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7恋に落ちました(梨々花視点)

「さっきの話の続きだけど、私が先輩の旦那、つまりおおたかっちを紹介しようと思ったわけはね」


 注文したメニューをあらかた食べ終わり、ドリンクバーで紅茶を持ってきて一服していたら、河合さんが食事前にしていた話を再開する。 


 発端は今日の昼休憩中の河合さんの言葉だ。その時は変だなと思っていたが、元カレということで納得した。とはいえ、改めて話すほどの理由は何なのか。何か深い事情でもあるのだろうか。私が目線で話を促すと、河合さんは大げさな咳払いをして口を開く。


「単純におもし」


 ブー。ブー。


「ああ、ごめんね。電話みたい」


 タイミング悪く、河合さんのスマホが着信を告げる。しかし、途中までの言葉から察するに大した理由ではなかった。面白そうだから、という理由だとしたら、確かに単純明快な理由だ。


 私には倉敷さんの旦那を奪うなと言っておいて、自分は私に彼女の旦那を紹介しようとしていた。


面白そうだから。


「性格歪んでいますね」


「聞こえているよ、梨々花ちゃん。面と向かってそんなこと言える人も充分、性格が悪いよ」


「ほっといてください」


 それにしても、こんな夜遅くに誰からの電話だろうか。河合さんがスマホを確認するが、相手がわかると途端にうれしそうな顔になる。


「グッドタイミング!梨々花ちゃん、生身じゃないけど、声が聴けるよ」


「はあ」


「もしもし?」


 私と二人きりの食事だというのに、河合さんは私に構わず、電話に出てしまう。そして、私に聞かせるようにスピーカーモードにしたようだ。スマホ越しに男性の声が聞こえてくる。


『ああ、もしもし、河合江子さんの携帯でよろしいでしょうか?紗々さんの夫の大鷹攻と申します』


 電話の相手は、まさかの今話題に上がっていた倉敷さんの旦那さんからだった。わざわざ河合さんの電話にかけてくるということは、親しい仲というのは本当のようだ。


 元カノに電話だというのに、旦那さんは随分と他人行儀な話し方だった。そして、言葉にはとげがあり、河合さんを嫌っているように感じた。それに対して、河合さんもとげのある言い方で返事する。


「ずいぶんと他人行儀ですね?確かに河合江子の携帯で合っていますよ。いつも紗々先輩がお世話になっています」


『お世話されているのはあなたの方でしょう?』


「そちらこそ、先輩にお世話されているのではないですか?」


『今回の件ですが、予定がありますので』


 まるで、子供の口げんか並みの低レベルな言い争いだ。しかも、その内容が地味女である倉敷さんの取り合いだ。まったくばかげている。さて、旦那さんはこの時間にどこから電話をかけているのか。もし、自分の家だとしたら。


「誰からの電話ですかあ?」


『り、梨々花さん?』


「あれえ、その声、倉敷さんですかあ?ということはあ」


「そう、今電話かかってきたのが、先輩の愛しの旦那様」


 私の意図に気付いた河合さんがノリノリで乗っかってくる。私は普段からぶりっ子口調で話すわけではない。しかし、なんとなく、ぶりっ子口調がこの場合は正解な気がした。


「声までイケボなんですねえ」


 倉敷さんの旦那さんの声を初めて聴いたが、とても良い声だった。低すぎず、高すぎず丁度良い加減で聞いていて、耳に心地よい。


『河合さんと梨々花さんがいるっていうことは、今からビデオ通話にしたら、実際に大鷹さんを紹介しなくてもいいんじゃ』


『ビデオ通話なんてしませんよ。それに、彼女達に会う事もありません』


「電話で済ますなんてひどいですう。もしかして、旦那さんが私に取られると思って心配してます?」


『そ、そんなわけないでしょう?』

『ありえません』


 私が冗談めかして言うと、すぐに電話越しに二人分の声が同時に聞こえた。倉敷さんは動揺しているようだが、旦那さんは完全に私のことは眼中にないらしい。きっぱりと否定されてしまった。私たちの会話を聞いていた河合さんは何が面白いのか、口を押えて大爆笑している。


「旦那さんは否定されているじゃないですか?河合さんから聞きましたよ。旦那さんは河合さんの元カノだって。河合さんが旦那さんを紹介してくれるって言うんですから、いいじゃないですか?減るものじゃないでしょう?」


『僕の時間が減ります』


「仕方ないなあ。じゃあ、おおたかっちは抜きで、4人でダブルデートにしましょう?それなら問題ないでしょ」


 何が仕方ないのかわからないが、河合さんが新たな提案をする。目がキラキラと輝いていて、まるでいたずらを思いついた子供のような無邪気な表情だ。河合さんのいろいろな表情を見ているうちにある感情が私に芽生える。


「倉敷夫婦、恐るべし。そして、羨ましい」


『何か言った?』


「いえ、少し電波が乱れたようです」


 無意識に口から出ていた言葉に自分自身が驚く。今までの恋愛対象はすべて男性だったが、今、それが覆されようとしていた。


『ダブルデートの意味がわかりません。どのカップルとどのカップルが会うんですか?そもそも、紗々さんが行くわけないでしょう?』


「私も反対です」


「あら、そうなの?」


「はい、たった今、無理になりました」


 当間君みたいな凡人を恋人にしていた今までの自分を捨てよう。私は今日から、新たな新生「梨々花」に生まれ変わる。


「良い案だと思ったんだけど」


『ということで、今回の件はなかったことにしてください。では』


 電話は唐突に切れてしまった。自分から電話してきて、勝手に切ってしまった。なんて自分勝手な男だろうか。それとも、それくらいの非常識が許される関係だということか。どちらにしろ、私の今後の恋の障壁となるのは、彼ら二人だ。


「ちなみにだけど、ダブルデートは、梨々花ちゃんカップルと、私と先輩カップルの4人で考えていたんだけど、断られちゃった」


 電話が勝手に切られたことに、河合さんは怒っていなかった。むしろ、さらに楽しそうな笑顔を浮かべている。


本当にダブルデートを実行するつもりはなかったようだ。いや、私を紹介するのを面白いという理由だけで決行しようとしていたのだ。河合さんなら本当にやりかねない。


「それで、彼らの何が羨ましいの?」


「エエト」


 河合さんはドリンクバーから持ってきたコーヒーを飲みながら、にやにやと私に聞いてくる。独り言みたいな言葉を拾うなんて、なんて地獄耳だ。


「まあ、彼らが羨ましい気持ちはわかるけどねえ」


「えっ?」


「だって、あんなに相思相愛の夫婦なんて現実であまりいないでしょう?梨々花ちゃんは見たことある?あんな純愛夫婦」


「いえ、ないですけど」


「でしょう?梨々花ちゃんはまだ彼らとの交流が少ないから理解できないかもしれないけど、本当に面白いんだから。例えば……」


 河合さんは倉敷夫婦がいかにすごいかをまるで自分の孫かのように語り始める。いつまでも続きそうな雰囲気を感じ取り、慌てて止めようと口を開く。


「彼女たちのことは、よおくわかりました。それで、あの、河合さん」


「なあに?」


 私も河合さんもファミレスへは車で来ているので、お酒は一滴も飲んでいない。それなのに、彼女達を語る様子は泥酔しているかのような恍惚な表情をしている。


「私、新年の目標を決めたんですけど、聞いてもらえますか?」


 新たな恋を見つけたので、その恋が実るように全力で頑張ることです。


 はっきりと河合さんに口にすることができた。その相手は目の前の女性だ。強敵が二人ほどいるが、恋に障害はつきものだ。


「当間さんはいいの?」


「あんな凡人に構っていた今までの私はここにはいません。なんなら、今この場で別れを告げられますけど」


「あははははは。梨々花ちゃんって、こんなに面白い子だったの?いいよお、新たな恋。ちょうど私も、今年の目標をそんな感じのものにしたから」


 河合さんには驚かされてばかりだ。私と同じような目標とはいったい何なのか。河合さんもまた、新たな恋の為に頑張るというのか。それはいただけない。


「それはいったい、どういうこ」


「そろそろお開きにしましょう?ほら、もうこんな時間だ。明日もまだ平日で仕事があるでしょう?この話はまた会社か」


 二人きりの時にね。


 なんて罪な女性だろうか。好きだと自覚した相手にウインクされてしまった。こんなの、ときめくに決まっている。


 新年早々、私は河合江子という一人の女性に恋をしたのだった。

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