21.奪われた子
夢を見た。優しくて、寂しい夢を。
『あなたたちは、私の愛しい子よ』
そう、私たちはいつも一緒だった。
私のそばには、いつも「あの子」がいた。
なのに、いつの間にかいなくなっていた。
寂しかった。
ずっと、一緒だと思っていたのに……。
夢のなか、私は泣いていた。
再び尋ねてきた斉藤さんから、うさっちょのお菓子をもらい。大事に食べていたある日。お父さんに手紙がきた。
差出人にはジュードさんだ。
ジュードさんは、今は王都にいる。
最初、ジュードさんの手紙を渡した時、お父さんは嫌そうな顔をしていたのだけど。
手紙を読み進めるうちに、険しい表情になっていった。
「お父さん……?」
不安になり、お父さんを呼ぶ。
お父さんは険しい表情のまま、私を見た。
「サキ。旅の準備をします」
「え……?」
「サキがこちらにきた時に持っていた鞄に、数日分の着替えを用意してください。いいですね」
「え、でも……」
戸惑う私に、お父さんは少しだけ表情を和らげ、私の頭を撫でた。
「僕も準備をしますから。学校にも連絡は入れておきます。だから、貴女も準備なさい。詳細は後で話しますから」
「わ、分かりました」
私が頷くと、お父さんはある部屋に入っていった。私がここにきた当初、入るなと言われた部屋の一つだ。お父さんに受け入れられた後でも、なんとなく入る気にはならなかった部屋だ。
「お父さん、どうしたんだろう……」
疑問に思いつつも、私は着替えの用意をする為に子供部屋に向かった。
結局、準備が済んだのは夕方頃だった。
お父さんがあっちこっち、走り回っていたのだ。凄く忙しそうだった。
「準備は出来ましたか?」
「はい、お父さん」
「隣町から馬車の用意も手配しました。往復で数日の場所に今から向かいます」
「あの、何をしに行くのですか? お父さんのただならぬ様子からして、旅行ではないですよね?」
私がそう聞けば、お父さんは笑った。それは、お父さんが本気で怒っている時に浮かべる笑顔だ。
お父さん、怒ってる。どうしたんだろう。
「お、お父さん……?」
「サキ。僕たちは今から泥棒野郎のもとに行くんですよ」
お父さんの声は、怒りからか震えていた。
それだけ大事なものを、お父さんから奪った人がいるんだ。なんて、命知らずなんだ。
「な、殴り込みですね」
「ええ、そうです」
お父さんを怒らせるなんて、度胸のある相手だな。
すると、外から馬の嘶きが聞こえた。
「馬車がきたようですね。さあ、サキ行きますよ」
「は、はい!」
馬車に乗り込むと、お父さんは話し出した。
「……もしかしたら、とは思っていたんです」
お父さんは、沈痛な表情を浮かべていた。
「サキ。僕たちの家は、サラ……サキの母親が用意したものだったんですよ」
「お母さんが……」
お父さんがお母さんの話を私にするのは、初めてのことなので驚いた。
「ええ。僕は戦争に駆り出されていて、サラが先にあの家に住んでいた。僕は戦争が終わってから、あの家に住むことができたんです」
「そう、だったんですか……」
「サキ。貴女は、自分の部屋が一人用にしては広いとは思いませんでしたか?」
「思いました。もう一つぐらいベッドが入りそうですよね」
「ええ……」
お父さんは、ギュッと手を握りしめる。
「今日、サラの部屋で日記を見つけたんです」
「お母さんの、日記」
お父さんが入っていった部屋は、お母さんの部屋だったんだ。
「その日記には、生まれた子への愛情が詰まっていました。そして、日記には必ずこう記されていたんです。愛しい我が子たち、と……」
複数形だ。まるでもう一人、いるかのような。まさか……。
「サキ。貴女は双子だったんですよ」
「え……?」
双子。私には、兄弟がいたのか。
「今日、ジュードからきた手紙に記されていました。戦争のどさくさに紛れて、僕とサラの子供を一人連れ去った人物がいる、と」
「そんな……」
「本来なら、マリアは二人の子供を育てる筈だった。でも、戦争が激化していた時だった為、双子の片割れしか受け取ることが出来なかった。マリアも、二人いたとは知らなかったそうです」
お父さんの声に、苛立ちが混じる。
「僕から、息子を。サキからは、兄を奪った男を、僕は許しません」
「お父さん……」
お父さんの怒りは本物だ。お父さんは皮肉屋だけど、でも子供を大切にしている人だ。子供を不当に奪った相手を許せないのは当然だ。
「サキ。ジュードの情報によると、子供の状態はあまり良くないそうです」
「そんな……!」
「だから、絶対奪い返してやる!」
お父さんの決意に、私もまた頷いた。
辿り着いた先には、立派なお屋敷が建っていた。
門には、二人の衛兵がいる。貴族の家なのかな。
「何者だ!」
馬車から降りた私たちを、衛兵が鋭い声で誰何する。
お父さんは平然としている。
「この屋敷の持ち主であるサフォーに、ユリシス・フォーゲルトがきたと伝えなさい」
「ユリシス……!?」
衛兵の一人が驚愕の声を上げる。お父さん、実は有名人なのだろうか。
「お、おい。サフォーさまにお伝えしろ!」
「わ、分かった!」
衛兵の一人が、慌てて屋敷に走っていく。
サフォー。それが、私から兄を奪った人の名前なのか。私は、何故だか怒りが湧いてくるのが分かった。その怒りは、何に対してなのかは分からなかったけれど。
「これは、これは! ユリシスさま! お久しぶりでございます。貴方のしもべのサフォーですよ!」
現れた男は、立派な身なりをしていたけど、ねっとりとした声でお父さんに話しかけた。
お父さんは冷たい目を、男に向けている。
「サフォー、そんな御託はどうでもいい。お前が奪った僕の息子を返してもらおう」
お父さんの怒りに満ちた声に、男は悲しげに顔を歪めた。
「奪ったなどと心外な。わたくしは、ユリシスさまのような立派な方になるよう、お育てしただけにございます」
「お前の理想を、僕の息子に押し付けただけだろう。虫ずが走る!」
お父さんは、拳を強く握りしめている。
「わたくしはユリシスさまの虜! ユリシスさまの色を引き継いだ彼を、ユリシスさまのようにするのは当然のことでしょう!」
「お前は、そうやって僕の息子を操り人形に変えたのか!」
お父さんが叫ぶ。あまりの迫力に、男は一歩退いた。
「僕に息子のことを知らせてくれた人物の手紙には、息子は感情が希薄だと書いてあった。お前の自己満足に僕の息子を巻き込むな!」
「そんな、そんな、ユリシスさま……!」
男はよろめいた。
その時だった。白い髭を生やした、執事のような服を着た男性が、私と同い年ぐらいの男の子を連れてきたのは。
その子を見た瞬間。私は雷に打たれたような衝撃を味わった。
男の子の髪と目は黒。サラサラの髪はお父さんにそっくりだ。
だけど、まず私が思ったのは。
──やっと、会えた!
という喜びだった。
「ダイク! 何を勝手に連れてきた!」
男が怒鳴っている。
「坊ちゃま、この方は、あるべき場所に帰るべきなのです」
白い髭の男の人が諭している。
でも、そんなの関係ない!
人形のように無表情な男の子が、ゆっくりと私を見た。
その目に私が映った瞬間、男の子の目が揺らいだ。
その変化を見た私は、走り出した。
男の子のもとへ、一直線に。そして、抱きしめる。
温かい感触に、私の心が満たされていく。
「あ……」
男の子が、声を出す。固く力が入っていた体から、力が抜けて。そして──。
「あ、あああ……っ」
男の子が涙を流した。
私を抱きしめ返してくれる。
「う、ああああん……っ」
私もまた、泣き出す。会えた嬉しさから、歓喜の涙を流す。
「何だ! 何が、起きたのだ!」
男が喚く。
「……お前が離れ離れにした二人が、ようやく再会できたんですよ」
お父さんが静かな声で言う。口調は元通りだ。
「サフォー。僕の息子を返しなさい。国法に訴えてもいいんですよ。その場合、貴方の家名に傷が付きますがね」
「く……っ」
男は悔しそうに呻いた。泥棒野郎、お前の負けだ。
「ユリシスさま。ご子息の名前は、ユーキさまです。ユーキさまをどうかよろしくお願いします」
白い髭の男の人は、お父さんに深く頭を下げた。
この人は、男の子──ユーキに優しくしてくれていたんだと思う。
「サキ、ユーキ。帰りますよ」
お父さんは、私たちを呼んだ。
まだ涙を流していた私たちは、ギュッと手を握りしめ合って、お父さんのもとへ歩き出した。
途中、うなだれる男を睨みつけるのを忘れなかったけど。
「ユーキ……お兄ちゃん。お家に帰りましょう」
「……」
お兄ちゃんは、無言のまま頷いた。
お兄ちゃんは、七年過ごした屋敷を振り返ることはなかった。
馬車のなか、お兄ちゃんは静かに座っていたけれど、私たちは手を離すことはない。ぎゅうぎゅうに握っている。
「サキ、ユーキ。もう、あなたたちは離れることはないんですよ」
お父さんにそう言われても、私たちの力が緩むことはなかった。
お父さんを疑っているわけではない。
ただ、一度引き離された恐怖が強いだけなのだ。
お父さんはため息を吐いた。
「まあ、いいでしょう。途中の町で、ユーキの服をいくつか新調しますよ」
「服を……?」
私が聞けば、お父さんは眉を寄せた。
「あの家の服など、さっさと処分したいのですよ。ユーキも、その服嫌でしょう?」
「……うん」
お兄ちゃんは、こくりと頷いた。
そして、無表情のままお父さんを見た。
「なんですか、ユーキ」
お父さんはできるだけ、優しい眼差しをお兄ちゃんに向けた。普段から、もっとデレてくれればいいのに。
「と……」
お兄ちゃんは、かすれる声を出した。
「父さん……」
お父さんが目を見開く。
「迎えに、きてくれて、ありがとう……」
お兄ちゃんの言葉に、お父さんは顔を逸らした。一瞬見えた横顔は泣きそうな顔をしていた。たいへん珍しい表情だ。
「そ、そんなの当たり前でしょう! あ、貴方は僕の息子なんですから!」
「うん……」
お兄ちゃんの手から力が少し抜けた。
安心したのかな?
「あ、お兄ちゃん。お菓子食べますか?」
私はスカートのポケットから、空いている手でうさっちょのお菓子を出した。
「お菓子、僕食べたことない」
お兄ちゃんの言葉に泥棒野郎への怒りが、増した。
「美味しいですよ! さっ、手を出してください」
「うん」
お兄ちゃんの手に、お菓子の箱を振り入り口から、うさっちょの形をしたチョコ菓子を出す。
お兄ちゃんは、それを口に含んだ。
「美味しい……!」
無表情だけど、声は弾んでいた。
さすが、うさっちょ。人の心を解かすお菓子だ。
「全部食べていいですよ!」
「うん」
お兄ちゃんは無表情なりに、嬉しそうにお菓子を食べている。
お父さんはそんな私たちを、優しい眼差しで見ていた。
今度、斉藤さんがきたら、二人分のお菓子を頼もうっと。
もう、お兄ちゃんとは離れることはない。
夢のなかで泣いていた私が、泣き止んだ気がした。




