雛の囀り
「おらぁ――っ!」
竹刀片手に、少年が姿勢低く朧狐に向かって駆け出した。
朧狐は動かない。手ぶらで彼の接近を許している。
二者衝突を目前に、直進する少年の進路が斜め右に逸れる。視線は標的に据えたまま、脇に構えた竹刀を逆袈裟斬りの型で振り切った。
狙いを定めたそれはぶんっと音を立て、しかし空を切る。
朧狐が上体を逸らし、太刀先を避けたのだ。
すると、その弧を描いた背後でチカッと光が煌めいた。
瞬く間に剣となったそれは、無防備な背中に勢いよく吸い寄せられていく。
けれどしなやかな身体はそれも難なく躱してしまう。
認めた少年が舌を打つと、剣が音を立てて飛散。
破片は形を変化させ、七本の小刀となった。
少年が竹刀を前へ衝き出す。
それを合図に小刀が朧狐のもとへ滑翔した。個々が意志を持ったように旋回し、何度往なされても追走と攻撃の手を決して緩めない。
相対する朧狐の動作もまた乱れない。刀身と刀身の間を縫うように踊り続ける。その口元には笑みが浮かび、どことなくこの状況を楽しんでいるようだった。身を屈ませ、大地を蹴りその場で後転。着地後も即座に跳躍し、無駄のない動きで少年の動静に目を光らせている。
コンコン。
地に帰ったばかりの靴先が足元をノックした。
直後、白色の大地から幾つもの氷柱が伸び上り、宙を舞う小刀を的確に貫いた。
結晶に覆われた武器は、破砕音とともに氷柱もろとも霧散する。
と、無力化されたと思われた刃が今度はより小さな針の群れへと姿を変えた。
それこそが少年の企みだったのか、獰猛な獣のように口角が吊り上がり口唇の隙間から犬歯が覗いた。
「いけ!」
少年が命令を下す。
魚が水中を泳ぐように、針の群れが滑らかに空を裂いていく。
朧狐に切っ先が迫った。
だが彼の両手にはいつの間にか、自身に襲い掛かった――内、選択的に破壊しなかった――小刀二本が握られていた。振るって針を薙ぎ払う。
瞬間。
間合いに入るべく、少年が朧狐へ驀進した。
竹刀を自身の身にぴったりと寄せその身ごと突っ込んでいく。
「取ったーー!」
少年が勝利を確信した――刹那。
朧狐はその場でぴょんと飛び、馬飛びの要領で少年の背に手を着いた。そのまま指圧で後方へ送り出す。
「はああああ!?」
振り向きざまに上がったその声は、少年が躓いた拍子に花弁もどきの絨毯に埋まる。そりゃもう派手に、本人ごと。
体操選手よろしく、朧狐はY字のポーズで最後を飾る。
「勝負あり! 朧の勝ち!」
一人の少女が宣言すると、勝負を見守っていた四人が次々と勝者の元へ駆け寄っていく。
「俺はまだ負けてねぇ!」
少年がガバッと身を起こす。全身花弁もどき塗れだったが、時を置かずにそれらは消え、悔しさに歪んだ少年の顔が顕わになった。
「負けたわよ」
呆れたように「ねぇ?」と少女が周囲に同意を求める。応じる少年少女からは「盛大に滑ったな」「悪くなかったとは思うんすけどね」と言葉が飛び交うが、そのどれもが暗に少年に負けを認めろと言っていることは間違いない模様。
少年は不満たらたらといった様子で彼らに詰め寄った。
「一本取られただけだ! 負けてねぇ!」
「一本取られてるからこそ負けたのよ! しかもこれ二本目!」
「本番はこれからだっての!」
「さすが! 往生際めちゃくちゃ悪いっすね! さくっと認めちゃいましょ!」
「おまっ! 毎度毎度むかつく言い方しやがって!」
「こいつがむかつくのは置いとくとして、取り敢えずお前は負けだ! 潔く『負けました』と言え!」
「お前も結構火に油注ぐよな!?」
少年がぎゃんぎゃんと喚くと、周囲もそれに当てられたのかぎゃんぎゃんと同じようなテンションで声を張り上げる。
言い合いが掴み合いになり、あわや喧嘩か乱闘かと思われたその時。
「壱喜」
喚く少年へ朧狐が呼びかけた。親しみの込められた声がその場を途端に鎮めてしまう。
眉間に深いしわを刻んだ「イチキ」は、「ん」とぶっきらぼうに返事する。
対する朧狐はにこにこだった。絶叫系アトラクションを満喫した後の様な、興奮冷めやらずといった様子で口を開く。
「最初の一撃からキレがあってよかったと思う! 俺はお前の戦い方を知っているから警戒してたけど、相手の背後に武器を創るのやっぱいいな。初見だったら驚くと思う」
「……お、おう」
彼の講評にイチキは目を瞠り、次いで明後日の方を見て頬をぽりぽりと掻く。満更でもないのか、口元がむずむずと落ち着かない。
「その後の形状変化もさすがだ。強度も操作も申し分ないな」
「ん、ま、まあな」
「ああ。ただ……」
打って変わり、考えるような仕草をする朧狐にイチキの背筋がピンと張る。緩んだ表情筋を引き締め、翡翠の瞳へ次の句を促した。
「……剣技と一緒にこれをやるとなると課題も多い。どちらかだけならいい線行くと思うんだが、……霊力操作、特に武器変換に集中するとお前自身の守りが薄くなる。武器を動かしている間、お前自身はどうしても止まっていることが多い。一対一ならそれでもまだ持ちこたえられるだろうけど、例えば伏兵がどこかに隠れていて後ろを取られたりするとアウトだ。相手の意表を突くからには先んじて自分の守りを固めないといけない」
「……なるほど。分かった」
イチキは神妙な面持ちで頷く。
そんな彼に、朧狐はいたずらを楽しむように目を細めた。
「あと、いつまで俺に武器を貸してくれるんだ?」
「あ? あ、あああっ!」
彼の手には、二本の小刀が未だしっかりと握られていた。
そのことに漸く気づいたイチキは顔を赤くしたり青くしたりと忙しない。震える両手がなんとか拍手を打つと、武器は瞬時に掻き消える。
「わ、忘れてた」
あまりのことに膝を付いてわななく。イチキからすれば余程ショックな出来事だったようだが、指摘した方からすればそれは可能性豊かな伸び代でしかなく、喜び以外の何者でもないようだった。
「武器を作るということは相手に使われるリスクもある。もちろんさっき壱喜がやったみたいに相手にわざと使わせるって選択肢もある。でもそれなら猶更気を抜くな。多く武器を作れば作る程、一つ一つの管理が難しくなる。どれが今どこにあるのか、敵に使われていないか、壊されていないか、戦闘の中で感覚的に掴んでいく必要があるな」
「……き、気をつける」
「俺からはこんな感じか。これと思うものがあったら考えてみてくれ」
「くそっ。ぜってー勝つ。今は引き分けにしといてやるから覚悟しとけ。……あと、ありがとうございました」
低く唸り、けれど礼を失することはしないイチキに「負けましたけどね」「負けたけどな」「負けたのよあんたは」などと立て続けに声がかけられる。「うっせー!」とまた彼が吠えると、朧狐は愉快そうにカラカラと笑うのだった。




