恋する心を冷凍保存でそのままに
【第39回フリーワンライ
お題「10年前の手紙」「冷たい指」
「お願いしますよ女神さまー」
ケンジは画面の向こう側にいる女の子に話しかける。もちろん返事は返ってこず、その赤いビキニで健康的な泳ぎを魅せて、数字の裏に隠れた。
「俺に一発恵んでくださいっと」
右手に祈りを込めて、強く回す。
先ほど女の子が現れていた画面を、目で追いきれない速さで数字の波が激しく流れた。次第に速度を緩めて数字が目視できるようになる。その数字の波は3列で流れおり、両端の数字は7を示して静止した。
「おお、こいっ!」
ケンジの右手に再び力が篭る。
中央の数字も徐々に速度を緩め、停止、移動を繰り返し始める。
「まだ、まだ、まだっ・・・・・・! そこ! 止まれ止まれ、行くな行くな行くな・・・・・・! ・・・・・・あーあ」
ため息をもらしながら、ケンジは店の自動ドアから外に出てきた。彼の腕には景品のお菓子詰め合わせが入った茶色の紙袋が抱えられている。
「あと、少し。あと少しで大当たりだったんだけどなあ」
先ほどのパチンコの結果を思い返し、肩を落とした。とぼとぼと家路につきながら、腕に抱えられた茶色の紙袋に視線を落とす。何度も見慣れた紙袋で、お菓子の内容もいつもと同じだ。代わり映えのしないレパートリーで、ケンジが小学生の頃から慣れしたしんできた駄菓子達だった。
歩きながら紙袋をあけ、その中から棒状のスナック菓子を取り出し、かじる。
「くそう。いい加減新商品のお菓子いれてみろってんだ」
パチンコが当たらずむしゃくした思いを、乱暴に駄菓子にぶつけて食べる。
そのときケンジの尻ポケットから、ピロリロリン、ピロリロリンと初期設定のまま変えていない携帯電話の着信音が聞こえてきた。
食べかけのスナック菓子を紙袋に放り投げ、紙袋を片手で持ちなおす。馴れた手さばきで携帯電話の受話器ボタンを押し、呼びかけにこたえる。
「もしもし」
「もしもし、ケンジ?」
「何だよ、お袋かよ。何?」
「何、って親に向かってひどい言い方だねえ」
「はいはい、そーだね。で、何の用さ?」
「あーそうそう。お前にね、いい話があるんだよ。いやあね、隣に住んでる山口さんいるでしょう」
「あー。いたね、よく回覧板のとき飴くれた、あの」
「その山口さんね、知り合いに可愛らしいお嬢さんがいるらしいのよ」
「あー」
「それでね。聞いてみたら歳もお前と同じくらいで。お見合いでもどうかって、盛り上がっちゃったのよ」
「その話ね、その話は-―」
「いいじゃない。お見合い。どうせあんた今相手いないんでしょ? だったら断る理由ないわよねえ。30歳近いんだから、そろそろ結婚して孫の――」
ケンジは携帯電話から耳を離し、ボタンを押して強制的に通話を切った。
携帯電話を元の場所にしまい、再び紙袋から食べかけのお菓子を取り出す。
「アラサーだからそろそろ結婚しなきゃ、とはならねえって。俺はもう恋愛関係はコリゴリなんだっつーの」
学生時代の恋愛を思い出して、ケンジはげんなりした。
高校の頃、ケンジには彼女がいた。人生初めての彼女で、そうとう浮かれていたのを今でも覚えている。ただ好き同士で付き合ったのではなくて、年齢=彼女いない暦という称号が嫌だったのと、彼女の情熱的な告白に押されたのが付き合った理由だった。
ケンジは彼女がいる優越感だけ味わえればよいというスタンスだったが、彼女は相当ケンジのことを好いていたらしく、ケンジにべったりだった。それが原因で様々な問題が生じたため、いろいろ理由をつけ、ありとあらゆるフリ文句で彼女との交際を断ち切ろうとしたのだったが、彼女は頑なに首を縦に振らなかった。
「あんときは散々だったなー」
何百回と断りつづけたのに一向に迫るのを辞めない彼女に、ケンジは疲弊していった。その経験から、もう恋愛ごとに関わって生きるのは辞めようと決意したのだった。
それが高校3年生の時だったので、何年も前の話だが、まだ恋愛に興味を持てるレベルにまで回復はしていなかった。
「アイツ何度言っても腕離そうとしなかったもんなー。・・・・・・あれ、待てよ。あいつどうして俺の元から離れていったんだっけ?」
トイレにまでついていこうとしていた彼女の姿を思い返し、ケンジは首をかしげた。
「確か、俺が何か言って、そしたら「うん、わかった」ってやけに素直に聞いて、どっかにいっちまったんだよな」
たべかけのお菓子を口に運び、中身がなくなった包装をゴミ箱代わりの紙袋にいれる。
「うーん。俺、何て言ってあいつを追っ払ったんだったかな」
しつこくケンジに付きまとっていた彼女が、とある一言ですぐに去っていった。果たして自分は何をいったのだろう。眉間に皺を寄せ、唸ってみるものの、記憶の扉は開かれてこない。せいぜい自分の顔の皺が増すぐらいである。
そうくだらないことで悩みながら歩き、彼が独り暮らししているマンションにたどり着いた。郵便受けに入っているハガキやらチラシやらをまとめて取り出し、自身の部屋に向かって階段をあがる。
鍵を回し、ケンジは自身の部屋に帰ってくると、机の上に紙袋とチラシを乱雑に投げた。回転椅子に座り、新たな駄菓子に手をつけながら、郵便物に手を伸ばす。
「ん?」
大体がピザのチラシであったり、金融のお知らせであったりくだらないものばかりだったが、ひとつだけ気になるものがあった。
拾い上げてみるとどうやら便箋のようで、中身を取り出して読み上げる。
「『親愛なるケンジくんへ。お元気でしょうか。私は元気です』」
見たことのある字の癖だなと思いつつ、先に目を通す。
「『10年後の話だから、ちゃんとこの手紙が届いているか心配だけど、私達の愛は本物だし、何者にも阻めないから、大丈夫だよね!』」
嫌な顔を思い出しながら、ケンジは読み進める。
「『ケンジくんが、「俺と付き合うのなんて10年早いんだよ」って言ったので、私は10年待つことにしたんだ。でも安心して! コールドスリープで眠るから、私の若さは変わらないから!』」
彼女の迫る笑顔、迫る体、這い寄る影が脳裏に浮かび、ケンジの背中に怖気が走った。まるで彼女の冷えた指で背中を愛おしく撫でられたようだった。
「『10年経った今、会いに行きます。待っててね、ダーリン』」
ケンジは体を震わせ、即座に携帯電話を取り出した。すぐに電話の画面を呼び出し、一番上の相手にリダイヤル。
「――もしもし、お袋? 見合いの件、進めておいてくれねえかな」