貯蔵されているわけではない。厳しい鍛錬を日々積み上げることで初めて、少しずつ、少しずつ己の内で織り総量を増やしていくことが可能となるのだ。

 今壱喜(いちき)が放つそれも、彼が幼少より修練を重ね、自身の中で地道に育てたものである。

 無論、使用すれば蓄えが減る。減ったものは血液同様、寝食を通して自然と元に戻っていくが、瞬間的に回復されるものでは決してない。失われ過ぎることは直接命に関わる。

壱喜(いちき)!」

 堪らなくなった星海(ほしうみ)が叫ぶ。

 だが、呼応するように哭いたのは虚飾(きょしょく)の神の方だった。

 身を引き裂かんとばかりに、爆発した神気の衝撃がやって来る。

 痛い。

 痛い、痛い。

 頭が割れる。

 骨が砕ける。

 僕が無くなっちゃう。

「うる、さいっ」

 膝を付いてしまいそうになるのをなんとか持ち堪える。

 さすがに壱喜(いちき)は行動不能になるかと思いきや、彼は嘔吐し激しく咳き込みながらも攻撃の手は一切緩んでいない。緩められないと言うべきか。呼びかけに対する返事もなかった。瞳もどこか虚ろだ。

 意識飛びかけてるじゃん。

 すると、星海(ほしうみ)の焦燥を煽る出来事が起こる。

 黒煙を纏う泥が濁流のように押し寄せ、二人の結界を取り囲んでしまったのだ。

 それは虚飾(きょしょく)の神の流体で、見れば突き刺さる氷柱を避けるように彼の神は身体を根元から崩しているようだった。

 しまった、壱喜(いちき)に気を取られ過ぎた。

 無意識だったが、自分を守ることに霊力を消費してしまい向こうの拘束が僅かに緩んでしまった。

 百を超える(あやかし)の軍勢がいつの間にか全滅している。

 自分が屈してしまえば、あれはもう自由だ。

 濁流の中からぬぅっと幾筋もの手が伸びてくる。細かに枝分かれしたそれが星海(ほしうみ)たちを覆う結界を抱き締め表面を焼いていく。

 星海(ほしうみ)は足元の(さや)、眼前の壱喜(いちき)との間で視線を往復させた。

 外に出してしまえば(さや)は簡単に死ぬだろう。

 壱喜(いちき)がここにいる理由もなくなる。

 彼らを連れて離脱できる。

 でもまだ調べないといけないし。

 でも――

 壱喜(いちき)の結界が澄んだ音を奏でた。

 表面に、罅が。

「ああ、もうっ!」

 星海(ほしうみ)は神を貫く氷柱を消し去る。

 間髪入れずに。

 液状化していく巨体を、それを上回る大きさの檻に閉じ込めた。

「ぐっ!」

 その場に沈み込み、全身にかかる負荷にひたすら耐える。

 氷柱など可愛く思えるほどの重圧が圧し掛かる。

 だが、これで自分達が溺れ死ぬことはないだろう。

 後は壱喜(いちき)を止めれば。

 その時ふと、彼の背後に目が向いたことではっとした。

 穢れた神気を身に受けながら強敵の動きを封じ、自身を覆う結界の維持に注力し続けた彼女には、それ以外に意識を削ぐ余裕などなかった。

 だから、心波留(みはる)の不在に全く気付くことができなかったのだ。

「……みはる?」

 力なく横たわる彼女を最後に見た場所は泥に汚れていた。

 濁流に呑み込まれてしまったのでは。

 最悪な展開が脳裏を過る。

 刹那。

 星海(ほしうみ)を守る結界に、今までのものを優に超える衝撃が走った。

 反射的に顔を上げると。

 剣に混じって、結界に心波留(みはる)が貼り付いていた。

 彼女は普段弓とつがえるはずの自作の矢を、気合と共に障壁へ突き立てていたのだ。

 びりびりと結界の像が震え大きく揺らぐ。

 なんで?

 心波留(みはる)の襲撃にも驚いたが、星海(ほしうみ)が何より驚愕したのは結界へのダメージである。

 壱喜(いちき)の猛攻もあるとはいえ、心波留(みはる)に後れを取る様な粗末なものは織っていない。

 どうして。

 疑問の答えは矢じりにあった。

「それ……!」

 思わず声を上げる。

 と、心波留(みはる)の口端が僅かに持ち上がった。

 彼女の持つ矢の先端には、尖った矢じりではなく見慣れた青が輝いていた。

 白鵲(はくじゃく)の巣で生きる者であれば、誰もが持っているその石は。

「ふざけるなっ!」

 星海(ほしうみ)は結界の強度をさらに上げる。

 石と結界が触れ合って青い火花が激しく爆ぜた。

「こっちの台詞よバカ!」

「こっちの台詞だボケ!」

 二つの声が重なる。

 大量の剣の創造を止め、壱喜(いちき)までもが星海(ほしうみ)の結界に乗り上げた。

 そのまま、矢が押し込まれる場所に一振りの剣を突き立てる。

 虚飾(きょしょく)の神を相手にしている以上、星海(ほしうみ)には防御が精一杯だ。

 なんなの。

 そんなに(こいつ)を守りたいの……?

 何が二人にこんなことさせてるの!?

「どうせみんな僕より弱いくせに! 邪魔しないで!」

 今出せる最大限の力を振り絞る。

 動けるのなら構わないと、突風のイメージを霊力へ乗せ思い切り放つ。

 押された二人が結界から二mほど吹き飛ばされた。

 ガラスの割れたような音がする。

 両者、もしくはどちらかの結界が破壊されたのだろう。打撃としては弱いものに部類されるが、今の二人は体力・精神共に限界を超えているはず。威力としては十分と思われた。身を守るために結界を成せば、力尽きて終いだろうと。

 勝利の確信に、強張った肩からほんの少し力が抜けた。

 直後、背中から地面に着地し、泥に塗れたた心波留(みはる)が素早く身を起こす。

 俊敏な動きは目にもとまらぬ速さで、また、身を守るという予想を裏切られたことも相まって、星海(ほしうみ)の次手が遅れてしまう。

 心波留(みはる)は五本の矢をまとめて両手に持つと泥もろともに驀進。力いっぱい星海(ほしうみ)の結界に叩きつけた。

 全ての矢の先端には青い石が宿り、美しく光り輝く。

 バキンッ。

 結界に拳大の穴が開いた。

 それを起点に、全体に罅が張り巡らされていく。

「たくさんもらっといてよかった」

 穴を覗き込んで彼女は凶悪に笑う。

 結界は、ガラス細工のように呆気なく砕け散った。

 座り込んだまま茫然としていると、星海(ほしうみ)の上に心波留(みはる)が覆い被さってくる。

「このっ!」

 押し返そうとして、――時間が止まった。

 そんな錯覚をした。

 心波留(みはる)は気を失っていた。限界以上の働きをした体は泥だらけの上に傷だらけ。整った顔も鼻血や汗、吐き出したものなどで汚れていた。

 首筋にひやりとしたものが触れる。

 肩越しに背後を顧みると、壱喜(いちき)が剣を手に星海(ほしうみ)の傍にいた。

 ぜえぜえと肩を大きく上下させつつ、剣先はぶれないよう調整しているらしい。満身創痍のくせにそういうところで手を抜けないのが壱喜(いちき)と言えば壱喜(いちき)だった。

 自分を拘束しないのは、虚飾(きょしょく)の神を囲う結界を解かせるわけにはいかないという判断からだろう。こいつ、しっかり考えて動いてやがる。重症の身でよくもまあ。

 壱喜(いちき)の背後に視線をずらせば、そこには(さや)が転がっている。手を伸ばせば届く距離だ。しかし今はそれさえ遠い。

 さすがに、一柱を相手取りながら二人と戦うのは分が悪いと言わざるを得なかった。

 戦闘をここで終えるならの話だが。

 僕はまだ戦える。

「お疲れ様。なんとか勝ててよかったね。……と言いたい所だけど、壱喜(いちき)が倒れちゃえば僕の独壇場なの。どうせもうこれ以上結界なんて織れないでしょ? 僕は予定通り虚飾(きょしょく)の神を殺すし、侵入者を殺す。頑張ってもらって悪いけど、結果は何も変わらないよ」

 枯れそうな声で最後の虚勢を張ってみせる。最後まで意識を保っていられるのは自分だという自信があった。持久戦となれば、自ずと自分に軍配が上がる。

 けれど、その考えは首を振って否定された。

「いや、予定通りだ」

「……何か言った?」

「予定通り。俺達は目的を果たした。負けたんだよ、お前」

 一仕事終えたと言わんばかりに息を吐く壱喜。

 どういう意味だと追及しようとした時。

 一瞬にして虚飾(きょしょく)の神が、

 あちこちに撒き散らされた泥の塊が、

 心波留(みはる)に纏わりつく黒い神気が氷結した。

 遅れて、巨体を抱いていた星海(ほしうみ)の結界も弾け飛ぶ。

「時間、ちゃんと稼いだぞ。――(おぼろ)

 傾いた壱喜(いちき)の体を支えたのは、金糸の髪を揺らす翡翠の瞳の管理人。

「二人ともありがとう。助かった」

 細かく砕けた結晶の欠片に彩られ、朧狐(おぼろぎつね)は綺麗に笑った。









 目を開くと、(さや)の視界は黒く塗り潰されていた。

 数回、瞬きを繰り返す。

 だが周囲の様子はおろか、自分の輪郭さえも不明瞭で――。

 既視感。

 なんだかどこかで見たことのある光景だ。

 こぽこぽと丸みを帯びた音色に鼓膜をくすぐられる。

 水中で聴く水の音。

 身を包む心地よい冷たさ。

 あの時とは違って、そういうものに酷く安堵してしまう。

 こんなよく分からない状況だというのに、不思議と恐怖はなかった。

 このまま眠ってしまおうか。

 呑気にもそんなことを思い始めた時、自分の左手を誰かが握っていることを知る。

 ……リーン。

 鈴の様な、風鈴のような音色がやさしく響く。

 呼びかけられたような気がして、(さや)は重くなってきた瞼を持ち上げ、隣へ首を傾ける。

 そこには、真っ白な子どもがいた。

 子どもの形に絵の具を置いたような姿。

 暗いのにはっきりとそれが分かる。

 まるでラッコがそうするように、それは(さや)と結んだ手を放そうとしない。やんわりと握られた指先には、相手のぬくもりがじんわりと伝わってくる。

「ねぇ、会うのは二回目だよね」

 そっと声をかけてみた。

 子どもは答えない。

 自分が喋れることに驚きつつ(さや)は続ける。

「カフェで君に会ったんだ。あの時はいろいろ驚いてたし、あと、君が怖い感じだったから焦ってたんだけど、……俺のこと覚えてる?」

 沈黙が周囲の音色をやさしく彩る。

 (さや)は白い影をじっと凝視する。

 ただただ相手の言葉を待った。

 この子も自分と話したがっている。

 そんな気がしていた。

「あのカフェの結界は特別なんだ」

 どれほどの時が経過した頃か。

 子ども――少年は言った。

 聞き覚えのある、懐かしい声で彼は続ける。

「あれは人の後悔や執着。より強い感情に反応してそれを増幅させる働きがある」

「どういうこと?」

「膨らんだ感情で人を壊す結界なんだって、教えてもらった」

「……ごめん、難しいことはちょっと」

 突然始まった解説に(さや)は苦笑した。

 少年がふっと笑う。

「僕たちが会うの、二回目じゃないよ」

「え、そうなの?」

「うん、ずっと一緒にいた。会えそうでなかなか会えなかっただけ」

「んんん?」

 言われていることがどうにも理解できない。唸ったり首を傾げたりしながら、少年の言を脳内で反芻する。

 と、少年も(さや)の方に首を傾ける。

 顔のない白と、それでも目が合った。

「あの人のこと、ちゃんと覚えているよ」

 微笑んでいる。

 表情なんて分からなくても、(さや)には分かった。

 目の前の少年は、今、泣きそうな顔で笑っている。

「安心した」

 少年の白が霞んでいく。

 ゆっくりと、その姿に色彩が宿っていく。

 短い黒髪。

 茅色の混じる髪より暗い瞳。

 まだ、痣に埋もれることを知らない肌。

 それが誰なのかは一目瞭然だった。

 少年――燦条鞘(さんじょうさや)の頬を一筋の涙が伝う。

「僕は何にも、忘れてなんかいない」

 喜びに満ちた声。

 それを合図に、世界が色を変えていく。





 ここまで読んでいただきありがとうございます。

 大分遅くなってしまいましたが、久しぶりに更新することができて今とても嬉しいです。

 ちょいちょい修正は入ると思いますが、次話も少しずつ書き進めていこうと思います。

 今後の更新ペースはまだ何とも言えないのですが、何かはっきりしたことが分かりましたらこの場でご報告できたらと思います。

 挿絵も入れたいし、解説も入れたいし、やりたいことがあり過ぎて楽しいばかりですが、何をやるにしろ丁寧に進めていけたらと思いますのでよろしくお願いします。

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