狙撃手
ロシアを南北に縦断し、ユーラシア大陸をヨーロッパとアジアに分ける北側境界線を形成しているウラル山脈と、アジアの隣国であるカザフスタンとの国境に挟まれたチェリャビンスク州の小さな農村で俺は生まれ、そして育った。
深い森林に囲まれた村とコンビニエンスストアがある一番近い町までをつなぐ唯一の道は、大型の不整地用タイヤを装備した4輪駆動車でもないと、入った瞬間に足元をすくわれるようなひどく荒れた林道が一つだけ。雪が積もればそれこそ装軌車両でもなければ行き来ができなくなるような村だった。
電線と電話はかろうじて通っていたが、インターネットは無線は当然のこと、有線すらつながっておらず、携帯電話の電波すらない。今では一人一台の時代である携帯電話などというものはなく、外部との連絡方法は村にある約30件の農家のうち、5件程度が居間に置いている家庭用電話が主だった。
それが当然であった子供のころは何も不便に感じることはなかった。友達と遊びたければ10分程歩けば全ての家庭を回れるほどの村である以上連絡は特に必要がなく、留守ならば家に戻り家畜として飼われていた牛や豚、鶏を遊び相手にして過ごす。それが幼少期の自分の日常だった。
学校はなかったため、近くの町まで毎日朝夕1時間以上をかけて祖父が送り迎えをしてくれた。俺自身は共にシートに座っていた友人たちとお喋りができたため何一つ大変だと感じたことはなかったが、今思えば祖父には大きな苦労だっただろう。俺と違って祖父は朝夕合計4時間の荒れ地に車を走らせ、その間に町で買い物をしたり家畜たちの世話をしていたのだ。
祖父の家は代々農業と狩猟を糧にして生活してきた。村は元々曾祖父の代で森を切り開き、そして作られたらしい。そのことに対してよく祖父は「どうしてこんなところに」「本当は公務員になりたかったんだよ」などと愚痴を言っていたが、それが本心でないことを知るには、当時の俺はまだ幼すぎた。




