50.課外授業2
課外授業の日がやってきた。
私は、買ってもらった服や帽子、靴に身を包んだ。
玄関先で、待機中である。
「お兄ちゃん、いよいよですね」
「ああ、いよいよだね」
お兄ちゃんも真新しい帽子と靴を身につけ、真剣な表情を浮かべている。
「なんなんですか、あなたたち。今日は課外授業でしょう? まるで、戦いに赴く前の戦士のようですよ」
二つのお弁当を持ったお父さんが、呆れたように言う。
私とお兄ちゃんは、キリッと表情を引き締めた。
「課外授業と言えども、初めての村の外なんですよ」
「僕らは、真剣なんだ」
私とお兄ちゃんの様子に、お父さんは苦笑している。
「そうですか。気をつけて、行きなさい」
「はい!」
「うん」
お父さんからお弁当を受け取り、私たちは家を出た。
「お兄ちゃん、なんとかごまかせましたね!」
「ごまかせた、のかな」
私とお兄ちゃんは、今日お母さんの秘密に迫るのだ。ポロンの木を見つければ、何かが分かる筈だと思っている。
過去のお母さんが、何者かの襲撃を受けたことを思い出す。もしかしたら、そのことも分かるかもしれない。
私は、お兄ちゃんに話していない部分の謎も知りたかった。
「とりあえず、早く学校に向かいましょう」
「うん」
私たちは、いつもより早足で学校への道を急いだ。
学校が見えてくると、エリーゼ先生が私たちに気づき、にこやかに手を振ってくれた。
「おはよう、二人とも」
「おはようございます!」
「おはようございます」
エリーゼ先生への挨拶を済ませると、エリーゼ先生は今日の課外授業について話し出す。
「教室の机の上に図鑑が置いてあるから、それを鞄のなかに入れてから外に出てね」
エリーゼ先生が示したのは、学校の野原だ。野原では、何人かのクラスメートが集まっている。
皆、今日は早起きしたんだな。
私たちはエリーゼ先生と別れると、教室に行き。それぞれの机の上に置いてあった図鑑を、鞄のなかに入れた。
そして、野原に向かう。
野原には、既にエミリちゃんがいた。
「あっ、サキちゃんにユーキくん。おはよう!」
「エミリちゃん、おはようございます」
「おはよう」
ぴょんぴょんと飛び跳ねるエミリちゃんは、楽しそうだ。
「サキちゃん、その色の服。珍しいねー」
「あ、はい。いつもの服は、動きにくいので」
「そっかー。その服も、可愛いよ」
「ありがとうございます」
可愛いだって。えへへ、自分で選んだから照れるなぁ。
「エミリちゃんも、花柄の帽子可愛いですよ」
「そう? ありがとう!」
エミリちゃんと話していると、リューンちゃんやカレンちゃんがやってきた。
お兄ちゃんは、サリュくんと話しに行ってしまったので、自然と女の子だけになる。
「サキ、エミリ。おはよー」
「おはよう、二人とも」
にこにことしているリューンちゃんとカレンちゃんに、私とエミリちゃんも挨拶を返した。
「いやぁ、今日の課外授業。楽しみだねぇ」
「初めてだもの、村の外に出るの」
リューンちゃんとカレンちゃんの言葉に、私は聞き返す。
「今までは、なかったんですか?」
「うん。課外授業なんて初めてだよー」
「そうなんですか」
エミリちゃんの答えに、私は少し考える。エリーゼ先生は、どうして急に課外授業をやろうとしたんだろう、と。
まあ、ただ単に単調になりやすい授業に刺激を取り入れただけなのかもしれないけど。
ポロンの木のことがあるから、どうしても深く考えてしまう。平常心、平常心を心がけないと。
それから、いくつかの話を皆としていると、最後の一人であるゲルトくんがやってきた。これで全員だ。
「さあ、皆。二列になって、行きますよ。一人は私と行きましょうね」
我がクラスは十三人。必然的に一人余ってしまう。だが、エリーゼ先生は人気者だ。誰がエリーゼ先生と手を繋げるかで、水面下での熾烈な争いがあった。
その争いを制したのは、リューンちゃんだった。リューンちゃんが勝ち誇った顔で、エリーゼ先生のもとへ行くのを、私たちは歯噛みして見送った。くうっ、悔しい!
「私はお兄ちゃんとですかー」
「なに、その不満そうな顔は」
「いえいえ、不満などありませんとも!」
お兄ちゃんは、ふうんと呟くと前を見た。
ふう、お兄ちゃんとの間に亀裂が入るのは阻止できたよ。
「それじゃあ、皆さん。行きますよ」
「はーい!」
エリーゼ先生の言葉に、私たちは元気よく返事する。
今日行くシルヴェの森は、自然が豊かで危険な動物もいないと、お父さんが言っていた。
水場にも恵まれていると言っていたから、ポロンの木もある筈だ。
エリーゼ先生には悪いが、私とお兄ちゃんの目的はポロンの木の探索だ。お母さんの秘密に迫るのだ。
私はお兄ちゃんと繋いだ手に、力を込めた。お兄ちゃんも握り返してくれる。私たちの気持ちは一つだ。
シルヴェの森に着くと、先生は地図を皆に配った。森の地図だ。
「皆、迷子にならないように。森のなかでは、皆さんのお父さんやお母さんが危険がないように、見回ってくれています。もし迷ったら、大声を上げてね。お父さんたちが駆けつけてくれるから」
保護者も同行していたのか。準備は万全ですね、エリーゼ先生!
ということは、お父さんもいるのかな。朝、何も言ってなかったけど。
まあ、お父さんだから。ひねくれ者のお父さんなら、私たちに黙っていてもおかしくはないか。
「じゃあ、皆に配った植物図鑑を見て、色んな植物に触れてみてね」
それが解散の合図だった。
私とお兄ちゃんは、他の子たちに声を掛けられる前に、素早く森に入った。
「あれー? サキとユーキは?」
「もう森に入ったのかも」
「なんだー、一緒に行こうかと思ったのによ」
皆の声が聞こえた。
ごめんよ、皆。今日は、今日だけは別行動させてください!
「サキ。地図によると。この奥に湖があるみたいだ」
「つまりポロンの木の群生地でもあると」
「そうだね」
いよいよ、ポロンの木とご対面か。
私とお兄ちゃんは、はぐれないように手を繋ぎ歩いた。
シルヴェの森は、木々の間から陽が差していて、明るい雰囲気だ。鳥のさえずりも聞こえる。
「なんだか、平和な森ですね」
「うん」
お兄ちゃんも穏やかに答える。
でも、最初こそ景色を楽しんでいた私だけど、次第に違和感を覚えるようになる。
こんなにも自然に溢れている場所なのに、緑のぽわぽわ──精霊の姿が見えないのだ。
今朝、我が家の花壇では、大量の緑のぽわぽわが見えたというのに。この森なら、緑のぽわぽわだらけの筈だ。
なのに、一つも見当たらないというのは、どういうことだろう。
私は、そのことをお兄ちゃんに伝えた。
「……精霊については、僕は詳しくないから何とも言えないけれど。気をつけて行こう」
「はい……」
私とお兄ちゃんは、気を引き締めた。
動物たちに異変はないようだから、シルヴェの森が元から精霊が少ないだけなのかもしれない。
私はそう思って、気を紛らわせた。
「サキ、湖だ。それにポロンの木もある」
「え……?」
考えに没頭していた私は、もうそんな場所まできたのかと、驚いた。
お兄ちゃんの視線の先には、透明な湖がある。鏡みたいに綺麗だ。
そして、その湖を囲むようにしてピンクの花を咲かせている木々があった。
風に揺れて、花を散らす様は幻想的だ。ポロンの木は、桜によく似ていた。
「綺麗、ですね……」
「うん……」
しばらくの間、私たちはポロンの木に見入っていた。
「サキ、ポロンの木を調べよう」
「あ、はい!」
お兄ちゃんの言葉に我に返り、私は湖へと近づくお兄ちゃんについていく。
私たちが近づくと、ポロンの木は風もないのに葉をざわつかせた。
まるで意思があるような様子に、私は喉を鳴らせる。
「どう、サキ。何か感じる?」
お兄ちゃんに聞かれ、私は首を横に振る。
「いえ。ただ、ポロンの木がざわついている気がします」
「そうか……」
それからも私たちは、ポロンの木の周りを巡ったけれど。特に、変わったところはなく、肩を落とした。
「ポロンの木に辿り着ければ、何かが分かると思ったのに……」
「結局、何も分かりませんでしたね」
私たちのガッカリ感はハンパない。
お母さんの秘密に近づけると、固く信じていただけに落胆は大きい。
木々の隙間から見える太陽は、ずいぶんと高い。もうお昼の時間だ。
「一度、戻りましょう」
「そうだね」
落胆して落ち込んだ私とお兄ちゃんは、まずは皆のもとへ帰ることにした。あまり遅いと心配をかけてしまう。
そう思って、後ろを振り返った時だった。
「あなたたち、そこで何をしているのです」
「わあっ!」
「うわぁ」
突然掛けられた声に、悲鳴を上げる。びっくりした。本当にびっくりした。
恐々と振り向けば、そこにいたのは──。
「お、お父さん……?」
「何しているの、父さん」
木々の間に佇んでいたのは、お父さんだった。
「何をしているは、こちらの言葉ですよ。保護者として、監視役を引き受けてみれば、あなたたちの姿はない。探しましたよ」
「ご、ごめんなさい」
「僕ら、迷っちゃったんだ」
お兄ちゃんが、ごまかしてくれた。
お父さんにポロンの木やお母さんのことを言うのには、ためらいがある。お父さん、お母さんのことになると様子がおかしくなるから。
「迷子だったんですか……。あまり、心配をかけないでください」
「はい……」
「ごめんなさい」
お父さんが、木々の間から私たちの方へと向かってくる。
「さあ、エリーゼ先生たちのもとに帰りますよ」
「はーい」
「分かった」
私たちはお父さんのもとへ、向かおうとした。
その時。
私の足元から、一斉に緑のぽわぽわが舞い上がったのだ。
──危険が、迫ってる。
──早く、逃げて。
──危険、危険。
緑のぽわぽわは、騒ぐだけ騒ぐと、上空へと消えていった。
「え……?」
呆然と立ち尽くす私に、お父さんが怪訝そうな顔をする。
「どうしました、サキ。呆けた顔をして……」
「あ、の。今、精霊が、危険って……」
お父さんに伝えようした、その瞬間。
突然、私とお兄ちゃんは暗闇に包まれた。
「サキ! ユーキ!」
姿の見えないお父さんの、焦った声だけが暗闇に響いていた。