8別れ話(梨々花視点)
私には好きな人がいる。新しい年になり、私は仕事の先輩を好きになってしまった。現在の恋人である当間君は当然、邪魔な存在となる。そもそも、彼はいまだに幼馴染に未練があるらしい。だから、別れるのも簡単だと思っていた。
「あれ、河合さんと、当間君?どうして二人が話をしているの?仲良かったっけ?」
しかし、そう簡単に彼は私を手放してはくれないらしい。
ある日の退勤後、私は当間君と江子先輩が一緒に居るところを目撃してしまった。当間君が私ではない他の女性と話しているのを見かけるのは構わないが、それが江子先輩だと思うと不快な気持ちになる。
とはいえ、おそらく当間君が先輩に手を出すことはないだろう。倉敷さん関係の話を聞くために、当間君から話しかけたに違いない。
「いや、親しくはないよ。ただの仕事仲間だね。当間さん、可愛い恋人が来たので、私はこれで失礼しますね」
江子先輩は私に気を遣って、その場から離れようとした。そんな気遣いは無用だ。私は彼と別れ話をしなくてはならない。そして、その場に江子先輩がいたら、心強い。
「待ってください!あの、先輩、この前私がお伝えしたこと、覚えていますか?」
私たちに背を向けて去ろうとする先輩を引き留めようと口を開く。私の声を聞いて、一度振り返った先輩はにっこりと微笑む。
「もしかして、好きな人ができたから、当間さんと別れたいって話しかな?それなら、いっそ、今この場で伝えたら?ああ、うっかり私が言っちゃった!」
「い、いきなり何を言いだすんですか、河合さん。そ、そんな話し、梨々花ちゃんがするわけ」
まったく、これだから先輩の好きが止まらなくなる。江子先輩は私から距離を置きたいがために、わざと私が困るようなことを言っているのだ。こう言えば、当間君と喧嘩になって、その原因が先輩の失言にあるということになる。そうなれば、私が江子先輩の事を嫌いになるとでも思っているのか。
当間君は先輩の言葉に、困惑を見せながら私に救いを求める。しかし、救いを求めてきたところで事実なので何も言うことがない。強いて言うなら。
「そういうことです。だから、わざわざ他の女性に私の事を相談するのはやめてください。ああ、それとも」
私みたいに、私以外の人を好きになっちゃいましたか?
「な、なにを言って」
「あらあ、そうなんですか?それはもしかして、私の知っている人ですか?最近、当間さんって、ある特定の女性をストーカーみたいに見つめていますもんね」
「あれ、江子先輩、知っていたんですか?私も指摘しようかと迷っていたのですが」
「ふ、二人とも、ご、誤解だよ。僕は紗々ちゃんの事なんて見つめてな」
「私たちは女性の名前を言っていません。なのに、当間君の口からその女性の名前が出るなんて、やっぱり、私の見間違いじゃなかったんですね」
まさかの自ら墓穴を掘りやがった。私たちが言葉を濁して話していたのに。とはいえ、女性の名前が出たので、これで心置きなく別れ話をすることができる。悲しくもないが、あえて悲しそうなそぶりを見せて当間君を責めてみる。彼の言葉で傷ついて見えるように、手を目の下に沿えて、泣きそうな顔を演出する。
お互いに好きな人ができたので、別れましょう。
そして、この言葉を言えば、あら不思議。なんて円満な別れ方だろうか。双方の理由が一致しているので、喧嘩がおきなくてすむ。江子先輩と当間君が話しているところを偶然、私が見つけられて本当によかった。江子先輩が見ている前で、堂々と別れることができる。
好きな人の前で、現恋人と別れられる。
なんてすばらしいシチュエーションだろうか。そうと分かれば、さっそく実行に移すのみ。私自身が別れの言葉に口にするだけだ。一度深呼吸をして、口を開く。
「さっきも言ったけど、私も当間君以外に好きな人ができたから、お互いに新たな恋の為に、私たち、別れま」
「認めない!」
しかし、最後まで別れの言葉を口にすることができなかった。自分に好きな人はいてもいいのに、恋人が自分以外を好きになるのは許せないらしい。なんて典型的なクズ男だ。
当間君、いや当間の発言は思いのほか大きな声で会社内に響き渡る。このままだと他の社員が何事かと集まってきそうだ。
「ねえ、私はいつ帰っていいのかな?それとも、君たちの別れ話の立会人をした方がよさそう?」
江子先輩は律儀にも帰らずにいてくれたらしい。立会人とはよいアイデアだ。証人がいたほうが簡単に話は進むだろう。
「とはいえ、他の社員も来そうだから、このまま別の場所に移動しようか。それと、私より立会人が似合う人がいるから、その人も呼んでもいいかな」
この場で別れ話が完結するかと思ったのに、なんだか、私が思っていたより事態が複雑になりそうな予感がした。




