祖国への船出
自らを押し込め乗船したはいいが、何かの拍子にそれが弾けて逃げ出したくなったとしても、周りは何一つない大海原。自分一人のわがままで帰港することなど許されるはずのない船の上では、自死が唯一その苦しみから解放される手段であると、精神的に追い詰められている者が考えるのも無理がないことなのかもしれない。
周囲の人間からすれば大したことではなかったとしても、それはあくまで現実が充実している者の意見だ。首を吊ってしまったその若者がもしルフェーブルに悩みを打ち明けられたのならば、恐らく死ぬことはなかったかもしれないが、追い詰められた人間が最適な手段を見出すのは決して容易なことではないのだろう。
「出港前にこのような縁起でもない話をしてしまって申し訳ありませんでした」
ルフェーブルが頭を下げた。
「いえ、お気になさらず。船上で部下を抱える私にとっても部下の身上把握は重要なことです。あなたが話してくれたことを無駄にせぬよう精進してまいります」
今度は飯牟礼が頭を下げる。ルフェーブルは飯牟礼の上司とは違い、これもフランスという国柄なのかもしれないが決して上に出ようとしない。若干の気まずさを感じた飯牟礼が何か話さねばと口を開きかけた時、1人の船員がルフェーブルの元へと駆け寄ってきた。
「キャピテーヌ」
「船長」と呼ばれたルフェーブルは振り向くと、中年の痩せた船員とルフェーブルはフランス語で会話を始めた。フランス語はある程度学んでは来たものの、全ての会話の意味を理解できるほどではなく、かろうじて何かが届いたということだけが聞き取れた。
船員が指さした方をルフェーブルが目を向け同じく飯牟礼も目を向ける。2頭の馬が繋がれた荷馬車で、ちょうど大きな木箱を男が四人がかりで降ろしているところだった。
再び始まった短い会話が終わると、その痩せた船員は甲板で作業をしていた船員2、3人とともに船倉へと降りて行った。
「最後の荷が届いたようです。日本の画家が描いた絵画だそうですよ。なんでもフランスに留学していたらしく、その間に書き上げたものだとか」
「絵?あれが全てですか?」