新勇者物語
昔書いたものを途中で端折ってどうにかまとめたものです。
「おとうさん……」
まだ五歳になったばかりの我が息子、岩倉勇成は、椅子に座り本を読んでいた俺に、目を眠そうにこすりながら話しかけた。
「ん、なんだ?眠れないか」
おとうさん、と呼ばれた俺は本を閉じ机の上に置いて、椅子に座りながら勇成の目線ほどまで体を低くした。
「うん。ねむいのに、ねられないの」
「わかった。お前が眠れるまで読み聞かせをしてやろう」
俺の言葉に、勇成はぱぁっ!と目を輝かせる。そして、
「ほんと⁉わーい」
ばんざーい!と両手をあげて勇成は喜んだ。可愛い。
「よしよし。じゃ、お前の部屋に行くぞ。ベッドの上で待っていてくれ、俺は電気を消してから行く」
「うん!」
勇成はそう言うと、意気揚々と自分の部屋に走って行った。
「もしかして、俺のせいで目が覚めたか……?」
などと自分の行動を省みながら本棚から一冊、分厚い本を取り出して電気を消し、勇成の後を追った。
「きょうはなんのおはなししてくれるの?」
ベッドの中へ既に入っていた勇成はウキウキしながら俺に訊いた。
やっぱり俺は、勇成を起こしてしまったようだ。
「今日はこれだ」
そういって先ほど本棚から取り出した本を見せる。薄暗いため、勇成には見えなかったかもしれない。というか漢字が読めないか。
タイトルは『勇者物語』
「今日読むのは、『勇者物語』。じゃあ、始めるぞ……」
そう言いって、俺はページをめくった——。
「——……寝たか」
やっと寝てくれた。やはり寝る前に血沸き肉躍る物語はやめておこう。『勇者物語』は、現代の子供たちがなりたい職業第一位の『勇者』が出来上がるまでの話。
最強、とまで言われた少年が、モンスターに脅かされる世界を救い、変えてしまう物語。
多くの人の、幼き日の愛読書。知らない人などいない。
「さて……俺も寝ようか」
勇成の部屋の明かりを完璧にし、真っ暗な状態にして、俺は部屋を出た。
廊下に出ると、女性が一人、静かにたたずんでいた。俺の妻、岩倉彩芽だ。廊下の窓からさす月明かりが彼女を照らす。
歳は俺とは10歳ほど離れており25。
華奢な体、可愛いというよりか、美人という表現の方がいいかもしれない顔つき、髪は黒く長く、身長は俺より頭一つ分小さい。ピンク色の寝間着を身にまとっている。
「勇馬さん……勇成は寝ましたか?」
彼女は眠たげに目をこすりながら俺に訊く。
「ああ、寝た。起こしてしまったか?」
「いえ、ふと目が覚めただけです。そしたら電気は消され、勇馬さんの姿がなくなっていて……。とても不安でした」
「それは悪かった。部屋に戻るか」
「ええ。そして、久しぶりに二人きりの夜の営みを……!」
彩芽は俺にグッと近寄り、拳を握り、ふんす!という様子で俺を上目遣いで見る。
「お、おう……」
彼女の圧に押されつつ、俺は彼女の前を歩いて、部屋に戻る。
「ほんとうに、久しぶりですね……。こうして二人きりになるのは」
後ろから俺に抱き着き、彼女は耳元でささやく。
「そうか?いつも同じベッドで寝ているだろう」
「いいえ、あれは違います。あれは、私が寝た後に勇馬さんが帰って来て寝ているだけです……!」
「それは……悪かった。勇者としての仕事が多くてなぁ……」
なにより、『勇者育成学校』の勇者教師になり、教師としての仕事もするようになったことが大きい。
「それは分かっていますし、理解しているつもりです……」
俺の背中に顔をうずめながら、彩芽はつぶやくように言う。彩芽が顔をうずめたところが、じんわりと湿る。
「……けれど、勇馬さんの職業はモンスターと戦う職業で、いつ命を落としてしまうかわからない……。勇馬さんは、もっと私とイチャイチャしたいとは思わないのですか……?」
俺を抱きしめた状態で前へと回り込み、上目遣いで妖艶に言う。うっすらと赤らんだ頬と不安げな表情が色気を出す。
確かに、ふとした瞬間にそう思うことは少なくない。だがそれを年下の、それも女性に言うことはなかなか憚られる。
「……ふふっ」
数秒ほど見つめあった後、彼女は笑った。
「どうした?」
「いえ、勇馬さんとのやりとりが、愛おしくて、たまらなくて」
「……部屋に行くぞ」
「っ……!はいっ」
彼女は目を一瞬見開いた後、嬉しそうに笑い、返事をした。
数日後。時は夜、周囲が黒くなるなか、村が焼け輝いていた。
村の中に発生した黒龍に焼かれたのだ。
モンスターの発生を防ぐ結界を発動させる道具、壁がなかったが故の結果。
市区町村には壁や結界など、モンスターの発生、侵入を防ぐことが義務である。冷たい言い方をすれば、言われたことをしなかった方が悪い。
だが発生したモンスターを討伐するのは、『勇者』の役目。
命を賭して、人々を救う。
「勇馬ァ!そっち行ったぞ!」
「分かっている!」
仲間、衛の怒号が俺の鼓膜を叩き、俺は力強く返事を返す。
俺は眼前に迫りくる黒龍に両刃の剣を両手でもち、正面に構える。
そして、黒龍のアギトが開かれ、喉の奥から赤い炎が昇るのが見えたと同時、自ら黒龍に接近した。
「ガアアアァァァァァァァァアアアアアッ!」
吐き出される炎。俺は剣でそれを防ぐ。
能力を発動させる。
能力は『火炎』。任意発動で、炎を出したいところから出せたり、炎を吸収、チャージ、放出したりできる能力。
剣に黒龍から吐き出された炎が吸収されていることが分かった。
「ウゥゥゥゥウオオオォォォォオオオオオオッッッッ!」
チャージによって剣に炎をため込む。
威力が弱まったところで、炎を受け流す。
体を捻って飛び上がり、一回転しながら炎を放出する。俺を囲う炎の渦ができた。範囲は広く、黒龍の腹を切った。
「ガアアアアァァァァッッ‼」
腹から血を吹き出し、己の身を焼きながらも黒龍は炎を出そうとする。
「ガアアアァァァ……!アアアアアアア……」
体力が減っていることが目に見えて分かる。
俺や他の仲間が手を下さずとも、いずれ死ぬだろう。
「やったな!」
「ああ」
俺が黒龍を倒したのを見て、四人いるパーティーメンバーの一人が俺に駆け寄りそういった。
「さて、村に生き残っている人を探すか」
「そうだな」
俺は忘れていた。
モンスターがどれだけ未知な生物なのかということを。
いついかなる時であろうと、モンスターが完全に死ぬまで目を離すなといった師匠の言葉を。
何より、「油断が『勇者』を殺す」という言葉があることを。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアア‼」
「なっ」
振り向いた時には遅かった。
腹に傷跡を残し、『進化』し巨大化した黒龍が、俺と仲間の二人を同時に食べようとしていた。とっさに理解できたのは、そこまで。
死を確信した。
「ふっ!」
大きく開かれた口が、半透明の壁によって開かれたままの状態になる。そのうえ、壁が黒龍の牙に挟まり全身も後進もできない。
仲間の能力。
ほぼノータイムで破壊不可の半透明の壁を出現させることができる、
ただし、能力を発動させている間は動けない。タイムリミットあり。そのタイムリミットは——。
「勇馬!10秒だ、早くしろ!」
『早くしろ』、というのは、『早く倒せ』、という意味じゃない——。
——……『逃げろ』、という意味だ。
「——……ッ!」
俺は背を向けて、走り出した。
別に『勇者は逃げてはいけない』というルールはない。
俺だって、駆け出しのころは何度か、逃げて援助要請をしに行ったことはあった。
だが、仲間を見捨て逃げるなど、意地でもしたくなかった。
俺は近くの茂みに飛び込み、他の仲間がいるところを目指す。
「……すまない……!すまない……!!」
10秒経過。
能力は解除される。
俺は一心不乱になって、もう二人の仲間のもとへ走った。
「おー帰ったか……って、あいつはどうした?」
「俺をかばって死んだ……!俺のせいでっ……!」
俺はあったことをすべて伝えた。
「そんな……」
パーティー唯一の女性、槍華が、口元を抑え静かに涙を流す。
槍華が衛のことが好きだった。衛は気づいていなかったし、本人も誰にもばれていないと思っていただろうが、俺やもう一人の仲間、九成は気づいていたが。
「黒龍は?どうなった?」
九成が少し焦った様子で聞く。
「まだ討伐していない。俺一人ではあいつには勝てない……それが分かってしまったから、お前たちに助けを求めに来た」
「そうか、わかった被害が出る前に——」
「その必要はありませんよ」
討伐しに行こう、と言おうとした九成を、安いボイスチェンジャーを使ったかのような声が遮った。
声がした方向を見ると、半白半黒で嫌な笑みを浮かべたマスクをかぶり、黒い燕尾服を着た、男とも、女とも見わけのつかない人間が立っていた。暗がりの中、炎に照らされそこまで見えた。
「『彼』はうまいこと『進化』しました。サンプルとしてこちらで預からせていただきます。実力を測りたいところですが……世界10位の勇者は強い。討伐されては厄介ですので、また別の機会にしましょう」
そうつぶやくように、だかはっきりと俺たちに聞こえるように、言った。
「ふざけないで!」
槍華は言いながら能力を発動させた。
出現、発射させたり、自分で装備できたりするその槍を、人間に向かい射出した。
しかしそれは不発に終わった。
不発というよりかは消された、という表現の方が正しいかもしれない。
槍華の槍は、対象にあたると消えるが、今のそれはあった時に消える消え方とは違った。
あたる寸前で一瞬にして消えたように見えた。
「ふむ、この程度……戦う気はありませんでしたが……もう一人くらいは殺して戦力をそいでおきましょう」
マスクの下で、人間は俺に目を向けてきた。体がブルッ、と震えるほどの殺意を込めて。
「では……!」
人間はどこからともなく、自分と同じほどの長さの剣を出現させて、右手に持ち、他の仲間には目もくれず、俺に向かい剣をつく姿勢で突撃してきた。
そして俺は刺された。
一秒もない刺突。
成す術もなく。
気付けば、目の前にマスクが。
心臓付近を的確に貫いていた。心臓を貫かなったのは、俺を苦しめるためか、はたまた純粋に外したのか。そんなことはどちらでもよかった。
剣は引き抜かれる。
そして悟った。この傷がいえることは、無い。
どれだけ偉大な治癒者であろうと。
心の傷すら癒す九成の能力であろうと。
血がせりあがり、吐血する。
「かっはぁつ……⁉」
血の味がする。
「さて、これを見て、私に挑もうとする者はいませんね?」
呆けていた槍華と、九成に人間は向き直る。もう死ぬお前に用はないというように。
「ふざけるなぁっ……!」
勇者をなめるな。
【火炎勇者】の二つ名にかけて。
「お前を、殺すっ……!」
剣や服に血がついている。
ならば。
即興の技をここぞという時に使うなど、あってはならないが、まともに体をつけるような状態じゃない。
俺は能力を発動させる。
血を燃やすように。
「ガッアアアアァァァッッッ……」
体が熱い。
焦げていく。
「なっ……⁉」
人間が慌ててこちらに振り返る。
「隠し持っていたか、貴様ッ!」
「勇者をなめるなよッ……!」
火力を上げる。
己の死を早めている。
「やめて!」
槍華が俺を止める。
「……気づいてないのか?」
九成か……何にだ。
「もうあいつはいない!勇馬の火力が上がった瞬間に消えた!」
確かに、先ほどまで感じられていた人間の気配が消えた。
槍華の言う通り、逃げたのか……。
能力を解除する。
「おいっ!何とかいえっ⁉生きているんだろう⁉」
「……っ!」
声が出ない。先ほどの炎で自ら発声器官を焼いてしまったのかもしれない。だがそれを伝える術は、ない。
「どうしたっ⁉……まさか、さっきので声がッ⁉だったら……⁉」
さすがは、世界でも10名居ないという【癒術師】の称号を持つ男。俺が声帯期間を焼いてしまったことにいち早くきづいた。
九成は俺の心臓の近くに両手を軽く、触られた、という感覚がないほど軽く、置いた。いや、俺の感覚がおかしくなっているだけかもしれない。
薄い黄緑色の光が、俺を包む。能力で焼けた部分が、癒えていく。
「なぜだっ……⁉」
九成の表情がさらに焦りの色に染まる。
それもそのはず、俺の体は、能力で焼けた部分は癒えた。
逆に言えば、刺された傷は癒えていない。
「おそらく、それはあいつの能力だ。俺はもう、死を待つだけだ」
「バカを言うなっ⁉お前には、守らないといけない人がいるだろ⁉奥さんも、子供もいるだろっ⁉」
「ああ……だが、傷を癒すことができない以上、俺は死ぬしかない……だから彩芽と、勇成に、今からいうことを、伝えてくれ」
「いやだっ⁉お前が、お前が生きて伝えろっ⁉」
「無茶を言うな……」
「ふざけるなっ……⁉」
九成は俺の言葉を無視して、俺の傷をいやそうとし続けるが、癒える気配は一切ない。
「妻には……彩芽には……そう、だな……こんな俺を……愛してくれて……あり、がとう、と……!」
少しずつ意識が遠のいていく。
「ゆう、せいには……!この剣を…………そして、勇者に、なれ……!と……」
ああ、だめだ。まだ、もっと、伝えたいことが、伝えなければならないことが、あるのに。
すまない、親父……!継承、できなかった……!
俺は意識を、手放した。
「——」
槍華は沈痛な面持ちで彩芽に事の顛末を伝えた。
包み隠さず。なすすべなく殺されたことを。勇馬の最期の言葉を。
「そんな……っ。勇馬さん……、なんで……!」
「おとーさん……」
勇馬を心から愛していた彩芽にとってその報告は少しだけ予感していたもので、心構えはある程度していたつもりだったが、やはり実際に聞くと、かなり堪える話であった。
そして、勇成は——槍華に渡された剣を見つめ、この時に、『真の【勇者】になる』と幼いながらに、決めたのだ。
【勇者ランキング】世界1位に位置する勇馬と、勇馬の相棒である衛の死は、日本だけでなく、世界に衝撃をはしらせた。黒龍に殺されたとして、世界中に報道され、勇馬の死の真相を知るのは、勇者連盟会長と、その一部の部下、彩芽、勇成、各国の首相だけで、他言無用とされた。
そして、勇馬の死から1年近くが立とうとしていたころ。
「お母さん、戦い方を教えて」
「は?」
庭で洗濯物を干していた彩芽は、息子の唐突な願いに目を丸くしてそう答えた。
「な、何でそんなこと教わりたいの?」
「ぼく、『勇者』になりたいから!」
勇成の答えに、彩芽は瞬時に理解した。
勇成は勇馬の願い通り、最期の言葉通り、『勇者』になるつもりなのだということを。
「……ダメよ」
「なんで、どおして?」
「……————…………」
勇成に、勇馬のような道を歩んでほしくない。勇馬の半分の年も生きていないが、勇馬の面影を感じさせてくれる勇成を失いたくない。
その言葉を、彩芽は呑み込み心の奥底にしまい込んだ。
「おはよう、彩芽殿。どうかされましたかの?」
庭に入りながら、長い白髪に杖を突いて歩く老人が話しかけてきた。その容姿は、勇成を同じく勇馬の面影を感じさせる。
それもそのはず、彼は勇馬の父であるからだ。
「ああ、お義父さん。おはようございます。勇成が戦い方を教えてほしいと……」
「ほぉ……」
彩芽が言うと、勇馬の父——岩倉勇佑は、普段は細く閉じている眼を少しだけ、それこそ近くに居た彩芽も気づけないほど少しだけ、開いき、そうつぶやいた。
そして勇成に近づき、問うた。
「勇成よ、お前は『勇者』なりたいのだな?5歳になっても未だ『能力』発現の気配すらないお前が勇者になるのは決して楽な道のりではない。むしろ苦しいことの方が多いだろう……それでも、お前はなりたいというのか?」
いつも優しい笑顔で接してくれる祖父が、自分の奥底を見るような目をして見つめるので、勇成は体を一瞬だけこわばらせたが、直ぐに勇佑の眼を見つめ返して「はい」と答えた。
「そうか。……彩芽殿、勇成を預かってもよいかな?」
勇佑が訊くと、
「え。嫌です」
と即答した。
当然だろう。話の流れから察するに勇佑は勇成を『勇者』にする気だ。勇成を『勇者』にさせないと、あの時決めたのだ。ここだけは曲げたくはない。
「……勇馬のように、死なせることは絶対にさせない。立派な『勇者』にしてみせる。だからどうか、折れてはいただけないだろうか」
「嫌です」
どちらも全く譲らない。
「まあまあ、彩芽さん。ここは一度、折れて貰えますか」
少しずつ張り詰め始めた空気を一気に弛緩させたのは、勇成でもなければ、空気を造り上げていた二人でもない、別人の声だった。
「お義母さん……でも」
声の正体は勇佑の妻、岩倉京子だった。温厚な笑みを浮かべながら、彩芽に近づく。
「いいから、ちょっと耳をお貸し」
「は、はい……?」
(勇成君は『能力』、発現してないでしょう?『能力』がないんじゃ、『勇者』になんてなれないわよ。残酷かもしれないけど、すぐに折れて帰って来るわ。だから、ね?)
(そうかもしれませんけど……もし、預けている間に『能力』が発現してしまったら……)
(『能力』は5歳から6歳の間で発言するでしょう?そして勇成君はもう六歳後半。大丈夫。ね?)
「わかり……ました」
彩芽は、京子の言い分に納得し、勇佑の提案を飲んだ。
「そうか。勇成、今日……いや明日からお前さんはお母さんと離れないといけない。準備と、別れの挨拶をしておけ。長くなる」
「え……」
勇成は勇佑の言葉に、顔をゆがめてそう反応した。
「いやか?」
「うん……」
勇成はうつむき答える。
「……何、少しの間だけだ。基礎と、体の作り方を教えるだけだ。たったの1年ほどだ」
「けど……」
勇成もまだ子供。『勇者』になるためと言っても、母と1年別れるのは嫌であることは間違いなかった。
「……逃げるな。折れるなとは言わん。いくらでも挫折を味わい傷つけ。だが『勇者になる』という想いを忘れるな」
少し厳しい口調で、勇佑は勇成に言った。
心に響いてくれと、心に残れと、忘れないでくれと、願いを込めて。
「……!……わかった!」
自身の言葉が勇成に届いたどうかは勇佑には分からなかった。けれど、この時の彼の言葉は、勇成にとって、将来、救いとなる。
「では、ゆくぞ。出発は明日。今日のうちに準備をしておけ」
「うん」
こうして、勇成は勇佑を師として母のもとから遠く離れ、モンスターの出る森で修業を始めた。
そして、修行を始めて3カ月が経った——。
「ああ、勇成、久しぶり!会いたかった!」
勇成が子供である以上、母として息子の成長を見るのは当然のこと、と修行を始めて1ヵ月の頃、彩芽が修行場に来て月に一回、会う約束を交わした。今日はその会う役をした日。
休憩中であるタイミングを見計らって、彩芽は勇成に話しかけた。
「あっ、お母さん!久しぶり!」
彩芽の声のした方向を見て、彩芽を見つけた勇成は元気よく返事をして、手を振りながら彩芽に駆け寄る。
だが急に勇成の表情は険しいものへと変わった。
勇成の走る速さが急に上がる。
3カ月の修行の成果。
勇佑に言われた通りに食べ、動き、寝た。
背中に携えた剣の柄を握りながら、彩芽のもとへ行く。
そして辿り着くと同時、勇成は剣を抜き放つ。
「はぁっ‼」
『グルウウウラァァァァ……⁉』
そして響く断末魔。彩芽が振り返ると、黒い灰と剣を左手に握った勇成が。
「はぁ、はぁ……お母さん、怪我はない?」
息を切らし、剣を鞘に納めながら勇成は彩芽に聞く。
「う、うん、大丈夫……ありがとう、勇成。わたしを助けてくれて」
「べつに大丈夫だよ。お母さんに怪我がなくて良かった……」
たったの3ヵ月で随分とたくましくなったと、彩芽は思った。
彩芽は勇成を抱きしめ、耳元で囁く。
「まったく、もう……こんなにも早く成長して……。お母さん、自信なくなっちゃうじゃない……」
「え?なんで?」
彩芽の言葉に、キョトン、と勇成は首を傾げた。
「なんでもよ」
『グルウウウウウゥゥゥゥァァァァァッッッッ!!!』
その時、森に雄たけびが響き渡った。先ほど倒したモンスターのものではない。
『グルルルゥゥゥ……!!』
雄たけびの正体であろうモンスターが姿を現す。
彩芽の力が抜けて、勇成と彩芽は離れる。勇成は剣の柄を握る。座り込んだ彩芽を守るように勇成は立つ。
熊のような巨大な体躯。
手は血に濡れており、それだけでそのモンスターがどれほど強いのかということが分かった。
「……お母さん、逃げて」
「えっ、い、いや……」
彩芽は体の震えを全力で抑え、勇成の服の袖をつかむ。
思い出されるのは、以前聞いた話。
正確には、勇馬の死。
仲間を、大切な人を守るため、己を賭して、誰かを守り救った……彩芽にとってたった一人の偉大な英雄の死。
今の勇成からは、その英雄と同じ末路をたどるのではないのかという、そんな気配を感じた。
「——……だいじょうぶだよ、僕は、勇者だから。『能力』だって、発現したんだ」
彩芽から勇成の表情は見えないが、涙をこらえていることだけは分かった。
「ぼくさ、うれしいんだ。やっと『能力』が発現したこと。お母さんに教えてあげる」
熊のようなモンスターは少しずつ距離を詰め始める。
「ぼくの『能力』それは——『勇気』。誰にも負けない、最高の勇気、そして、少しの『身体強化』。だからぼくは、負けないんだ」
「何がっ!何が『勇気』よっ!?あなたのそれは、『勇気』じゃない!『蛮勇』よ!」
彩芽は絶叫し、確信した。この子は嘘をついている、と。『勇気』なんて『能力』聞いたことがない。何より、子供の『能力』は親の『能力』に似たものになる、という研究結果を度外視している。
「じゃあ、お母さん、また後でね」
勇成はそう言って熊に向かって飛びだした。
大人用の、勇馬の持っていた、重い剣をもって。
「……っっ……っっっ!!」
勇成が熊に向かって飛びだした後、彩芽は、何もできずに、泣いていた。
聞こえるのは、モンスターの雄たけび、勇成の剣とモンスターの爪とがぶつかり合う音。
「ああっ……!ああああっ…………!!」
(私はまた……!いえ、今度は、目の前で……!)
「大切な人を、子を、失う。そう思われたかな?」
背後から聞こえた、老人の声。
振り向くと、そこには、刀を握った勇佑がいた。
「すまなかった。少しの間、勇成を見失ってしまった、本当に、歳というのは怖いな……」
「はやく、はやくっ……!勇成を、助けてください、お願いです!助けて!」
彩芽はそう懇願し叫んだ。勇佑はその様子を見て、静かにうなずいた。
「もちろん」
勇佑の刀からメラメラと炎が迸る。
勇佑は駆け出し、モンスターを上下に一刀両断した。
「あ、ああ、ありがとう、おじいちゃん……」
「全く、無謀なことをしたものだ……しかし、『勇者』としては、間違ってはいない判断だった。正解ではないがな」
「え?じゃあ、正解はなんだったの?」
「それは自分で考えろ。次に同じような場面に遭遇した時、正しい行動ができるように」
「わ、わかった……」
勇成は納得いかない様子でそう返事をした。
「ありがとうございます……!ほんとうに、ほんとうに……!!」
「お礼を言われるようなことではありません、もともとは、私の落ち度。修行をやめさせろ、と言われることを覚悟しています」
勇佑の言葉を聞いて、彩芽は修行をやめさせることを考えた。だが、その考えはすぐに却下した。
「問題ないです……ちゃんと守って、死なないように、育て、修行させてもらえれば、それで……」
「それは、なぜですか?私はあなたの子に、自身の孫に、あのような目に遭わせてしまった」
「勇成に『能力』が発現したそうじゃないですか」
「ええ、にわかには信じられないですがね。私が昔から頼りにしている医師が言うのですから間違いないでしょう」
「だからです。『能力』が発現してしまった。勇成は『勇者』になる気満々です。それだけで、勇成に修行をさせる理由には、十分です……」
なきながら、彩芽はうつむいて、そう言った。
「勇成、ちょっとこっちに来なさい」
「え?なに?」
「いいから!」
彩芽に言われるがまま、勇成は彩芽のそばまで近づく。
近づいてきた勇成を、彩芽は抱きしめ、勇成の顔を自分の胸にうずめさせる。
「勇成。絶対、絶対に、最高の『勇者』になるのよ……そして、お父さんみたいな死に方はしないでね。笑って、精いっぱい、笑って……たくさんの人を、救ってね……」
彩芽は、祈るように勇成に言った。
感想くれるとありがたいです。