203号室の彼女。
浜崎知が保健室登校の美少女と歴史を創っていく隣で、
知と似た境遇を持つ帯刀湊もまた、歩けない美少女と物語を紡いでいく。
学園ラブコメとか、青春ラブコメとか、純愛ラブコメとか、とにかくラブコメなどという言葉は唾棄すべき悪だ。
いや、こんなことを言ってしまっては僕がうるせぇ黙ってろよと世の中の野郎どもからボロクソに叩かれること請け合いなので、少し訂正させていただこう。
高校生活、というものは本当にくだらない。
僕は確かに、この紫門高校に入るときに推薦試験の面接で語ったさ。大学に進学するための土台となる勉強をしっかりやるぜ、だの、部活動にも勉強にも全力で取り組み両立を目指すと。
しかし現実は非常である。
中学生時代は非常に、全くもって非常に不本意ではあるが、腫れ物に触るかのような扱いを受けてきた。当然友達などいなかった。クラスメイトからは避けられていたし、実質先生たちからも微妙な目で見られていたのは間違いないとみていいだろうと思う。
でも、今は別に僕に友達がいないとかそういうわけではない。それなりに友達に恵まれ、それなりにクラスメイトも楽しいやつらで、おまけに僕の中学校からこの高校に進学したのは片手の指の本数で足りる程度の人数だったから僕の武勇伝が知られることもなく、何というか良い感じに【地味】な奴という扱いを受けることに成功し、まさしく【地味】に高校生活を過ごしていた。
それにしても、だ。
適当に解いたりまとめたりした小テストや提出物という無駄な紙切れに【A】の評価がなされたという証拠のサインを受け、返され、そして家へ帰宅してだらだらとする毎日を送っていると言えばいいのだろうか。それなりに頭が良いのは事実なのだけれど、しかしこれといって自慢にもならない。こんな学力、一つ上の公立進学校へ進んでいれば下の方で彷徨うだけで役にも立たなかったろう。
まぁとにかく僕のような男の身の上話は別に省略してしまっても構わないだろ? 悪いけれど、僕の暮らし云々のことについては割愛させてもらうことにするよ。
そうだな……場の繋ぎだ。僕のクラスについての話でもさせてもらおう。
例えば、僕の席の近くにいる【浜崎知】。
パッと見中性的な隠れイケメンというところで、まぁ同じクラスになったのだから仲良くしようくらいには思っていた。しかしこいつが、本ッ当に恨めしい。
昼休みになると弁当なりパンなりを持って保健室に行き、誰かと昼食を一緒に食べているらしいが……まぁそれだけなら誰にでも大なり小なり事情はあるだろうし、別に構わないけれども、これがまた本当に恨めしい。この前本屋に本を買いに行ったとき、めちゃくちゃ美人の彼女……なのかはわからないが、とにかくとっても美しい女性と楽しげに談笑しながら歩いていたのだ! このリア充め死んでしまえという視線を向けようかとも思ったが、結局やめた。彼らが楽しいと感じているのならば、それだけでいいのさ。ふっ僕マジ紳士。
でまぁ、高校生活がダルいのは他にも理由がある。
まず一つ。
僕の両親は、僕が幼い頃に離婚していて、ずっと母が高校入学まで僕を育ててくれていた。ちなみに、父親の顔はロクに覚えていないし知りたくもない。しかし、その母も過労が祟ってしまい、現在は隣町の大きな総合病院に入院しているのだ。
まぁ今までに散々迷惑をかけてきたわけだし、僕としてもこれ以上母に何かをさせるわけにはいかないなと思っていたから、これを機に自立して頑張ろうと思っていた。
だけど、やっぱり一人暮らしというものは予想以上にキツいし、それにお金のやりくりを全部僕がしなくちゃいけないというのは予想以上に何というかこうクるものがある。好きなものを買おうと思ったときに買えないし、好きなものよりまず明日のご飯代が優先されてしまうし、水道光熱費なんて少しでも上がったら僕は火を噴いて倒れてしまいかねない勢いでマズい。まぁ元々料理とか洗濯とか裁縫とか掃除とか、そういう家事の類は得意で好きでもあったから、さして苦には感じないけれど。
そして、今日も僕はいつも通りにHRを聞き流し、荷物を手早くまとめて、皆がバスに乗ったりする駅や徒歩で学校に通っている人たちに紛れて、反対車線からバスに乗り、病院へと向かい母のお見舞いに行くところだった。
見るからに人口密度高めなバスに何とかして乗り込み、つり革を確保してからため息をつく。
人が多いのは嫌いだな。
「それでさ、その浜崎って奴が喧嘩むちゃくちゃ強くてさー。マジやばくね?」
その声に思わず気を取られ、声がした方を見る。
同じ高校生のヤンキー軍団だろうか、タチの悪い。お前の物言いのほうがやばいわクソが。
つーか浜崎って、うちのクラスメイトの浜崎知か? いや、さすがにそういう風には見えないな。柔和な印象だし。
これでも僕は喧嘩はそれなりに強いぞ。中学校に入学したての頃だったか。別の小学のアホが喧嘩売ってきたから買ってやって、教室でこっちが一人なのに対して向こうは四人くらいで殴りかかってきたけどそれでも勝ったぜ。結構満身創痍だった気もしないでもない。まぁそのあと担任と学年主任と生活指導と校長に散々怒られたんだけどね。
「……はぁ」
ため息を一つ。
この時間帯は、仕事帰りの人が乗るバスと重なっているために少し混み合っている。
そのために僕も席には座れないでいるのだが、まぁ、僕もそれなりには今を生きている若者なのだし、高齢者に率先して座らせてあげるってのも当然ってやつだろう。しかしファッションヤンキーどもお前らは許さん。黙れ。
まぁこいつらに人生の一秒でも費やすよりかは今日の晩ご飯の献立について考えたほうが有意義だ。
――冷蔵庫の中には豆腐があったはずだから、今日は麻婆豆腐か。あんまり上手に作れないんだけどなぁ。
そんなこんなでバスに揺られ続け、目的地に到着したので、人混みをかき分けながら僕はバスから降りて病院へと向かう。
水沢総合病院。
この街で最も大きな病院だ。
そこの205号室に、僕の母は入院している。
一応顔見知りとなった看護婦さんに会釈をして、母に面会をしても良いか聞いてから、母の病室がある二回へと向かう。
白と淡いピンクで塗られた、繊細な印象を受ける綺麗な廊下を歩き、二階の廊下の真ん中ほどにある205号室の前に立つ。
帯刀百合――それが僕の母の名前だ。
軽く二回ノックをする。
コンコン、という単調な音が看護婦さんたちが行き交う廊下に響いて溶けていく。
「はーい、どうぞ」
了承の返事を頂いたので、ドアを静かに開けてから部屋へ入る。
この部屋には母さんだけ。個室ということだ。
「ごめん、母さん。少し遅くなっちゃったよ」
「はぁい、不良息子!」
誰が不良だ誰が。
「不良じゃないよ……こうやってちゃんとお見舞いには来てるし、別に高校に入ってからは喧嘩もしてないでしょ……」
「中一の時に別の小学校からきた四人をねじ伏せて中二の時に他中の三年を殴り飛ばし中三ではもはや歩くだけで皆からビビられてたあんたが何を言ってんの」
黒歴史だからやめてください。
しかし今語られたことは全て事実であり、ガキの頃の僕など思い出したくもないのでこれ以上話すのはやめさせてもらおう。
「あはは、ごめんごめん。っていうか別にお見舞いとかいいのよー、湊。気を遣わなくても」
「いや、まぁ、高校に通わせてもらってる時点で頭上がらないくらい迷惑はかけてるからね……あっ、フルーツ届いてるんだ。りんごか何か、剥こうか?」
病室に常備してあるのだろう小さな椅子に座ってみれば、机の上に、フルーツの盛り合わせが入った籠が寂しく置いてあることに気づいた。
おそらく母さんの仕事場からだろう。ブラックでなくて何よりだ。
「大丈夫よー。それくらい今のわたしの体でも出来るわ。湊、食べてく?
さすがにわたし一人だけじゃ、これだけの果物は食べきれないから」
「お腹減ってないし、大丈――
ごきゅるるる。
僕の言葉を、僕の腹の音が遮る。「体は正直だぜぇ~」というやつだ。違うか。
「あははは、ごめん、お言葉に甘えさせていただきます」
「それでいーのよ。子どもは大きくなることが仕事なんだから、遠慮すんなって」
そうやってにっこりと笑う母の姿を見ると、やはりこの人には勝てないなと自覚させられてしまう。
このおおらかな母親からどうしてまた僕のような超絶ヘタレチキンが生まれてしまったのか、まさに人間の神秘だな。
「そういやさぁ、湊ー」
「ん?」
果物ナイフで、サラサラとりんごの皮を剥きながら母が言う。
「隣の部屋に入院してる美人、見た?」
ニヤニヤしながら問うてくる。……のだが、正直に言ってしまえば、その美人さんとやらを見たことがない僕は返答に少々困らざるを得ない。
そもそも僕はこの病院で母さん以外特に知り合いはいない。
「いや、見たことないけど……美人って、どういうこと?」
「見たまんま、すごい美人よ。
名前は……何だったかしら、まぁ帰るときにネームプレート見ればわかるわね。湊と同じくらいの年だろうし、車椅子に座ってるから、すぐにわかると思うわ」
そこまで母が太鼓判を押すというのなら、確かに見てみたくはあるけどな。
そんなことをつらつらと考えているうちに、どうやらりんごの皮が剥き終わったらしかった。
皮を剥き終えたりんごを母さんから受け取り、そのままかじる。何だかんだ面倒くさければかじっていいと思うのだ。
うん、ほどほどに甘くて美味しい。
「そうなんだ。でも母さんも負けず劣らずってところでしょ」
妙齢の美女、という表現がしっくりくるのが僕の母だ。
正直、この人が30代後半とは思えない。下手したら無駄に化粧とか塗りたくってるうちのクラスメイトたちのほうがアレかもしれない。事実がひどすぎて言葉には出来かねるけれど。つーか、素材はいいと思うのに何で化粧とかしてダメダメにするんだろうね。すっぴんのほうが可愛いと思うのに。
「やーね、褒めても何も出ないわよ。あ、でも、フルーツはいくつか持って帰ってもいいわよ」
「ううん、大丈夫だよ……スーパーの特売で、さくらんぼとかいっぱい買ってあるから」
「そう? それならいいんだけど」
その申し出はとてもありがたいものではあるのだけれど、一応断らさせていただきたく思う。会社の人が心配して持ってきてくれたものなのだから、それを僕が嬉々として持って帰るのもどうかというところだ。
ふと時間が気になって、母さんが持ち込んだという置き電波時計を見てみれば、既に六時になろうかというところだった。
そうだな、さすがにもう帰るか。晩ご飯の用意もしなければならないし、それにこれ以上病室に居座っても迷惑なだけだろうと思った僕は、壁に立てかけておいた鞄を椅子に座ったままこちらにたぐり寄せる。
「そろそろ帰るよ」
「うん。母さんも頑張るから、湊も勉強頑張ってね」
「りょーかい。そんじゃ」
椅子から立ち上がり、病室のドアを後ろ手で閉めてから隣の部屋のネームプレートをチラリと盗むようにして見る。
勝手に他人の名前を見るなんて、あまりこういうことはしていいとは思わないが……。
「私の名前がどうかしたの?」
僕のことを警戒しているのだろう、こちらを睨みつけながら話しかけてくる車椅子に乗った美少女。
――う。
美人だ。
一瞬ではあるが、見惚れて時間を忘れてしまうほどに。
「……っ、あ、いや、何でもない、です……ただ、隣の部屋に入院してるのが僕の母さんで、君の話を少し聞いたから……」
とっさに出てきた言葉を、途切れ途切れになりながらも最後まで紡ぐ。
そんな僕の姿が相当に間抜けのように見えたのだろう、少しの笑みを浮かべながら彼女は言った。
「ふふ、キミ、面白いね。
……どう? 向こうでちょっとお話でもしない?」
唐突なお誘いだった。
正直断りたい気持ちであることは、否定できない。さっさと帰って晩ご飯食べたい。風呂に入りたい。つーか寝たいという自分勝手な欲望が脳内に渦巻いているからだ。
しかし同時に、読書好きの人間としては少々の興味が湧いてきてしまっていることも否定できない。
こんな小説のような展開をどこかで待っていた人間だからこそ、だ。
「あぁ、わかった。少し話そうか」
考えるよりも先に、答えを出した。
「思ったよりも警戒心が薄いんじゃない?」
今度はやや呆れたとでも言わんばかりの表情で言う。
それについては聞こえないふりをしながら、彼女が手招きする方へとついていくことにした。
そしてそう、知らず、僕は呟いていた――
「……車椅子の美少女、ね。興味が出てきてしまってもしょうがないだろ」
いかがでしたでしょうか?
授業中に考えていたことをそのまま文章にした、ほけとうに添えるサイドストーリー。
少しでも続きを読みたい、こちらの話も読んでみたいという方がいらっしゃったら幸いです。