夕食
高い丘の上。
強い風が吹いている。
身体に巻き付くようにマントが前へと向かって
激しくはためいた。
腕を組み、鋭い瞳を眼下に向けている男の視線の先には、
夜空に輝く星々のような街の灯りが散りばめられていた。
「何も知らず、何も成さず、太平に溺れる者ども…
赫奕たる業火がその身を焼くことになった時、
お前たちはいかなる顔を見せ、いかなる声を上げるのか…
今は仮初めの平穏に抱かれ、惰眠を貪るがいい」
男は、薄く笑みを浮かべる。
あの灯りの一つ一つに宿る、人々の日々の営み。
それがいつまでも続くと、彼らは盲信しているのだ。
これまでがそうだったから。
これからもそうであろうと、彼らは平然と思えるのである。
だが、果たしてそうだろうか。
その盲信が崩れたなら、人はどのような姿を見せるのか。
考えると、男は自然と笑んでしまうのだった。
「やめろっ!
そんな悪役みたいなセリフを口にするんじゃない!
本当の魔王軍っぽくなるじゃないか」
街に向かって一人でつぶやいていたアルシアに、
背後からゾルカの声が飛んだ。
すっかり日が暮れてしまったので
今夜はこの丘で野営をしようということになり、
準備をしている間に離れて行ったアルシアが
何かぶつぶつ言っているなと思って近づいて行ったら、
妙なことを口走っていたのである。
「かまわないだろう。
私たちは魔神王軍だ」
振り返って、アルシアは答えた。
見る者にクールな印象を与えるが、こういうセリフを真顔で言えるのが
彼のある意味すごいところだとゾルカは思った。
「いや~…
そんな話は出てたけど、
やっぱり四人で魔神王軍って恥ずかしくありません?」
「恥ずかしい?
誰に対して恥ずかしいというのだ」
「…まあ、誰にも言わないんだからそうなんだけど…
少年探偵団みたいなノリだなって…」
「大体、四人なのはお前が魔族を呼ばないからだろう。
試しに呼んでみろ」
「いくら試しでも、やっていいことと悪いことがあるよ!
とんでもないヤツが出て来たらどうすんの!?」
「今のお前ではどうせ大した者は呼べん。
それに、単に魔に属しているというだけで、
我々で言うところの常識を弁えている者もいる」
「そうなの?」
「…かもしれない」
「呼んでたまるかァァァ!
この魔神王軍の知将デスゾルカはだまされんぞッ!」
「…お前、それを自分で言うのは恥ずかしくないのか?」
「恥ずかしい?
何が恥ずかしいっていうんだよ」
「フン…」
「うわっ、びっくりした!」
いつの間にか、リリィベルが後ろに立っていた。
腕を組んで瞳を閉じ、微笑している。
彼女は女性としてはかなりの長身で、
小柄ではないが大柄というほどでもないゾルカより上背があって
間近に立たれると迫力がある。
「我々はユーギル様の命で一応お前に従っているに過ぎないというのに、
自ら知将と称するか。
滑稽な…
まさに裸の大将ね」
「…何でだよ。
何で大将?」
「…リリィベル、王様だ…
それを言うなら王様」
「…」
兄にこっそりと耳打ちされたが、リリィベルは顔色一つ変えない。
眼光鋭く、ゾルカを見据えた。
「…王様より大将の方が偉いわ!」
「そんなことはないだろ!
え?何?
もしかしてリリィベルさん…
おバカさん、いやお茶目さんってやつですね?」
笑いをこらえながら、ゾルカは言った。
見た目は華麗なる美女であり、威風堂々として凛々しい。
そんな彼女の口から飛び出した今の発言は、平然と聞き流せない。
「何を笑う!」
「そりゃ笑うでしょ、だって裸の大将ですよ、おにぎりですよ。
でも大丈夫、人間は向上心さえ失わなければ
いくつになっても成長できるもんだから!
信じて、自分を信じて。
夢をあきらめないで」
「やめなさい、ゾルカ君。
かわいそうでしょう、あまりからかったら」
「…満面の笑みで言われてもね…
正直俺より笑ってるよね」
言い合うゾルカとスカーレットを瞳の端で見ながら、
リリィベルは拳を握りしめた。
ゾルカはともかく、あの虫が好かない女にも聞かれていたとは。
「…なんてイヤな奴らだ!
人を小馬鹿にして」
「…先に小馬鹿にしようとしたのは
お前だったような気がするが…」
「兄上はあいつらの肩を持つの!?」
「事実を言ったまでだ。
それはともかく、わざわざこちらの話に加わってきたということは
食事ができたのだな」
「ええ、できた。
…今にみていろ、あの二人…
わたくしの料理でほっぺたを地に落としてくれるわ!」
「うむ…
そのおもてなしの精神、我が妹ながら見事なり。
デスゾルカはふざけた男ではあるが、一つ良いことを言った。
顔を突き合わせ食を共にすれば、
互いに理解できることもあるだろう…
それはユーギル様のお望みの実現にもつながるはず。
デスゾルカ、スカーレット殿!
食事にしよう」
先刻ゾルカにも言ったとおり、リリィベルは
しとやかさに欠けたところはあるが料理が上手い。
馴れ合う必要はないが、今後は四人で行動することになるのだ。
相互理解を深めておくのは重要であろう。
「ブフーッ!!」
「おい、お前!
何を噴き出しているのだ!
食材とわたくしに謝れ!」
「すみません!
でも辛すぎるよこれ!」
自らが四人の輪の中心に発生させた
魔法の明かりに照らされるリリィベルの姿の前に、
ゾルカは数種類の具が入った料理の器を差し出した。
その器の中のスープをひと口飲んだゾルカが、
突然激しくむせ始めたのである。
彼の反応に、リリィベルは憮然とした表情を浮かべた。
「わたくしの料理の腕は兄上も認めてくれている」
「おいしくないって言ってるわけじゃないよ。
辛すぎるって言ってるの。
食べた感想が『痛い』って初めてなの」
実際、味自体は悪くなかった。
どころか、非常に美味であった。
しかし同時に、非常に辛くもあった。
一見すると普通の料理である。
香辛料が山盛りになっているわけでも、
スープが真っ赤になっているわけでもなかった。
だが、どんな魔法を使ったのか知らないが
辛いのである。
恐ろしく辛かった。
ゾルカは、最初の数秒間はいくつもの素材の旨味が存分に活きた
豊かなコクの味わいに気分が躍り、
天にも昇る心地になろうかというところで
口の内側から無数の針を一斉に突き刺されたかのような刺激に襲われ、
一気に地獄に叩き落とされた。
まだ舌が痺れている。
こんな、踏まなければわからない地雷のような
辛さが秘められているとは思いも寄らなかった。
「いやー、驚いたね!
毒を盛らなくても人の命を危機に陥らせる料理っていうのは
作れるものなんだなという脅威を抱いたよ!
ねえ、スカーレット…」
「私は…
耐えられない辛さではないかな」
隣に座るスカーレットに同意を求めたゾルカであったが、
彼女は器の中の料理が美味であることを認めるように
何度かうなずきながら食事を進めている。
嘘だろ、とゾルカは内心絶叫した。
耐えられない辛さではないわけがない。
好みとか耐性の問題に収まる程度ではないはずだ。
ゾルカを襲った衝撃はそれほどのものだった。
「…む…無理はしなくてもいいんだよ。
よしんば耐えられる範囲と思えたとしても、
人間の身体には限界があるんだからね。
身体の方が耐えられないかもしれないからね」
「ううん、本当に大丈夫。
おいしいわ」
驚愕するゾルカは、残る二人の方を見やった。
調理したリリィベルはもちろん、彼女の料理を食べ慣れているであろう
アルシアも平然と口に運んでいる。
そんな中で、ゾルカは皆の視線から彼女らの胸中を
推し量った。
辛すぎると声高に訴えているが、
文句を言っているのはゾルカだけ。
実際にはそれほどでもないのに、大袈裟に騒いで
言いがかりをつけているのではないのか―――――
スカーレットたちはそんなことは考えていなかったが、
ゾルカにはそう思われているように感じられた。
だから、立ち上がって皆の顔を見回しながら両手を振った。
「待って待って、違う違う!
違うよ君たち!
よろしいか!
何だか、お前一人で何言ってんだみたいな感じになってるけど、
それは違うんだよ。
ここでは俺は少数派かもしれないが、
この料理を大陸中の皆さんが食べたとしたら
完全に俺が多数派になるから!
こんな狭い世界ではなく、広い世界を知るべきなんだよみんなは!
恐れることなく羽ばたいていけよ!」
必死に訴えるゾルカの姿を、三人は何となく見上げた。
彼にとっては我慢できないほどの辛さだったようだが、
少数派とか多数派とか何の話かよくわからないしどうでもいい。
とにかく食えんということらしいから、
リリィベルは小さく息をついて首を振った。
「何が違うのか知らないが、
お前には辛すぎるというのなら仕方ない。
明日からは多少考慮して作ることにしよう、
今日のところはとりあえずデザートだけ食べておけ」
「ああ、デザートがあるの。
それはありがたいな、これでお腹がすきすぎて眠れないなんてことには
ならなくて済みそうだよ。
いや、ほんと申し訳ない!
俺もね、普段は決して食事に文句をつけるような男じゃないんだよ。
母さんには出された料理は全部食べるようにしつけられたし。
でも、今回は死んじゃうから俺。
母さんも命をかけてでも食べろとか
死んでも完食しろとまでは言わないと思うんだ。
作っていただいたことには感謝してるよ。
本当に!
嘘じゃないよ」
「わかったからおとなしくこれを食べるがいい」
「ブフーッ!」
「おい、お前!
食材とわたくしに再度謝れ!」
「すみません!
でも辛すぎるんだってこれも!
何だよ、さっきのとほとんど変わらないじゃん!
こんなことってある!?
辛いデザートって何さ!
正直、食べたら痛いおかずが一品増えただけ!」
「うるさいぞ、だったら全部ミルクで限りなく薄めて食せ。
わたくしが作る物は基本的に全て辛い!
なぜならわたくしは辛い物が好きだからだ」
「…とうとう言ったね。
そうなんだろうなと俺も思っていたことをズバっと。
救いがない結論を無情にも言ったね!」
互いに理解を深めようとした夕食であったが、
わかったのはゾルカ以外の三人が辛い物好きということだけだった。
ゾルカは、どちらかと言えば甘党である。
この先、食のことでもめないか、
一対三で対抗できるのか。
毎日、いや毎食辛い物を食べる羽目になるのではないか…
そんな漠然とした不安が、彼の中に俄に広がり始めていた。