一人と一匹の協定
第35回フリーワンライ
お題「小さな約束」
「はあ」
背負っていた黒のランドセルを肩から下ろし、お腹に持ってくる。そのままくるりと身体を回転させて、お寺の段差に座った。ここは人気がないから、一人で静かに過ごすにはもってこいの場所だ。
「なんでこうすけくんは僕を叩くんだろう」
うなだれて、僕は今日の4時間目の体育の授業を思い返した。
バスケットボールのチーム分けで、出席番号で3つに別れて、僕とこうすけくんは同じチームになった。こうすけくんは昼休みいつもバスケをしてるからボールの扱い方が上手い。でも僕は昼休みけんとくんやもりなちゃんと教室で遊んでるから、ボールを使う遊びは苦手なんだ。
「僕だって一生懸命やってたんだ」
ふざけてないんだ、と心の中で叫ぶ。
僕がパスを取れなかっただとか、僕がこけてチームワークが乱れたとか、色々言われた。だから負けたのは全部僕のせいだって。
「僕のせい、じゃないさ」
僕しかいない、落ち葉が風に吹かれてかさかさと音を立てる以外、しーんとした空間。そこに僕の声だけが飛び出して、僕が口を閉じると、また静かになる。
こうすけくんを目の前にしては、言えない。こうすけくんの顔を見ると、怖い。文句を言うと、びんたがくる。不満な顔を見せると、蹴られる。何もしなくても、叩かれる。
怖い思いはしたくない。いつもこうすけくんが何かしてくるか分からないから、いつもびくびくして彼をやりすごそうとする。恐怖はいつも付きまとっていて、その日何もされなかったらちょっとだけ安心するけど、またすぐに怖くなる。今日の分が明日に回るんじゃないかって。
「どうして僕に怖くするんだろう。僕、何か悪いことした?」
神様、どうして。でも、ここには僕一人だから誰も応えてくれない。
「うるさいにゃあ。メソメソめそめそメソメソと! うるさくって心地よく眠れやしない」
どこからともなく声が聞こえた。
「え、え」
突然聞こえてきた声に慌てて辺りを見回してみるけど、人影なんて見えてこない。このお寺へ入ってくる道は僕の目の前にある一つだけだし、着た時にも誰かがいる様子もなかったはずなのに。
首を傾げて、もう一度周りに視線を凝らしてみる。
「そら、みみ?」
「にゃわけにゃいにゃ。ちゃんとわたしの美しい喉から出た声にゃ」
またも声が聞こえた。
今度は声が聞こえてきたほうにゆっくり首を向ける。僕の足元だ。
「うわっ」
僕は驚いて、尻餅をついてしまう。身体を起こしながら、もう一度声の主らしき人に目を向ける。いや、人じゃない。猫だ。
そこにいたのは、黒と茶色の白の毛並みがきれいに整った三毛猫だった。身体が大きく、獲物を捕らえるには余分そうな肉をたっぷりと蓄え、なんとも迫力のある目で僕を睨んでいた。身体の大きさから、こうすけくんをちょっとだけ連想してしまう。
僕は恐る恐るたずねてみる。
「君がしゃべったの?」
「そうにゃ。お前がうるさいから忠告にきたのにゃ」
「うわっ。本当にしゃべった!」
「なんにゃこいつ。まあいいにゃ。ここはわたしの寝床第112番目の場所なのにゃ」
「そんなに」
「だから、お前のような泣き虫にいられるとゆっくり眠れないのにゃ。さっさとここから出て行くにゃ」
猫はフンと鼻息をならして顔を横に向け、僕に出て行くように指示を出す。
「う、うん」
言葉に押され、ランドセルを背負いなおしてお寺を出ようとする。
だけど、出口のところで足を止めた。こうすけくんを連想してたから少し気圧されてしまっていたけど、この猫はこうすけくんじゃないじゃないか。
「どうして、僕が出て行かなくちゃならないの?」
身体を反転させて、どっしりとした脚で歩く猫に問いかける。猫は立ち止まり、のそりと大きな身体を動かして、僕に顔を向けた。
「だから、ここはわたしの寝床第112番目の場所なのにゃ、と」
「でも、君のものじゃないんだよね?」
僕は強気で答える。
「いいにゃ、わたしのにゃ。わたしがそう決めたから、そうなのにゃ」
「じゃあ僕も決める。ここは僕の秘密基地1番目の場所だ」
「にゃに!?」
「君は112番目なんだよね? 僕は1番目だから、僕の勝ちだ!」
「そんなのダメにゃ。じゃあわたしだって1番目にするにゃ!」
「えー。ずるいよ」
「ずるくないにゃ! ここはわたしの寝床なのにゃ!」
なんて口喧嘩を日が暮れるまでやってた。
こうすけくんに似てると思ってた猫相手に、僕は一歩も怯まず言い合うことが出来た。
まあ、こうすけくんじゃないし、人間でもないから、偉そうにはいえないんだけど。でもなんだかすっきりした。よくわからないけれど、自分の居場所を自分で勝ち取った気がしたんだ。
僕だけの、ああ、違った。僕とあの猫だけの秘密の場所を。