心の抵抗
フりーワンライ企画
お題「凍えた心臓」
温かな液体が冷え切った体に行き渡り、全身を潤していく。
喉を通って、頭に、心臓に、手足に浸透していく。
凍えて動かなくなってしまった心臓を温め、動いていたときのような感覚を味わえるこの瞬間が、あたしは好きだ。
この行為自体はひどく嫌いだけれど、この瞬間の感覚には逆らえない。
あたしも慣れてきた、ということなのだろうか。全く嬉しくないけれど。
「おお、愛しのミーナ、ここにいたのですか」
「何よ」
高くいやらしい声がしたほうに顔を向ける。そこにはシルクハットに黒のスーツというマジシャンを思わせる服装をした男、伯爵が、杖を軽く回しながらあたしを見下ろして立っていた。
「何よ、ではありません。愛しのミーナが急にどこにいったのかと心配になり、あちこち探したのですよ」
伯爵の保護者面に嫌悪感しか出ず、あたしは舌を出して反抗の意を示す。二十代前半のような容姿でお兄さん的な立ち振舞いをしているつもりだろうが、お前は年齢的にはじじいだろう。気持ち悪い。
「おや?」
伯爵が腰を下ろしているあたしの先にあるものを見て、感嘆の声をあげた。伯爵の喜んだ表情を見て、舌打ちを打つ。
「おやおや、最近こそこそと何をやっているかと思えば、こういうことだったんですねえ」
「ふん。悪いか?」
あたし的には悪いのだけれど、ここで伯爵に屈するのはプライドが許さない。
「いえいえ。大変喜ばしいことですから。褒めたいくらいです」
にっこりと気持ちの悪い笑みを浮かべつつ、伯爵は手をあたしの頭にあげようとしてきた。当然避けた。
「頭なでなでのつもり? 汚い手で触らないでよ」
「傷つきますね。私は潔癖症なのできれいだとは思うのですが」
「傷つけ傷つけ」
「もっとも、ミーナ、今はあなたのほうが汚いのではないですか?」
伯爵の言葉に、あたしは自分の体に視線を下ろす。
私が愛用していた高校の制服は、高校に通っていたきれいな面影をなくし、今は泥と血で汚れていた。服についた血はあたしのものではなく、地面に横たわっている人のものだ。
服の血が、横たわっている人の看病のせいでついたのならどれだけいいか。あたしの意思で、あたしが襲い、あたしが血を飲んだせいで、汚れたのだ。
「全部お前のせいだよ」
「おや? 責任転嫁ですか?」
にやにやと伯爵はあたしの言葉をあざける。
「責任転嫁であるもんか。普通の女子高生だったあたしの前に突然現れて、あたしをヴァンパイアにしやがって! それが全ての原因なんだよ!」
「そういわれましてもね。私はヴァンパイア。夜を駆け、月を崇拝し、闇を支配する者。人間に比べたら強大な力を持ち、永い時間を生きることが出来るので、どうしても寂しくなってしまうときがあるのです」
「だからあたしをヴァンパイアにして寂しさ解消を目論んだっての?」
「違いますよ。この街に旅に着て、その時ミーナを偶然見かけて一目惚れしたのです。何度も言わせないでください。恥ずかしいではないですか」
にっこりと伯爵はミーナに微笑みかける。
何度も聞いた愛の告白にあたしはうんざりするしかなかった。
ああ、気持ち悪い。
どうしてあたしはこの人ならざる者に好意をもたれてしまったのか。
「それでは、いきましょう、ミーナ。まだまだあなたのヴァンパイアの力は未成熟です。修行が必要ですよ」
応えたくなかったが、伯爵の言うとおり未成熟な今は、従うしか選択肢がなかった。
「わかったよ、クソ伯爵」
あたしは立ち上がって、立ち去る伯爵の後についていった。
あたしはまだヴァンパイアのなりたての赤子だ。
未だに力を制御できず、人の温かさを求め、人の血をむさぼってしまう。
血を飲むことで凍えきった心臓を温め、人であった頃の感覚を取り戻したいと切に願っている。
最初は嫌がっていた血を飲む行為も、最近は段々抵抗がなくなり始めてきている。伯爵に勧められるのではなく、自分で人を襲い、血を飲むようになってきている。人であった温かみを求めるが故に。
抵抗を全く感じなくなる時がくるのが、あたしはとても恐ろしい。
心臓だけでなく、心までも凍えきってしまうのが、ひどく恐ろしいのだ。