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Re◆Incarnation―知らずの闇の迷いの徒―  作者: 瑞白青維
4.何者
19/31

星の鳴動

挿絵(By みてみん)





 結界を視ようと小窓へ近づいた時、(さや)は頭の片隅で白鵲(はくじゃく)を想っていた。

 邸内の空気は張り詰めている。小春(こはる)に説明を受けた現状はとても呑気に構えられるようなものではない。それを知った上で、しかしどうしても、脳裏をちらつく文字の波を無視することができずにいた。

 白鵲(はくじゃく)は巣に戻っていない。

 なら、巣の中で起こっている出来事について何も知らないのか。

 人が住んでいて、自分ではない第三者が管理人の立ち場にいることを知らないのか。

 それとも知った上で、巣よりも居心地のいい場所を見つけたのだろうか。

 そんな思考を伴って小窓を覗き込む。

 結界は、視えなかった。よく分からなかったという方が正しいのかもしれない。

 邸周辺に壁や覆いがあるような圧迫感……とも違う、言い様のない存在感を肌で感じはするものの、それを形として肉眼で捉えることはできなかった。

 少々残念に思う気持ちはあれど、すぐさま別の物に目を奪われ感情が上書きされていく。

 夜空には幾筋もの光が差し、それを喜ぶように花弁もどきが踊っていた。

 幻想的な光景に、思わずほぉと息を吐く。

 ここからでは光源を認めることができなかったが、恐らくはあの円を描いて上空を漂う光の塊がそうなのだろうと見当づける。

 あれが何で、何というものなのか、(さや)はまだ知らない。太陽に代わる大事な存在なのだろうということくらいしか思い至れていなかった。

 だから訊いてみたくなった。

 この場にはちょうど小春(こはる)がいる。こんな話は場違いだろうが、そうならそうときっと彼女はやんわり断ってくれることだろう。

小春(こはる)さ――」

 背後を振り返る。

 と。

 目に飛び込んできたのは、昼間の銀世界から様変わりした光景だった。

 濃藍色の影を纏いつつ、空より降り注ぐ光を反射させ輝く大地。

 飾り付けるように天地を自由に舞う花弁もどき。

 夜の気配を遠ざけるように光を放つ、――先程小窓を覗いて考えていた――光の環。

 静かに、体内で三拍分の時が刻まれる。

 外!?

 驚愕に目を見開き、(さや)は忙しなく辺りを見回した。「小春(こはる)さん!」「ミヒビさん!」。その行動にどれだけの価値があるのかも分からぬまま、覚えたての名前をただ叫ぶ。

 勿論応えはない。耳に入るのは時折細く鳴く風音と、どこか遠くから響く地鳴りのような音だけだ。

 邸……、家はどこだ!

 狙ったように顔を目がけて飛んで来る花弁もどきを払いながら必死で遠くへ目を凝らす。方角を変えて何度もそうしてみたが、次第に諦観の念が胸中に積もっていった。

 はあ。

 意識して深く息を吐く。痙攣するように呼気が震えた。

 落ち着け。自身に幾度も言い聞かせ、棒立ちする足へ拳を叩きつける。しっかりしろ。しっかりしろ。安全な場所を探さなければ。

 現在白鵲(はくじゃく)の巣の中には(あやかし)が多数おり、朧狐(おぼろぎつね)を始めとする少年少女が交戦しているのだという。

 周囲に人や(あやかし)の気配がなくいまいち実感が湧かないが、外に、戦場に、突如(さや)は一人で放り込まれたらしい。頼れる者も邸さえも見当たらない。こんな状況で(あやかし)に襲われでもしてみろ。帰らぬ人になるというのも冗談では済みそうにない。

 そこではっとした。

「石……!」

 ばたばたと首元を漁る。

 すると、冷たく硬い感触が指先に当たった。紐を探して引っ張り出し、青い輝きを確かめるように眼前で揺らす。

 あった……。

 たったそれだけのことに思わず涙腺が緩みそうになる。

 これもまたあまり実感の湧かないことだが、(さや)が警戒すべきは(あやかし)だけではない。この世界――白鵲(はくじゃく)の巣そのものさえ危険視しなくてはならないのだ。

 清浄を旨とする白鵲(はくじゃく)の巣は、内部に存在する悉くを異物として処理するために結晶化させるという。

 それを防いでくれるのがこの小さな石だ。(さや)にとっての頼みの綱は、今現在唯一これだけである。

 頼んだぞ。

 心中で念じながら、再度それを服の下に落とそうとした時。

 凍てつく風が一陣、(さや)に向かって強く吹き付けた。反射的に身を屈める。瞬きの間に、紙で肌を切ったような痛みが全身を撫で去っていった。

 痛みと痺れの中間を行く刺激に誘われるまま、痒い所を掻く感覚で自身の首筋に手を添える。

 濡れた感触。訝しんで手を下す。見れば、指紋の溝を埋めるように少量の血液が付着していた。

「な、にが」

「驚くのそこなんだ?」

 温度のない小さな声が背後から。

 聞き覚えのあるソプラノに(さや)の肩が震え上がる。

 振り返ろうと僅かに首を回して。

 動けない。

 えっ。

 なんで?

 四肢が動き方を忘れてしまったかのように微動だにしない。

 じわじわと心に滲む焦燥と共に嫌な予感がした。

 まずい。

 後方から足音がゆっくりと近づいて来る。

 なんでっ。

 手足をめちゃくちゃに動かそうと、足先から指先まで加減なしに力を込める。普段であれば絶対にする機会も、その気も起こさないであろう大暴れを強く強く意識する。結果、体が石の如く硬化していることを重ねて認識する破目になってしまったが、そうする自分を滑稽とは思わなかった。

「滑稽だね」

 彼女は思ったようだったが。

 傍にまで迫った気配が「えーい」と気まぐれな猫みたいに鳴く。同時に、背中が何かにぐっと押された。

 直後、(さや)の体は前のめりに大きく傾ぎ、そのまま受け身も取れずに倒れてしまう。

「いっ!」

 思い切り頭をぶつけて呻く。しかし実際は衝撃があったにも関わらず、痛みがどこか遠いもののように感じられた。

 動作だけでなく、なぜ全身の痛覚がこんなにも鈍くなっているのか。硬い地面に身体のあちこちを衝突させればのた打ち回ってもおかしくないはずだ。自身に降った現実だとしても受け入れられない。知らずにわたわたと慌てていられる方が幸せだったに違いない。

「拍子抜けするほど間抜けだね、お前」

 ホシウミは(さや)の前に回り込み、その場でしゃがむと顔を覗き込んでくる。

 彼女の姿をちゃんと目にするのは、二度目の邂逅にしてこれが初めてのことだった。

 初見時の彼女は眠りについてくったりとしており、耳にした彼女のものと思しき物騒な言葉は空耳だったのではと何度も思いかけたものだ。

 けれど今なら、そんなことを考えた過去の自分へ「自分の感覚を信じろ」と自信を持って言ってやれるだろう。

 ホシウミは嗤っていた。紫紺の瞳を歪ませて、弱った虫をつついてみるか焼いてみるか迷う幼子のような喜色を口元に浮かべていた。(さや)よりもずっと小さな両手は、胡桃色の長髪が地面に擦れないよう抱き込み、膝上でお行儀良く重ねられている。

 胴着に袴姿の彼女を前に、サイズ違いの似た格好をしていた壱喜(いちき)の姿が思い出された。

 彼は他の子どもたちと共に(あやかし)と戦っている。この場に駆けつけてくれることなどまずないだろう。

「せっかく獲ったのに気付かないんだもの。つまんないね」

 言って、ホシウミは青い石の首飾りを(さや)の眼前に垂らした。それを訝しんだのが顔に出たのだろう。彼女は「ちなみに僕はこんなもの持ってないよ」なんて言いながら、石を掌の上で転がし始める。

 はらり。

 石に結ばれた紐がホシウミの手から零れ落ちる。

 紐は途中から切れていた。二つの切れ端は、互いを求め手を伸ばす様に重なっては擦れ違い、離れていくのを繰り返す。

 漸くホシウミの言葉の意味を、自身の首にあるであろうほんの僅かな裂傷の意味を理解した。

「返してくださいっ」

 硬い声音で、なるべく毅然とした態度で訴える。恐怖が絡み付いた身体は震えを帯びていたが、それが声には出ないよう細心の注意を払った。ホシウミからすれば弱者が無駄に強がっているように見えるかもしれないが、こちらにも一応年長者の矜持というものがある。無抵抗に寝っ転がるわけにはいかない。

「返してあげてもいいよ」

 意外な返答だった。

「お前の記憶にある(うろ)――って言っても分かんないだろうけど、それを見せてくれるなら」

 前言撤回。ただの交換条件だった。

 脳裏に警鐘が鳴り響く。恐らく、多分にこちらの犠牲が大きい条件を出されている。

「う、ろ?」

「お前も見たんじゃないの? 記憶の中に穴があったでしょ?」

 記憶。

 穴。

「……ああ!」

 途端、苦々しい記憶が蘇る。

 喉奥から呻き声がせり上がった。

 帯のように鮮やかな記憶の群れ。

 困惑する自身を置き去りに、他人のそれを我が物顔で睥睨するホシウミ。

 帯に空いた底知れぬ大きな暗闇。

 まるで、無造作にそこだけ切り取られたかのような、(さや)という生命の中に在る不自然な静寂。

 そこに触れようとして、届かなかった指先。

 そうか、「(うろ)」。

 あれは「(うろ)」というのか。

「普通の記憶ならともかく、(うろ)は持ち主の許しがないと深い所まで潜れない。深い深い穴の奥底、お前でも取り出せるか分からない所に何らかの記憶が封じられている」

 淡々と説明する彼女の声を背景に、(さや)の呼吸は次第に荒くなっていく。普段意識しない、意識できない記憶の貯蔵庫に無断で立ち入られた。その不快感は想像を絶するもので、筆舌し難い体験は既に得体の知れない呪いとして身体の芯に刻まれてしまった。

「な、なんでそんなのが、俺に」

 途切れ途切れに口にしたものは純粋な疑問だった。

 分からなかった。

 表で普通の生活をしていれば、自身の記憶を目視する経験など一生できなかったことだろう。

 記憶にぽっかり空いた(うろ)の存在にも永遠に気づくことはなかったはずだ。

 その存在に理由を求めることもなかったはず。

 けれどもうこの目で見て、知ってしまった。

 理由を求めずにはいられない。

「お前も知らないの? ますます確認しなきゃ」

 ホシウミは(さや)の心境など歯牙にもかけない。定められた座標しか目に入らぬ機械のように、彼女の瞳は(さや)を映しはするものの、関心までは示さなかった。

「っ! なんで、……なんであなたは(うろ)を見たいんですか? 俺を受け入れられないからこんなことするんですか? 俺もここに来たことは、申し訳ないと思っています。でも、あなたが他人を傷つけることで傷つく人だっているんです。文句ならいくらでも聞くので話し合って――」

 早口に訴えていると、

 ごっ。

 重い音。

 ホシウミの細足が、その見目を裏切る強力な一撃を(さや)の腹部に放っていた。

 (さや)は反射的に瞼を硬く閉ざす。

 痛みは一切ない。

 けれど確かに、みしりと体が軋んだ。

 内臓が圧迫されたからだろう。空咳が幾度も上体を揺さぶった。

「うるさい」

 彼女のその一言で咳がピタリと止まる。

 呼吸さえも控えなければと思ってしまうほどのプレッシャーに圧し潰されそうだった。

「知ったような口を利くな。そもそもお前がこの世界に来なければこんな面倒なことしなくてよかったんだから。

 ……許しがあろうとなかろうと、どの道僕はお前の(うろ)に潜る。一体お前が何者なのか、正体を暴いてあげるから覚悟して」

 言うや否や、ホシウミは(さや)の額に二本の指を添えた。余った手は前髪を掻き分けた先に在る赤い宝石を一撫でし、ゆっくりと膝上に戻される。

「耐えられたら辛うじて生き残れるかもしれないね。頑張って」

 心無い最後の言葉を皮切りに、(さや)の視界に鮮やかな帯が魚のように泳ぎ出した。一本から始まったそれは、二本、三本と次第に数を増していく。

 現実と記憶の世界とが入り交じり、視界の全てが極彩色で彩られた時、ついにそれは姿を現す。

 記憶の中にぽっかりと空いた穴――(うろ)

 記憶の帯を監視する目のようにも見えるそれは、不気味ではあるが何かを隠すにはあまりに無防備にも見えた。ホシウミは「何らかの記憶が封じられている」と言っていたが、封じるのであればもっと見た目からもその厳重さが伝わるようにすべきではないのか、と些か疑問に思ってしまう。

 そういえば。

 (さや)は辺りをきょろきょろと見回した。

 どういうわけか、記憶の世界で(さや)の四肢は自由を取り戻していた。歩けるし、帯に触れることもできるようだ。むやみやたらに触れて取り返しのつかないことになっては大変なため、ほんの少し、帯の一つに指を滑らせて以降触れることはなかったが。

 ホシウミさんがいない。

 自分は彼女の手に導かれてここに来たというのに。なんならあの時のように、また記憶を無理矢理暴かれると思っていたのにそんな気配もない。

 世界はただ穏やかに、沈黙していた。

 その時。

 ――……リ……ン。

 聞き覚えのある音色に、はっとして顔を上げる。

 とても小さいが、鈴の音だ。

 カフェで耳にしたあの音が聴こえた。

 どこから。

 逸る気持ちを抑え、聴覚に意識を集中させる。

 ――……リ……ン。

 音の方へ視線を投じる。

 出所は(うろ)のようだった。

 まるでおいでと手招くように一定の間隔で鳴り続けるそれは、聴けば聴くほどにどこか懐かしく(さや)の胸を焦がしていく。

 不思議なくらい迷いはなかった。

 (うろ)に向かって真直ぐに跳躍する。

 水中を漂うように、重力から解き放たれたようにふわふわと体が上昇していく。

 (うろ)との距離はすぐに縮まった。

 眼前に広がる巨大な黒に手を伸ばす。

 何の感触も得られぬまま、指先、腕、頭と順に、(さや)の体は音も無く呑まれて行った。





 あれ?

 瞼を落とし己の世界へ意識を沈ませた(さや)を、星海(ほしうみ)は怪訝な面持ちで見下ろした。

 ……おかしい。

 内へ潜るための道を作ろうと彼の額に添えた手を離し、自身の顔の前まで持ち上げる。グー、パーの動作を数回繰り返した。

 指先の皮膚の下。通常目視不可能な動脈、静脈の血流、伸筋腱、屈筋腱の動きを透視し――そこに混じる霊力の流れを視て取る。

 問題ない。

 朝から何度も確認してる。今も変わらず僕には何の問題もない。

 ということは。

 僅かな黙考の末、彼女の目は再度倒れ伏す(さや)を射抜いた。

 お前だな。

「まさか拒絶できるとは思ってなかった」

 独り言ち、半眼で片頬を膨らませる。面倒なことこの上ないとは思っていたが、そのグレードがさらに持ち上がってしまった。

 昼間のように(さや)の記憶を視ることができない。

 (さや)の意識を掻き分け、彼の記憶の世界へ入ることができなくなっていた。

 何かに頑なに阻まれているようだった。

 防衛本能ってわけじゃなさそうだな。

 紫紺の瞳を細め、星海(ほしうみ)は目の前の事象について冷静に分析を開始する。

 昼は僕の力がこいつに勝っていた。でも今はできなかった。僕の力とこいつの力が拮抗している……わけではないと思う。今の所、こいつには何の異常も視られない。だとしたら()()()()()()が僕の行動を妨害しているのか?

「ならその妨害を突破すれば何か分かるわけだ」

 にぃっと口角を持ち上げ、改めて星海(ほしうみ)(さや)の額に手を伸ばす。

 妨害があるということは誰かにとって視られたくないもの、秘密にしたいものが(さや)の記憶に在る動かぬ証拠だ。(うろ)の存在だけでも十二分に異常なことだが、こうあからさまに主張されては笑いが込み上げてきてしまう。

 そんなに必死に何を隠したいんだか。

 彼の蟀谷に指先を押し当てる。

 殺してしまうかもしれないな。別にいいけど。

 頭に浮かんだ思考を笑い飛ばし、先程よりも強度・出力を上げて霊力を飛ばす。

 すると。

 指が痺れた。

 微弱な静電気を思わせる痛みに始まったそれは、瞬きの間に激しさを増し強烈な痛みへと進化を遂げる。

 そして。

「えっ?」

 次の瞬間、指は何かに弾かれ空を彷徨っていた。

 爪や肉がぱっくりと裂けている。傷口から溢れた血はぱたぱたと音を立て、白い大地に目立つ染みを作った。

 星海(ほしうみ)の心臓が大きく跳ね上がる。

 狼狽する己をどこか冷静に観察する自分がいた。そいつが耳元に囁きかけてくる。心の揺れを事実として受け入れろ。対応しろ。遅れることなど許さない、と。

「……電気、のような見た目だった」

 意識して思考を言葉に置き換える。思考だけでは感情に呑まれてしまう。聴覚に訴え、揺れた感情を宥めていく。

「出現までには間があるが、出現から消失までは一瞬。一秒にも満たなかった。気配がないのは、意志がないからか? でも、間違いなくこれは」

 「神気」。

 呟いて、否定すべく首を振るのを必死で堪える。

 指先からの出血は止まらない。熱を持ってどくどくと脈打ち、未だに肌を汚し続けていた。

 ぎりっと奥歯を噛み締める。

「押し負けたりなんかしない」

 総じて三度目の試みをすることを決する。

 痣の浮かぶ(さや)の額に負傷した手で触れる。流れ出る血が彼の皮膚を色付け横切っていった。

 深く呼吸する。指先に意識を集中させ、繊細に操作した霊力を彼の記憶領域へ向けて伸ばす。今までの中でも、一番強く。

 次の瞬間。

 バチバチバチッ!

 電撃を思わせる激しい音とともに指先が強く弾かれた。

 またかっ!

 すかさず数歩後退る。嫌な予感がしたのだ。

 刹那、それが的中し追撃が来た。星海(ほしうみ)の霊力の軌跡を辿る様に電撃が追いかけてくる。ある程度距離を取ると、稲妻は空を蠢きたちどころに消えてしまった。

 荒れた呼気に肩が上下する。

 いつの間にか滲んだ汗が頬を滑り、顎先で足を止めると地に落ちた。

 おかしい。

 信じられない思いで、ここに来て初めて傷を深めた自身の指先を凝視する。

 白い皮膚、桜色だった爪に残る鮮血に彩られた裂傷は二cmほどか。骨を砕く威力はなかったようだが、未だに出血は止まっていない。足元の血溜まりは少しずつ、けれど確実にその範囲を広げていた。

 それは星海(ほしうみ)にとって久しい体験となる外傷だった。欠損することなく、ただ肉が裂けたに過ぎないそれの問題点は、”星海(ほしうみ)”が傷つけられたという一点のみ。

 ”星海(ほしうみ)”という存在が傷を受けたこと。

 その事実は、彼女の内で燦条鞘(さんじょうさや)という人間への脅威判定を馬鹿みたいに跳ね上げた。

 やっぱりこいつは普通じゃない。

 (おぼろ)の許可なく白鵲(はくじゃく)の巣に侵入しただけでなく、僕に傷をつけた。

 有り得ないことが二つも起こっている。

 ただの一般人にこんなことができてたまるか。

 そう思うには十分過ぎる材料を包むように拳を作り、はあ、と息を吐く。

 考えていた可能性の中でも最悪なものが現実となってしまったのかもしれない。

 術を施したことで手中の痛みが引いていくのを感じながら、歯噛みする。

 記憶の直視すらできなくなっているということは、(さや)星海(ほしうみ)の霊力を何らかの形で覚え、拒絶しているということなのか。もしくは、()()()()()()()の方がそうしているのか。

 どちらにせよ厄介だ。

 正体などと言っている場合ではない。

 速やかに存在ごと葬り去った方がいいのでは――。

 星海(ほしうみ)が別案に思い馳せようとしたその時。

 遠いどこかから、獣の咆哮が響き渡った。

 同時に、世界を覆い尽くさんとばかりに広範囲へ広がり始める禍々しい神気。

 背筋を氷塊が滑り落ちる。

 心がざわつき、悪寒が止まらない。

「っ、こんな時に来るか。間が悪い!」

 苛立ちを吐き捨てながら(さや)の元に駆け寄る。

 その間にも全身に纏わりつくような重苦しい神気の濃度がどんどん増していく。

 星海(ほしうみ)は飛びつくように(さや)の背に触れ、すぐさま印を結んだ。

 結界が二人を覆った。

 直後。

 長大な何かが猛烈な勢いで二人目がけて落下した。

 重い衝撃が結界を軋ませる。衝突音も凄まじく、音が止んだ後は耳鳴りがこびり付いて鬱陶しいことこの上ない。

 粘度の高い泥のように淀んだ神気が、結界の表面を撫でては地に伝い伸びていく。

 泥と地面が触れ合った箇所からは絶えず肉が焼かれるような音がするが、泥の持ち主にはあまり堪えていないようだ。

 どうせどこまでが自分の身体なのかも忘れているのだろう。

 星海(ほしうみ)は自身を潰さんとする者を忌々し気にねめつけ、持つべき名を既に消失しているそれを悪意充分に嘲笑った。

「お前たちは本当に無様だな。一体どちらの器を欲して来た。虚飾(きょしょく)の神」

 




 ここまで読んでいただきありがとうございました。

 どうにかこうにか四章に突入しました。もし最初からここまで読んでくださっている方がいらっしゃいましたら本当にありがとうございます。

 次回の更新日はまだ未定ですが、イラストも文章も進めたいのでなるべく早めに更新したい気持ちでいます。更新日が決まりましたらこの場をお借りしてお伝えしたいと思います。よろしくお願いします。

 追記させていただきます。小説の更新予定日を4月9日(土)にしたいと思います。更新できますように。よろしくお願いします。

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