20.お客さん
まりあ叔母さんが旅立ってから、三日が過ぎた。王都に着くには、まだかかるという。
まりあ叔母さん、どんな花嫁さんになるんだろう。
そう思いながら、私は熟れたトマトを収穫していた。
「今夜もトマト祭りですねー」
それを見ていたお父さんが、嬉しそうに言う。むう。
トマト祭り開催者に、悪意を感じる。
「お父さん、お父さん。私が丹誠込めたトマトはお父さんが食べてください」
「もちろん、僕も食べますが。貴女も食べなさい」
「祭りの開催中止を要求する!」
「却下です」
「く……っ、これが権力というものか!」
「馬鹿なこと言っていないで、さっさと朝食を食べてください」
「はーい」
私はしぶしぶ手を洗いに、井戸に向かうのだった。
朝食は終わり、私は子供部屋に帰ってきていた。
今日は学校はお休みだ。のんびり過ごそう。
私は、ベッド横の棚に向かう。そこには、リディアムくんのペンダントが入った小物入れともう一つ。大事なものが入っていた。
棚を開ける。なかには、まりあ叔母さんからもらった封筒がある。開封済みだ。
私は、少しドキドキしながら封筒を手に取る。
封筒の中身は、私宛のまりあ叔母さんの手紙と、一枚の写真が入っているのだ。写真は、魔道具で撮られたものらしく、画像は日本のものと比べると荒い。その魔道具自体、高価な為にあまり普及もしていないらしく。今もまだ、画家に描かせるのが主流らしい。魔道具云々の辺りはお父さんから聞いた。写真については、お父さんには内緒にしてある。
まりあ叔母さんの手紙に、お父さんには内緒にするよう書いてあったからだ。
取り出した写真には、一人の少女が映っている。紫色のふわりとしたドレスを着て、波打つ金色の髪を腰まで伸ばした青色の目の少女。少女は、はにかみながら猫を抱っこしている。
写真を裏返せば、「サラ。十二歳」と書かれていた。
「サラ……お母さんの、名前」
まりあ叔母さんの手紙に、写真の少女は私のお母さんの幼い頃のものだとあった。
お母さんの、写真。私は、この三日間で何度も写真を見ていた。お母さんの顔を覚える為に。
青い目。私とお揃いだ。嬉しい。
「お母さん、会いたいです」
何故、生きているとされているお母さんが、この家にいないのか。誰にも聞けなかった。そこは触れてはいけない領域なのだと、理解している。
作文は過去のことだから、例外だったけれど。それでも、聞くのには勇気が必要だった。
お母さん、今貴女はどこにいるんですか?
広い子供部屋のなか、私は写真を見つめ続けた。
お父さんがリディアムくんと研究室に向かい、私はソファーにうさっちょのぬいぐるみを抱いて座っていた。
前に見るだけだった綺麗な絵本は、内容が読める。星空を旅する女の子の物語だった。
絵本を読み終わった時、玄関の扉をどんどんと勢いよく叩かれた。
私はびくりと、飛び上がる。
「おーい! ユリー! 俺だよ、俺ー!」
声は男性のものだった。
ユリとは誰だ。俺とか言われても分からん。
「ユリ、いねーの?」
私は物音立てずに、玄関まで行く。そして、背伸びをして扉の覗き穴を見る。
そこには、シャツを着崩しツンツンの銀髪で、グラサンを着用したチャラい男がいた。
私は無言で玄関から離れると、通信機まですっ飛んだ。
──リーン。
数回のコール音の後、お父さんが出る。
『サキ、どうしま……』
「お父さん大変です! 変質者が外に!」
『サキ、じっとしていなさい! すぐに行きますから!』
通信は切れた。
私はバクバクする心臓を押さえて、お父さんが来るのを待つ。
すると、玄関の外で声がした。
「おー! ユリ! すっげー久しぶり!」
「……貴方だったんですか、ジュード」
「ん? なんで、撃退用の魔道具持ってんの?」
「娘が怯えてます。今すぐその妙ちきりんなものを外しなさい。でないと手がすべって、これを貴方に食らわせますよ」
「なに!? いきなり、俺危機なの?」
「いいから、外しなさい」
「ニホンのものは、珍しいんだけどなー」
……お父さんが普通に会話している。もしかして、チャラい男とは知り合いなのだろうか。
玄関の扉が開く。
お父さんとグラサンを外したチャラい男が入ってくる。
「サキ、もう大丈夫ですよ。こいつはジュード。一応知り合いです」
「なんだよ、幼なじみだろー?」
「そんな過去は捨てました」
「ひでー!」
私はうさっちょぬいぐるみを抱きしめたまま、お父さんにぴったりとくっつく。
「……本当に、お父さんの知り合いですか?」
「ええ、残念ながら」
「二人ともひでーな」
チャラい男はしゃがんで、私と目線を合わせた。紫色の目が私を見ている。
「俺はユリ……君のお父さんの幼なじみのジュード。君の名前は?」
「……サキ、です」
「サキちゃんかー、ユリとは似てないぐらい可愛いねー」
「うちの娘に、ちょっかいをかけないでください」
お父さんが、チャラい……ジュードさんにチョップを食らわした。
「いってー!」
呻くジュードさん。
「さあ、サキ。こんな男放っておいて外で遊んでなさい」
「え、でも……」
ジュードさんはお父さんの幼なじみで、もう警戒は解いた。なら、家のなかにいてもいいのではないだろうか。
そんな思いでお父さんを見れば、苦笑を浮かべた。
「なら、そうですねー。お父さんは今からパンを焼きます。邪魔ですので、外に行きなさい」
「え、でも。パンは昨日焼いたばかり……」
「いえ、昨日作ったものより、もっと美味しいパンを作りたくなりました。これはもう僕の使命です」
「いきなり使命に目覚められてしまいましたか」
それは大変だ。お父さんは、パンの神様に降臨されてしまったのだ。
「サキ。頭の良い貴女なら分かりますよね。僕はパン作りに集中したいのです」
「……お庭で、うさっちょと遊んでます」
私はお父さんの圧力に屈した。
とぼとぼと玄関に向かう私の耳に、お父さんとジュードさんの会話が聞こえてくる。
「いやー、サキちゃん可愛いねー。本当にユリの子? 義理じゃなくて?」
「正真正銘、僕の子ですよ」
「じゃあ、サラちゃんの血が濃かったんだな。お前の血が入ってて、あの可愛さは奇跡だよ」
「……殴りますよ」
……サラと、ジュードさんは言った。
ジュードさんはお母さんを知っているんだ。
このまま二人の会話を聞いていたい気がしたけど、お父さんの無言の圧力を感じて私は庭へと向かうのだった。
庭の木陰に座ると、リディアムくんがやってくるのが見えた。
「リディアムくん」
「やあー、サキ。師匠が来客があったから、修行は中止なんだー」
「そうなんですか」
リディアムくんは当然のように、私の隣に座った。
「こうして顔合わせるの、久しぶりだねー」
「私たち、時間が合いませんもんね」
私は学校。リディアムくんはお父さんと修行。見事に時間がかち合っているのだ。
「少し、寂しいよね……」
「そうですね……」
通信のペンダントのおかげで、毎晩お話は出来ている。
でも、会えないのは辛い。
ぎゅっと、リディアムくんが私の手を握った。
「リ、リディアムくん……!」
「僕、今はこうしていられるから、幸せだなー」
リディアムくんはにこにこと笑っている。上機嫌だ。
対する私は顔が真っ赤である。た、耐性がないんだよー!
「師匠に来客があって良かったねー」
「そ、そうですね」
私たちは、ぽつぽつと静かに話した。
リディアムくんは、最近魔道具の開発にも関われるようになったんだって。凄いよね!
「私は、計算が早いと誉められました」
「へー」
と、私たちが和やかに話していると、家のなかからバッターンという大きな物音がした。
「うわっ、なにすんだよ!」
「うるさい!」
お父さんたちの言い争う声もする。
ど、どうしたんだろう。
「師匠、気に入らないことがあると、たまにああなるんだよー」
「そ、そうなんですか」
ジュードさん、お父さんに何かやっちゃったのかな?
しばらくすると、急に静かになった。
だ、大丈夫なの?
「あー、酷い目にあったわー」
ジュードさんがタオルで顔を拭きながら、庭に出てくる。良かった、何故か粉まみれだけど、怪我はないようだ。
お父さんが加害者になるのは、嫌だ。
ジュードさんは庭にいる、私とリディアムくんに気がついたようだ。
「あ、サキちゃんとえーと……」
「リディアムです。ユリシスの弟子だよー」
「ほうほう。で、二人はそういう関係なの?」
ジュードさんは、繋がれた私たちの手を見て言った。
「あ、えっと……」
「うん、そうだよー。でも、師匠には内緒にしてほしいなー」
私が何か言う前に、リディアムくんが肯定してしまった! いや、合ってるんだけどね!
「そうか、そうかー。早熟だねー。もし、俺の娘にそんな早い内から恋人いたら、へこむわー」
「ジュードさん、娘さんいるんですか?」
というか、結婚してたんだ!?
「うん、いるいる。今、二歳」
「そ、そうなんですか」
へらへら笑うジュードさんは、親ばか全開だ。
「と、そうだ。井戸使ってもいい? ユリのやつに、パン生地投げつけられてさー」
お父さん、本当にパン作ってたんだ。私を追い出す為の口実だと思ってた。
「あ、井戸の横に魔道具があるので、それを捻れば水が出ますよ」
「おー、さすがユリの家だね」
ジュードさんは、水で顔を洗った。
「はー、ベタベタがなくなった。すっきり」
ジュードさんはすがすがしい顔をしている。
「パン生地を投げつけられたって、何か師匠にしたのー?」
「リ、リディアムくん!」
「えー、だってサキも気になるでしょー?」
「そ、それは……」
確かに気になるけど! き、聞いてもいいのかな。
ジュードさんを見れば、あっけらかんとした顔で頷いた。
「いや、俺こう見えても、中央の役人なんだよねー」
中央は、王都のことだ。
「それで、上司にユリを中央に引っ張り出してこいって言われて。んで、そうユリに言ったらパン生地投げつけられたわけ。ユリの中央嫌いは、どうしようもないね」
「師匠は、貴族も嫌いだから」
お父さんは、本当に複雑みたいだ。
「まあ、サラちゃんのことがあったからねー」
サラの名前に、私は反応する。
「ジュードさんは、お母さんのこと、何か知っているんですか?」
真剣に聞けば、ジュードさんは困ったように笑った。
「その様子だと、ユリは何も言ってないんでしょ。なら、俺も言えないよ」
「そうですか……」
私は肩を落とした。
できることなら追及したいけど、ジュードさんは見かけによらず口が固そうだ。
「ただ、これだけは言える。君は、ユリとサラちゃんの愛情のもと、生まれたんだって」
「ジュードさん……」
私は、ジュードさんの言葉に感じ入った。そうか、私には確かな愛情があるんだ。
「さて、じゃあ。俺、帰るわ。任務失敗したし」
「あ、そうですか」
「うん。さよなら」
「は、はい。さよなら」
ジュードさんはひらひらと手を振って門に向かっていく。
なんだか、不思議な人だったな。
「じゃあ、サキ。僕も研究室に戻るよ。修行再開すると思うし」
「はい」
「またね」
「また、夜に」
私はリディアムくんに手を振った。
今日はお母さんを知る人に会った。
お母さんは、王都と何か関係があるのだろうか。
謎は深まるばかりだ。
私は、子供部屋のなかで、お母さんの写真を見つめた。
「お母さん、私いつか会いたいです」
呟きは、部屋のなかに吸い込まれていった。




