贈り物
聞き慣れない音楽で目が醒めた。
白い天井を見つめながら一回、二回と瞬きを繰り返してはっとする。これはスマートフォンの着信音だ。鞘は慌ててベッドから飛び起きる。
直後、小ぢんまりとしたワンルームには大きすぎる音量で玄関チャイムが鳴り響く。
テーブルに置かれたスマートフォンを手に取り画面をタップ。沈黙した機器には「通話中」の文字と、部屋の外で自分を待っているだろう男の名前が表示されていた。
「幸城さん、……はい、すみません。準備はできてます。時間まで余裕があると思って横になってしまって。今行きます」
短い通話を終え、コートとショルダーバッグを引っ掴み小走りで玄関へ向かう。
変な夢だった、……ような気がする。
スニーカーに足を潜らせながら空いた左手で目元にそっと触れてみた。
皮膚と皮膚の触れ合う乾いた感触に首を傾げたくなった。
十二月二日、午前十一時四十三分。
所、福島県福島駅直結ショッピングセンターにて。
一人の男が、可愛らしいぬいぐるみの並ぶ棚の前で悩まし気に唸っていた。
長身でたくましい体躯、加えて眉間に刻まれた小銭をも挟めそうな深い皺。鋭利な視線が射抜くはテディベア。男は大変目立っていた。幸か不幸か本人にはその自覚が全くなかったが、店員は男を横目に万引きを警戒してかレジ前でそわそわしているし、離れた場所から彼に視線を送る親子なんかは「ママー、あれなあに?」「いいの。気にしちゃダメ」なんてやり取りを交わしている。もはや男を除く店内の人々には、彼が動き出す直前の不審者に見えているに違いない。
近くにいなくてよかった。
不審者改め幸城冬路の姿を少し距離を置いてチラ見していた鞘は深い溜息を吐く。棚の前で微動だにしない背中に先が思いやられてならなかった。
遡ること二日前ーー十一月三十日、早朝のこと。
「鞘君久しぶり! 急なんだけど紗音さんに贈るクリスマスプレゼント、選ぶの手伝ってくれないかな?」
枕元で突然スマートフォンが鳴きだしたかと思えば、快活な低音がそんなことを宣った。
またこの人は変なことを言い出して……。思いつつ、鞘は欠伸を噛み殺しながらひたすら黙して、辛抱強く長話を聞いてやった。
時折何の前触れもなく発生するこのイベントは残念なことにスキップ不可だ。少しでも早く終わらせたいのなら最適解は「沈黙」、もしくは「相槌」、はたまたそれらの合わせ技くらいのものだろう。
幸城は三十代半ばで警備会社の良いポジションに就いてしまったらしい、所謂エリート街道を行く至極真面目な男である。そんな彼が一介の大学生である鞘にプライベートの相談をする理由は二つ。
一つはその輝かしい肩書きに様々な理由で擦り寄る者が多く、プライベートな情報を零すことに危険が付き纏うため。
もう一つは単純なもので、鞘が――大変不本意且つ迷惑なことこの上ないのだが――彼の悩みの種の関係者であるためだ。
二人を結びつける話題。それは苦み渋み、そしてえぐみの強い無糖の恋愛相談であった。
「鞘君!」
ショーウィンドウを見つめる幸城が声を大にする。目ぼしい品を見つけた際、自らの感性に狂いがないか必ず鞘にチェックを求めることにしているらしい。
鞘は本日何度目かの店内呼名にびくりと肩を震わせる。女性への贈り物選び。奇想天外な幸城冬路。それだけでも精神的苦痛を強いられているというのにこのいちいち名前を呼んでくるシステム、これは許せない。呼んだ方も呼ばれた方も嫌でも周囲の視線を集めてしまうなんて最悪でしかない。しかもそれを気にしているのが鞘だけだという事実が、燃え上がる感情を一層煽り立てていた。
休日のショッピングモールは人で溢れ返っている。人の数の倍、目が存在する。何気なく向けられる視線が鞘にとってはちょっとした凶器に思えるほど恐ろしく感じられた。好奇の目なんて、悪目立ちなんて 真っ平御免だというのに。
「このでかいぬいぐるみは? どう?」
「はあ?」
ぐんと袖を引かれ思わず声に力が籠ってしまうが、お行儀よく棚に座る何のキャラクターかもよく分からないぬいぐるみが怒気を一瞬の内に散らしてしまった。一般的にはこの状態を“呆気にとられる”というのだろうな、などとぼんやり考えてしまう。
「却下です。掃除の時に大変そうですし」
「そっか、率直な意見をありがとう。紗音さんが寂しい時にぎゅってできないかと思ったけど、確かに場所取るよね。じゃ、別の店を見てみよう」
「……受け取ってもらったことないのに、毎年よく頑張りますよね」
心に浮かんだ言葉が研磨の工程を省いて放たれてしまった。それは存外攻撃力が高かったようで、ポジティブが売りな男の瞳を曇らせてしまう。
幸城の想い人の名は紗音という彼よりもいくつか年上の女性だ。彼と同様に真面目だが彼と真逆に物静かで、鞘に似て目立つことを良く思わない、言ってしまえばどこにでもいる素朴な人だ。
そんな人に幸城は毎年クリスマスプレゼントを贈っている。どんなに忙しくとも十二月二十四日には必ず彼女に会いに行き、自らの思いをしっかと伝えた上でプレゼントを渡してきた。しかし今のところ贈った品と彼の気持ちはその場で懇切丁寧に受け取りを拒否され続けている。
「今年は大丈夫だよ。俺にはセンスがないけど鞘君がいるし」
「センスの問題以上の問題が山積みだと思うんですが……。でも、とりあえずその“センスがないからブランドものに頼るしかない”みたいな考えは捨てた方がいいと思います。あと俺と一緒に選んだなんて絶対に言わないでください」
「ほら、そういうアドバイスが心強い。ありがたいね」
「俺の話聞いてましたか? 一緒に選んだなんて――」
「分かってるよ。君が嫌がることはしたくないし、言わない。目的はプレゼント選びだけど、こうやって君と一緒に出かけられるのだってすごく嬉しいんだよ?」
「は……、いや、そんなことは」
「本当だって。君が今就活で忙しいことは分かってたし、ダメ元で誘ってみたんだ。そしたら意外とすんなり承諾してくれてさ! 驚いたけどめちゃくちゃ嬉しかったんだよ!」
それは彼の数々の戦歴を知っているが故に断りにくかっただけだとか。なるべく早く電話を終わらせたかったからだとか。言おうと思えば適当な理由を並べることはいくらでもできたが、鞘は黙り込んでしまう。
今日の約束を取り付けたあの日、幸城の声は明るかったがどこか必死さの滲むものだった。毎年恒例の行事に彼はいつも真剣に臨んでいたし、残念な結果をどれだけ積み重ねようと――慰める会は無理矢理開催される上、鞘は強制参加させられてしまうが――紗音への想いは正真正銘本物で、大切に温め続けていることを知っていた。これに関しては誰よりも近くでそれを見張って……否、見守ってきた。だからこそ感じ取ることのできた僅かな変化を拾い上げないわけにはいかなかった。要は単純に気になったのだ。幸城の心境に何か変化があったのではないかと気になって、確かめたくなった。その後のことなどよく考えもしないまま「行きます」と返してしまっていたのだ。まあ、それだけではないのだけど。
鞘君もそろそろ紗音さんにプレゼントを用意しようと思ってたんじゃない?
あの日耳にした幸城の言葉が耳裏に蘇る。
「……マスコットのキーホルダー、とか」
呟くと、「え?」と聞き返される。
「どうしてもぬいぐるみ系がいいと思うなら、サイズを小さくすればいいと、思っただけです」
細かく傷ついたフローリング材を無意味に眺めながら言うと、喜色全開といった声で幸城が何事かを喚き始めた。ああ、きっとまた連れ回される。心労に胃がやられ始めているのを感じながら、鞘はなけなしの良心で最後まで彼に付き合ってみようと覚悟を決めた。結局それが自分の目的のためでもあった。どう足掻いても逃れようがない。
幸城が言ったように、紗音へのクリスマスプレゼントは鞘もそろそろ…と考えていたところだ。だがどれだけ考えても彼女の欲しい物など思い付くはずもなく悩んでいた。贈りたい物も特にはなく困ってすらいた。あの時の幸城の電話は時間帯こそ失礼千万であったが、提案自体は間違いなく有益なものだった。
センスのことなんて、俺が言えたことじゃないよな。
幸城に引きずられながら、そっと自嘲の笑みを浮かべる。
鞘もまた、紗音――母親が贈られて喜ぶ物を知らなかったのである。




