祖国への船出
どこかで妥協をしなければならない。考え抜かれた末に考案されたのが、機関室上の甲板、司令塔周辺、及び砲塔や防盾等の艦の重要箇所に絞って装甲を配置、さらには燃料である石炭庫を船舷近くに配置し、装甲防護の機能を持たせることで、速力と機動力、そして火力を可能な限り落とすことなくに艦に高い生存性を持たせる方法だった。
建造にかかる費用は戦艦の約3分の1と負担も少なく、世界初の防護巡洋艦「エスメラルダ」が、チリ海軍の発注によりイギリスが建造、3年前に進水してからというもの、世界中の国々で同型の巡洋艦が次々と建造されている。
日本と同じ島国であるイギリスは、過去の歴史において数々の海戦をあらゆる国と行っており、その多くに勝利してきた。故に造船技術は非常に高く、造船技術の導入も兼ね、日本はエスメラルダ進水よりもさらに3年前、イギリスが建造した巡洋艦「アルトゥーロ・プラット」を発注主であるチリ海軍が契約解除を行った為、大日本帝国海軍巡洋艦「筑紫」としてこれを購入した。
日本の造船技術も世界的に見れば決して劣っているものではない。むしろ高い水準にあるものだ。しかし、イギリスは大航海時代、周辺国に後れ を取る形で海に出たにもかかわらず、当時先陣を切っていたポルトガルやスペインとは違うルートを模索し独自の交易地や植民地を確立、それを足掛かりにさらなる海へと船首を向け、その帆をはためかせた。
イギリスは過去から学んだ独自の技術や経験のみならず、先発海運国であるポルトガルやスペインが犯したミスからも様々なことを学び、緻密で慎重な計画を練った。そしてスペインが目を向けていた中央、南アメリカではなく、北アメリカ探検を目指し、大航海時代初のイギリスによる冒険が始まった。
最終的にはヨーロッパの国々が世界中の土を踏んだことで大航海時代は終焉、ヨーロッパの各国が約200年に渡って海を舞台に競い合った結果、それらによって培われた経験、技術、そして世界中から富が集中したことで、イギリスは他の国々共々、アジアとは比べ物にならないほどの近代化を果たした。