秋津洲
花は綺麗だと思うが、それ以上の感情はなかった。だから花屋に並んでいたり、道端に生えていたりしている以外の花の名前は知らない。幼かった頃、両親と両手を繋いで歩きながら見知らぬ花を見つけては何度もその名を聞いていたが、記憶はその時のままだ。
ユリにいくつもの種類があることすらも3年前までは知らなかった。「ユリ」といえば通常「ヤマユリ」を指すことが多いが「ユリ」の種類が「ヤマユリ」1種だけならば、「ユリ」と縮めて呼称することなどないだろう。「ヤマユリ」や「ササユリ」、「テッポウユリ」といった種類があるからこそ「ユリ」という総称が生まれる。当然といえば当然だった。
「「彼は」ユリが好きだったのか?」
「はい。特にヤマユリと、オニユリが好きだと言っていました」
二人の足が同時に止まる。まるで海が割れたかのように伸びる谷を見据える場所にその小さな墓地はあった。そして今、二人の目の前には名前と没年月日を記しただけの簡素で小さな墓が静かに風を受けている。
定期的に手入れをしているとはいえ、本来は人々が容易に墓参りができる様な場所ではない。どの墓も風で舞い上がった土で汚れ、角が欠け、そして周囲一帯は雑草にまみれている。
瀧人は持っていた桶を下ろし、椿は花束を開いた。
二つある花瓶に刺さっている以前来た時に備えた花はとうに枯れ、元が何の花だったのかも判別ができない。来る途中の川で汲んできた水で花瓶を洗い、新しく持ってきた花束を綺麗に整え花瓶に差した。
瀧人は肩から掛けていた雑嚢から燐寸と蝋燭、厚紙入りの杉線香を取り出すと、燐寸を擦り、蝋燭に火をつけた。その間に椿は線香の箱を開け、青紫に染められた線香を一本一本数えて十本取り出すと、瀧人が立てた蝋燭の火であぶり、先端が赤く色付いた線香のうちの半分、五本を瀧人に手渡す。
汚れている事に違いはない。だが誰かを待つように佇んでいる他の墓に比べてその墓だけは明らかに新しい。
二人は線香をそっと置いた。そして一緒に持ってきていた饅頭と竹の水筒に入った緑茶も一緒に供えて目を閉じ、手を合わせる。




