ムカヒアオイとめぐる冒険
次は百合ラノベを投稿するといったな!!
嘘…ではないけどまだ手直しの書き溜めがたまってないけれど今の僕をまだ忘れないでくれ。。!という生存報告というか活動してるんだぞ報告のために投稿します。
あと個人的には気に入ってるお話なので。
さらっと読んでもし気に入っていただけたらクールガールズモノデッドのほうも読んでいただけたらなって!
【とある小学生の夏休み 1 ヒマワリをめぐる冒険】
――――なんか、さりげなく、夏の花を思い浮かべてしまう。
「向日葵はね、とてもかわいそうな花なの。悲しい恋なの」
突拍子もなく、少女は言った。僕たちは夏休みだというのに学校の花壇の世話の当番で出てきている。
おりしも太陽はすでにその力を余すところなく、いかんなく発揮して、職員室から水まきのためのホースとかを借りに行くだけで、じっとりと背中は汗ばんでいた。
「何いってるのさ?あんなばかでかい花をつけて、派手な黄色い花を咲かせて、どこがかわいそうなの?どっちかというと、元気いっぱいやりたい放題って感じだよ」
僕はお花大好きマンでもなかったし、いや、お花大好きとかいうと他の男子に女々しいとかいってからかわれるのはわかっていたし、ほんとは美化係もやりたくなかったし美化係が夏休みに週三回クラスの花壇の様子を見るなんてこんなシステムも大っ嫌いだったし大反対だった。
「わかってないなぁ…ムカヒくんは。向日葵はね、昔は妖精さんだったの」
少女は、僕が向井という苗字なのをもじったのかムカヒ、と僕のことを呼ぶ。そう呼んだのは少女だけだったのでよく覚えている。そして残念なことに僕の下の名前は葵だった。
「妖精だったら何がかわいそうって言うのさ?どうせ調子こいたから罰で花にさせられたとか、そんなオチじゃないの?」
とにかくさっさと水をまいて終わらせたいというのに少女は話し出すと、手元を動かすことを忘れてしまう。
少女の名前は、今はもう思い出せない。夏休み前に転校してきたというのに、夏休み中に転校してしまった、誰の記憶にも残らない、クラスメイト。
ただショートカットでやたらと大きい、黒目がちなグリグリとした瞳。なのに活発というか、元気なイメージはこれっぽっちもなくて教室の隅で本を読んでるような女の子だった。それはクラスにまだなじんでないからだと僕は思ってたのだけど。
だから、こんな風にまともに口を利くのは初めてだったのかもしれない。
「ムカヒ君、ホント向日葵に失礼だね、全然ちがうよ、向日葵はね」
少女は指を高々と空に掲げた。それが向かう先は太陽で僕は眩しさのあまり、目を閉じた。閉じても、まぶたの裏を焼く、赫。
「あの太陽に恋をしたの。あの、誰の手にも届かない、誰のものでもない太陽に」
少女の言葉にいっそう太陽がぎらついた気がした。ああ、今日も炎天下だ。
僕はすぐに水まき作業に気を戻すとホースを手に取り、少女に渡す。
「仕事終わらないと帰れないから、さっさとやろうよ」
「でもね、その恋はもちろん実らなかった。届かないんだよね、気持ちも、思いも、この高い空に向かって飛ばせば散らばって気持ちのかけらも残らなくなるのかもしれないよね」
「なにいってるかさっぱりわかんないんだけど。水出していいかな?」
僕は蛇口の方でまってるのだけど、少女はいっこうにホースの先を花壇に向けようとしないから水を出していいのかどうかもわからない。
「でも、妖精さんは、その気持ちを抑えることはできなかったし、諦めることもできなかったの。だから、向日葵になった彼女はいつでも太陽の方を向いて、その気持ちをずっと飛ばし続けてるの。こんなに派手で、大きな花も、きっと空からよく目立つように、なのかも知れないよね」
そういって彼女は首を傾けて、にこり、と笑う。なんだか、彼女後ろで咲き乱れてる、向日葵の花。自己主張が激しくてデリカシーもないような花だと思っていたのに。今だけは儚く風に揺れて見えるのはなぜなのかな。
【とある高校生の夏の1日 1電車でめぐる冒険】
現金2500円を握り締めて降りた駅の風景に俺は本当にため息をついた。
見渡す限りの田園風景。あちらこちらそちらはまだまだ青い田んぼが広がっていて、遥か遠くに見えるのはビル群じゃなく山々。木々が生き生きと緑色。ちょっとした刺激が欲しかったのに、時代の流れから取り残されたように穏やかなこの風景はなんなのかな。
しかも、駅員すらいない。俺はペンキがハゲハゲして錆び付きはじめた切符入れに切符をねじ込んで、駅から一歩足を踏み出した。
ギラリギラリした太陽だけは変わらず照りつけている。耳を貫くような、セミの声。
脳みそだって茹で上がってしまいそうな熱気。まったくもって俺はこの季節が嫌いだ。
阿呆なことを考えずに部屋でゴロゴロしていれば良かったのかも知れぬ。うむぅ。
夏休みはすでに折り返しを過ぎていた。高校野球の応援も終わってしまった。俺はゴロゴロしながら首の回る扇風機のぬるい風を浴びながらテレビを見るだけの生活だった。
毎日毎日この繰り返し、ワイドショーを見たり、夏休みの子供向けのアニメを見たり、本当にどうしようもない。高校野球だって帰宅部の俺にはあれに人生賭けるやつの気持ちがこれっぽちもわからなかったからふぅん、と鼻くそをほじりながらの暇つぶしだった。
毎日、毎日、それの繰り返し。さすがにそれはやばいんじゃないか、と思った。
花火大会もめんどくせーと見に行かなかったし、夏祭りも踊らされるのがいやだから行ってたまるか畜生と避けて通ったし、でも、このままじゃ俺の夏休みなんて。
『毎日ゴロゴロしてテレビを見てました。』
全てがこの一行に集約されてしまう。それはさすがに背筋に寒気が走った。
よし、どっかでかけよう。そこまではよかった。けども市内なんてしょっちゅう買い物とかで行ってるわけだから、いまさら面白みもくそもありはしない。
だから俺は財布の中が3500円なのをたしかめるとそのうちの千円を電車代に当てることにしたのだ。
普段は市内にしか行かないので、市内とは反対側のホームに乗り込むと千円分、行けるところまで行ってみようと。
そしてたどり着いたのは俺の町よりもさらに寂れてしまった、こんな田舎なのだった。
俺は駅の目の前の、大通りと呼んでいいのかどうか迷う道路に立つととりあえず左右を見渡した。何しろ片道一車線どころか中央の白線すらありはしない。
右にも、左にも、だだっ広く道はつながっていき、その途中に店どころか、家一軒すらありはしない。
ただ、道路の脇に広がった田畑の緑だけがやけに目に焼きついた。
しょうがないからまずは栄えてる方にいってみようと思ったものの、これじゃぁどっちが栄えているのかもわかりはしない。
「はふぅ…」
一刻も早く、この背中を焼くじりじりから逃れたかったのだけどそれもかなわなそうだ。
俺は五百円玉を弾く。
「…裏、ね。右にでも行こうかな」
誰とはなしに呟いて、歩き出した。
道路があまりにもまっすぐ伸びていることと、代わり映えのしない、田畑の風景。そのせいかまるでまったく進んでいない気がする。振り返れば駅が遠ざかっていくので進んでいるのはたしかなのだが。
あいかわらずセミの声は耳をつんざくし、やっぱり帰ろうかな、なんて思っているとベンチが見えた。
バス停でこんな田舎にしては珍しく、日をよけるための屋根までついていた。
手っ取り早くバスでどっかに移動した方がいいかもしれない。それにあそこまで行けばとりあえず、この憎たらしいまでの太陽だけは避けることができるぜ。
俺は足を速めてバス停に向かった。さすがに走ることはせぬ俺は汗をかくのが嫌いな男。
だってTシャツの背中にしみを作るなんて見た目にもかっこ悪いし、汗をかいて、それが匂うなんてのも嫌だ。
バス停が近づいてくると、ベンチに先客がいることに俺は気づいた。俺は一瞬陽炎か蜃気楼じゃないかと思ったけど、そうじゃないらしい。ちゃんと、目の前にいるらしい。
同い年ぐらいの女の子だった。腰まで届きそうな、黒くてまっすぐなロングヘアーにそれと対照的な、白い、清楚なワンピース。細い、銀色のフレームのメガネをかけていて、女の子はじっと文庫本に目を落としていた。
俺は女の子と二人分の隙間を開けて、ベンチに腰掛ける。
時刻表に目をやって携帯電話をチェックする。
うぉぅ、圏外だぜ!!じゃなくて、三時間に一本という素晴らしきバススケジュールはどうやらあと一時間半、俺をここに縛り付けるつもりらしい。
一時間半…なにしよう?携帯をいじったところで電波も届きやしないし、なにより一時間半もいじればすぐに電池切れを起こすのは火を見るより明らかだった。
帰ろうかな、という気持ちもむくむくと頭をもたげてきていたのだがそれって千円損だよなぁ、という貧乏くささもあって、とりあえず、待てるだけ待つことにする。
ちらり、と女の子を横目で伺うが、女の子はページを目で追うだけでこちらの存在など毛ほども感じていないようだ。
ぼんやりと目を上げれば、山の向うに大きな入道雲が見えた。屋根がついているとはいえ、ここも暑いことには変わりない。
ほんのちょっと座っていただけ、というのに、俺は居心地の悪さを感じてしまう。
隣の女の子も一時間半、バスを待つのだろうけど、その間ずっとこの無言でいいのだろうか?
二人分の席の間をセミの鳴き声とうだるような熱気だけが通り過ぎていって、なのに俺はこの距離感を寒々と感じてしまう。そしてこの寒々が俺の責任のようで、何か女の子に話しかけたほうがいいと思うんだ。
だけどそんなときの言葉ってたいていとても大きくて、そして俺の口はすぼんでしまって、そういうのを吐き出すのなんて無理なのだ。
俺はきっかけを探そうと思って辺りを見回した。
畑、セミ、空、雲、山。陽射し。
俺は上手く言葉を繋げるわけがないのだ。二言目で終わる会話のキャッチボールもまた儚い。
なんとなく、女の子が読んでる文庫本に目をやる。タイトルがちょうど指で隠れてしまっている。
まぁ、本など読まない俺にはタイトルがわかったところでどうなのよ、だけど見えないものが見たくなるのはしょうがない。うん、しょうがない。
俺は女の子に気づかれないように目だけぐるぐる動かしたり、こそこそ首の角度を変えたりしながらタイトルを見ようとする。けれども、指で隠されているのだから見えるわけなどありはしない。
…パタン。
女の子は文庫を閉じた。
俺はあれ、と思って女の子を見ると、女の子は二つのまなこでじっと俺を見据えていた。
メガネの下なのに、あっと息を飲みそうになる。俺は吸い込まれそうな目眩を覚える前に、おびえた。
眉の下の力の入りよう。女の子は俺に敵意を向けているのである。
ジージーとセミは夏ってことをこれでもかと主張し続ける。いい気なもんだぜ、このやろう。
などと他人事(いや、虫事だった)に構うヒマなど今の俺にはまったくもってアリはしないのであった。
目を合わせているだけで、心臓にちくちくと針を差し込まれていくみたいで俺は恐る恐る、目を逸らした。
が、それも全く無意味だ。打って変わって心臓が跳ね上がる。
女の子は文庫本を膝に乗せるとグイ、っと俺の頭を掴んで、自分の方に向き直らせたからだ。
「あの、君、失礼だとかそんなこと、思わないのかな?どうなのかな?デリカシーなんてあるのかな?」
小さな子供に言い聞かせるように女の子はいった。見た目よりずっと幼い、ちがう、たぶん透き通っているのだ。俺が、音を、視覚として、認識できさえすればそれはきらきら光って見えるのだと思う。
そして俺はその声に脊髄反射で背中を縮こまらせてしまった。なぜか全く逆らえる気がしない。
「いえ、あの、スミマセン…」
「ふむぅ、それで君はなんでジロジロわたしのことを見てたのかな?普通、あまり知らない人にじろじろり見られて楽しい人なんていないと思うんだけど」
「おっしゃられるとおりです…」
「で、君は何でわたしのことを見てたのかな?まだそれに答えてないよ」
女の子はピッと人差し指を立てて俺に突きつける。なに、このお姉様風っ!!が、どうみても俺がわろしなので俺もそれを受け入れるのだ。
「あ、あの読んでる本が気になって」
「そういう時はどういえばいいのかな?ねぇ、どういえばいいのかな?」
本当に小さい子が悪いことしたときに『ごめんなさい』と言わせようとするときと同じ口調だ。
「あの、何の本を読んでたんですか?」
さっきまでの表情がぱぁ、と笑顔に入れ替わる。劇的。
「はい、よくできました。いいこだね」
女の子は自分より背が高い俺の頭をなでなでりしてから、膝の上の文庫本を俺に渡した。
俺はそれを受け取る。薄い色彩で抽象的な人を描いた表紙。タイトルは『羊をめぐる冒険(下)』である。まぁ『文学』を『文が苦』として認識してる俺は一生読むことなどないのだろうけれど。
「ありがとう」
「どういたしまして」
女の子は俺が差し出した文庫本を引き取ると、そっとまた膝の上に載せた。
そして女の子は再び文庫本を開き、読み始めた。俺はやっぱりそれに話しかけないでオーラを感じてしまって言葉を飲み込む。ほんとは吐き出せないのだけど。
ゆるりとした、夏の風。二人の間を駆け抜けなんか草の匂いが鼻をくすぐった。向うに川原が見えた。
背の高い草、そのままの名前を与えられたセイタカ草。川原びっしり茂りざわざわゆれている。
女の子はパタン、と本を閉じて、ふぅ、とため息をついた。
「せっかくだから、何かお話しようか?」
ちらり、とこちらをうかがう女の子の目。初めて同い年の瞳に見えた。
「うん、だね」
俺は俺の声に不信感がまぎれていないかでいっぱいいっぱいだったのだけど。
「君、よそから来たの?」
女の子は足をぶらぶらさせながらこっちを向いて笑いかけた。ほっそりとした、白い足がワンピースの裾から覗いている。
「まぁ、そうだけど」
俺はうつむきながらぼそぼそと答える。目のやりどころに困る。顔見ても、足見ても、俺は赤くなってしまう。
「珍しいねぇ、こんな田舎、どこ見ても面白くないでしょ?都会の人はまず来ないよ」
「いや、俺も都会というほど都会に住んでるわけじゃないけど」
「でも、空が高いのはいいよねぇ。手を伸ばしても絶対届かない。それを実感できるっていいことだよ。そう思わない?」
ぐいーと女の子は伸びをしながら手のひらを高々と掲げた。
「え、いや、その」
話聞いてるか、おい。
「それに、喧騒がさ、人間じゃないんだよ。はっぱや草のざわざわ。セミとかの虫の鳴き声。悪くないよね。むしろいいよね。なんか少しだけちがうチャンネルに住んでる人たちにも合えそうな気がするし、きっと側にいると思うんだ。わたしはもう十六歳だから見えないだけなんだって、よく思うよ。たぶん、小さなときは色んなものが見えてて、わたしはそれと仲良くやっていけるような気がしてたと思うんだ」
「…はぅる」
俺はなんと答えていいのやら、わからなかった。こっちを向いた女の子はにこにこ笑ってるのだけど、不思議ちゃんなのか?毒電波なのか?俺にはどっちなのか見当もつきやしない。
「でも、変わっちゃうのが人だし、わたしももっと目に見えるものだけ見て生きていかないと、って思うよ。君はここの人じゃないからわたしをいくら変に思ってもいいけど、学校でこんなこといってたらわたしすぐに仲間はずれになっちゃうしね」
そして長いまつげを伏せて、ふぅ、とため息をついた。俺もつられてため息をつく。場の空気がぐっと沈み込んだのが肩に背中に感じられた。
「あー、ダメダメ、こういう話、わたし無理なんだ。そうだね、君の話を聞こう」
女の子はぶんぶんと目の前で両腕を振って、この辺りを支配していたもやもやを振り払う。
「君はどうして、こんなところに来たのかな?かな?」
そうやって小首を傾げて笑う。
俺は正直にだらだらした、腐れた夏休みとそれに耐えられないのよ、という話をする。
「なるほど、だったらわたしがここ、紹介してあげようか?」
「いや、でも、バス待ってたんじゃないの?」
「たいした用事じゃないんだぁ。どっちかというと、外で本読むことの方が目的みたいなところもあったしね。君もバスに乗りたくてきたわけじゃないんでしょ?だったらいいじゃない」
「いや、そうだけど」
「じゃぁ決まり決まり、行こう行こう」
女の子は俺の手をぐいぐいと引っ張る。細い腕なのに、やたらと活動的だ。
「あ、これを忘れちゃいけない」
と言って、俺がさっきまで誰かの忘れ物だろうと思っていた、白いどことなく品のある傘を手にした。
そして傘を差す。ああ、これ、日傘なの?日傘っていうとどうもおばあちゃんのイメージが。
でも、白いワンピースと白い傘は空の青と辺りの緑に切り取られてひどく映えてみるのも事実。
彼女だけ、特別、とずっと視界に訴えかける魅力がある。
「手ぇ、つなごうか?相合傘だよ?ねぇ」
と少女はいたずらっぽく笑って空いた手を差し出す。
「い、いいよ、別に」
俺はもちろんつながない。
【とある小学生の夏休み 2 月傘をめぐる冒険】
ある夏の夜。僕は暑くて暑くて、とにかくアイスクリームが食べたかった。
昼間よりましだとはいってもまとわりつく熱気ですぐに汗が出てきてしまう。家に帰るまでにアイス、溶けちゃわないだろうか。
家から少しいったところにあるコンビニ。僕は頼まれたお母さんとおねえちゃんのアイスもぶら下げてコンビニから出た。
「あ、ムカヒ君。こんばんは。学校でもあってるのに、奇遇だよね」
「…雨とか今日、降ってたっけ?」
僕はまず、地面を見た。コンビニの明かりに照らされたアスファルトはどこもぬれていない。それに天気予報だってずっと晴れだって言ってた。そのせいで僕はこんなきつい思いをしてるのだ。
なのに、少女はぽっかり浮かんだ満月に皓々と照らされる、白い傘を持ってる。
「ん、雨傘じゃないよ、これ」
「じゃぁ傘差す必要ないじゃん。何してんの?日傘のつもり?もう夜だよ?」
僕はどうしてもこの少女に会うと、何かとけちをつけてしまいたくなる。なのに、少女はにこっと笑ってその表情を曇らせない。少なくとも僕は少女のそんなところ、見たことない。
「ムカヒ君も入る?これ、月傘なの」
「月傘…?」
「うん、太陽は強い日差しを浴びせるよね?月は、人の強い思いを浴びせるの。だから、それを避けるためにあるのが月傘なの」
「なんで月なのに人の思いなんだよ…」
僕は思わずあきれてしまう。太陽が日射しなら、月が浴びせるのはやはり月射しであるはずだ。
なのに少女はさも当然と、小さな胸を張って語り始めた。
「月は太陽より全然、小さいよね。なのに、夜の空、太陽と同じ大きさで輝いているの。何でだと思う?」
「そりゃ、月の方が太陽より全然近くにあるからだろ?そんなの僕だって知ってるよ」
少女はやっぱり笑ったまま、ふるふると首を振った。
「ムカヒ君、それは違うの。全然違う。ずっと、ずっとね、みんながあの月を見ながらいろんな思いを抱えてきたの。その中のいくつかが月まで届いて、それで月は輝くんだよ。真昼間に太陽を見ながら思いを馳せる人なんていない、だってずっと見てるのなんて無理、目が痛くなっちゃうもんね。でも昔も今も、月を見ながらぼんやりしちゃう人って多いよね。
あの光は世界中のたくさんの人の気持ちのかけらで、太陽がいなくなれば、月はその気持ちを光に変えてそっと、届くべきところに返してあげてるの。だから間違えてわたしにそんな思いが届かないように、気持ちが帰るべきところに帰れるように、月傘を差すんだよ」
そして傘を持っていない手で、月を少女は指差した。今日は綺麗な満月でウサギさんまで良く見えた。外国ではあれをかにというところもあれば、人の顔という人もいるらしい。言われてみれば、たしかにみんな月を見ながら物思いにふけるのかもしれない。でも、認めるのは嫌なのだ。少女にだけは、負けたくない。なんでだろう。こんなもやもや、今まで抱えたことなかったのに。
「いや、それって絶対お前だけだと思う」
「そうかな?でもムカヒ君がそういうなら、わたしだけかもしれないね」
そしてえへへ、と少女は照れくさそうに笑った。その仕草にあわせて傘がゆれた。月の下、揺れる白い傘、やけに記憶に残っている。名前も覚えていないのに。
【とある高校生の夏の一日 2 少女とめぐる冒険】
女の子は日傘を差して軽い足取りで道路を歩いていく。そのままふわふわと飛んでいってしまいそうだ。俺はこの道路のあまりのまっすぐさに、いずれ地平線にぶつかってしまうんじゃないか、とか余計な心配をしてしまうのだけど。
女の子はこっちを振り向いて手招きした。
「ほらぁ、もう~そんな後ろ歩いちゃダメだよ。追いてっちゃうよ?迷子になっても知らないからね?」
「わかってるよ」
とは言うものの、こんな視界の開けた一本道で迷子になれるんならなってみてほしいものだ。
けれども正しいのは女の子のほうだった。
だだっ広い一本道は実はここだけで女の子はいろんなところを俺を連れまわした。
日差しを完全にさえぎるほどのうっそうとした森に囲まれた神社や、やっぱり時代に取り残されたようなお寺。それに、川原。俺はその一つ一つを呆然と眺めた。なんてことないのに、
途中から俺はついていくのが精一杯だ。女の子の方は不思議なことに汗一つかかず、未だにふわふわした足取りのまま。
「遅いなぁ、ほらほら、早く来てよ。次の場所が待ってるよぉ」
と手招きをする。
「ちょ、ムリムリ。マジきついんだけど。休憩、休憩っ!!」
「さっきもそういって、そこの自販機でジュース飲んだでしょ?早いよ、早いよ、早すぎるよ?
もう、根性ないなぁ、男の子なのに」
女の子は俺のほうに戻ってくると、俺の額をぴんっ、と指で弾いた。
「都会の人はひ弱なんですよ」
「…しょうがないなぁ。まぁ、あと二か所だし、いいかな?じゃ、もう少しだけ、がんばって。そこに着いたら休憩しよう」
「あとどれくらい?正直、俺の足はもう歩きたくないといってるんですが」
「…すぐそこだからがんばってね?」
少女は小首を傾げて笑った。すごく嘘っぽく。
「あの、分とか、距離で言ってもらえないですかね?」
俺はイヤーな予感を感じて深く突っ込む。
なのに少女は。
「すぐそこはすぐそこだから、うん。時間や距離に直すほどじゃないってことだよね、うん。じゃぁ、ほら」
と、傘を持っていない手を俺に差し出した。有無を言わさず、歩かせるつもりなのだなぁ、という意思だけはひしひしと伝わってくる。きっと、すぐそこって言いながらはるかかなたなのだろう。
空を見上げて、ため息をついた。
ギラギラした光はますます強くなっていくようでもある。
やれやれ、と俺は女の子の手をとった。
女の子は少し、身を震わせる。
「あれ、俺なんかした?」
その緊張が指先から伝わってきて、俺も思わず手を引っ込めようとした。
「いや、そんなのじゃなくてね、初めて手、握ってくれたなぁと思って。君、わたしの手を握るの嫌そうだったから。でもうれしいね、実在は感触によるって思うんだ。今、わたしの手の中に君がいて、君の手の中にわたしがいる。世界でたった二人しか知らない、たった二人だけの最高機密だね」
「正直、俺は君の言ってることがよくわからないのよ」
と俺は素直な感想を口にする。女の子のペースとベクトル、どっちを向いているのかわからない。
「いいのいいの、この手の感触だけが真実、だからね」
と、女の子は指をしっかりと絡めた。
女の子の手はひんやりしていた。不思議と、そして俺も自然と女の子の手を握っていることに驚いた。
「じゃ、行こうか?」
つれられていったのは古い、小学校だった。人っ子一人いない。
そこには校庭があって、さび付いた鉄棒や、滑り台。
木造の校舎は深い茶色でその年月を感じさせた。なんか、旧校舎とか、怪談とか、そんな言葉がよく似合う。
「ここが、わたしが最後に卒業した小学校。もう誰もいないね」
女の子は校舎の前に立って、ばっと両手を広げた。
「肝試しとかできそうだね」
俺はそそくさと日陰にもぐりこむと他人事のように言った。
「うん、いずれは壊されてしまうんだろうけれど、それまではできるかもね。でも、残念だけどこの学校には死んだ人とか誰もいないから。墓場の上に立ったわけでもないしね」
女の子は当然のように俺の隣に腰掛けた。そこにはあのベンチのときのような、二人分の隙間はない。
俺は言葉もなく黙り込んでしまった。
セミの鳴き声が響いている。
女の子も口を開かない。横顔をうかがうと、女の子は目を閉じている。眠ったのかと思ったけど、その表情の穏やかなこと。なにか、俺に聞こえないものを聞いているようだった。
今は何も言わないことの方が、正しいのかもしれない。
会話がないのに、居心地が悪くない。それはすごく穏やかな感触で、なんとなく、太陽のギラギラもセミのうるささも、今だけ許してあげてもいい気がしないでもない。
【とある小学生の夏休み 3 トンネルをめぐる冒険】
お別れ、だということらしい。
八月六日。でっかいひどい爆弾が落とされた日。それが少女の転校する日だという。
正直、クラスのみんなは悲しいだとかなんとか思う前に、ただあっけに取られていた。
七月の終わりにやってきて、夏休みの登校日、転校を知らされる。
少女は先生に前に出るように呼び出されて、いつものような、半端な笑顔を浮かべている。
「あの、本当に短い間ですがありがとうございました。お父さんの仕事の関係で、また前の学校に通うようになりました」
ペコリ、と頭を下げる。
そしてみんなで一言ずつ、少女に当ててメッセージを書いた色紙を作ろうという話になったのだけど、みんなが戸惑いを隠せなかった。時間に直せば一ヶ月近くだけど、実際は一週間ほどしか一緒にいなかった少女。誰もどんな言葉を送ればいいのかわからずに、ありふれたメッセージを書くしかないみたい。
解散したあと、少女は僕を捕まえた。
「ムーカヒ君」
僕は心底めんどくさい、という気持ちを眉の付け根辺りにこめて振り向いた。
「いや、僕ももう帰りたいんだけど」
「ひどいなぁ、ムカヒ君。わたし、今日でお別れなんだよ?」
「お別れは最後に一度だけしたら振り向かないの。わかる?振り向いたら追ってくるんだって」
「あ、ムカヒ君、覚えててくれたの、うれしいなぁ、うれしい」
この言葉は花壇に水まきしているときに僕が『転校とかして、寂しくないの?前の学校が懐かしくならない?』と聞いたときに少女が言った言葉だ。さっぱり意味がわからないのはもう慣れてしまっていた。
「ムカヒ君、わたしがいなくなっても、お花の水まき、サボっちゃダメだよ?お花はね、ただ、そこにあればいいの。なにも期待しちゃダメ、その存在だけで人の心をいやす、とても貴重な存在なの。だから大事にしないとダメ」
「わかってるって、水ぐらいちゃんとまいてるよ。僕だって先生に怒られるのはいやだしね」
僕はアセアセと周りを見回した。ああ、もう、仲のいいケン坊もヨシヤスもみんな先に帰っちゃったじゃないか。
「…あれ、気がついたら、わたしたちだけになっちゃったね」
教室の中はあっという間に誰もいなくなってしまっていた。開けっ放しの窓から風と、セミの鳴き声だけが運ばれてくる。
「誰のせいだと思ってるんだよ」
僕はじとっと少女を睨んだ。
「ムカヒ君、怒ってる?」
少女は胸を押さえて、少し悲しそうだった。そうされると、僕はもうなんにもいえなくなってしまう。お手上げなのだ。
「別に怒っちゃいないけどさ」
「だったら、ムカヒ君、ついてきてよ。ムカヒ君だけはけっこう一緒に時間を重ねたよね。だから、私はムカヒ君とだけのお別れが欲しいよ」
「…い、いいけどさ」
ムカヒ君とだけ、二人だけのお別れ。その言葉になぜかひきつけられて、僕は赤くなった顔色を悟られないようにうなずいた。
少女が連れて行ったのは僕たちが行ってはいけない、と先生たちからきつく口止めされている、暗夜行路だった。暗夜行路っていうのは僕たちよりもいくつも年上の頭のいい人が小学生のときに付けた名前で、けっきょくはとなりにもっといいトンネルが作られたから使われなくなった、そんなトンネルだ。
人が立ち入らなくなってかなりたったせいか、入り口には背の高い草がぼうぼうとはえている。そして誰が植えたのか、ここにも向日葵が雑草に負けじと咲き誇っていた。
あたりには背の高い木がないから僕と少女はこれ見よがしに太陽の餌食にされてる。のろいの言葉でも吐き出そうと空を見上げるとひこうき雲が見えた。
「じゃ、いこ」
くいっと女の子は僕の手を引っ張った。
入り口の前には黄色と黒の立ち入り禁止。年月を重ねた文字は掠れてしまってかろうじて読める。
「ここ、遊んじゃいけないとこなんだよ」
転校生だったから知らないのか、と思って僕は少女に告げた。
「うん、知ってるの。でもね、昼間でも暗い場所って他に思いつかなかったから。それとも、ムカヒ君は暗いのはきらい?こわい?」
そんなことを言われると引くに引けなくなってしまう。
「いや、別にこわかないけどさ、ただおこられるとやなだけ」
「だいじょぶ、わからないよ。それに最後だし」
と僕らはまだランドセルをしょったまま、そのトンネルに入り込んだ。
トンネルはいがいと長くて、しかも向こう側はもう埋め立てられているし、しばらく歩くとすっかり真っ暗になってしまった。振り返るととても小さく、入り口が見える。
蒸し暑いのかな、と思ったけど、中はひんやりとしていた。
「で、こんなところでなにするつもり?」
「ムカヒ君とのお別れ。最後だから」
言いながら少女はごそごそしていた。暗いせいでなにをやってるかは見えないけど、ランドセルからきっと何か取り出しているんだろうなぁ、と音で気づく。
「ムカヒ君はわたしと仲良くしてくれたよね。ありがとう。
わたしは、わたしが教室の隅で本を読んでいる以外の姿って想像できなかったよ。
でもムカヒ君とクラスの係とはいえ、夏休み、いろんなことはなせてうれしかったの」
暗闇の中で少女の表情はうかがえない。
「しゃべってたのはだいたいお前の方じゃん。僕は聞かされるばっかりで仕事もろくにできなかったし」
「えへへ…ごめんね、ムカヒ君。わたし、しゃべりだすと周りが見えなくなっちゃって」
「知ってる、知ってるよ」
「だけど、ムカヒ君はぶつくさ言いながらでも、ちゃんと最後まで話聞いてくれたよね。うれしかった。
だから、お礼をしようと思うの。
ムカヒ君、ムカヒ君にはなにか思い出したいことってないのかな?」
「…なにいってるの?思い出せるから、思い出、だよ。忘れてしまったことは記憶にないんだから、思い出そうなんてまず思うことが無理じゃん」
「…ん~、なんていうのかな、もう一度見たい風景とか景色とか、ない?」
「別に…風景とか見てもどう思わないし」
「そっか、ざんねんざんねん。じゃぁ、わたしので悪いけど…ムカヒ君に気に入ってもらえたらいいな」
だんだんと暗闇に目が慣れてきて、ぼんやりとだがお互いの位置ぐらいはわかる。
少女は僕の目の前に手の平を差し出した。
「よく、見ててね」
手の平からキラキラといくつも小さいかたまりが浮かびだしてくる。
なんだ、これ、と僕はさらに顔を近づけて目を凝らす。よくわからない。粒々のその光はふわりふわりと手の平から浮かび上がっていく。そして気がつくと、僕と少女の周りを取り巻いていた。
「なにこれ、ホタル?」
ぜんぜん虫のようには見えなかったし、そんなものランドセルから取り出すものじゃないのもわかっていたけどとりあえずそう聞かずにいられなかった。
いくつものキラキラに僕たちはぼんやりと照らされている。少女はまた小首をかしげてえへへと笑う。
「ちがうかな?でも、ヨルノマボロシっていうことだったら、ホタルと一緒かもしれないよね。
わたしの遠い記憶、風景、そんなものだけど」
暗闇がサァッと遠ざかっていく。ちがう、少女を中心に明るい世界が広がっていく。
ここはトンネルの中なのに、なのに少女の足元には見渡す限りの草原が広がっていて、上には手も届かない、高い空。いくつもの白い雲がゆらゆらと流れていて、見上げていると、僕は逆に空に落っこちてしまいそうな目眩を覚えた。
辺りを見渡すと赤、青、黄色、いろんな光のかたまりがふわふわと浮かんでいてそれはちかちかしながらお互い話しているようでもある。
少女は僕の手を取って満足げにうなずいた。
「どうかな?」
「すごい…」
「気に入ってもらえて、よかった」
僕はそのすごいが景色じゃなく、こんな景色をここに持ち出すことについていったのだけどわざわざ言い直すのもめんどくさい。
「ムカヒ君、ここで、さよなら、だね」
少女はぱっと僕の手を離した。
「うん、そうだね」
なんとなく、なにが起きるか僕には想像ついている。
「ムカヒ君といられて、うれしかったよ、楽しかった。だから、ムカヒ君にだけ、ちゃんとしたさよなら」
少女は、そっと、僕の胸元に両手を当てる。
僕は目を閉じた。
「…お別れはこれで最後。ほんとに、ほんとにさよなら」
僕はなんとなく、意地悪をしたくなってしまう。少女はきっと、このままここで過ごした全ての終わりを告げるつもりなのだと思うと。
「…マタアイマショウ」
「わがままだよ…ムカヒくんは…」
とん、と押される瞬間、僕はかってに再会の約束をした。そのまま、僕は一瞬周りに溶け込むような不思議な感触を味わう。そしてまた、ぬるい風が体をなでた。
辺りの空気が変わったのを感じる。少女は困ったように笑うとバカっていって背を向けた。僕はそのまま見送る。
ただ、セミの鳴き声だけがどこか遠くで聞こえていた。
【とある高校生の夏の1日 3 夏の風景をめぐる冒険】
「で、最後の一箇所ってどこ?」
小学校をあとにすると、俺はまた女の子に手を引かれ歩き出した。
「それは、いってのお楽しみだよ」
少しだけ、不思議なことがある。ここはまるで時間から取り残されたようだ。
俺は最初にそう思ったのだけど、いまだにこの少女以外の誰にも出会わない。車も通りはしないし、畑で働いている人もいない。
「どうかした?」
俺の疑問をかぎつけたのか、少女は振り向いた。銀色のフレームが光を反射して。
「いや、ほんとに人いないなぁ、と思って」
「ん…そうだねぇ、いつもなら誰かいるのに、珍しいよね。隣町にでもいってるのかな」
「俺に聞かれてもわからないのよ」
「あ、それもそうだね」
と、俺たちはもくもくとした大きな雲を背中に校舎の裏山に進入中。
やっとで背の高い木が見え始める。そのせいでセミのジーコジーコも一回り大きくなるのだが、涼しくなるのでそのことについては目をつぶろう。
少女も日傘を閉じる。
そして人が一人通るだけで精一杯の細い小道をなんかうろうろしながら奥に踏み入っていく。
聞いたこともない鳥の鳴き声なんかを耳にしながら、俺はきょろきょろと辺りを見回したり。
「やっぱ、都会の人にはこういうの珍しいのかな?」
女の子は振り返った。
「都会っつうほど都会じゃないけどね。でもこんな場所、入ったのは初めてだ」
「なんか、落ち着くよね」
女の子はにこり、と笑った。
「たまにはいいかも知れぬ」
俺としてはわりと珍しく、うなずく。
「うん」
それだけでわけもなくうれしそうにする女の子。
しばらくすると、視界が開けた。
「あ、もう少しだ、この先」
「この先って…」
俺は、絶句した。
足元が欠けている。
そう、ここは崖で細い、細いつり橋だけが向こう側へとつながっている。
「この先が、どうかした?」
風にゆらゆら揺れてぎしぎしと軋むつり橋。つなぐロープも今にも擦り切れてしまいそうだし、板だって踏み抜いてしまえそうなほど黒ずんでしまっている。
「さすがにこれはやばくないか?」
俺はすでにハートがドキドキしているぜ?心理学でいうつり橋ラブラブ効果を身をもっての体験中なのだ。
「え~、でもわたし、いつも渡ってるから、平気だよ?」
「いや、男子のカラダは女子より重くできてるし」
「じゃ、一人ずつだったらいいってことだよね」
「いや、そういうわけじゃなくだ」
などといいかけた俺の声を無視して女の子は本当に慣れきった足取りでつり橋をひょいひょいと渡っていってしまう。
「ねぇ、早くおいでよ」
俺はつり橋の目の前に立って、じっと足元を見た。崖の下には川が流れている。ざぁざぁと言う音がここまで届いてきて、う~ん、落ちても助かるのだろうか、これ。
「あ、ひょっとして怖いのかな?大丈夫だよ、信じて信じて。ありとあらゆるものにスピリチュアルが宿っていて、それに対しての心遣いさえ忘れなければ、不幸な事故なんておきるわけがないんだよ」
後半はなにいってんのかちっともわかりやしなかったが、怖いかといわれて引けるなら男じゃないんだよ、チクショウめ!!
ええい、ままよ、と俺は一歩を踏み出した。
ギシィ、と軋んで、ゆらゆら揺れた。
「あひぃ」
俺は間抜けな悲鳴を上げて、思わず口を押さえて、恐る恐る橋の向うを見る。
聞こえたか…?
「ちょっと…変な声、あげちゃいやだよ、あははははは」
とこっちを指差して、本当に苦しそうに女の子は白いワンピースをまとった体をくの字に曲げる。
「うぅ、チクショウ、さっきのはジョークだぜ、すぐに行くから、待ってろっ」
がっと俺は次の一歩を踏み出すと、駆け抜ける。
俺はもう、つり橋が怖いというより、恥ずかしさでいっぱいでさっさと橋を渡りきった。
「こ、これでどうだ」
そして思い出したようにがくがくと膝が震えだす、俺。振り返るとつり橋は大きく揺れていて、下手すると落ちていてもぜんぜんおかしくないのだ。
「うん、よくわたれました。いいこいいこ」
とにこにこ笑った女の子は背伸びして、俺の頭を撫でる。なぜか屈辱。
「じゃ、行こうよ」
と差し出された手を俺はぶすっとしながらつないだ。
「あれ、笑ったの、怒ってるのかな?あんがい、気持ちが小さいんだねぇ」
「うるさいのですよ、このやろう」
俺はその一言で全て終了。女の子はなにがおかしいのか、まだ一人ニヤニヤしながら俺の手を引いていく。
橋の向こう側は今度はまったく木が生えていない。俺たちは踏み鳴らされただけの道を歩いていく。
そして壁にぶち当たった。
突然、当然のようにそこには壁がある。
「ここでエンドじゃん」
「うん、だから次はこっち」
と女の子は歩き出した。
あ、と俺は思う。
なぜかここにだけ、背の高い向日葵がお互いを競い合うように咲き乱れていた。
そして、その向うに黒い、深々とした穴が開いている。
すぐにわかる、トンネルだ。
入り口にはいつ張ったのかわからないロープ。ぜんぜん立ち入り禁止の意味をなしていない。
女の子は向日葵の前に立って、クルリ、とこっちを振り返った。
「はい、到着ですー」
そして、小首をかしげてえへへ、と笑う。後ろで向日葵がざわざわと揺れている。なぜか、この風景も風に吹かれて掻き消えてしまいそうな気がした。
「で、やっぱりこの中なの?」
俺は聞き返した。
「やっぱり…ってきたこと、あるの?」
「いや、そんなわけじゃないけどさ。ただ、なんとなく」
俺は今感じてるこの感じをどうやって伝えたらいいのかわからず言葉も選べずに濁すことしかできない。
「まぁ、でもその通り。こっちからの方が入りやすいよ」
女の子はワンピースの裾をひるがえして向日葵畑の隙間を潜り抜けていく。
俺もそれについていく。
そして、トンネルの目の前にたった。トンネルは天井が低くて、といっても3mはないというだけだけど。もともとなにようのトンネルなのかさっぱりわからなかった。わかったからなに、という話でも歩けど。
「じゃ、入ろうか」
二人で手をつないでトンネルの中に入っていった。土の匂いがやたらと鼻につく。
湿っぽい、ひんやりとした空気がすぐに体を襲った。
俺は自然と言葉を飲み込みながらこの中、少女についていく。
足元はあんがい整理されていて、つまずくようなものは何もない。
そして完全に日の光が差さないような奥までもぐりこんだ。
「さて…と。そうだ、悪いけど、この本持っててくれる?」
と俺は少女が最初に読んでた本を渡された。
「いや、自分で持っててくださいよ」
「いいからいいから」
そして女の子はふう、と一度大きく息を吐いた。
「わたしはね、目に見えないものを信じているの。妖精とか、天使とか、そんなのってきっといてわたしたちは見守られているんだよね。で、ある日、ふと思ったの。目に見えないのなら、目が見えなくなれば見えるのかな、って。だから、この真っ暗なトンネルに来てみたの」
「で、見えたかい?」
「さてさて、それはどうだろうね?でも、来たかいはあったと思うの」
「ふぅん」
「さて、もう少し…かな?」
「なにが?」
「それは来てからのお楽しみ。それまで、お話でもしていようよ」
女の子はよくしゃべった。それはでも、自分のことばかりで。そう、女の子の話からは徹底的に他人の存在が外されていた。俺はなんかいやなことでもあったのかな、とそれ以上は聞きたがらなかった。
ふと、視界の端で何かが瞬いた。
俺のそんな様子に気づいたのか女の子もあたりを見渡した。
「あ、きたきた、これ、これを待っていたの」
辺りにはホタルのような、小さな白い光がどんどんと集まってきている。プラネタリウムに迷い込んだみたいだ。
ぼんやりとした光。それがトンネルの中を照らし出す。
「俺、なんかこれ、前にも見たことあるような…」
言いかけたところで、足元から風景が塗り替えられていくのを感じた。あのときのように。
俺の足元には小さな砂利が敷き詰められていて、それは明るい太陽に照らされている。
ああ、校舎の向うに大きな入道雲が見える。なんだっけ、これ、小学校?
ふと、視線を下げる。目の前には向日葵が咲き乱れて。
そこには、少女がいた。ショートカットで黒目がちなその瞳。白い肌は触れれば消えてしまいそうに。
向日葵の目の前、少女は小首を傾げて言う。
「でも、妖精さんは、その気持ちを抑えることはできなかったし、諦めることもできなかったの。だから、向日葵になった彼女はいつでも太陽の方を向いて、その気持ちをずっと飛ばし続けてるの。こんなに派手で、大きな花も、きっと空からよく目立つように、なのかも知れないよね」
そういって、首を傾げて笑う。あの向日葵が少女の言葉のように儚く、風に揺れた。
いつだっけ、これ。そうだ、俺には。俺には。一瞬思ったときから。
俺は少女に手を伸ばそうとしたところで、少女の輪郭が滲む。滲んで、白いワンピースを着た黒い、長い髪の女の子に変わってしまう。
風景はいまだにあの日の小学校のままだ。
「なんだ…せっかくあの時はムカヒ君にお礼できなかったからしようと思ったのに…
…でも、思い出したかったことはわたしのことだったんだね。ありがとう、ムカヒ君」
女の子はほほをそっと赤く染めてはにかみ笑いを浮かべた。
「名前…なんだったっけ?」
俺はとんでもなく、間の抜けたことをいってしまう。
「あいかわらずひどいなぁ、ムカヒ君は。あのころはずっとわたしの名前呼ばなかったくせに、今はわたしの名前、忘れちゃってたんだ。わたしの名前は…」
今度は、聞き逃さない。俺はきちんと、それを覚える。
「でも、さ。お別れは最後、一度してしまえば振り返らないんじゃなかったっけ?」
「ふふふ、ムカヒ君、それもまだ覚えててくれたの?なら、なんでわたしがもう一回来たのかももうムカヒ君もわかってるのかな?かな?」
俺はしばらく、ない頭を絞って考えた。プールの方からやぁやぁと騒ぎ立てる子供たちの声が響いてくる。
「…なんでだっけ?」
女の子はとん、と俺の心臓の上に指を置いて、そのまま自分の頭も俺の胸に預ける。俺はこんな間近に女の子を感じたことがなかったし鼻をくすぐる女の子の髪の香りとかにくらくらしながら、これって背中に手を回してもよろしいのかしら、とか場違いなことを考えていた。
女の子はぐるぐる、と俺の胸に当てたままの指を回した。
「やっぱり、ムカヒ君はひどい、ひどいよ。自分で言ってたことを忘れたの?わたしは約束を果たしにきたのに。ムカヒ君は意地悪だ」
「え~っと…」
「思い出した?」
「マタアイマショウ…?」
俺はどうもいまいち自信なく呟いた。
「そうそれ、だからもう一度会って、きちんとしたお別れをいいに来たの。それであのときのお礼も」
「だから」、といいながら女の子は俺の胸に預けていた、顔を上げる。たしかにこの女の子の瞳にはあの少女の面影が残っていて、メガネをかけてたからって気づかない俺はなんてアホなんだっ!!
「こんどはちゃんというね。ムカヒ君も、今度はまた、は無しだよ」
女の子はそっと俺の胸に手を当てた。あの時と同じだ。俺はその腕をしっかりと握り返した。
誰が離すか、このやろう。
「ダメ…ダメだよ。ムカヒ君」
女の子は困ったようにふるふると力なく首を振った。
「なにがダメなものか」
俺はいうけれど、掴んでいたその腕の感触がふっ、と消えてしまう。俺の腕はすり抜けて何もつかめない。
「ダメなの…さよなら、だね」
初めて、女の子は本当に悲しそうにする。でもそんなときでも笑顔しかできないらしい。
「そりゃそうだ…俺はリアルを生きるんだ。もっと、目に見えるものだけ信じて生きていかないといけないし」
俺は悔し紛れの強がりを言って見せた。泣いちゃいないのよ。泣いてたまるか。
「でも、わたしみたいなのがいたことも、忘れないでね」
「忘れるよ」
「そっか、それがいいかもね」
「ああ」
俺はゆっくりと目を閉じた。そしてまた胸を突き放される感触。
俺は一瞬何かに混じって、それでじりじり、と暑い陽射しを感じて目を開いた。
目を開くと、俺は最初少女に出会ったベンチに一人座り込んでいた。
寝てた…?夢…?おいおい、そんな使い古されたオチはやめてくれよ、と思って何か握っているのに気がつく。
文庫本…『文が苦』の俺が手にするわけもない文庫本。タイトルはやっぱり『羊をめぐる冒険(下)』だ。せめて上から渡してくれないかなぁ、などと俺は思い、一人苦笑い。
辺りを見回す。そこには少女もいなくて。何もなくて。セミの声も聞こえなくなって、あの山の向うに夕日が沈んでいく。ただ。
背高草のざわざわと。それ以外なにも聞こえない静かな夏の風景―――
ナンバーガールのトランポリンガールって神曲があるんですよ…
あれは都会の喧騒を生き抜くガール+夏の風景のカットバックで本当に最高に僕のセンチメンタルを刺激されるんですけど特に好きな歌詞の部分がですえぇ
なんかさりげなく 夏の花を思い浮かべてしまう
の出だしもそうですけど
俺はやはりその凛凛に俺はやはり負けるのか
力強く 惑わされもなく ただ笑っている あの子笑っている でも泣いて 傷ついて 飛ぶ 少女は飛ぶと
これは僕の持論なんですけど初期村上春樹先生とナンバーガールの歌詞の少女観ってすごい似てるところあるんじゃないかなあ
どちらも少女と人生が重なるところはあっても本当の意味で少女を手に入れることはできない。かならず『僕』『俺』より先に行ってしまう
少女とは理解の外側にあってそしてこちらの想像以上に強い存在である。
だからといって少女は傷つかない絶対無敵の存在ではない。
とかいう感じのことを多分これ書いてた当時は考えていたと思います。
僕のナンバーガール推しなのは(古くてもう解散済みのバンドなのに)やはり地元のヒーローだからっていうのがでかいですねぇ
そしてこのあとがきを最後まで読んだ奇特な人、ありがとうございます。
次回作に向かって頑張りたい、
あとよかったらクールガール(しつこい