祖国への船出
日本帝国海軍大尉、飯牟礼俊位は、青く透き通るような天に向かって聳えるマストに手を触れ、小さくため息をついた。
それは決して失望や落胆の意味を含んだものではなく、静かな期待と達成感、そして歓喜によりこぼれたものだった。
大きな不安を携え、祖国よりはるか離れたこの地にやってきたばかりの時とは違う。日本とフランスの血を持って生まれたこの軍艦に足を踏み入れたその瞬間、それらは全て喜びとなって消え去った。
排水量3615トン、全長98メートル、全幅13.1メートル、吃水5.7メートルの船体には、5500馬力の推進力を発生させる直立型2段膨張式2気筒レシプロ蒸気機関及び、石炭専用円缶9基が搭載され、2基2軸のスクリューを介して発生させた推進力により、鋼の船体を18.5ノットの速度で航行させる。
24センチ単装砲4門、15センチ単装砲7門、5.7センチ単装砲2門、35.7センチ魚雷発射管に加え、多数の機関銃、及び機関砲で武装、甲板装甲は62ミリ、上部装甲帯の厚さは120ミリを超え、限定的な部位ではあるが、砲塔及び砲塔基部に至っては150ミリの装甲を持つ、文句なしの装甲防護巡洋艦だ。
1年前に進水したイギリス製の防護巡洋艦である「浪速」に比べ火力面では劣るが防御面においては優れており、また、航行速度においても僅かではあるが勝っている。
19世紀後半、造船技術の進歩により、軍艦の船体は木製から鉄製へと変わっていった。言わずもがな、船体の大型化に伴い強力になっていく兵器から我を守るために、強固な装甲による防護力が必要になったからだ。
しかし、軍艦の主装甲である船舷装甲は船体自体においても大きな負荷であり、敵艦砲の直撃に耐えうる装甲を施せるのは戦艦級の巨大な体躯を持つ艦に限られていた。
巡洋艦級の艦に重装甲を施せばそれ自体の重量はもちろん、十分な機動力を生み出すための機関さえも巨大になり、しかも機関が重くなればさらに機動力が落ちる。だからと言って兵装を削れば火力が落ち、戦艦以上の速力、機動性、生産性、駆逐艦以上の砲雷撃力という巡洋艦ならではの強みを殺してしまう。
火力と速力、機動性、装甲防護力そして生産性、それらを全て完璧に兼ね備えた兵器など存在しない。それは今後どれだけ人類の科学技術が進歩しようとも変わる事はないだろう。