遭遇
目前にある丘が残す傾斜によって、
リトリンカの南側は門を抜けて街に入っても
緩やかな下り坂が続いており、
幅の広い大通りがまっすぐに伸びる先に視線を送れば
やがて両側に建ち並ぶ建物たちの間に
紺碧の輝きが見えてくる。
その濃く鮮やかな色と踊るような光とは、
古来よりこの地に生きる人々や生物たちに多くの恵みを与え、
命を慈しみ育んできたアエイネス湖の湖面が
陽光を反射し煌めく様が王都の風景の一部として
視界に入っていることを示すものだった。
様々な店も多く軒を連ね、湖南通りと呼ばれて
それ自体が観光地の一つとなっているこの坂道では、
どこから眺めるかで湖の色や見え方が微妙に変化するとして
至る所で旅人が足を止め、写真を撮ったり写生をしたりと
各々の楽しみ方をしている姿が目に付く。
「眺めはいいし風は気持ちいいし、
実にいい所だなあ。
どこへ行くでもなくぶらぶらと散策したくなるね。
どうだいスカーレット、いずれミラストラ各地を回って
『知将ゾルカの街角散歩』なんて番組をやってみるってのは」
ゆったりとした歩調で坂を下りながら、
ゾルカは隣を歩くスカーレットに顔を向けて言った。
人は多いが、冷涼な空気は清澄で爽やかである。
この風、この景色の中を、どこまでも歩いていたくなる気分に
誘った。
一方、湖上の城を観察するようにしていたスカーレットは腕組みをして、
ゾルカの方を見ることなく独り言のように答え始めた。
「そうね、その街のよく知られた名所以外の様々な顔を見られるのは
現地に行ったことのない人からすれば興味深いと思うわ。
実際に作るとしたら、とりあえずタイトルと出演者を変えて…」
「さらりと俺をほぼ全否定した!
俺の企画だぞ俺の企画!」
「…でも、いきなりゾルカ君に出て来られても
みんなわけがわからないと思うし、
知将っていうのも意味不明だし…」
スカーレットの答えはもっともだったので、
ゾルカは反論するのはやめて話題を変えることにした。
「…いいだろう、この話は一旦持ち帰って
会議で揉むことにしよう。
じゃあ、本題に戻ってこれからどうするかってところを
決めようか。
まず…」
「一度黙れ、デスゾルカ」
「え」
「今後の方針について確認しよう…
まずは情報の集まる酒場を急襲する、いいな」
「何が!?」
目を剥いて、ゾルカはアルシアに鋭く言った。
「すかした顔して『いいな』じゃないよ、
いいわけないだろ!
そんな危ない発言は誰もしてないってことを
しっかり確認しておきなさいよキミ!
まず…」
「わたくしは兄上の言う方法でもいい」
リリィベルが割り込んできてそう言ったが、
彼らの暴挙を許すわけにはいかない。
ゾルカは、大きな動きで右手を前に突き出し
ジブリス兄妹を阻止する強い意志を表現した。
「下がれ下がれい、下がりおろう!
魔神王軍の良心こと俺のお出ましだ」
「私じゃなくて?」
「キックで人を寝込ませる良心がいると思ってるんですか!
とにかく方針はこの俺、デスゾルカ・レビが決定します。
まず…」
「ゾルカ君、頭ごなしに否定するばかりでは駄目よ。
上に立つ者として、ちゃんと聞く耳も持たないと」
声を抑えて、スカーレットがそっとゾルカに告げた。
聞く耳を持たなきゃならんような意見か、とは思ったが
ジブリス兄妹が突拍子もないことばかり言うとしても
はねつけるだけでは良くないだろう。
行動を共にする者として、理解を示す姿勢も見せなければ。
そう考え直して、ゾルカはゆっくりとした動作で顎をさすった。
「…ふゥ~む、アルシア君…
そうだねェ、君のご意見…
酒場を襲うという、この…
何ともあれだね、ダイナミックかつアグレッシヴで…
なかなか含蓄のあるご高説だとは思うんだけども…
どうだろうか、リトリンカはかなり大きい街のようだし
いきなり騒ぎを起こしては後々の情報収集にも支障があるだろうから、
とりあえずエルトフィアで実績のある俺のやり方で
進めてみるということでは…」
「そこまで言うのであれば仕方ない、いいだろう。
ただし、私は気の長い方ではない…
遅々として結果が出ないようならやり方を変えるぞ。
私の好みに合ったやり方にな」
「…上に立ってる…!
俺、上に立ってるよねスカーレット…!」
「…た…立ってるわよ、ゾルカ君。
間違いなく上に立ってるから我慢しなさいね」
「よし、君が言うなら俺にはそれが真実だ!
では今後の予定について発表します。
まず…」
「おぅい、そこの皆さん方ァ」
「何だよまた遮られたよ!
いつになったらまともに話せるのかな俺は!」
わめきながら声の聞こえてきた方を振り返ると、
そこに立っていた大柄な男がにやりと笑った。
奇妙な人物であった。
全体的にややくたびれた服装だが野暮ったさはなく、
フェルト製のハットを目深にかぶってはいるものの
鼻筋の通った美形であることは窺うことができる。
そのハットの鍔の奥に覗く目は柔和に見えるが鋭い輝きを湛え、
凡人のゾルカにも只者ではないことを悟らせるほどの
風格を備えていた。
また、彼の背後には細身の男が控えていて、
こちらも油断ならない空気をまとっていた。
「今、おもしろい話をしていなかったか?
酒場を襲う…とか何とか」
「へっ…」
にやにやと笑いながら尋ねる大柄な男の問いに、
ゾルカは顔を引きつらせた。
よりによって、一番とんでもないところを聞かれたようである。
『知将ゾルカの街角散歩』の方を聞いてくれていれば
良かったものを、と思いつつもゾルカは何とかごまかそうとした。
「いえ、あの…
違うんですよね!
これからどこに行こうかっていう話をしていたら、
この彼が無駄に力強く『私は酒場を推そう』とか言い出すもんだから、
これは一言せざるをえないということで
『おいおい、こんな真っ昼間から酒はないだろう酒は!
お天道様が高い内から酔っぱらうもんじゃないんだよ、
俺たちはバカンスに来てるんじゃないんだから。
君はバカなのか?
違うだろう』
って、俺がびしっ!と説教してやったわけなんですよね!」
「隠すこともないだろう、デスゾルカ。
私は…」
「ほんっとダメ人間だキミは!
絵に描いたような!
何かっていうと酒びたりになっていないで、
俺を見習って炭酸水で内から健康体を目指したまえよ。
あの~、味のしないやつね。
砂糖が入ってないやつ」
また余計なことを口走ろうとするアルシアの言葉を遮って
取り繕おうと試みるゾルカを、軽く鋭利な痛みが襲った。
何事か、とは思わない。
今朝も何度か経験した痛みであった。
「痛ッ!
何だよ、リリィベルちゃんッ!」
「兄上に向かってダメ人間とは何事だ」
「…その兄上の失態を何とかしようとしてるんだけどね、
俺ッ…!」
「ハッハッハッ!
何やら愉快な連中だな。
中身は悪い奴らじゃなさそうだ、なあ、カム」
ゾルカたちのやり取りを眺めていた大柄な男は、
笑いながら後ろに立つ細身の男を振り返った。
彼の方は童顔も手伝ってか比較すると若く見え、
二十歳をいくらも出ていないように思われた。
黒髪に実直そうな顔立ちの彼は、
小さく鼻を鳴らして肩をすくめている。
「…どうでしょうか。
ジレさんは人の悪いところを見ようとしないきらいがありますからね。
正直、あてにならないです」
「相変わらずズケズケと言ってくれるねえ…」
ジレと呼ばれた方が苦笑していると、
音もなく駆ける十人ほどの男たちが人混みをするすると抜け
近づいて来るのが見えた。
上体が上下せず、それでいて敏捷な動きは
彼らが相当の訓練を積んでいることを推測させた。
「おっと、嗅ぎつけたか…
ちょいと騒ぎすぎたな」
「ただでさえ上背があって目立つんですからね…
少し縮めませんか」
「無理言うな。
ゴム製じゃないんだぞ、俺の身体は」
ほぼ同時に、ゾルカも気づいた。
近づく者たちはそろって腰の後ろに長剣を帯びており、
まだ抜刀こそしていないが柄に逆手をかけている。
「俺たち…じゃ、ないな!
連中のお目当ては!」
左手でぐいっ、とスカーレットを背中の後ろに隠しながら
言うゾルカに、ジレは顔を向けることなくうなずいた。
「そういうことだ。
遠慮はいらない、離れてな」
「そうはいかないね!
勇者に、襲われている者を見過ごす選択肢はないっ!」
「ほう、あんたは勇者殿か。
つくづく、人は見かけによらないな」
「どういう意味!?」
「そういうことならこっちの方こそ遠慮はいらないというわけだ!
ご助力願うぜ!」
「やらいでか!
そこのどさんぴんども、怪我したくなかったら今の内に帰れ!
どこの世界でも共通の常識がある、すなわち…
勇者は勝つ!」
一歩前に踏み出すゾルカに、アルシアとリリィベルも
仕方なく従って得物に手をかける。
状況を悟った周囲の人々から悲鳴が上がる中、
襲撃者たちは一斉に白刃を日の光のもとに晒した。