2.異世界からの来訪者
物心つく頃には既に、私のそばにはまりあ叔母さんがいた。
まだ十代だったまりあ叔母さんは、周りの大人たちに助けられながら私の世話をしてくれた。
「可愛い可愛い沙樹。元気に育ってね」
大変だったろうに、いつも笑顔を絶やさずに私を守ってくれていた。
私は両親を知らずとも、まりあ叔母さんの愛情は知っていた。
何をしてもうまく出来ない私を、まりあ叔母さんはいつも励ましてくれた。
そういえば、色んな大人が、私に勉強を教えてくれていた気がする。
そして、気がつけば。私はランドセルを背負っていた。
近所の公園で一人で泣いていては、まりあ叔母さんが迎えに来てくれた。私は、まりあ叔母さんには素直に駄目な自分をさらけ出すことが出来た。
優しいまりあ叔母さん。いつか、与えてくれた愛情に報いたい。そう思っていたのに。
まりあ叔母さんに、ユージーンと呼ばれていた男が現れてしまった。
私はまりあ叔母さんの涙を見たことがなかった。どんな時も私には笑顔を見せていたように思う。
なのに、彼は簡単にまりあ叔母さんを泣かせてしまったのだ。まりあ叔母さんの心の壁を、取り払ってしまえるような存在なんだ。
まりあ叔母さんに甘えてばかりいる私とは違う。頼れる、存在なんだ。
……私では、まりあ叔母さんを守れない。きっと、あのユージーンという男は、まりあ叔母さんを守りに来たんだ。
私には出来ないことを、簡単にやってのけてしまう男が憎らしい。憎らしい、けど。
あの男のまりあ叔母さんへの想いは、本物だ。まりあ叔母さんの想いも、多分同じだ。
だから、まあ。癪だけど。本当に癪だけど、あの男のことを認めてやろう。
うっすらと意識が浮上するなか、私はそう思った。
「たいへん最悪な目覚めです」
私は自室のベッドの上で、しかめっ面をする。
目が覚めたら、あの男。ファンタジー満載なユージーンがいたのだ。
ユージーンは私の態度に苦笑をもらしている。
「はは、嫌われてしまったようだね」
「……嫌っている、わけでは」
もごもごと言い返す。気に入らないだけなのだ。
そう! 気に入らない!
誰もが見惚れてしまうような甘い顔立ちも、流暢な日本語を話せる頭の良さも。何もかもが、こう、釈然としない。
神様は、彼に色んなものを与え過ぎではないか。そう思う。
私は横目で、ユージーンとやらを見る。彼は、ベッド横でスツールに座り──よく見れば、電球を変える時に愛用しているやつだ──困ったように私を見ている。
……ユージーンのことは、認めてやろうと思っていた。だけど。
「……お熱い、抱擁でしたね」
素直じゃない私の口が、憎まれ口を利いてしまう。
「う……っ」
ユージーンは、顔を真っ赤にさせた。思っていたよりも、純情な様子に私は驚く。外国の方は、スキンシップが多いのではなかったか。
「……こ、子供の前で、やることではなかったと反省しているよ」
真っ赤な顔を、右手で覆いユージーンは言った。
子供という言葉が気に障るが──思春期は難しい年齢なのだ──反省はしているようで、何よりだ。
……悪いやつでは、ないのかもしれない。私は、ちらっとそう思った。
おそらく、気絶した私をリビングから私の部屋まで運んだのは、体格的に彼だろう。
「……あの」
「なんだい?」
「部屋に運んでいただき、ありがとう、ござい、ます……」
私は小さく早口で、お礼を口にした。我ながらかわいくない。
それだというのに、ユージーンは優しく微笑んだ。
「いや、礼などいいよ。騎士として当然の務めだし、何より君はマリアの大事な子供だからね」
と、爽やかに言われた。本当に、良いやつだった。
「騎士」という気になる単語はさておき、自分を省みて、私は少し恥ずかしくなった。
成り行きとはいえ、恩人に私は酷い態度を取り続けている。駄目だ。反省しよう。
「あの、ユージーン、さん。本当に、ありがとうございました」
私が再度、今度はゆっくりと微かに笑みを見せて言えば。彼は輝くような笑顔で応えてきた。う、美形の笑顔、綺麗過ぎる。
「ようやく、笑顔を見せてくれたね。嬉しいよ」
「い、いえ……」
私はぱっと、顔を逸らした。照れてない。照れてないよ。
「えっと……サキちゃんと呼んでも良いかな?」
「は、はい」
私はぎこちなく頷いた。サキちゃんなんて、学校の子たちからも呼ばれたことない。皆、桜木さん呼びだ。
「良かった。ありがとう、サキちゃん」
「いえ……」
「サキちゃん、大事な話があるんだ」
ユージーンは、いや、私も呼び名を改めよう。彼は年上だ。
ユージーンさんは、真剣な声音で言う。私は反射的に、ユージーンさんを見る。
大事な話とは、ま、まさか。まりあ叔母さんを嫁にほしい、ということだろうか。待ってほしい。まだ、心の準備が……。
「あ、あの……っ」
私は何か言おうとした。猶予をくれと。だけど、それより早くユージーンさんが口を開いてしまった。
「僕は、異世界から来たんだ」
「は……」
ユージーンさんは、真っ直ぐ私を見て言った。異世界から来たと。それに対して、私は間の抜けた声を出しただけだった。
異世界。異世界。え、異世界って、何だっけ?
理解出来ない私に、ユージーンさんはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「驚くのも無理はない。異世界なんて、普通は信じない。だけど、本当のことなんだ」
「ユージーン、さん……」
彼は本気だ。本気で、異世界。地球とは異なる世界から来たと言っているのだ。
笑い飛ばすには、ユージーンさんの目は真っ直ぐ過ぎた。
「異世界……ですか」
私はそれだけを言うのが、精一杯だった。
ユージーンさんは、真摯に私に向き合っている。疑う真似は、してはいけない。いけないのだろうけど。
「……二十年前に、君たちが住んでいるこの村と、僕が住んでいる異世界のとある国の小さな村が突然繋がってしまったんだよ」
「え……?」
村って、桜木さん宅のある、この小さな村のことだろうか。
ここは至って普通の平和な村だけど。
「初、めて、聞きました」
「うん。お互いに隠しているからね。この村でも知っているのは、ほんの一握りの人たちだけだよ」
ユージーンさんは説明してくれた。
二十年前。突然世界が繋がり、それを知る一部の当時の大人たちは困惑したという。
幸いにして言葉は通じ、意志の疎通が図れた。
彼らは話し合いの席を設け、そして、結論が出た。
ユージーンさんの国は、他国からの干渉を避ける為に。
私の村は、政府から目をつけられるのを回避する為に。平和な村に混乱を招きたくなかったのだろう。
そして一部の人の間だけで、世界が繋がったことを秘匿しよう、と決めたのだ。
ただし、不測の事態に備えて、ささやかではあるが交流を持つようにはなったらしい。
「こうして、僕たちは世界が繋がったまま、二十年の時を経てきたんだ」
「……」
にわかには、信じがたい。だが、ユージーンさんの服装や、ユージーンさんのまとう空気は、異世界の人だと信じてしまうものがあった。
「あの……」
迷いながら、私はユージーンさんに話しかける。
「うん、なんだい」
「その……異世界と繋がった、ということを前提として」
「うん」
「何故、叔母と貴方は知り合いなんですか? 叔母も村のなかで真実を知る一人、ということでしょうか?」
ユージーンさんの話を聞いて、まず思ったのがそれだった。
まりあ叔母さんとユージーンさんは、いわゆる恋人同士というものなんだと思う。だけど、二人の出会いが謎だ。
日本人のまりあ叔母さんと、異世界からの来訪者であるユージーンさん。
二人はどのように知り合ったのだろうか。
ユージーンさんを見れば、彼は少しだけ困っているようだった。
「サキちゃん」
「はい」
「マリアと僕はね、幼い頃からの婚約者なんだよ」
「こんやくしゃ」
拙い発音になってしまった。だって仕方ない。幼い頃から婚約が決まっているとか、庶民には縁遠い話だ。……幼い頃から?
「幼い頃って、どういう……」
異世界人と日本人との間で、婚約が交わされたということだろうか。
困惑する私に、ユージーンさんは少し考える素振りを見せた後、私に視線を移す。
「サキちゃん。落ち着いて聞いてほしい」
落ち着く? 無理だ。私の頭は、もういっぱいいっぱいだ。
だけど、ユージーンさんは話を止めない。
「マリアと僕は、同郷の人間なんだ。つまり……」
そこで、ユージーンさんは言葉を切った。言うべきか、言わざるべきかを考えているかのように。
「つまり……マリアの姪である君も、僕の世界の人間なんだ」
爆弾発言を、落とした。
日本人と信じて十四年。その事実は覆された。
ああ、今日はせっかくの誕生日なのに、なんて日なんだろう。
プレゼントに、うさっちょのぬいぐるみを貰える筈だったのに。
ああ、さらばうさっちょ。私の癒やし。
「……ちゃん。……キちゃん。サキちゃん!」
「……はっ!」
肩を揺さぶられて、意識が彼方から戻ってきた。危ない。現実逃避してた。
のろのろと顔を動かせば、心配そうに私を見るユージーンさんがいた。
「衝撃が強すぎたんだね。ごめん、もっと言葉を選ぶべきだった」
「い、いえ……」
日本人ではなかったという事実に、打ちのめされはした。
だけど、それはユージーンさんが悪いわけではないのだ。彼は、ただ真実を述べただけなのだから。
「サキちゃん、大丈夫かい……?」
「はい……」
だんだん落ち着いてきた。ユージーンさんがもたらす話の衝撃に、慣れてきたともいう。
「すみません。私が、打たれ弱いばかりに……」
「気にしないで。誰だって、自分が異世界の人間だと知ったらそうなるよ。それに……」
それに、何だろう。まだ、何かあるのだろうか。
……なんだか、嫌な予感がする。
私はユージーンさんの形の良い口から、目が離せなくなった。
何だ。何を言うつもりなんだ。
彼の口が動いた。
「君は、まだ七歳なんだから」
ユージーンさんは悪気なく、二度目の爆弾を投下した。