引率
X県某所にある廃遊園地を、ご存じだろうか。
もう、三十年以上前に閉鎖されているが、もしかしたら、地元の方は名前くらいは記憶にあるかもしれない。
名前はここでは伏せるが、仮に「裏野ドリームランド」としておく。
すでに廃園になってから数十年が経過し、敷地内のアトラクションの全てがそのまま放置されており廃墟と化しているため、その手のマニアの方にはそれなりに有名だ。
だがここで昔、児童集団失踪事件があったことを知る人は、少ないのではないだろうか。
事件が起こったのは昭和の時代だ。
いわゆる『神隠し』の様相を呈したこの事件は、当時のメディアや新聞、週刊誌などを大いに騒がせた。
なにしろ、この遊園地に遠足に出かけた児童三十数人の全員が、忽然と姿を消したのだ。
一人や二人ではない。三十人以上が、全員だ。
事件当時、私は小学生の低学年だったと思う。
あまりに昔のことなので、記憶にかなり曖昧な箇所がある。
そのため、ところどころ適当に補完していることについては、どうかご容赦願いたい。
と、その前に、裏野ドリームランドをよく知らない方への補足。
裏野ドリームランドは、昭和後期に建設された遊園地で、当時はまだ珍しいループ式のジェットコースターや、巨大な観覧車があり、人気を博した。
市街地から電車で一時間程度、アクセスもよく、当時は平日でも多くの人で賑わっていたそうだ。
立地的には四方をなだらかな山で囲まれ、散策路などが整備されていたので、ハイキングも楽しめたそうだ。
当時さかんにやっていたテレビCMでは、遊園地のアトラクションだけではなく、敷地外の山林や、四季折々の花々なども宣伝していた。
山を越えた先には中規模のダムがあり、そこでの貸しボートの宣伝もしていたりと、かなり地域全体で力を入れていたようだ。
さて、本題に戻ろう。
その日は、五月のある日、穏やかな春の日だったと記憶している。
いつも通り退屈な授業を終え、いつも通り下校途中に友人と近所の公園で遊び、いつもどおり日が落ちる前に帰宅した。
両親は共働きで、父はごく普通のサラリーマン、母親はパート。私のほかに、二つ下の妹が一人。彼女はあまり小学校のクラスになじめず、友人が少ない。だからなのか、いつも先に帰って待ってくれていた。
その日も私が玄関の呼び鈴を押すと、待ちかねていたかのように扉を開けてくれた。
玄関で適当に運動靴を脱ぎ散らかして、まずは洗面所に。
母親からきつく言われていた手洗いとうがいをして、居間で持って帰ってきた宿題をぺらぺらとめくり(めくるだけだったが)、そのあとは妹と一緒にゴロゴロと漫画を読む。
六時を回った頃に、パートから帰ってきた母親が台所に入り、七時頃には「ご飯よ~」という声で食卓につく(父親は帰りが遅いので、先に食べてしまう)。
我が家では、夕食時に、テレビを付けっぱなしにしておくのが習慣だった。
食事中である七時から八時台は、いわゆるゴールデンタイムというやつで、当時は子供が好きなアニメなどを放送していたからだ。
今から考えれば、行儀の悪い習慣だったかな、とは思う。
だが、週五回のパートから帰ってきて、そのまま夕飯を作るのが日課だった母親のことだ。
食事の時くらい、ゆっくりしたかったのだろう。
テレビを付けておきさえすれば私や妹がおとなしく食事をしてくれるので、特に何も言わなかった。
事件は、ゴールデンタイムに緊急速報としてその第一報が流れた。
いきなり警報のような音がテレビから流れてきて、同時に画面がアニメからニュースに切り替わる。
口の中にご飯をほおばりながらアニメを見ていた妹が、不満げな声を漏らした。
ニュース画面で、キャスターが低い声で内容を読み上げる。
困惑したような声だ。
私は、きっとニュースキャスターも食事中でいきなりカメラを向けられたのだろう、と子供ながら思ったのを覚えている。
ニュースを読み上げ、テロップが出て、それを見た母親が手に口を当て絶句しているのが見えた。
私も妹も、多分同じような反応をしていたと思う。
当然だろう。
なにしろ平日とはいえ、多くの人でごった返す人気の遊園地から、三十数人の子どもが姿を消したのだ。
特大のニュースだった。
当時の記憶は今となってはおぼろげだが、確か自由時間か何かだったらしい。
引率の先生方の目が届かない時間帯だったのだ。
先生とご家族の方、それに遊園地の職員や警察の方々が総出を上げて、遊園地の隅々、それに周辺の敷地の捜索に当たった。
当然のことながら、それはもう、現場は上へ下への大騒ぎだったそうだ。
先ほども申し上げた通りだが、裏野ドリームランドは立地的には四方を山に囲まれていて、その山を越えると中規模のダムがある。
当時の新聞やテレビの見解では、子どもたちは遊んでいるうちに敷地外出てしまい、山に迷い込んでしまったのだろう、と結論づけていた。
要するに、遭難したと考えたのだ。
だが、裏野ドリームランド周辺を囲んでいる山は、いわゆる里山の類だ。
切り立った崖や深い森があるわけでもなかった。
狸や野鳥は生息していたかも知れないが、野生動物といってもその程度だ。猪すらいなかったようだ。
つまり、凶暴な野生動物に襲われた、という線も消える。
それに、小学生が遠足に出かけるに適した季節なのだ。
暑くもなく寒くもなく、とにかく気候のおだやかな季節だったはずだ。
散策路は来客用にきちんと整備されてた。
ところどころに雨宿り用の小屋もあったようだ。
たとえ迷い込んでしまったとしても、雨風に震えるようなこともなかったはずである。
だが、懸命な捜索の甲斐なく、子どもたちは誰一人として見つからなかった。
当時のワイドショーなどでは、周辺の山全体の捜索をしろだの、ダムの水を全部抜けだの、実現可能性はともかく喧々囂々の議論を戦わせており、霊能者による行方不明者の捜索特番などが組まれたりもして、世間ではちょっとしたブームの様相を呈していた。
当然小学校でもその話題でもちきりだった。
友人たちとの間で、テレビに出てくるインチキ霊能力者の真似ごとがちょっとした流行になっていたものだ。
ただ、学校側としては防犯上キチンとした対応を取らなければならなかったようで、事件から一ヶ月ほどは、集団下校していたのを覚えている。
だがそれも、当時小学生だった私には、楽しいイベントごとの一つとしか捉えていなかったのは事実だ。
友達や妹と一緒に帰る道は賑やかで、子どもだから事の重大さなぞ理解できるはずもない。結構楽しかったものだ。
それに、いつもは夕方にならないと帰ってこない母親がパートを昼で切り上げ、家の玄関で出迎えてくれたのが、とりわけ嬉しかった。
ちなみに裏野ドリームランドはその後すぐ、廃園になったそうだ。
この話を書く前にすこしばかり下調べをしたところ、事件が起こった数年後に、運営会社は倒産していた。
あんな事件があったのだから、当然と言えば当然だ。
遊園地の敷地は買い手もつかず、結局当時最新鋭のアトラクションは、全部錆にまみれた廃墟に変わってしまった。
これが、私の知る事件の概要だ。
ああそうだ、一つ思い出した。
実は、妹の当時の同級生が、その時、裏野ドリームランドに家族で遊びに行っていたそうだ。ご両親の仕事の関係上、平日が休みの家庭で、たまたま事件に出くわした、ということらしい。
彼はそこで不思議な体験をしたというのだ。
わりと重大なことだったのに、なぜ今思い出したのかは、わからない。
けれども、ふと、思い出したのだ。
妹が、友人づてで聞いた話だ。正直なところ、本当かどうかは分からない。個人的には、妹の気を引くために吐いた嘘だと思っているのだが。
そこで、彼は見たそうだ。
笛を吹きつつ、男が子どもたちをたくさん引き連れて、遊園地の敷地から山へ向かっていくのを。