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Re◆Incarnation―知らずの闇の迷いの徒―  作者: 瑞白青維
3.異色の雛鳥たち
16/31

知らずの闇



 この家では少年たちへ優先的に個室が与えられ、大人たちは余った部屋をそれぞれの事情に合わせて使用するというシステムになっているらしい。

 例えば幼い男の子二人とその母親とで一室を使用したり、ミヒビと――普段から食卓に顔は出さないという――事務員とで一室を分け合ったり、シジマという巨人が大部屋をあてがわれたりといった具合だ。

 なんでも少年たちの方が一人の時間を大事にしなければならない重要な理由があるのだという。

 詳細は不明だが、各々の部屋の前を通過した際、言葉尻を濁しながらヒフミがそんなことを話してくれた。

 別にこのくらいの歳の子が一人部屋なのは普通では?

 (さや)から見ればそれは当たり前の配慮である。思春期に自分の部屋を持てないのは精神的に苦しいだろう。わざわざ説明されるようなことではない。

 もしかして、なんだかんだ言ってこの人達も緊張してるのかな。

 先を行く二人の後を追いかけながら思案する。

 ヒフミもソウタも振る舞いはとても自然で、新参者である(さや)に対して親切に接してくれている。説明は分かりやすいし、危うくもコントのようなやり取りは見ていてくすっと笑える楽しさがある。

 白鵲(はくじゃく)の巣では来客そのものが珍しいと朧狐(おぼろぎつね)が言っていたが、未だ自分が戸惑っているように、二人も(さや)の存在に依然として困惑しているのかもしれない。

 そう思いかけたところで、

「あ! ヒフミの部屋はめちゃくちゃ散らかってますよ! 行ってみては――」

「うっさい黙れ!」

 ソウタがいらぬ情報をリークし、重い一撃を腹で受け止めたていた。

 ……困惑とかは、してないのかも。

 (さや)は考えを改めた。





「着いたぞ、医務室だ」

 襖の並ぶ部屋の前で二人は足を止めた。

「ここは満理(みつり)先生と久遠(くとお)先生の相部屋でもある。大人より俺らの方がすげーお世話になる部屋だから、子どもの誰かに用があっても見つからないなんて時はまずここを確認するといい」

「そうそう。特に灯文(ひふみ)は恋愛相談なんかでもここに」

「屍晒すぞイカれノッポ!」

 真っ赤な顔でヒフミが嚇怒。ソウタの胸ぐらを鷲掴み拳を振り上げる。じゃれ合いには程遠い気迫があった。

 ぎょっと目を剥き止めに入ろうと手を伸ばす(さや)だったが間に合うはずもなく。

「おいこら」

 拳がソウタの頬にめり込む寸前。

 突如襖が開き、人が顔を覗かせた。

 正に今この瞬間衝突かと思われた両名が凍り付く。

「医務室前で喧嘩ってのはあれかぁ? 『未だに満理(みつり)先生の仕事を理解していませんごめんなさい』っていう意思表示ってことなのか? えぇ?」

 切れ長の目をきゅっと細め、地を這うような低音を発声する女性。光を弾く艶やかな黒髪とは相反した、怒りの感情をどろどろになるまで煮詰めたような暗い瞳がじろりと二人をねめつけている。

満理(みつり)先生……」

「す、すみません……」

 即座に互いから距離を取り、背筋をピンと伸ばした二人は囁くように謝罪した。

 ミツリはそれで納得したのか、「中入んな」と言い切る前に顔を室内に引っ込めてしまう。その際、(さや)をちらりと見やることも忘れなかった。

 「騒ぐなよ」と無言の内に釘を刺されたようだった。

 何気なく隣を見やれば、怯えのあまり二人は小さく震えている。

 もしかすると「ミツリ先生」はこの家の中で最も怒らせてはいけない人物なのではないか? だとしたら心してご挨拶させていただかねばなるまい。

 固唾を吞んで、(さや)は恐る恐る前へと踏み出した。





「あー、家の中案内させるって(おぼろ)言ってたよな。あんたらを選ぶ辺りセンスいいんだか悪いんだか分からないけど」

 入室したそこは学校でよく見る保健室の床に畳を敷き詰めたような部屋だった。奥行があり、手前左側にデスク、中央にテーブル、右側にファイルや様々な道具が納められた背の高い棚がどっかりと構えている。それらの後ろには無人のベッドが三床。傍にはパーテーションが控えている。照明に照らされた白桃色の布団は見るからにやわらかそうで、飛び込んでそのまま埋まってしまいたくなってしまう。

 和製保健室だ。

 物珍しさに(さや)はきょろきょろと室内を見回す。

 その様子を女医――ミツリが観察していることなど、好奇心に素直な当人には分かるまい。

 ついでにヒフミとソウタの小学生のようなやり取りに呆れているだなんて、ほぼ初対面の(さや)に分かるはずもない。

「俺は頼まれたからにはしっかり役割を熟します!」

「あーあ、そんなこと言っていいんすか灯文(ひふみ)? できるかも分からないのに」

「んだとこら」

灯文(ひふみ)、いちいち突っかかるな。

 颯汰(そうた)、いちいち茶々入れるな。

 お前らって本当どっちもどっちって言うか」

「どっちもどっち!? そんな適当なまとめ方あんまりです!」

「精神的ダメージが半端ないっすね」

「ふざけんな! 俺の方がきついわ!」

「ひえー、心外です」

「……そういう所がどっちもどっちっつってんの」

「えー!」

 異口同音。

 抗議の声が上がったことをきっかけに(さや)はやるべきことを思い出した。

 同時に、「ミツリ先生」と目が合う。

 浅黒い肌に引かれた艶めくルージュがにぃっと三日月を描いた。

 嫌な予感しかしない。

 強張る表情筋でなんとか微笑み返してみるが、何の意味もないだろう。

 一歩、二歩、綺麗に大股三歩で眼前に迫ったミツリは、(さや)が一歩後退するとその距離さえもさらに詰めてくる。暴君もかくやという傲慢な振る舞い。誰がどう見ても初対面の人間との距離の詰め方ではないだろう。

 目線は(さや)の方が高いがいかんせん小心者である。彼女の威圧感漂う雰囲気は、指導前にどう説教してやろうか考えながら生徒を見下す教師を連想させた。ああ、身だしなみチェックの担当教師が変わる度に呼び出された高校の頃の記憶が蘇る。

「あたしは満理(みつり)。ここでは医者をやってるんだ」

「さ、燦条鞘(さんじょうさや)です。……よろしくお願いします」

 少しでも現実から離れたくて遠い目をしていると、

「お前、面白い身体してるよな」

 何の脈絡もなく爆弾は投下された。

 一瞬何を言われたのか理解できず反応が遅れてしまう。

「なにを」

白鵲(はくじゃく)の巣に許可なく侵入。結果、どんなツケを払ったのかと思ってお前の身包み剥いでとことん調べてみたわけだけど」

「へ!?」

 目を剥くには十分過ぎる情報だ。

「そしたら至って健康体。体調不良とか(おぼろ)には聞いてたけど、問題ない症状だったしな。どうなってんだお前。逆に面白いぞ」

「……待ってください。大事なこと言われてるような気がするんですけどまずそこじゃなくて、その前、その前なんて?」

 際立つ白い歯を「にししっ」と見せる彼女へ、信じたくない一心でおずおずと尋ねる。

「身包み剥いだ?」

「なんで!?」

 こてんと首を傾げるミツリをキッと睨み付ける。

 ミツリの後ろ、ヒフミとソウタから向けられる眼差しは可哀想なものを見るそれだった。

「説明しただろ。まあ心配するな。お前にとっては全部寝てる間のことだったわけだし。必要なことでもあった。表でも重傷患者が病院に運び込まれたらわざわざ許可なんざ取らずに剥くだろう?」

「言い方! 『剥く』ってせめてやめてくれません!? 言われる側の気持ちを考えてくださいよ!」

「面倒だねぇ。……お剥きになる? ぶっは! うける! 丁寧になっちまった!」

 自身の発言に腹を抱えて笑い出すミツリを他所に、羞恥のあまり震える(さや)のもとへヒフミたちが音も無く集う。

満理(みつり)先生悪気はないんだ」

「ちょっと常識ないだけでいい所もある人なんで」

 気遣うようにかけられた言葉にはほんの少し同情が混じっていたように思われた。





 一頻り笑ったミツリが振舞ってくれたインスタントコーヒーの瓶には、(さや)もよく知るメーカーのラベルが貼られていた。

 湯気の立ったブラックを前に呆気にとられていると、ヒフミとソウタのカップに粉末ミルクと砂糖が投入されていき、あっという間にカフェオレが完成する。

 「いい香り」。うっとりとした表情で呟くヒフミはなんだか少し幼げで。

 ゆっくりとカップを傾けるソウタは、おとなしくしているが喜びを隠しきれない様子で。

 滲み出るように表れる彼らの年相応の振る舞いは、それだけでひどく(さや)を安堵させた。

「で? あたしは本当に驚いているんだけど、お前の身体結局何なの?」

 穏やかな一時は唐突に、実に容易く破壊される。

 (さや)に出したものよりも色の濃いブラックを味わいながら、ミツリは疑問のままに眉を顰めた。

「その話題続いてたんですね」

「だぁって気になるし。今だったら石も着けてるから納得いくけど、その前に外をうろついて無事だったってのはどうしたらそうなんのかね?」

 どうしたらと言われても。

 無知故に彼女の疑問に対してこちらも疑問で返すほかないが、思えば、朧狐(おぼろぎつね)久遠(くとお)白鵲(はくじゃく)の巣の危険性についていくらか言及していた。久遠(くとお)に至っては事務連絡のように淡々と、けれど弾むような声音で死の存在を仄めかす始末だったではないか。

白鵲(はくじゃく)の巣っているだけで何か大変だったりするんですか?」

「あれ? てっきり久遠(くとお)先生に説明を受けているかと思ってたんすけど、(さや)さんまだここの性質について知らなかったりします?」

 ふぅふぅとカフェオレに息を吹きかけていたソウタが顔を上げる。

 (さや)は首から下げた石を指先でつまみ上げた。

「これ着けてないと死ぬって言われたくらいで」

「つまりほとんど何も知らないってことすか」

 一つ頷く。

 と、あれだけ衝突していたヒフミとソウタがちらりと視線を通わせた。

 そういうことできるんだ?

 今までにないアクションに目を瞠っていると、二人は揃ってミツリへと手を拝ませる。表でも稀に目にするそれは所謂「お願いのポーズ」であった。

「……満理(みつり)先生、お、私達よりも説明絶対上手いし、お願いします!」

「します! 満理(みつり)先生!」

「えー、めんどい」

「そこを何とか!」

 言葉通り、心底面倒そうな顔をするミツリへ二人が声を揃える。(さや)もそっと「お願いします……」と加勢してみた。

 すると、しばし押し問答はあったもののミツリは折れてくれた。断る方が面倒になったという。

 「こんな時ばっか協力しやがって」とため息を吐く姿は、悪知恵働く姉弟に手を焼く姉のようである。

「あー、なんだ、この世界は清浄を旨とした世界なわけだろ? この世界にとっての異物はこの世界以外のもの。ここで生まれたわけでもない(あやかし)、それに私達も雑菌みたいなもんだから、等しくその影響を受ける。長時間外をほっつき歩くと色濃い神気が身体に障って結晶化が進むわけ。

 いうなればそれは完全なる滅菌作業。体表に存在する菌に始まり、身体の表面から内側にかけて細胞レベルで徹底的に迅速に破壊され、最後は塵も残さず消されてしまう。

 さっき結晶化という言葉を使ったが、それは破壊の過程で結晶のようなものが纏わりつくからそう言っているに過ぎない。(あやかし)に氷柱みたいなのが生えてるのを遠くから見てる分には結構綺麗なんだが、何が起こってるのか分かった上で見ると、えげつないくらい残酷な現象なんだなって思うよ。まあ、もう見慣れちまったが。

 分かったかい? だからあんたを面白いって言ったの。最近は神気が弱まってるのか、結晶化の速さは随分と緩やかになったみたいだけど、それでも無傷でいられるのは異例だと思ってね。どんなびっくり人間が来たのかと思ってたけど、こりゃ(おぼろ)が何らかの方法であんたを守ってた感じか? 謎だね。今度(おぼろ)に直接確認するわ。もやもやする」

 最後の方は最早独り言に近い呟きだった。説明を終えたミツリは、顎に手を当て髪をくしゃくしゃと掻き混ぜながら自分の世界に籠ってしまう。

「この世界は無菌室。ここに住んでいる皆さんも、俺も、異物で雑菌。石は結晶化を防いでくれている。

 ……この石は何なんです? この世界の物なら、身に着けられないですよね?」

 誰にともなく問いかける。

 応えたのは、未だぶつぶつと自身の思考と対話するミツリではなく、ヒフミだった。

「それは頭領の神気を固めた物だ」

「シンキ?」

「そうか、それも知らないんだよな。神気ってのは、神がその身に宿す気――生命力みたいなものだ。人間の霊力の神様バージョンってとこだな」

「神様……? え、(おぼろ)さん神様なんですか!?」

 少女の口からさらりと告げられた事実をうまく呑みこめない。

 (さや)の脳裏に(あやかし)と戦闘する少年の姿が蘇る。小さな身体に甚大な力を宿し、長身に入る(さや)を軽々と持ち上げてしまった彼。流星の尾を彷彿とさせる輝きを放つ剣を持ち、それを無駄のない動きで躍らせ、敵を薙ぎ払った白鵲(はくじゃく)の巣の管理人。

「神様、というか……」

「半神――半分神様なんですよ、頭領は」

 言い淀むヒフミに代わり、ソウタが明言する。

 刹那、沈黙が降り憩いの場であるはずの医務室にただならぬ緊張が走った。

 踏み込み過ぎた。

 反射的に察し、(さや)は己の軽率さを悔いた。

 眼球運動だけでヒフミを見れば、息を詰めて硬直している。

 ミツリは考える姿勢のまま微動だにしない。

 ソウタは――

「その上、管理人なんて大役についていらっしゃる! やっぱ頭領はすごいっすね! 一生ついて行きます!」

 瞳をきらきらと輝かせ、太陽の様な笑顔でにぱっと笑った。

 途端、室内の張り詰めた空気が緩んでいくのを肌ではっきりと感じた。

「お前が言うとすっげー軽々しく聞こえるからやめろ。すごいものもすごくない感じに聞こえる」

 僅かに肩を下げ、ヒフミが硬さの残る声音で返すとそこからは今まで繰り返し見て来た応酬が始まる。「え? 灯文(ひふみ)、頭領のすごさが分からないって言ってます?」。ソウタが片頬を釣り上げれば、「違う! お前が言うとって言ってんだろうが!」とヒフミが吠え掛かる。

 (さや)だけが緊張を引きずり戸惑っていた。

 すると「いい加減うるせーから出ていけお前ら」とミツリに促され、唐突に医務室見学は終わりを告げたのだった。





 三人はその後も様々な部屋を回っていった。

 生活用品、食品を保管する倉庫。

 倉庫の脇にあるごみ置き場。

 今ではほとんど使われなくなったという武器庫。

 授業や誰かの趣味で育てられている植物を管理する家庭菜園室。

 洗濯物を外に干すことはできないため必要となったサンルーム。

 表から定期的に借り入れる書籍や映像作品がまとめられた書斎。

 時折巨人の男やちびっ子二人、二人の母親に声をかけられながら、ヒフミとソウタの案内は滞りなく終了を迎えた。

「他に見落としは……ないよな」

「そうっすね。結構時間も経ったし、そろそろ昼餉の頃じゃないすかね」

 達成感に満ちた顔で言い合う二人の後ろを、(さや)は隠しきれない疲労を浮かべて着いて行く。

 一目見た時から邸が広大であることは明白だったが、(さや)の予想を遥かに超えて部屋数が多かった。よく午前中だけで回り切れたものだと、案内係である二人には称賛の拍手を送りたい。

「情報過多で頭パンクすんなよ」

 何だかんだ言いつつ(さや)を案じてくれているヒフミに言われるも既にパンク寸前だ。辛うじて弱々しく笑って見せると、「昼飯が食えます! ファイトですよ!」とソウタからも声援が飛ぶ。

 すっかり面倒を見られてしまっている。一応年上なのだが、これでいいのだろうか。

 眉間に小さく皺を寄せのろのろと歩を進めていると、

 誰かの視線に射抜かれた。

 はっきりとそう感じた。

 (さや)の背を氷塊が滑り落ちる。

 身動きが取れなくなり、気道を圧迫されているかのように呼吸が制限された。

 様子に気付いた二人が駆け寄ってくる。

 ソウタの手が伸ばされるより先に、(さや)はその場に蹲ってしまった。

(さや)! どうした!」

(さや)さん!」

「い、息が……っ」

 胸元を押さえ苦しみに喘ぐ。呼吸が完全に封じられたわけではない。吸息が許されている分思考も感情も健在だった。脳は現状把握に努めようと回転を続け、感情は――思考の影響を受け驚愕と恐怖に彩られていく。これは最悪の場合死ぬのでは。生まれた可能性に恐慌が加速し、急激に体温が下がっていく。

「何だ! 持病か!?」

 (さや)の背を摩りながら声を張るヒフミに首を振って応える。

 持病などない。ずっと昔に大きく体調を崩したことはあるが、以降病気といえば軽い風邪をひく程度のものばかりだった。

 はっとして、ソウタが駆け出す。すぐ近くの一室の前で急停止すると、襖を開けようと勢いよく手を伸ばした。

 引手に触れた瞬間、彼の指先からジュッと焼けるような音がする。

 ソウタの表情が痛みに歪む。だが決して手は離さず、むしろ手数を増やして、さらに力を込めて開くことに専念する。

 突として。

 つっかい棒が外れたように、襖は開かれた。

 否、枠から外れて飛んで行った。

 それはソウタの膂力に従い派手な音を立てて廊下に伏す。

 余程の加重があったのか、(さや)が視界の隅で捉えたそれはひしゃげており、二度と元には戻れそうにない。

星海(ほしうみ)

 ソウタが室内をねめつけて言った。

 と。

「何? 騒がしいね」

 どうやらそれは名前だったらしく、鈴を思わせる高い声が可憐に、しかし冷たく鳴った。

 (さや)の位置からは姿を捉えられないが、声音から相手が女の子であることは容易に察せられた。

(さや)さんに何かしましたね。頭領のお客様ですよ。今すぐ術を解け」

「客……。へぇ、そうなんだ。客がいるなんて初耳だった」

「頭領がお前に伝えないわけがない」

「はいはい、頭領ね、頭領。躾けられた犬みたいでお前は本当に気持ち悪い」

 感情を殺したソウタの低い声に反して、鈴の音は心底他人を見下げたように嗤う。その態度に神経を逆撫でられたのか、奥歯を噛み締めているのだろう不穏な音色が(さや)の頭上から降り注いだ。

 ソウタが道を開けるように半歩下がる。

 一人の少女が、襖の奥から姿を現した。壱喜(いちき)やミハルと同じ胴着に袴姿で、殊更ゆっくりと(さや)に向かって歩みを進めてくる。

「ごめんね。いつどんな侵入者が来るか分からないから、結界にちょっとした仕掛けをしてたんだけど、まさか本当に引っかかるなんて思わなくて」

 少女をヒフミが睨み付ける。

 それを歯牙にもかけず、衣擦れの音とともに腰を降ろした少女は(さや)の額に二本の指を添えた。

 涙で揺れる瞳は彼女の表情を朧げにしか移さない。一刻も早く苦しみから解放してほしい。(さや)は希うように眼前に垂れる長髪を見つめた。

「お前、髪が白いんだね。これ火傷かな? 肌が暗く色付いてる」

「無駄口叩いてないで早くしろ」

(おぼろ)が見てなくても忠実だなんて偉いね。うざい」

星海(ほしうみ)、早く!」

「分かってるよ」

 堪らず捲し立てるヒフミにうんざりした様子で、少女――ホシウミは指先に意識を集中させる。

 すると、(さや)の眼裏に何かが過った。

 ――合格、おめでとう(さや)

 (さや)の手を取り嬉しそうに笑う母。

 ――大学にも電話はかけるけど、試験で受かれば問題ないだろ。

 生徒の進路指導だというのに、関心の薄そうな高校の担任。

 ――プール休めるのは羨ましいって思うかも。

 たまに声をかけてくれた中学の先輩。

 ――白髪とかじじいじゃん!

 先生がいないことをいいことに、大声で笑ってきたクラスのリーダー格である男子。

 いやだ。

 なんで。

 なんでこんなもの、今思い出してるんだ。

 それは消し去りたい過去。

 記憶の中の汚れ。

 数多の帯が広げられたように長大に続くそれが、

 終わりなどないのではないかと錯覚させるほどに絡み合うそれが、

 (さや)の意志とは関係なく乱暴な手つきで引っ張り出されようとしていた。

 否。

 ()()()()()()()()()()()

 やめろ。

 まるで何かを探す様に。

 やめろ。

 帯の模様を指先でなぞるように。

 帯そのもの以上に、模様こそが重要であるかのように。

 素早く、けれど丁寧に丹念に。

 ホシウミの指先が触れる。

「やめろっ!」

 ついに声を上げて、(さや)は渾身の力で以て暴れ出す。苦しい呼吸の中でどれだけのことが出来ているのか自分では分からなかったが、彼女の暴挙をできる限り阻止しなくてはならなかった。

「おい、様子がおかしい! 何してるんだ星海(ほしうみ)!」

「んー? ちょっとねー」

「もういい。話して解決しようとした俺が間違ってました」

 取り乱すヒフミの声。

 それに関心のないホシウミの声。

 静かに怒れるソウタの声。

 自身の記憶を前に、それらが全て遠退いていく。

 そして(さや)は目にする。

 帯に空いた底知れない大きな暗闇を。

 温もりや冷たさといった温度の一切が存在しない、まるで別世界への入り口のような大穴を。

 なんだこれ。

 これは、なんのきおくなんだ。

 意識の中でそこに手を伸ばそうとした――。

 その時。

「はいっ、おっしまーーい!」

 場違いなほどに陽気な声が響くと、(さや)に正常な呼吸が戻った。

 しばしの間激しく咳き込み、そうして意識が現実へと帰ってくる。

 無言で瞬きを繰り返す。ぼんやりとした視界は晴れないままに、涙がぼろぼろと零れ落ちた。

 寒い。

 最初に思ったのはそれだった。

 次いで思考に上ったのは、

 「あの時もたしか」。

 そんな言葉。けれど途端に首を傾げたくなる。

 あの時って何だ。

 疑問が胸中に根を生やす。あの時。いつだ。あの時。

(さや)、無事か!」

 考えていると、ヒフミが顔を覗き込んでくる。ソウタも視界の外から声をかけてくれた。

「見えてるか?」

「……はい」

「聞こえてもいるな? 聞き取りにくいとかないか?」

「ないです」

「呼吸は落ち着いたな?」

「はい」

「だったら良し! 起きれそう?」

 投げかけられる問いを前に固まってしまいそうな心を叱咤する。自分を心配する声に少しでも安心してほしくて、身を起こそうと全身に力を込める。

 ヒフミもソウタも、動作の緩慢な(さや)を両隣からすかさず支えてくれた。

「大丈夫そうです。ありがとう、ございます」

 小さく頭を下げると漸く安堵したのか、二人は視線を交わし、一息吐いたタイミングで深く低頭した。それぞれに「すまなかった」「申し訳ないです」と謝罪が添えられる。

「お前こういうの慣れてないはずなのに、守れなくて」

「先に星海(ほしうみ)の意識を奪っとくべきでした。何言ってるか分からないでしょうけど、俺のミスです」

「ソウタだけじゃない、俺のミスでもある」

「俺のミスです」

「俺だってミスしたって言ってる!」

「いや俺って言ってますよね」

「ええと、お二人とも、俺は別に謝ってほしいわけではなくて……」

 謝ってほしいのではない。感謝しているのだ。受け入れがたいだろう異物を、朧狐(おぼろぎつね)に頼まれたからとは言え必死に守ろうとしてくれた。それがどれだけ心強かったことか。そのことを伝えてやらねばと思う。

 だが話は既におかしな方向へ転換してしまっている。流れを正すことが不可能であることはこの短期間の経験で知っていた。

 最早舌戦を止める気力のない(さや)は、何とはなしに視線を真横に滑らせる。

 そこには、久遠(くとお)がいた。

「少し久しぶりだね、(さや)君」

 穏やかな、けれど何を考えているのか全く読めない笑みを浮かべた彼女は、その腕に眠りについた一人の少女を抱えている。

 横髪に隠され、顔までは確認できないが恐らくはこの少女が。

「ほし、うみ」

 恐怖の中で耳にした名前。軽薄な言葉の数々、信じ難い彼女の暴状を思い出し、(さや)は再び身を固くした。

 その様子にヒフミとソウタは舌戦を中断。咎めるような視線を久遠(くとお)に向ける。

久遠(くとお)先生、見てましたよね。今回はさすがに許せません」

「ある意味仕方ないのは理解しています。でも、物事には限度があります。頭領のお客様にまでこんなことするなんて、あり得ません」

 強い口調で訴え、各々が久遠(くとお)の返答を黙して待つ。

 (さや)もまた訳が分からないなりに、彼女の言葉を取りこぼすまいと桜色の唇が音を紡ぐ瞬間を待った。

 「うーん、そうだねー」。久遠(くとお)は大して悩んでなさそうな顔でホシウミを抱え直す。表情とは裏腹に、その手つきは繊細な芸術品を託されたかのように慎重なものだった。

「まず、君たちの言葉は受け止めよう。星海(ほしうみ)君の行動は度が過ぎていたね。本件は私から(おぼろ)にもすぐ報告する。星海(ほしうみ)君にも罰を受けてもらおうか。痛みの伴わない、彼女への負担の少ない、けれど反省は十分に促せそうで君たちも納得できる罰を探そう。ここまではいいかな?」

 納得できない。

 一瞬そんな空気がヒフミとソウタの間に流れるも、一拍置いて二人はしっかり頷いた。不承不承といった様子だった。

(さや)君もそれでいいかい?」

 ぼんやりとしているように見えたのか、久遠(くとお)(さや)にも確認してくれる。

 が、状況が不透明な上、異を唱える気力もなく。(さや)はただゆっくりと首を縦に振った。

 認めた彼女は笑みを深める。

「では次に私から君たちに伝えなければならないことを言わせてもらおうか」

「な、なんですか?」

「俺達、何かやらかしましたっけ?」

 不思議そうにしている両名――ではなく、(さや)も含めた三名へ向けて「いいや」と首を横に振る。彼女は再度淡白な物言いで、けれど真摯な眼差しで口を開いた。

(さや)君はお客様じゃないよ」

「へ?」

 素っ頓狂な声が三人から上がる。

 どうでもいいのか、久遠(くとお)は続けた。

「もう我が家の一員でしょ? ここで暮らすんだから。なのにいつまでも”お客様”だなんて、それは(さや)君に失礼ってもんじゃないのかな? 少しずつでいいから認識を改めようね。お互いに」

 そこまで言うと満足したのか、久遠(くとお)はホシウミごと立ち上がり彼女が出て来た部屋へと入って行った。

(さや)君変な顔してる。面白―い」

 そんな一言を残して。





 修正点が多々あるかと思われますが、それは後程直していけたらと思います。

 次回の更新は12月12日にイラスト、12月19日に文章となります。

 よろしくお願いします。


 12月5日に上のように記載しましたが、19日は文章の更新ができませんでした。25日の更新を目指したいと思います。

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