夜のお食事
【第141回フリーワンライ】
【お題 水たまり 一度はのみこんだ感情】
博物館とでも形容したくなる豪華な洋館の大広間で、一人の男が本を片手にソファに腰を掛けて寛いでいた。その男の身なりは社交界のドレスコードのように整っており、この屋敷に相応しい家主のように見える。広い屋敷だというのに、使用人が働いているような物音や話し声はせず、男は静かな夜を過ごそうとしていた。
しかし、その静寂な時間は扉を開けた少女によって破られる。
「ああ、伯爵いたの」
「ノックをしておくれといつも言ってるでしょう」
伯爵と呼ばれた男は本から目を離さず少女に声をかける。
「いいでしょ、どうせあなたとあたししかいないんだから」
少女はすたすたと部屋の奥に行くと、掛けてあった上着をとった。その上着を羽織り、入ってきた扉へ戻っていく。
「どこに行くのです、ミーナ」
「食事だよ、食事」
「冷蔵庫に食糧はいくらかあったと記憶してますが」
「血のほうだよ、血」
そこで会話を切り、ミーナと呼ばれた少女は洋館から外へ出た。
「さて、と」
夜の道を歩きながら、血が吸えそうな人間を探して回り始めた。日中は雨が降っていたため、空気は少しじめっとしている。この空気感がなんとなく好みで、ミーナは深めに息を吸って口元を綻ばせた。
「雨が夜まで続いてなくてよかったなーっと」
「よっ」「ほっ」と掛け声を上げながら、水たまりをリズムよく飛び越える。
ヴァンパイアは夜の生き物だ。日の光が苦手で、動きが鈍る。ヴァンパイアのミーナには日中動けないので、夜降らなければ全く問題がない。逆に夜降られると、外を出歩く人が激減するため、食事をとるのが面倒になるのだ。
ヴァンパイアの生活にも慣れてきたものだ、とミーナは自分の順応ぶりに感心していた。初めは自分を勝手にヴァンパイアにした伯爵を恨んだり、血を飲むことにも抵抗があったりしたものだが、今はこうして自ら血を飲もうと夜出歩いている。
ヴァンパイアについて語られている噂の実態も、身をもって体感している。ニンニクが駄目だとか、十字架が苦手だとか、そんな類のものは全部嘘っぱちだ。正確に言うならば、その当時は意味を成したらしいが、現代ヴァンパイアっ子のミーナには、効かないということらしい。
鏡に映らないというのも嘘で、現に今ミーナの下にある水たまりにもしっかりと彼女の姿が反射している。元々鏡に映らないという噂は、ヴァンパイアの本性は映らない、というところからきているらしかった。
ミーナはヴァンパイアになって体中の細胞が変化していった。当然網膜の視細胞も変化し、可視光閾が増えた。簡単に言うと、赤外線や紫外線が見えるようになったようなものだか。ヴァンパイアの目には、人の目には映らないものが見えるのだ。そしてヴァンパイアの変化した体から人とは違う何かがにじみでており、ヴァンパイアの目だけはそれを捉えられる。
変化したミーナの目は、水たまりに映る人間の自分の姿と、自分を包み込みようにうごめく何かをしっかりと捉えていた。人間の器の中で蠢く、異種の細胞。
「――気持ち悪い」
声に出したとたん、喉元熱くなった。
逆流する。拒絶する。吐き気がする。
「ヴォエッ」
ミーナは胃の中の物を吐き出し、吐しゃ物が水たまりに映った自分の姿を消した。
夕食として食べたかつ丼とサラダが中途半端に消化されたのを目で確認してしまう。
――あたしは、今なにを考えた?
心の中で自問する。
人に戻りたい。ヴァンパイアなんて、嫌だ。一度はのみこんだ感情、自分の中で清算したはずの感情が沸き上がっていたのを、自覚する。
――まだ、吹っ切れていなかったんだ。
「大丈夫ですか?」
不意に、声がした。
顔を上げると、人のよさそうな青年がミーナを心配そうに見つめていた。
吐しゃ物を一瞥し、ミーナは青年に声をかける。
「ありがとうございます。肩貸してもらえますか?」
「ああ、どうぞ」
――結局今のあたしには、
「ありがとう」
青年の肩を借り、そのまま首筋に歯を近づける。
――この生き方しか出来ないのだ。
「いただきます」
一話完結ですが、お題ssの第6話と第26話と同じ設定だったりします。




