№1〜日記と手紙〜
はじめて、インタビューと言いますか、そう言うのをしてみましたが。
とても、他人事ではないんだな。
と、お話を聞いていて思いました。
読者様に僕が感じたような気持ちが伝わると良いです(o^-^)
数日前。
俺の親友は、空の上に行った。
なんで、空の上に行ったなどと言う表現をするのかと言うとだな。
生前アイツは、『死んだら僕は空のずっと上に行くんだ。上を向いて・・・上に向かって・・・そして転生してまたお前と、馬鹿をしたいから。』と言っていたからだ。
そして、アイツが死ぬ間際・・・最後に言った言葉は『こ・・・う・・・行っ・・・て・・・きます。』だった。
苦しそうに引き攣っていた顔にその時、もう一度アイツは満面の笑みを浮かべ、静かに息を引き取った。
でも俺は、アイツの死を受け止めることが、できずにいた。
ある日、アイツの母親は大きな箱を送ってきた。
中を見てみると、そこにはびっしりと敷き詰められた日記帳が入っていた。
日記帳を手に取り、表紙を見るとNo.がうってありNo.1を探して、まず1ページ目を開くと・・・封筒が 挟んであった。
宛先は俺で差出人は親友・・・"癒月 歩葉"だった。
俺は、慌てて封を切り・・・"癒月 歩葉"の文字を目にした時、目からこぼれる大粒の塩っぱい雫が、手紙の文字の上に《ぽたっ…ぽたっ…》とこぼれ落ちた。
俺は、すぐに手紙に目を移した。
『 紅へ
元気にやっていますか?
多分、この手紙を紅が読んでいると言うことは、僕は君に見えてないんだね。
僕は、紅と出会えて最期まで幸せだった。
紅とは、小学生の時に出会って
中学二年の時に接点を持って、それからすぐに紅が荒れて、一緒に馬鹿やって。
高校では、僕が趣味で書いていた小説を出版社に出すように勧めてくれて出しでみたら、入選して・・・僕は夢だった小説家になれた。
その時、人生で今まで生きてきてよかった。
そう思えたんだ。
その後、紅は大学に進学して、僕はそのまま小説家の道に進んだ。
毎日、わいわい騒げなくなるのかってあの時は思っていたけれど、毎日のように家に遊びに来てくれていたよね。
あの頃は、素直になれなかったけど。
今なら伝えられる気がする。
ありがとう。
・・・紅、今泣いてるでしょう?
僕も泣いてる。
願わくば、もう少し・・・もう少しで良かった。
一緒に居たかったなぁ。
でも、ありがとう。
木名市 椿町9365-3 癒月 歩葉より』
締め付けられるように、痛い。
涙も止まらない。
声を殺しても声は漏れる。
悲しい、嬉しい、苦しい、愛おしい。
俺は、手紙を読みながら独り言を呟き続けた。
癒葉からの手紙はまるで、返事を待っているかのような内容だった。
俺は、手紙の最後に綴られた住所に、手紙を送ってみようか。
そう、思った。
一週間かけて書いた返事の来ない手紙を癒葉宛に送った。
手紙を送ってすぐに、俺は日記へ目をやった。
始まりは、2015年6月8日からで、毎日綴られていた。
2015/06/08
『今日、末期の肺癌だって申告を受けた。
余命は1年。
直ぐに、治療を始めないといけないと言われた。
紅には、まだ言えてない。
紅にはさっき"軽い肺炎"だって嘘をついた。
紅に言うと、紅は仕事を休みかねないし、迷惑とか心配はかけたくない。
体調は良好だから、今の所は問題無し!』
2015/06/15
『今日も体調は良好・・・とは言い難い。
熱が37.8度ある。
紅が来てくれた。
お見舞いに、りんごを切ってくれた。
美味しかった!
早く、熱が下がるかもしれないっ!!
・・・まだ、肺癌の事紅には言えない。』
2015/06/28
『まだ、熱ぽいけど体調は良好!
今日も紅病院に来たけど、紅大丈夫かな・・・?
まさか・・・気づいてるわけないよね・・・?』
俺は、歩葉の日記を音読しながら、大粒の涙を流しながら1人呟いた。
『う・・・うん・・・。気づいてなかった・・・。気づけなかった・・・ごめん。』
その時、そっと懐かしく優しい声が、耳元で聞こえた。
《 ううん・・・。紅が気づかなくて良かったんだよ。》
今回は、病気《肺癌》と言う事で、現実味を考慮して書かせて頂きました。
自分なりに調べて、その後に肺癌で親族をなくされた方にお話をお伺いした上で書かせて頂きました。
未熟で間違った点があるかもしれませんが、そのような所も細かく指摘していただけると、大変有難いです。
この話の後半は、活動報告にてお知らせ致します。
この度は、当作品を最後まで閲覧頂き、誠に有難うございました。
次話も楽しみにしていただければ幸いです(。´•ㅅ•。)