剣崎明人の軌跡
「虎の威を借る狐」とはよく言ったものだと考えさせられた。瀧人が前を歩いているだけで俺は黒塗りの馬車に乗り、護衛をされ、そして士官達からの敬礼の対象となっている。自分が偉くなったと勘違いするなというのがなかなかに難しい話だろう。
何度も自分に言い聞かせはした。偉いのはお前ではなく瀧人だ。勘違いも甚だしい。調子に乗るなと。だが頭のどこかで常に優越感が渦巻いていた。自分が大した人間ではないことは自分が一番よく分かっている。
その証拠に馬車を降り、正門に並ぶと列を見た瞬間一気に心拍数が上がった。こめかみ付近が脈打つのを感じ、並ぶ士官たちに近づけば近づくほどに肺がもっと酸素をよこせと要求してくる。平常と真顔を保とうとすればするほど酸素は足りなくなり、呼吸は荒くなる。もし近くに誰かがいたならば激しい鼻息に噴出したことだろう。
と列の長であった女性士官に俺の名と歓迎する旨を伝えられた瞬間が緊張のピークだった。まだ若く美人ではあったが、別に惚れたわけではない。何とか視線を反らさぬよう必死だった俺と違い、女性士官はこちらの眼球を貫かんとするほどに目力に満ちていた。あの歳であれだけの気勢を持つ者を、少なくとも俺は見たことがなかった。
その後、そのまま士官たちに護衛されるような形で衛戍地内のひときわ大きく、旭日旗によく似た旗と刀剣が交わった旗の2つが掲げられている、まだ新しいであろう建物へと誘導された。建物内に入ると中にいた書類の束を持つ士官や、銃を持つ兵たちがこちらを確認するや否や姿勢を正す。
そのまま二階の、やたら凝った装飾入りの扉の部屋に案内される。瀧人の執務室であることは容易に想像ができた。二人の士官が開いた両扉を開けると、赤いカーペットが敷き詰められた部屋が広がっていた。真正面には窓を背にする形でやはり凝った作りの執務用の机と椅子が置かれ、その前、部屋の中心には応接用のソファが置いてあり、壁には曇り一つないガラス張りの棚。そして近くの山か高台から描いたものだろうか。この衛戍地の写生画と思しき絵画が飾られていた。
入室した俺と瀧人は回れ右をすると女性士官が瀧人に敬礼をした。瀧人が答礼をすると扉は閉ざされ、半長靴がリズムよく床を叩く音が遠ざかっていった。俺は何度も深呼吸を繰り返す。瀧人は笑っていた。
「息が詰まるでしょう」
瀧人はそう言うと、応接用のソファに座るよう促してきた。俺が腰を下ろすと瀧人も向かい側に座った。何か飲むかと尋ねられたがだ丈夫だと断る。喉は乾いていたが、誰か入ってくるたびに人を引き連れ、敬礼答礼を繰り返すのではないかと考えてしまったからだ。
「私も息苦しいと感じることがよくあります。放っておいて欲しいといいたいところですが、なかなかそれも叶いません」
「仕方がない。部下の敬礼にこたえるのも上司の仕事だろう」
自衛隊においても駐屯地指令クラスの幹部が駐屯地を出入りする際には、警衛隊による捧げ銃とラッパの吹奏による出迎え、見送りがある。だがそれらもあくまで規則にのっとって行われているに過ぎない。内心面倒だと思っているお偉いさんもいたに違いないだろう。そんな取り留めもないことを考えながら少しだけ体を乗り出し口を開いた。
「この後の予定は?」
瀧人は手を組むと同じように上体を乗り出し、答える。
「まずはあなたと剣崎さんのことを知る者の紹介をさせていただきます。といってもたったの二名しかおりませんが、私が最も信頼し、間違いなくあなたの助けになる者たちです」




