2:変わらない場所
思わず見惚れてしまった――。
七年ぶりに見た幼馴染みの笑顔。昔の面影は勿論残っているが、垣間見えていた幼さは最早どこにもない。色彩や顔立ちは王妃様譲りだが、身に纏う風格と威厳は正しく国王陛下の血だ。王族の男子として立派に成長した姿に、私は喜びと一抹の寂しさを覚えた。
「貴方の傍で頑張りますね」
「あ、ああ……」
レイがこんなにも頑張っているのだ。年上である私も頑張らないといけない。
決意を籠めて微笑むと、何故かレイが真っ赤になった。
「キャサリン・リディア=アークフォールド、命に代えましても殿下をお守り致します」
そうきっぱりと宣言したら、真っ赤だった顔が今度は引き攣った。怪訝に思って周囲を見渡すと、アルと団長も苦笑いを浮かべている。失言だったかと自分の発言を思い返すが、どこが問題なのかわからなかった。そう言えば近衛の許可を得る時も、訳のわからない過程があったっけ。
理由を問おうと団長を見遣るが、気にするな、お前のせいだけどお前は悪くないからと、意味不明な答えしか貰えなかった。原因が不明だと今後の対処に困る。
「心配しなくても大丈夫。キャスはキャスのままで良いから。ねえ、レイヤード?」
訳知り顔のアルがそうフォローしてくるが、何か釈然としない。釈然とはしないが、最早問い質せる雰囲気でもない。それにレイもアルの言葉を否定しないので、これ以上考えるのは止めた。
「では、殿下。私は仕事がありますので、失礼致します」
団長に続いて私も頭を垂れる。そしてそのまま部屋から出て行こうとした時、訝しむ声が後ろからかかった。
「待て、キャス」
指名に従い振り向けば、怪訝な顔をしたレイがじっとこちらを見詰めていた。
「どこへ行く?」
「へ?」
「どこへ行く気だと訊いているんだ。お前は近衛なんだから、ここにいるんだろう?」
「はい。ですから、今配置に就こうかと」
王太子が執務室にいる時は、近衛は廊下で待機し来客を監視するのが倣いだった。なので、それに従おうとしたのだが――
「じゃあ、何故外に出る?」
「はぁ?」
「お前の配置はここだろう」
そう言って指差したのは――、執務室の床。
――冗談、よね?
しかしレイの目は真剣そのものだった。
――いくら護衛と言ったって、執務室に居座る近衛騎士がいるわけないでしょ!
まだ譲位されていないとは言え、彼は将来国を背負う王太子である。当然彼の政務には国の中枢に関わるものが多く含まれており、国家機密レベルの情報があちこちに転がっている。この部屋を訪れる人間も大臣クラスが殆どで、間蝶が飛びつきたくなる秘め事が交わされるのだ。 そんな空間に、忠誠を誓っているとは言え、一介の騎士を紛れ込ませるなんて非常識極まりない。
非難する気持ちが顔に出たのか、こちらを見詰め続けるレイの表情が曇る。うん、ポーカーフェイスの訓練が必要かもしれない。
「何を躊躇う?昔はここに入り浸ってたじゃないか」
「今思えば誉められた行動じゃなかったって思いますよ。それに、今と昔では状況が違います。あの頃はまだそんなにも国事に手を出していなかったでしょう」
貴方は成長してしまったから。あの頃と立場が変わってしまったから。だから私は、ここにいられない。
自分で言い出したことなのに、つきんと心が痛む。何も変わっていないと思ったが、やはり七年は大きかった。騎士服に袖を通した時から理解していた筈なのに、そのことをあらためて事実として認識するのは結構つらかった。
だがレイは私の決意を簡単にぶち壊した。
「お前が機密を漏らすか?そんな人間じゃないだろう、お前は」
「――殿下のお言葉、とても光栄に思います。ですが、これはけじめですので」
「けじめか……。じゃあ、“約束”はどうする?ずっと俺の傍にいると誓っただろう。廊下じゃ傍とは言えないな」
にやりとあくどい顔でレイが笑う。前言を撤回しよう。外見は立派に成長したが、中身はまだまだ悪戯し放題な子供のままだ。いや、話術が上達した分、性質が悪くなっているかもしれない。
普段から古狸とやり合っている王太子と、魔術の修業に明け暮れていた自分。どちらに軍配が上がるかは比べるまでもない。暫し心中で葛藤した末、私は降伏した。
「……卑怯ですよ、殿下」
「どっちが卑怯だか。――まあ、それは帳消しってことで忘れてやろう。それより、キャス」
「今度は何ですか、殿下?」
ここまで来たんだ。我が儘のもう一つや二つ、飲みましょうとも。
「その“殿下”は止めてくれ」
もう何を言われても驚かない。
そう思っていた筈が、レイの発言にまたも思考が停止する。
「昔のように、“レイ”と呼んで欲しい」
「そんなことできるわけないでしょうっ!」
主を愛称で呼ぶ騎士が世界のどこにいるー!
「駄目か?」
「駄目です」
「どうしても?」
「はい」
「執務室にいる時だけでも?」
「……当然」
「俺とアルしかいなくても?」
「…………ええ」
「そうか……。七年前なんて、もう昔なんだな……」
「!」
「お前は、お前とアルだけは変わらないと思ってたんだ。“王太子”じゃなく、“レイヤード”という人間を見てくれると。でも違ったんだな」
「そんなことないっ!レイはレイでしょう!」
「でも昔のままは、駄目なんだろう?」
だから、そんな悲しそうな目で見るんじゃない!
長年の習慣で、私はレイの泣き顔には勝てない。普段は我儘放題でこ憎たらしい子供だったが、泣きそうな顔を見ると何故か庇護欲が刺激されるのだった。よく悪戯やサボリ癖を叱ったりしていたが、結局はその顔に負けて尻すぼみになっていた。
「………………そう言われると断れないの、わかってるわよね」
「ああ。幼馴染だからな」
だから、敵わない。好きな物も弱点も、何もかも知り尽くした仲だから。しかし、嫌な能力だけ立派に成長したようだ。どうせ育つならもう少し真面目な大人になって欲しかったなと、心の中で独り言ちる。
「そうね。レイもアルも弟みたいなものだし。身内にに遠慮するのものおかしな話よね。」
びきっ。
そんな音が確かに聞こえた。
「お、弟……」
何故かレイの笑顔が引き攣っている。今まで静観していたアルは再び笑い出し、レイの恨みがましい視線を浴びた。
二歳年下とは言え、立派に成人した王太子に“弟”はまずかったのだろうか。しかし身内同然の彼らを、私としては単なる“幼馴染”という枠で語りたくなかった。
レイもアルも私の妹と丁度同い年、つまり私が三人の中で一番年長である。そのためか、何をするにしても私が率先して動くことが多かった。彼らが問題を起こす度に面倒を見ていたのも私。身分差も何もかもを超越した友情が私達の間にはあると信じている。
「……まあ、今はそれで我慢するか……」
「何の話?」
「こっちの話だから、気にしなくて……いやでも……しかし、まあ、うん。――やっぱり気にするな」
一人脳内会議でどのような議論があり、またどう結論づけられたのか、些か気になった。が、レイの思い詰めた表情に、私は疑問を飲み込んだ。大事な話ならいつか話してくれる筈。そう信じている。
「五月蠅い爺どもがいる時はしょうがないが、普段は昔のままにしてくれ。そうでないと調子が狂う」
こいつもそうだしなと、アルを指差す。同意のつもりか、アルは無言で微笑んだ。
「わかったわ、レイ」
そう貴方が望むなら、私はその願いを叶えよう。私は貴方の騎士だから。
それが言い訳であることには目を瞑る。昔のままでという言葉にどれだけ安堵したかなんて、絶対に教えてやらない。
「では、レイ。さっさとこの山を片付けてくれる?」
そう言って書類の山に目をやる。国王の――今は国王の政務を代行している王太子の――認証を待つ書類達。これらに許可印が下りなければ、物資の流通に不可欠な街道の整備も人々の健康を支える治療所の増設といった公共事業もできなくなる。国内のみならず外交もストップし、動くことができなくなった国は徐々に荒れていく。だから、事務処理は地味だけど非常に大事な政務なのだ。
「どれだけ溜め込めば気が済むのかしら」
「いや……、これは……」
「陛下が伏せっておられて事務作業以外の公務が忙しいのはわかるけど、だからと言って溜め込んで良いわけではないわ。事務手続きが滞れば民の生活にも影響が出るもの。さ、頑張って頂戴」
「いや、これでも頑張って――」
「が・ん・ば・っ・て・ね」
「はい……」
国政の乱れは王家の存続にも関わる。レイには無理を強いてしまうが、この山が消えるまでの数日は我慢してもらおう。
「……俺のミスだ……。キャスの説教癖を忘れるなんて……」
「貴方が言ったんでしょう。昔のように、って。ねえ、アル?」
「ああ、キャスの言うとおりだ。諦めてしっかりと仕事しろ、レイ。執務が滞ってるって大臣どもに文句をつけられるのは、君じゃなく僕だからな」
「畜生ー。味方がいないー」
執務室に笑い声が響く。この光景を見て、私は漸く帰って来たのだなと実感したのだった。
守られるよりも守りたい。そんな男心。