1今年のバレンタインは一味違います~手作りチョコが欲しいです~
「もうすぐ、バレンタインですね。」
オレは妻である紗々さんに話しかけた。1月の最終週の土曜日、オレも紗々さんも休みで、一緒にのんびりと家で過ごしていた。リビングで昼食を食べながらテレビを見ていたら、バレンタイン特集がやっていたので、話を振ってみることにした。
「ああ、もうそんな季節ですか。」
紗々さんは、あまりイベントごとに興味がないように見えた。いや、興味がないというよりは、イベントごとを毛嫌いしているように見えた。しかし、実際は違うことを結婚して身に染みて理解した。
バレンタインもあまり乗り気ではないようだ。ただし、それは現実世界のイベントに限ると但し書きがついてくる。
「リア充は敵だ。」
なぜか、そのようなことを名言としている紗々さん。現実のオレたちが生きている世界のイベントには興味も持たず、むしろ敵意を持っている。それが、二次元、創作上では大いに興味があり、興奮するイベントと話すのだ。その部分については、いまだにオレには理解できない。
オレが考えている最中に紗々さんは、バレンタインについての持論を述べ始めた。
「バレンタインって、現実ではうざいだけですよね。だって、最近は好きでもない人に、義理チョコとか言って会社に配ったりしなくてはいけないですし。友チョコだの自分チョコだの渡す相手も様々で面倒で仕方ありません。」
そう言いつつも、なぜだか嬉しそうにしている紗々さん。なんとなくその理由は察することができた。聞くと話が長引きそうだと思ったので、これ以上追及するのはやめておいた。そのはずなのに。追及はやめたのに、話し始めてしまった。
「でも……。」
紗々さんは最近話題になっている「腐女子」という人種だった。BLが好きで、脳みそがBLに侵されている。どうやら、二次元、創作上でのイベントごとには大いに興味があるようで、クリスマスのときも、自分のクリスマスよりも創作のクリスマスをどうするかで悩んでいた。
「現実ではくそイベントですが、二次元上、BLでは大変重要なイベントなのです。受けの男子が男でもチョコを渡してもいいのか。でも、相手はモテモテで、自分なんかがチョコを贈る必要はないのかも、と葛藤する萌えシチュエーション。さらには、チョコレートを受けにかけてのチョコプレイ。バレンタインとは、二次元、ことBLにおいて、特に受けにとっての重大イベントなのです。」
紗々さんは、BLになると、途端に饒舌になる。そして、テンションが上がると、オレには意味不明の話を長々と嬉々として話し始める。本人は楽しそうなので、話を遮るのも可哀想だと思い、話し始めたら仕方なく毎回最後まで聞くようにしている。とはいえ、オレでは考えもつかないことを話しているため、ためになるかはわからないが、退屈することはなかった。
「今回も、全力で執筆しますよ。目指せ、あまあまバレンタイン。」
「僕の方にも、あまあまをくれてもいいんですが。」
つい、本音が口に出る。本人に自覚がないのが厄介だが、オレと紗々さんは結婚しているのだ。そして、新婚である。それなのに、あまあまではないバレンタインでは寂しすぎるだろう。そう思っての発言だったのが。
紗々さんは「腐女子」であり、自分でもBL小説を投稿している。イベントごとが近づくと、ネタ探しに奔走している。オレたち夫婦の会話の中からでも、平気でネタだといって使おうとしている。夫婦生活よりも自分のBL小説に力を入れているようで面白くない。
「大鷹さんは甘いものが好きなんですか。わかりました。できるだけ甘そうなチョコを買ってくることにします。」
オレの妻、紗々さんは鈍感女性だった。自分はもてないと思っているのか、自分で言っている通り、現実世界に興味がないのか。オレの言葉を誤解していることが多い。何度もオレは紗々さんに好きだと言っているのだが、いまいち伝わっていないようだ。
今回もオレの気持ちはきちんと伝わらなかったようだ。別に甘いものが特別好きというわけではないのだが。
「紗々さんは、オレにチョコをくれるということでしょうか。」
紗々さんの今の発言を聞くと、チョコをくれるということなのだろうか。それなりにオレのことを好きということだろうか。いや、紗々さんもオレのことを好きだということは知っている。だからこそ、チョコをくれると言っているのだろう。まさか、この後に及んで義理チョコを準備するということも考えられるが、それを想像すると悲しいのでやめておく。チョコをくれるのはうれしいが、一つお願いしたいことがあった。
「手作りチョコをくれると嬉しいです。」
そう、紗々さんからの手作りチョコが欲しくなった。オレも最近、紗々さんの影響を受けて、BLものをたしなむようになった。そのせいか、脳みそがだんだん腐ってきているようだ。
手作りチョコなんて、もらってもうれしいと思ったことはなかった。好きでもない女性からの手作りチョコほど重たいものはない。それに、何が入っているのかもわからないので、申し訳ないが、もらっても、食べずに捨てていた。それなのに、今なぜか紗々さんからの手作りチョコを所望している。
きっと、紗々さんが好きだからだろう。好きな人からもらうから、なおさら、手の込んだものが欲しいと思うのだ。
「………。」
オレの言葉に紗々さんは黙り込んでしまった。オレは何か間違ったことを言ってしまっただろうか。自分の言葉を振り返るが、特に何が悪いのかわからない。しばらくの沈黙の後、紗々さんは改まって宣言した。
「面倒なので、手作りはしません。」
ガーンとオレの頭にショックの鐘が鳴り響く。面倒とはいったいどういうことだろうか。仮にも、自分の夫、新婚ほやほやの相手にあげるチョコに対しての言葉だろうか。
オレの悲しそうな顔にさすがに罪悪感が湧いたのだろうか。面倒だといった説明を丁寧にしてくれた。
「いや、そんなにショックを受けても、ダメですよ。今時、手作りよりも、買ってくる方が安くておいしいチョコがあるので、そちらの方が大鷹さんもいいでしょうということだけです。それに……。」
続けた紗々さんの言葉は、紗々さんらしいものだった。
「それに、手作りの何が面倒かというと、使い終わった調理器具の後片付けですよ。あれがどうしても私は嫌なんです。だって、そうでしょう。一生懸命作り、完成品を見て満足感に浸った後の、汚くなった調理器具たちを見たときの絶望感。ああ、これを片付けるのか、と。」
「いや、でも手作りという労力を好きな人にかけようとは思わないのですか。そう、紗々さんは今まで手作りチョコを好きな人にあげたことはないんですか。あと、テレビで見たことがあるんですが、推しの誕生日とかに何か作ったりとかは。」
面倒といっても、好きな人にあげるためなら、多少の労力をいとわないものだろう。少なくとも、オレはそう思うのだが。
「甘いですね。大鷹さん。私がそんなことをする人間だと思いますか。」
「いえ、思いません。」
そうだった。紗々さんはそういう人だった。とにかく、面倒事が嫌いな人だった。土日もせっかくの休みなのに、引きこもりを決めている。好きなアニメや声優のイベントにも参加しないし、映画もレンタルしか見ていない。
とにかく、何をするにもやる気がない人だった。唯一、やる気があるとすれば、BL小説の執筆。それ以外で燃えているところを見たことがないのを思い出す。
「わかりましたか。では、わかりついでに、私のバレンタインの思い出をせっかくですので、話してあげましょう。」
どうやら、今日は紗々さんの機嫌がいいようだ。話してとも言っていないのに、自ら話し出した。




