3嫌な想像
「それで、最後まで彼女たちの会話を聞かずに帰ってきたというわけです」
「なるほど……」
私が話し終えると、大鷹さんはあごに手を当てて何か考えるそぶりを見せる。
彼女達の会話を最後まで聞くことも考えたが、途中で河合さんと目が合った気がしたので、慌ててこっそりと帰宅した。しかし、そのことは大鷹さんには伝えなかった。伝えたら、また河合さんに電話をかけかねない。
「もし、その梨々花さんという後輩が河合江子に好意を持っていたとしたら、紗々さんはどうするんですか?彼女たちの仲を応援するつもりですか?」
考えがまとまった大鷹さんがなんとも答えにくい質問をしてきた。正直、梨々花さんのことは苦手だが、河合さんとくっついたとなれば、苦手だからと避け続けるわけにはいかない。きっと、河合さんは彼女とくっついたとしても、私にまとわりついてくるからだ。
「本当にそうだろうか……」
「どうしたんですか?顔色が悪いようですが。もしかして、今話した内容以外で、河合江子に何か言われましたか?それとも、後輩に酷いことを言われましたか?」
私のつぶやきを拾った大鷹さんが椅子から立ち上がり、私の顔を覗き込んでくる。どうやら、かなり切羽詰まったつぶやきに聞こえてしまったらしい。もれなく、顔色も悪いようだ。
河合さんは私の小説が好きで、大鷹さんに次ぐ大ファンだ。だから、もし、梨々花さんと付き合ったとして、私との関係が壊れることはないだろう。そう思っていたが、最近の私は投稿頻度がかなり減っている。投稿した小説のクオリティは長年の積み重ねから上がっていると思うが、それは私が感じている事であって、他者からの評価ではない。
『先輩の小説を読むより、梨々花ちゃんと過ごす時間の方が有意義です。申し訳ないですが、先輩のファンはやめます』
『今までの私がどうかしていました。そもそも、コミュ障ボッチの陰キャな先輩と私が仲良くしていたのがおかしかったです。今後、私に話しかけないでもらえますか。陰キャが移ります』
『おおたかっちもお気の毒に。どうして、こんな引きこもりコミュ障ボッチと結婚することになったんだか。私のように新たな恋人を見つけて、目が覚めることを祈ります』
「はあ」
大鷹さんの溜息によって、現実に引き戻される。河合さんがそんなことを言うはずないが、どうにも悪い方の想像をしてしまう。
「いいですか。紗々さん」
「ナ、ナンデショウカ」
椅子に座りなおした大鷹さんが真面目な顔で話し出す。
「河合江子は僕の元カノジョです。その事実は変えようがありません」
嫌ですけど。
突然の言葉に頭が混乱する。嫌だけど、元カノだと私に改めて伝える意味がわからない。だから何だというのか。
「梨々花さんにヤキモチを焼いているのですか?やはり、大鷹さんは今でも河合さんのことが」
好きだ。
最後まで口にすることができなかった。口にしたら最後、私の悪い想像が現実になりそうな気がしたからだ。
これはいよいよ、私はお払い箱ということになる。大鷹さんが私を好きだという気持ちに嘘はないが、河合さんに新たな恋人ができようとしていて、気が変わったのか。隣の芝生は青く見えるというが、それが現実になってしまったのか。
「でも、大鷹さんは私と結婚していますよね?私と離婚したとして、河合さんが大鷹さんとヨリを戻すとは限ら」
「なぜ、今の話しから、紗々さんとの、離婚の話になるんですか?」
私の言葉は途中で遮られた。大鷹さんは私の言葉が心底理解できないという顔をしていた。
「ぐううう」
タイミング悪く、私のお腹が空腹を訴えた。大事な話の最中になんとも情けない音がリビングに響き渡る。
「もう、そんな時間ですか。お腹が減っては冷静な話し合いはできません。夕食の準備をしますので、紗々さんは僕との離婚の話に至った理由を、僕に、わかりやすく、説明できるように、考えておいてくださいね」
「ワカリマシタ」
大鷹さんの地雷を踏んでしまったようだ。確かに軽率に「離婚」などと言う地雷ワードを口にした私も悪い。しかし、大鷹さんも河合さんが元カノだと改めて言い直したことにも問題がある。
彼らは妙に仲が良い。趣味や好みがよく似ていて羨ましく感じることもある。大鷹さんの妻として、河合さんに嫉妬しない方がおかしい。今までは河合さんが私のことを好き好きアピールしてきて、彼らの真ん中に私が位置していたから嫉妬などしなかったが、今回は訳が違う。
大鷹さんが夕食の準備を終えるまで、モヤモヤとした気持ちを抱えながら、大鷹さんの元カノ宣言の意味について考えていたが、一向に言葉の真意を理解することができなかった。
『いただきます』
今日の夕食は肉じゃがと味噌汁だった。大鷹さんはかなりの優良物件で、イケメンで高身長、料理も出来るので、私にはもったいないと思うことが多い。
「やはり、顔色が悪いですね。最近、風邪とか他の感染症も流行っているので、移っていないといいのですが。紗々さんって、確か予防接種とかしましたよね?」
「予防接種はしましたけど。多分、風邪とかではないので心配はいりません」
ただ、精神的に参っているだけなので。
心の中で顔色が悪い理由を呟く。大鷹さんは夕食前の会話を忘れたかのようにおいしいそうに自分が作った肉じゃがを口に運んでいる。まったくのんきなものだ。「離婚」というワードが地雷なくせに、どうしてそんなに平然としていられるのか。
「まずは食事を楽しみましょう。紗々さんの言い分も、僕の言い分も、あとでしっかり伝え合いましょう」
「ソウデスネ」
身体は空腹を訴えているが、どうにも食欲がわかない。とはいえ、今食べずに夜中の空腹で眠れなくなっては困る。明日も平日で仕事があるのだ。身体は資本なので、大鷹さんの言う通り、食事を楽しむことにした。
「やっはり、おおたかしゃんの作る料理は、おい、しい、です、ね」
「ありがとうございます。と言っても、料理をシッカリしようと思い始めたのは紗々さんと結婚してからですから、おいしい料理が作れるようになったのは紗々さんのおかげですよ」
「そ、そんなわけな」
「実際そうなんですよ。どうしたんですか?いつもみたいな自信がすっかり消えています。河合江子のせいですよね?まったく、あの女はいつもいつも、紗々さんに迷惑ばかりかける……」
「いえ、今回の件に関しては、河合さんはわるくな」
「彼女をかばう必要はありません。ああ、せっかくの夕食が台無しになります。食事中に彼女の話はやめにしましょう」
私たちはしばらくの間、無言になり食事を終えるのだった。無言で気まずい空気が流れていても、大鷹さんの作る肉じゃがも味噌汁もとてもおいしかった。そのため、食べ終えるころには私のモヤモヤした気持ちが少しだけ晴れたような気がした。
おいしい食事の力は偉大である。




