3.今までの違和感の理由
……七歳。
は……? 誰が?
私が、七歳……?
十四歳の私が?
冗談だと思いたい。ユージーンさんの渾身の異世界ギャグだと、信じたい。
どくんどくんと、心臓が嫌な音を立てる。
「ユー、ジーンさん……」
冗談だと言ってください。そう願いを込めて、名前を呼んだ時だった。部屋のドアがノックされたのは。
今、我が家にいるのは私を含めた三人だ。ユージーンさんはここにいる。だから、ノックをしたのは。
「どうぞ、入ってください。まりあ叔母さん」
ドアが開き、目を赤くしたまりあ叔母さんが入ってきた。
「沙樹! 良かった、気がついたのね!」
「はい。心配をお掛けしました」
まりあ叔母さんの登場に、私の心は落ち着きを取り戻していた。肩から力が抜ける。
「水を持ってきたけど、飲める?」
「はい」
まりあ叔母さんから渡されたコップに口をつけ、勢いよく飲み干す。喉はカラカラだった。
知らない内に、緊張していたのだろう。
まりあ叔母さんのそばにいるという安心感から、私はするりと言葉を口にした。
「私が七歳って、本当のことなんですか?」
まりあ叔母さんは、目を軽く見開くとユージーンさんを見た。ユージーンさんは、頷き返す。
「そう……知ってしまったのね」
まりあ叔母さんの言葉で、私はああ本当のことなんだと理解した。長年一緒に暮らしてきたのだ。話し方で嘘か本当かは分かる。
まりあ叔母さんは、コップをベッド横の棚の上に置くと、しゃがみこんで私と目線を合わせた。これは、まりあ叔母さんが大事な話をする時の行動だ。
「沙樹。ユージーンから聞いたと思うけど、私たちは異世界の人間なの」
「……はい」
やはり、異世界の人間という事実は消えないのか。もしかしたら、否定してくれるかもしれないという淡い期待があった。
「それでね。私たちの国は、今から七年前に隣国と戦争が起きてしまったの」
まりあ叔母さんは、辛そうにして話す。
「私と沙樹は、色々あって戦争から逃れる為に、日本に行くことになったのだけど……」
「はい」
「異世界への門をくぐるには、当時生まれたばかりの沙樹には負担が大きすぎたの。だから、大神官さまが時の魔法を使って、沙樹の時間を七年進めたの」
まりあ叔母さんの話した内容は、あまりにも衝撃的なものだったけれど。私は信じた。まりあ叔母さんの目は、嘘をついていない。ユージーンさんと同じく真っ直ぐだ。
「……七年前に生まれた私は、今十四歳……いや、体だけ十四歳になったということですか?」
「ええ、そうよ」
私の実年齢が七歳だというのはショックだったけど、でも納得出来る点がいくつかあった。
小学生の頃の私は、本当に何をやらせても駄目な子だった。計算も遅い、文字も書けない。言葉が拙い、理解力がない。言葉で伝えるより先に、泣いてしまうことが多々あった。
それは全部、本当は赤ん坊なのに七年時間を進めた弊害だったんだ。
そうか、私は本当はまだ七歳だったんだ……。ユージーンさんが、私を子供扱いする理由も分かった。彼は私を七歳の少女として相手にしていたのだ。
私はベッドの背もたれに、体を預けた。
「今まで、私はなんでこんなにも駄目なんだろうって思ってました。でも、年齢に見合わない努力をしていただけなんですね」
「ごめんなさい、沙樹。貴女には、苦労ばかり掛けたわ。本当なら、まだまだ遊びたい盛り、甘えて当然の年齢なのに」
まりあ叔母さんは、自分を責めているようだった。辛そうに眉を寄せている。
私は首を横に振った。
「いえ、すっきりしました。私、駄目な子じゃないんですね」
「当たり前じゃない! 貴女は、私の可愛い沙樹よ!」
「まりあ叔母さん……」
もう十分だ。なかなか馴染めない中学校生活も、遅れてばかりいる勉強も、もういい。
まりあ叔母さんにこんなにも思われているのなら、私は十分だ。
「ユージーンさん、まりあ叔母さん。本当のことを話してくれて、ありがとうございます」
「いや、いいんだよ。君が受け入れてくれたのなら、良かった」
「沙樹。貴女は大事な存在なんだからね」
「はい」
私が頷くと、二人はほっと息を吐いた。
「サキちゃん」
「なんですか、ユージーンさん」
「僕がニホンに来たのは、君に真実を話す為だけじゃないんだ」
まだ他にも、何かあるのだろうか。
ちょっと身構えてしまうのは許してほしい。
「僕は君たちを迎えに来たんだよ」
「迎え、に……?」
「うん。戦争は終わった。今は復興の時だけど、君たちを送り出した教会から許可が下りたんだ。君たちを、迎えに行っていいと」
つまり、異世界に私は帰ることになると……?
いや、村に未練はない。
よそよそしい級友。分からない授業。私を馬鹿にする男の子たち。
あれ? 考えれば、考えるほど、私の環境ろくでもないな。
私にはまりあ叔母さんが居ればいいや。
「まりあ叔母さん。叔母さんが帰りたいなら、私はそれに倣うよ」
「沙樹……」
まりあ叔母さんは、ユージーンさんを見た。ユージーンさんもまりあ叔母さんを見る。
二人は七年振りに会えたのだ。
十代で別れての七年は、きっと長かった筈。その長い時間、想い合ってきた二人。
私は、もうわだかまりなく二人を祝福しようと思う。
「マリア。僕のもとに来てくれるかい?」
「ええ……!」
私は、熱く見つめ合う二人から視線を逸らしつつ、うさっちょのプリントを見るのだった。
私たちは、場所をリビングに移した。遅い朝食を取る為だ。
「ユージーンさんは、今朝到着なさったんですか?」
「ああ。くるまというものに乗せられて、真っ直ぐここに向かったよ」
あ、因みにユージーンさんはもう土足じゃない。スリッパを履いている。
「一刻も早く、君たちに会いたくてね」
君たちというか、まりあ叔母さん一択だった気がする。初対面の時、私眼中になかったですよね?
トーストを食べながら、私はラブラブなオーラをまき散らしている二人を見る。
「マリア。帰還してもすぐには一緒になれないと思う。だけど、待っててほしい」
「ええ、分かってる」
七歳の前で、あまりいちゃいちゃしないでほしい。
「そうだ、サキちゃん。大事なことを忘れていた」
スクランブルエッグをぐちゃぐちゃにかき混ぜていると、急に話を向けられた。
「大事なこと、ですか」
「ああ。門をくぐると君の体に掛けられていた魔法は解ける。つまり、君は本来の年齢に戻るんだよ」
「本当に大事なことじゃないですか!」
勉強や人間関係はだめだめだったけど、十四歳の体に慣れきった今、七歳からやり直すのはちょっと大変だろう。
「うん。ごめん……」
「あ、いえ」
ユージーンさんに心底済まなさそうに謝られ、私は戸惑う。ユージーンさんって、本当に真っ直ぐな人なんだ。
「わ、私も熱くなり過ぎました」
羞恥心からもごもごと口のなかで言葉にする。
気まずい思いでいると、まりあ叔母さんが空気を変えるかのように口を開いた。
「沙樹。私は本来の貴女に戻るの賛成よ。貴女は、甘えたい時期に十分甘えられなかった。辛い思いばかりさせてしまった。今度こそ、子供らしく過ごしていいの」
「はい……」
子供らしく、か。出来るだろうか。
ユージーンさんが優しい眼差しで私を見た。
「それに悪いことばかりじゃない。門の向こうの世界では、君の父君が待っているんだよ」
「ちち、ぎみ……?」
聞き慣れない言葉に、私は聞き返す。
ちちぎみ。父、ぎみ。父君。つまり、お父さんのことだ。
頭のなかで整理していると、まりあ叔母さんが顔を輝かせるのが見えた。
え、というか。お父さんって……。
「兄さん、無事なのね!」
「私の父親は、実在していたんですか……?」
まりあ叔母さんの喜びの声と、困惑する私の声が重なる。
「ああ、マリア。ユリシスは無事だよ」
ユージーンさんはまりあ叔母さんにそう言ったあと、苦笑を浮かべて私を見た。
「サキちゃん。そんなことを言ったら、ユリシスが悲しむよ」
「ユリシス、それが私のお父さんの名前なんですか」
「ああ、そうだよ」
お父さん。私にもお父さんがいた。
まりあ叔母さんから、生きているとは聞いていたけど。こうして存在を感じられると、変な感じがする。
お父さん。お父さん。お父さん。あれ、心がぽかぽかする。
「へへ……」
気がつけば、私は締まりのない顔で笑っていた。
「お父さん、私にもいた」
「サキちゃん……」
ユージーンさんが、暖かな眼差しを私に向ける。
「ユリシスは、サキちゃんを待っているよ」
「はい……!」
私は、にこにこと笑い返事をした。
だけど、まりあ叔母さんは少しだけ困った顔をした。
「沙樹。あの、兄さんはちょっと素直じゃないけど、悪い人じゃないから」
「え……」
まりあ叔母さんが、不穏なことを言った。
素直じゃないお父さん。どういう意味だろうか?
「大丈夫、安心して。しばらくの間は、私も一緒に暮らすから!」
「あ……」
そうか。異世界に帰ったら、いつかまりあ叔母さんはユージーンさんのもとに行くのだ。嫁入りに私はついて行けない。
大丈夫、大丈夫だ。
私にはお父さんがいるんだから。
大丈夫、だよね……?
「サキちゃん。門は一週間後に開くことになるから。教会にも都合があって、急で悪いんだけど」
「一週間……はい、分かりました」
家は元々借家。私の荷物は、うさっちょシリーズの小物ばかりで、大きな物はない。多分、全部は持っていけないから、厳選しなければ。
「一週間後、また迎えに来るよ」
「ええ、分かった」
「よろしくお願いします」
ユージーンさんはしばらくして、迎えに来たという車に乗り去って行った。
家の門で見送るまりあ叔母さんの横顔は、とても寂しそうだった。
十四歳、いや七歳の誕生日に私の運命は動き出した。
異世界で待つ、私のお父さん。どんな人なんだろう。
私は期待に胸を膨らませて、来るべき一週間後を待つのだった。