10:近衛騎士の優雅な休日
翌朝私が目覚めた時、日はすでに昇った後だった。まだ朝とは言える時間ではあるものの、非番の日でなければ悲鳴を上げてしまう、そんな時刻であった。予定ではもう少し早めに起きる予定だったのだが、寝たのが朝に近かったのだからしょうがない。
ベッドの中で一つ伸びをすると、意を決して起き上がる。寝た時間が時間なせいか、体が重い。
「ごはんどうしようかなー」
今から食事をしてしまうと出かけるのが昼近くになってしまう。だからと言って、朝を抜くのは厳しい。
「街でブランチ、ってのもありだなー」
お城の食事が嫌だというわけではないが(むしろ大好きである)、たまには外で食べるというのも気分が変わって良いものだ。
ブランチの後に新しく出た魔導書でも物色して、それを読みながらティータイム。そんな風に今日の予定を大雑把に決めると、私は身支度を整え始める。
久々の王都散策に、私の心は浮かれていた。周りのことが全然見えなくなるぐらいに。
身分証を提示し、門を潜り抜ける。眼前に広がる街並みに微笑みながら、私はゆっくりと歩き始めた。
「まずはごはんよねー。どこが良いかしら」
「最近できたカフェの朝食メニューが美味いらしいぞ」
「ほうほう」
「フレンチトーストが絶品って聞いたな」
「へー。じゃあ、そこに行こうかなー、……って」
ぐりんと振り返り、いつからかは不明だが、ぴったりと背後霊の如くついて来る男をぎろりと睨みつけた。視線を受けて、眼鏡の奥でスカイブルーの瞳が気まずそうに揺れた。
「……何故いる?」
「えー、………………暇だから?」
「暇だったら仕事しろ!馬鹿おぅっ」
私の上げた声に驚いた男は慌てて私の口を塞いだ。それが丁度抱きすくめるような形になり、道を行く人が好奇心に満ちた眼差しで横を通り過ぎていく。いやいや、誤解だから。やーめーてー!
見世物と化してる自分に恥ずかしくなって、私は男の腕の中で大きくもがいた。すると彼もその状態に気付いたのか、大声は出すなよと脅迫紛いの忠告をした上で私の体を解放した。
すぐにでも文句を言いたいところだが、一瞬にして往来の注目の的になってしまった以上、その場で呑気に立ち話というわけにもいかない。私は男の手を掴むと、急いでこの場から立ち去った。
「で。何がしたいのかしら?」
大通りから一本入った、少し人気の少ない裏道で私達は腰を落ち着けた。男は道端に腰を下ろすと、少し膨れた様子でこちらを見上げてくる。
膨れたいのはこっちだろうが。
「ご丁寧に変装までしちゃって。髪は鬘で、瞳は変化の術?」
「両方とも魔法で変えると、魔術師には一発でバレるからな」
そう言って、男――レイヤード王太子殿下はにやりと笑った。
魔術を組み合わせた上に眼鏡といった小道具まで使うとは、会っていなかった七年の間に変な技術だけは上達させたらしい。前は鬘だけで城下を歩き回っていたはずだが。
「そういう面では感謝してるな、スコットには」
「……元凶は兄さまなの……」
何を教えてるんだ、うちの兄は。
「お前こそ、その恰好はなんだ」
その恰好、と言われましても。
自分の体を見下ろして、小首を傾げる。今日の私の格好はごくごくシンプルな若草色のワンピースに編み上げの革ブーツという、極めて質素なものだった。貴族のご令嬢なら倦厭したくなる姿だが、お供も何もつけずに歩くには丁度良いだろう。逆にドレスを着て歩いていては追い剥ぎかスリに襲ってくださいと言ってるようなものである。第一、レイだって似たような服装ではないか。それともこの服がそんなにも似合わなかったのだろうか。
「……なんでそんなに短いスカートなんだ」
「はあ?」
「膝が!見えかけてるだろう!」
膝丈丁度のスカートは、確かに一般的な膝下までのスカートから見れば短いかもしれない。けれど、この長さのスカートは道を歩けばちょくちょく見かけるし、もっときわどい長さの人もいなくはない。そこまで気にすることのほどでもないと思う。
「普通じゃない?」
「もっと長い方が多い」
「だって長いと動きにくいし。何かあった時邪魔になるし」
「何かって、お前はトラブル起こす気か」
「万が一の話よ!そもそも、見てる所がエロい!」
「なっ……エロ……!俺は心配してやってるんだろうが!」
「心配なら自分の身でもしときなさいよ!」
……だんだん馬鹿らしくなってきた。
折角の休みなのに、何故街中で口論してるんだろう。貴重な時間をこんなことで使ってしまうのは勿体ない。はあと溜め息を吐くと、今までのことを水に流して忠告した。
「……服のことはもういいから、早く帰りなさいよね。仕事溜まってるんでしょ」
「俺も今日は休みだ」
「はあぁ?」
そんな話、聞いてない。
「急ぐ書類は徹夜で終わらせたし、その他はアルに押し付けた。あと、今日の面会する予定だったのは大した奴じゃないから体調不良で押し通せと言ってきてある」
それは休みじゃなくサボリと言います。
「だから問題ない。ぐだぐだ言ってないで、行くぞ」
「行くって……、どこに?」
「朝ごはん食べに行くんじゃなかったのか?」
いや、行きますが。行くけれど、何故レイと一緒なのか。今日は一人で気ままに歩く予定だったのに。
「場所、わかるのか?」
「うぐぅ……」
「だったらついて来い」
それでもなお渋っていると、しびれを切らしたのか、左手を掴まれる。驚いて見上げれば、躊躇っているような、そして何かを心配しているような、そんな双眸と鉢合わせした。
「モーニングタイム、終わるぞ」
「……はいはい」
ま、良いか。一人で過ごすことにこだわりはなかったのだし。
そう思い直した私は、同意の印にと、繋がれた手をぎゅっと握り返した。途端、レイの体がびきりと固まる。
「? 早く行かないといけないんじゃなかったの?」
「あ……、ああ。行こうか」
その時、私の脳を支配していたのは美味しいフレンチトースト、ただそれだけだった。だから、私は気付かなかった。レイの横顔が朱に染まっていたなんて。