1 旅立ち
「―――ほう。」
その異世界に来て、最初に感じたのが、驚きでも、感動でもない。ただの、感心だった。
感心。つまり、感じ入っている。
灼熱のようなうだる熱さの下、その青空の下に、異国風情の雑多な市場が広がっている。
ここには確かに現代日本とは違う文化があった。文明だって違うし、街中を行き交うのは――豚の鼻を持つちょっと奇妙な(だが、どこか可愛げのある)男や、極端に背の低い人種。そして、リザードマン……っていったらいいのか。RPGゲームで見ているような、そんなトカゲ顔の男たちだ。剣を腰におびている。
「剣と魔法の、異世界か!」
シャツをまくって、真夏日の昼間のような暑さを感じている桂庭は、その新鮮な景色に目が釘付けだった。
年の頃は二十代後半。まだ、ゲームが普及する『RPGってこんなもんでしょ?』と断定するほどにやり込める年代よりも少し前で、小学校の頃は、もっぱら剣と魔法のカードゲームに友達とはまり、貴重な夏休みの時間も、お小遣いもそれに浪費していた、という程。
日常の忙しさにかまけて、そういった事象から遠ざかっていた日々だが――かといって興味がないわけでもなく、彼にとって目の前の景色は、理解しよう、というのに足る光景だった。たとえ、今の彼が、死んだ後の人間だったとしても。
「……二度目の人生が、こんな異世界でもいいなぁ……っと、おいおい、待て」
呟いていた彼が、大通りの市場の中で目を輝かせる。
そこには、お決まりとも言える『魔法使い』が、その街中で魔術を行使し、炎弾を手のひらに浮かせて――市井の子供たちに術を教えていたが。彼はその横を大手を振って歩き、素通りする。
その向こう、見えてきた剣術士たち。
王城の騎士様だろうか。どういう任務があるのか、三人が退屈そうに腰を下ろしていたり、仲間の一人が剣を振りかぶって、演習していたりした。それは、それは見事な剣さばきで、その刃物の技の冴えは、彼が元いた現代ではオリンピックでもお目にかかれない絶妙さだったが―――彼はその横を大手を振って歩き、素通りする。
……《魔法》に興味なし。
……《剣》にも、特には、興味なし。
そんな彼が向かった先は、
「―――おっさん! その上手そうな食べ物、ひとつ!」
「………………は?」
うちわのような扇をパタパタとさせ、日本でいうウナギのタレ焼きのような製法で『なにかの肉』をこしらえていた、豚鼻の露店主に対して、そう白いシャツを腕まくりした男が、爽やかな笑みを浮かべる。
指は、一本。
万国共通の、『注文スタイル』である。これさえすれば、言語の壁なんて越えられる。そう本気で信じていた。
「……な、なんだぁ。あんた。変な格好……」
「なんの肉を使っているんだ!? それ。まさか、《魔物》の肉ってヤツか! どんな肉だ! 蛇っぽい魔物の肉か? それとも肉食の獣の肉か! ごりごりしていて、歯ごたえが良さそうだな。――ジュルリ」
「だ、だから、一体何なんだ!?」
《異世界》の住人を、怯ませ。
そんな男、桂庭は、店先で露店が傾きそうなくらい身を乗り出し、テーブルを両手で押さえて、まだ『準備中』と異世界言語で書かれたそこを、踏み荒らさんばかりに押しかけていた。
いい匂いがするのは、いい料理の特徴である。
一説によると市販の食べ物やかき氷などに対し、すべて『匂いを変えているだけで、味付けはどれも一緒である』という驚愕のデータが存在するが、桂庭が思うに、それは異世界でも一緒である。うまい料理には、上手い匂いがつきまとう。逆にいうと、そんな露店屋台を見つけることができたのなら、うまい料理にもありつくことができる!!
「――おっちゃん、なんでもいい。《異世界》の料理とやらを俺に一口食わせてくれ! なんだ、支払いは金か? キャッシュじゃダメか! こっちの世界の金がどうなっているのか知らんが、当然諭吉は使えねえよな……ああっ、くそ。こうなりゃ意地でも体で働いて返して、それで料理を特盛りで――ッ」
「――カツラバさん、あんまりがつがつしないでください!」
と、後ろの熱気漂う市場から、シャツの襟首を引っぱってきた少女が一人。
女の子である。まるで聞き分けがない犬のように、『ちょっと目を離すと、すぐこれですから』と頬を膨らませて、怒ったように睨みつけている。まるで、知り合いであることが、恥ずかしいように。
「――な、なんだよ。フィアさん! 女神さんがそんな顔して……」
「私たちが、異世界に来た目的を忘れたのですか」
「――えーっと。死人だった俺を、『外の世界に連れ出す。そして、南へ』――というのが、越権行為までして、女神様の立場に背き。そして俺を異世界の『水先案内人』として引っぱってきた、あんたの要求。だったっけ」
「……あ、あんまり。ハッキリ言わないでください! 恥ずかしいです。カツラバさん、デリカシーがないですね」
そんないい匂いのする露店屋台の前で、ケンカする二人。
キツい顔をしているが、その実けっこう可愛さのある『年下』の顔をしていて。それでいて、実際は外見相応の『好奇心』も持ち合わせていて、桂庭と同じくらいこの異世界に興味津々の女神さんは――そう言っているのである。
彼女の名前は、フィア。
淡い水色のとても美しい髪をしており、この異世界の交易市場(――一応は、首都らしい)でも、特別、際だった美貌をしていた。腕には女神様の金のリング、そして黄金ティアラのような髪留め。……どっから、どう見ても、いい女である。
で、そんな女神様が、案内人として選んだのが――この桂庭という、人生半ばで『食い物の欲求に負けて死んだ』男であった。
そう、これは。
食事の魅力 > 人生 となってしまった平凡な社会人(元)と、それ以上に、空腹、お腹ぺこぺこの食い意地の張った女神様との、グルメ道中&異世界のぶらり旅である。
異世界グルメレース、開幕。