4.異世界へ
一週間を、私はそわそわして過ごした。苦痛な学校も平気になるほど、心が高揚しているのだ。
学校には遠くの都市に引っ越すという連絡が入っていた。異世界を知る一部の大人たちが、暗躍してくれたようだ。
クラスメイトたちは別れを惜しんでくれた。意外だった。なかには、「いつか桜木さんと仲良くしたいと思っていたのに」と、涙ぐむ女の子もいた。彼女とは委員会が一緒だった。
私は視野が狭いのだと、今さらながらに分かったのが惜しく思えた。
そんな風に少しの寂しさを覚えつつも、着々と帰還の準備は進んでいく。うさっちょの小物も厳選に厳選を重ねたのである。
そして一週間が経った。
「桜木さん、お迎えに参りました」
一台の車が、我が家の前に止まる。
そして、なかから降りた運転手さんが頭を下げた。
「こ、これはご丁寧にありがとうございます」
「ありがとうございます」
私たちは、慌てて頭を下げた。
運転手さん、よくよく見れば。村を見回ったりしている村役場の人だ。彼も真実を知る大人の一人なんだろう。
「さ、車に乗ってください。荷物はトランクに入れましょう」
「はい」
私はパンパンに膨れた鞄を、男性に渡した。
車での移動か。どこに向かうのだろう。
私とまりあ叔母さんは後部座席で、車を発進させた男性から話を聞いた。
「今から向かうのは゛境界゛です」
「境界……ですか」
「はい。世界と世界が繋がった門を、私たちは境界と呼んでいるんです」
男性は、くれぐれも他言無用でお願いしたいと念を押した。
日本でも、異世界に行った後でも、秘密は守れということだ。私も、一部の秘密保持者の一人となったのだ。気をつけよう。
車を三十分ほど走らせた頃だろうか。
「さあ、そろそろ着きますよ」
男性の言葉に、私は窓の外を見た。
「ここって……桜木山?」
見えたのは、小さな山が一つ。村のなかで、唯一村民の立ち入り禁止地区に指定されている場所だ。
怖い噂もある。鬼や妖怪が出るとか。一度入れば、二度と出てこられないとも。大人ですら近寄らない桜木山は、それ故に子供たちの肝試しにすら使われないほど恐れられていた。
そんな桜木山が、まさか境界だったとは……。
「ええ、そうです。貴方がたに貸した名字は、ここから取りました」
そうだったんだ。
桜木山と同じ桜木姓に、子供の頃は妖怪の子とからかわれていたのを思い出す。……他に候補は、なかったんですかね。
「ユージーンさんはもう来られている筈ですよ」
「ユージーンが……」
まりあ叔母さんが反応する。ぬう、ユージーンさんめ。やはり、嫉妬は抑えられそうにない。
「さて、着きました」
車は、山の入り口付近に停められた。
「境界は、山の中腹にあるので少し歩きますが、大丈夫ですか?」
「はい」
車から降り、荷物を受け取りながら私は返事をした。
衣類も数着入っているけど、大丈夫だ。
「では、案内します」
「よろしくお願いします」
男性は、私より荷物の重いまりあ叔母さんの鞄を持つと、歩き出した。男前である。
しかし、桜木山か。恐ろしい場所と思っていただけに、入るのが躊躇われる。私は深く深呼吸をすると、意を決して男性に続き山に入った。
桜木山は傾斜が緩いようで、歩くのは楽だ。噂の内容と比べて、鬱蒼とした雰囲気はなく、緑に溢れた良い景色だった。
景色を楽しみつつ、歩いていると男性が立ち止まった。
「見えた──境界です」
その言葉に、私は視線を景色から前へと向けた。
「え……?」
思わず、声がもれる。
そこには、一本の桜が悠然と佇んでいた。時期的におかしくないか。今は春の終わり頃だ。
なんで、まだ咲いているの桜。しかも、何故か光っている。
「まりあさんは、二度目でしたね。沙樹さん、あの桜が境界なんですよ」
男性の説明に、私は目を瞬かせた。確かにこんな目立つものがあれば、立ち入り禁止にする筈だ。
「マリア、サキちゃん!」
光る桜に気を取られて、桜の下に立つユージーンさんが目に入っていなかった。すみません、ユージーンさん。
ユージーンさんは、私たちに手を振っている。今日もファンタジーな騎士の姿が似合っている。美形め。
「ユージーンさん、お待たせしました」
男性が頭を下げる。
「いえ、サイトウさん。気にしないでください」
ユージーンさんが男性に笑いかけた。
だけど、すぐに視線はまりあ叔母さんに向かう。一週間経っても、愛は薄れていないようだ。そうでなくては、大事なまりあ叔母さんは渡せないけれど。
「荷物、ありがとうございました」
まりあ叔母さんは男性から鞄を受け取ると、ユージーンさんのもとへと小走りで向かう。らぶらぶだ。
「マリア!」
「ユージーン!」
お互いに駆け寄り、見つめ合う二人。完全に二人の世界だ。
「いやぁ、仲がよろしいですね」
「すみません……」
私は、二人に代わり男性に謝る。謝る必要はないのかもしれないけれど、なんとなくだ。
「ユージーンさん。門はちゃんと開いていますか?」
男性がユージーンさんに話しかける。まりあ叔母さんから視線を離したユージーンさんは、頷いた。
「あちらの門は安定しています。いつでも、行けますよ」
「それは良かった。さあ、沙樹さん。お二人のもとへ。私はここまでですので」
「は、はい。ありがとうございました」
私はぺこりとお辞儀をすると、まりあ叔母さんとユージーンさんのもとへ急ぐ。
光る桜に近づくと、縦長に伸びる光の柱のようなものが見えた。
「これは……」
「これが境界の門だよ、サキちゃん」
この光が、門……。ファンタジーだ。
いや、魔法で成長した私という存在が言うのもなんだけれど。
「では、サイトウさん。ありがとうございました」
ユージーンさんが男性にお礼を言い、私たちの背を押し門に入るのを促す。
「沙樹、私から行くわね」
「は、はい」
まりあ叔母さんは躊躇うことなく、光のなかへと入っていった。二度目だから、恐れはないのだろう。
「さ、サキちゃん」
「はい」
次は私の番だ。
私は、山の中腹から見える村を見た。
あまり良い思い出はないところだった。だけど、空気は美味しく、星々が綺麗な場所だった。
「……さよなら」
呟くと、私は光のなかへ身を投じたのだった。
視界が一瞬暗転したかと思うと、石造りの建物のなかにいた。
部屋のなかではなく、長い廊下が見える。ここはどこだろう。
そして視界が低い。服がだぼだぼだ。魔法が解けて、縮んだのだ。
覚悟はしていたつもりだったけど、幼くなったショックはあった。楽々と持てていたた鞄も大きく感じる。
「着替えを持ってきて、正解だったわね」
「まりあ叔母さん」
先に門をくぐったまりあ叔母さんが、私の服を整える。
まりあ叔母さんの後ろには、ファンタジー映画で見たような白いローブを着たおじいさんが立っていた。
「大神官さま、部屋を一室借りてもよろしいでしょうか」
後ろから、ユージーンさんの声がした。後ろを振り向くと、廊下の壁に飾られた大きな光る鏡のなかからユージーンさんが出てくるところだった。そうか、こちらの世界では、あの鏡が境界なんだ。
「よろしいですよ、ユージーン殿。マリア殿久しいですな」
「はい。大神官さまも息災のようで良かったです」
「ああ、毎日元気に過ごさせてもらっているよ。さて、立ち話は終わりにして部屋に案内しよう」
「ありがとうございます」
服が大きすぎて、歩き辛くなった私はユージーンさんに抱えられた。鞄もユージーンさんが持っている。
「すみません……」
「なに、構わないよ」
私は、なんだか恥ずかしくて、俯き加減で運んでもらった。
近くの部屋に入ると、私とまりあ叔母さんだけになった。ユージーンさんと大神官さまというおじいさんはいない。外で待ってもらっている。
「さあ、着替えましょうか」
「はい」
まりあ叔母さんが、私の鞄から子供用の下着と白いワンピースを出した。私が小さかった頃に着ていた子供服だ。取っていて良かった。
「アルバムにあったワンピースですよね」
「これを着た沙樹と一緒に、遊園地に行ったわね」
「懐かしいです」
そんな思い出を話しながら、私は着替えを終えた。もとの服は、子供服と入れ替わりに鞄のなかだ。
「うん、可愛い」
「そ、そうですか?」
「沙樹は、いつだって可愛いわよ。……あら?」
満足げに私を見ていたまりあ叔母さんが、不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
「ど、どこか変ですか……?」
「ううん、違うの。沙樹の目。黒かったのに、青色に変わっているのよ」
「え……?」
私は黒髪黒目の筈だが。目が青くなったって、どういうこと?
「ああ、そうよ。思い出した! 沙樹は元々青色だったわ。でも、日本では浮いちゃうから、魔法で黒に変えたの」
「そ、そうなんですか」
か、鏡。鏡を見たい。時間だけじゃなく、目も変わるだなんてショック倍増だ。
「沙樹、落ち込まないで。あのね、沙樹の目の色は、お母さん譲りなのよ?」
「お母さん……?」
お母さん。驚きの真実を話されたときは出てこなかった単語だ。
「義姉さんそっくりの、綺麗な目よ」
「……お母さん譲りなら、良いです」
お母さん、私にはお母さんもいるのだ。嬉しくなる。
嬉しさのまま、まりあ叔母さんを見上げた。
「あ、あの。まりあ叔母さん。お父さんだけじゃなく、お母さんにも会えますか!」
会いたい。両親に会いたい。そんな思いでした質問だったけど、私はすぐに後悔した。
まりあ叔母さんが、悲しそうな顔をしたからだ。
まりあ叔母さんは石畳に膝をつくと私と目線を合わせた。
「沙樹。あのね、義姉さんは、遠くに、いるの……。とても遠い場所に」
あまりにも悲しい声に、私は何も言えなくなった。
ただ、本能的にお母さんの話題は禁句なのだと、理解した。
「……さ、部屋を出ましょう。ユージーンや大神官さまが待っているわ」
「はい……」
話題を変えた叔母さんに、私は素直に頷いた。
私たちがいるのは、ユージーンさんの国──ガルシア王国というらしい──の辺境にある村の教会だった。おじいさんは、大神官さまで視察の名目で辺境の教会に来たということだ。ユージーンさんの国からの門の使用には、大神官さまの監視のもとに行われなくてはいけないらしい。大変だ。日本から、誰かが渡る分には必要ないらしいんだとか。今回はユージーンさんが渡ったからね。
教会の外に出た私たちを、大神官さまが護衛らしき騎士の格好をした男性を連れて見送りに来ていた。
外は森に囲まれていて、空気の美味しさは私の住んでいた村に負けないものがある。
「ユージーン殿、婚約者の帰還良かったですな」
「はい。大神官さまにはお世話になりました」
ユージーンさんと大神官さまがそんな会話をしている間、私はそわそわと教会から外へと伸びる道の先を見ていた。
ユージーンさんが言っていたのだ。馬車が迎えに来ると。
馬車だよ、馬車!
私、初めて見るよ!
勿論乗るのも初めてだ。
「あ、馬車だ!」
道の先から、ガラガラと車輪の回る音が聞こえて、私は思わず叫んでしまった。
「沙樹ったら……」
「ほっほっほ」
「サキちゃん、もうすぐ乗れるからね」
我ながら子供っぽい反応をしてしまったと恥じていたら、皆から微笑ましそうに見られてしまった。
そうだ。今の私、七歳の体だったんだ。本物の子供だよ。
でも、やっぱり恥ずかしさは消えないので、私は馬車に夢中になる振りをしながら皆から視線を外すのだった。




