居酒屋烏楽
第45回フリーワンライ
お題【仕事中につき 当然の結果】
「結婚してください!」
「アホ抜かせ。仕事中だっつてんだろ」
私の告白を大将はあっさりと無下にした。ぶっきらぼうで人によっては怖そうに見える顔も、私の目にはかっこよくしか映らない。
ああ、今日も大将かっこいい。
「えー。だって大将、お客さんこないしー」
「そんなことより手を動かせ。皿洗いくらいさっさと終わらせろ」
「はーい」
腕を組む大将をちらちら見ながら、皿洗いを進める。
居酒屋烏楽大将、郷田ノリスケ三十八歳。ダンディー成分はまだ低いが、大将の体格とこれからの無精ひげの成長を考えると、今とは比べ物にならないほどにダンディーさを身につけるだろう。
私は垂れそうになる涎をすすり、再び皿洗いに取り掛かる。
しかし今日は一組の客が来てそれっきりなので、すぐに終わった。
腕を組んで神妙そうにしている大将の隣に近づく。
「月が、きれいですね」
「そうだな」
無骨な返し。ああ、その返しもいいけど。
「月が、きれいですね」
「そうだな」
二回目も同じ返し。
大将の低い声なら何だって体に響くけれど、求めていたのはそれじゃない。
「ちょっとちょっとー! こんなきれいな女の子が月がきれいですね、て言ったら『それは好きですってことかい?』とか『君の方がきれいだよ』とか言ってくれるもんじゃないの?」
「おう、そうか。残念ながら大学生のお前さんとは違って高卒止まりなんでな。学がないから言葉をそのままの意味にしかとらえられねえんだ」
言質とったり、と私は即座に切り返す。
「なら、結婚してください!」
「今は仕事中だっつってんだろ」
またつっけんどんに返される。
「言葉通りに受け取ってよ!」
雨が強く降り始め、室内にも音がこもるようになってきた。
がらんとしたカウンターと机を眺める。
「今日、お客さんこないねー」
「大分ひどくなってきたな。こりゃあ早めに店仕舞いしてもいいかもな」
これはいい機会だと私は即座に攻めに入る。
「えっ? なら大将、一緒に夜の街に繰り出しません?」
「こんな雨の中に外に出るのはアホのすることだ」
これもまた一蹴だった。
「それはないよー。だって私はこの雨の中を帰らないといけないんだよ?」
ただそれでも私は諦めない。女の子にはまだまだ奥の手が残っているのだ。
「それとも、大将の家にぃ、泊めてくれるのぉ?」
上目遣いで、今日はもう帰りたくないのダブルコンボだ。さすがの大将もこれならいいだろうと反応を待つ。
大将は私を一瞥して、一言。
「キモいぞ」
狙ったものとは逆の言葉飛び出してきた。
私は膝を折り、力なく地面にくずれた。
「ひどい! いつも私の体をお金で買うくせに、そんな言い方」
「誤解の招くような言い方をするな。お金で買ってるのは労働力だろうが」
「そうだね」
冷静に返されたので、私は即座に立ち上がって切り替える。やはり大将にお色気作戦は聞かないようだ。
「よし、ちょっと早いが閉めちまおう。お前ももうあがれ」
「わかったー。着替えするから」
「見ねえよ」
「見てもいいよ」
連続お色気でも駄目だ。やはり、別の作戦を考える必要があるみたい。
私が着替えを終えて出てくると、大将が紙を持って訊ねてきた。
「来月のシフトどうだ? お前も就活始まって大変だろう。減らしてもかまわねえが」
「いやー。いいよいつもと変わらずで。それに、私が抜けると大変でしょ?」
「まあな。お前はもうバイトっていうより正社員に近い。毎週週四だしな」
「うん。すごいでしょ」
「まあ助かるが、無理するなよ」
「わかってるって」
それから一年。
私は企業に就職することは叶わなかった。それもそのはず、変わらずバイトは続けて、企業説明会やエントリーなんて全くしなかったんだから。
まあでも実態は伏せて、就活に失敗したことだけを大将に告げると、大将は申し訳なさそうにした。そうして、毎週週六でシフトをいれてくれることになった。給料もあがって、本当の正社員になった。
それはもちろん、計画通り。
人のいい大将なら、きっとそうすると思ってた。
あと狙うのはただ一つ。
彼の人生に、永久就職。
うふふふふふふふふふふふ。