お弁当温めますか?
お題【まだ決まっていない 間違い 牛乳はあっためて下さい】
48回フリーワンライのつもりでしたが時間オーバーのため、お題だけ使っています。
「お弁当温めますか?」
これは最早、僕の日常言語だ。
「ポイントカードお持ちですか?」の次によく使う言葉だと思う。そこに感情はなくて、僕はいつも淡々と接客する。ただのコンビニのアルバイト店員に、誰も高度な接客なんて求めちゃいないだろう。高度な接客を求めるのなら、高級ホテルクラスの給料をもらわないと。
そういうわけで、今日も今日とて僕は機械的に接客をしていた。
「アイス温めますか?」
僕が訊ねると、お客さんは「アイスを?」と首を傾げた。五十代前半くらいの男性だが、きょとんとする姿は子供のような可愛らしさが見える。
「はい、この商品はですね」
僕は繰り返してきた文言を使って、お客さんに説明する。珍しい商品だが、最近では電子レンジで温めて食べるアイスが出回っているのだ。僕も初めて知った時は驚いた。
このアイスの説明を受けての反応はさまざまだ。驚いたり面白がったり、好感的な反応を示す人もいれば、アイスを温めるなんて考えられないと拒否する人もいる。
目の前のお客さんは、聞き間違いでも言い間違いでもないことを理解したようで、感心するように頷いた。
「いかがいたしますか?」
「アイスは結構です。でも牛乳は温めてください」
予想外の答えに、僕は一瞬固まってしまう。これは僕の聞き間違いだろうか。
「牛乳を?」
「はい」
「わかりました」
うろたえつつ、紙パックに手を伸ばす。
毎回機械的に対応しているからか、即座に頭が回らなかった。
「アイスを温めるより、普通でしょう?」
面白がってる風にも、冗談を言ってる風にも見えない。
「はい、そうですね」
ちらりと出入り口向こうの外を一瞥した。
深夜近い時間帯とはいえ、夏が迫るこの時期に温かいものを欲する思考が分からなかった。暑い時に辛いものを食べる考えと同じなのだろうか。
そこまで考えて、思考を止めた。今はバイト中だ。機械的に仕事をこなせばいい。
「一部開封しますがよろしいですか?」
「わかりました」
牛乳パックをレンジに入れ、感覚で時間設定する。電子音が鳴った後、一度開けて手で温度を確認する。ホットとは言えない温度だったので、もう一度温める。
熱くなった牛乳を渡すのには骨が折れたが、お客さんが満足していたので、ほっとした。
去っていくお客さんを見送りながら、呟いた。
「変わった人だったなあ」
その日からである。
そのお客さんはあらゆる食べ物を「温めてください」と持ってきた。持ってくるのは野菜やゼリーといった、常温や冷えた状態で食べたいものばかりである。様々なものに対応させられるせいか、最近では物を見ただけでレンジの最適時間設定が分かる能力も身についてしまった。
今日もいつもの時間に、そのお客さんがやってきた。今日は雨が強く、他にお客さんは立ち読み客しかいない。
「いらっしゃいませー」
入店直後に、声をかけてみる。
いつもの僕ならしないことだ。お客さんが少ないことと、この人の変なの行動のせいで気が緩んでいたのかもしれない。
「本日は何をお温めしますか?」
「まだ決まってないよ」
お客さんはレジカウンターの前を横切って、商品を物色し始める。
今から決めるのか、と内心つっこんだ。欲しいものがあって温めるのではなく、温めることが目的なのか。
他の業務も大方片付いていたので、お客さんがどのように商品を選んでくるのかをじっと観察する。
僕はこの人と接するとき、どうも仕事に徹することが出来なくなっているみたいだった。
コンビニ内を何週かした後に、お客さんが持ってきたのは紙パックの牛乳だった。最初に温めたものと同じ商品だ。コンビニ内の気になる商品は粗方試し終えて、一周したのかもしれない。
「お客さんは、いくつもの商品を温めて、何をしたいんですか?」
牛乳パックを電子レンジに入れながら訊ねてみる。
おじさんは「さあね」と目を細めた。
電子音が鳴り、レンジから取り出して袋に入れて、お客さんに手渡す。
「道具で温められるものがあるなら、温めたいじゃないか」
「えっ?」
僕の頭の中で危険信号が飛び交った。
このお客さんは、温めたものに興奮する変態思考の持ち主じゃないかと。
おずおずとお客さんを見上げてみると、寂しそうな顔が目に入る。
「ありがとうございました。またおこしくださいませー」
定型文を声に出しながら、自動ドアをくぐって出て行く姿を見送った。
雨の中、傘を差して帰るお客さんの背中を追う。
彼の過去に悲しい出来事があったのかもしれない。
でも僕はただのコンビニの店員。どこにでもいるアルバイトだ。
彼の人生に何があったとしても、僕には何の利益も損失もない。想像してみても、何も分かりはしない。
当たり前のことなのに、ほんの少しだけ、心が冷えた気がした。