婚約破棄してきた王子は返すので代わりをください
我がオールヴェン王国は、古代より続く由緒正しい王政国家でありつつも、法の名の下において身分の上下は関係ない。
だから、国王であろうと農奴であろうと、同じ法律で裁かれる。
免責特権? そんなものはない。
例外条項? ないったらないのである。
「ウルリカ・エレンガルド、お前との婚約は破棄する! これで俺は自由だ!」
高笑いしているのはオールヴェン王国第二王子ウィンデルだ。その傍らにはウィンデル王子の左腕にしがみついてほくそ笑む令嬢、リドレー侯爵令嬢スカーレットだ。相変わらず赤いドレスを着ている。
舞踏会のホールの中心で踊りではなく何を始めるやら、と周囲の紳士淑女は見物を決め込んでいる。
さて、指名されたからには応答しなくてはならない。
私、エレンガルド侯爵令嬢ウルリカは、確認のために問いかける。
「ウィンデル王子殿下、念のため確認を。私との婚約を破棄する理由をお伺いしとうございます」
「その態度に決まっているだろうが! いつもいつも他人を見下すようなスカした態度で、婚約者の俺まで馬鹿にするお前の性格の悪さにはもう付き合えないんだよ!」
「はあ」
地団駄こそ踏んでいないが、ウィンデル王子はお怒りだ。
それに、スカーレットも参戦する。
「ウルリカ、だから何度も言ったでしょう? ウィンデル王子へきちんと敬意を払いなさい、と。秀才のあなたはいつもそうやって周りから遠ざけられてしまっていたから、ウィンデル王子は何とかしようとなさっていたけれど……ああ、徒労に終わってしまいましたわね」
「まったくだ! そんな女よりも、スカーレットのほうがよほど王子妃にふさわしい!」
ウィンデル王子は憤慨しきって気付いていないが、スカーレットが扇子を取り出し口元を隠していた。まず間違いなく、企みが上手くいって笑っているのだろう。
我がエレンガルド侯爵家とリドレー侯爵家は犬猿の仲だ。どんな手を使ってでも私からウィンデル王子を奪いたい、とスカーレットが思っていてもおかしくない。
幼少期からスカーレットは何かと突っかかってきたと思えば、これか。
十歳のころ、ガーデンパーティで初めて会ったときもそうだった。私の金の髪留めを見て、スカーレットは「あら、そんなにささやかな髪留めなんて。それに金の髪に金の髪留めなんて似合いませんわ」などと文句をつけてきた。
なので、私は意図を測りかねて、真面目にこう言ったのだ。
「ああ、これはお母様からいただきました。私の金髪は何でも似合ってしまうから、人目を引いていらぬ諍いを生んでしまう、だからさりげないものをつけなさい、と。でもスカーレットはこれを見つけてくれたのですね、嬉しいです」
「えっ、あっ……そ、そうですわ! あなたはもっときらびやかなものをつけなさいな!」
そう言ってそそくさとどこかへ消えてしまった。お節介だな、と思っても特に気にも留めなかったが、その後の貴族学校でもスカーレットはいちいち私を追いかけてきては口うるさかった。
「まあ、ウルリカ! 制服の丈が合っていませんことよ。エレンガルド侯爵家お抱えの仕立て職人は何をしていますの? それにリボン、色は指定どおりの青ですけれど絹ではないのね? 私のリボンをご覧なさいな。最高級の絹を使って我が家の金糸の紋章をあしらっておりますわ!」
ふふん、という心の声が聞こえてきそうな、それでいて心配する声色をしたスカーレットの顔は見応えがあった。だが、私の返事を聞いたあとの顔のほうが面白かった。
「スカート丈ですか? ああ、お母様が長くしなさいと。制服だからといって踝を見せるなど淑女のやることではありません、娼婦の真似事ですよ、と指摘されたので」
「しっ、娼婦ですって!?」
「なのでギリギリまで長くしました。リボンは絹だと物によってはとても光を反射してしまうので安っぽいし……それが嫌で、ニットベルベットを藍染めしてもらいました」
「あ、あいぞめ? まさか、王族のマントに使われる大青の……?」
「はい、十回以上染めてもらい、ようやく好みの色合いになりました」
スカーレットはこのとき、馬鹿なのこの子、とばかりの目で私を見ていた。青は高貴な色、そこいらの青はパステル染めの淡い色合いしか出ないが、藍染めは話が違う。それに、色の深みも違えば、値段も三桁は違う。
だって、貴族学校のダサい制服は嫌だけどリボンくらいはいいものを着けたいと思ったから。
とまあ、私も年齢を重ねるにつれ、スカーレットの突っかかりが家同士の争いであると同時に、ウィンデル王子との婚約を先んじられた嫉妬だと何となく理解してきた。
王位継承順位第一位のウィリアム王太子殿下はすでにご結婚されてお子も儲けたし、他に適齢期の王族男子はウィンデル王子くらいしかいない。
しかし、我が家は私が生まれたときにすでにウィンデル王子と婚約を結び、まさか他の王位継承権者たちが軒並み戦死や病死すると思われていなかったため、何かあればの立ち位置を確保すると同時に、宮廷政治への発言権を強化したのだ。
ただし、ここからが問題だった。
私は純粋な疑問を口にする。
「ウィンデル王子殿下、正気ですか? 婚約破棄は口頭で行うものではありませんし、裁判所の許可も必要です。ああ、普通の裁判所ではなく、成年王族によって構成された王室裁判所です。まず間違いなく、許可は出ないと思います」
「出すさ!」
「あら、根拠がおありでしたか」
「お前のような性悪女が王家に入るなど、誰も認めはしない! 叔父上や伯母上たちもきっと分かってくれるはずだ!」
あっ、ちょっとスカーレットの顔が曇った。根回ししていないことを公言しなくていいのに、そんな顔だ。
「それに、私と婚約を破棄したとして、スカーレットと結婚できるとは限りませんよ。他にもあなたとの結婚を虎視眈々と狙う令嬢はごまんといます、公爵から男爵、あるいは平民でさえもあなたとの結婚を夢見て押しかけるでしょう。それらをいなせるとお思いですか?」
「はあ? どうして俺が平民と結婚する? 馬鹿にするのも大概にしろ、俺は王子だぞ!?」
「我が国の法律では、婚姻に際しての身分が王族だろうと平民だろうと関係ありません。それに、結婚したとしても身分は変わらず、貴族出身の妃でも貴族のままです。生まれてくる王子王女となれば話は別ですが」
「なら問題ない。スカーレットもそれでいいんだろう?」
「ええ、はい。もちろんでございますわ」
「ほら見ろ! 耳年増の知識をひけらかして、恥ずかしくないのかお前は!」
無知をひけらかすよりは、と言いかけて、私は口をつぐんだ。
とにかく、ウィンデル王子は無理やり話を終わらせにかかった。
「そういうわけで、お前とは金輪際、婚約者でも何でもない! 俺の目の前から消え失せろ、じゃあな!」
言うだけ言って、ウィンデル王子はスカーレットとともにダンスの輪へ加わるために踵を返した。
スカーレットはというと——それでも、ちょっと誇らしげに私へ視線を送ってきて、すぐにウィンデル王子にくっつき直した。
ダンスのパートナーのアテがない私は、舞踏会から退出することにした。
婚約破棄自体はどうでもいい、別の婚約者を見つければいいだけだ。
ただ、別れると決めたなら、その後もスムーズに別れられたほうがいいと思って、私は王城へと向かった。
無論、王室裁判所の設置を要請するためだ。
☆
二日後、私は王城の格式高い一室にいた。天秤を掲げた女神の見事な壁画をはじめ、あちこちに審判の天秤をモチーフにした調度品ばかりが並ぶ部屋だ。
部屋の三方に長テーブルがあり、それぞれオールヴェン王国の成年王族が席に着いている。
扉の前に立つ私から正面には国王夫妻、左にウィリアム王太子と王弟カストル、右に王姉アンとメアリーの二人がいる。
そして、私の隣には元婚約者——いやまだ婚約破棄はされていないので『元』は付かないか——ウィンデル王子がきわめてバツが悪そうな顔で突っ立っていた。
まさか、本当に王室裁判所が開かれるとは思っていなかった、とでも言いたげで、しかも婚約に関する案件は、一般の裁判法とは違って古式ゆかしい王室法が適用されることさえもさっきの宣誓でようやく知ったらしい。
つまり、ウィンデル王子が聞きかじりで知っていただろう婚約に関する知識は、ここでは通用しない。婚約は破棄できるとか、成立のために必要な手続きだとか、そういうのは王族以外の話だ。
まあ、王室裁判所が開かれるのは四十年ぶりらしいので、仕方がない。
この場でもっとも身分の高い、かつ権威ある国王は、重苦しくウィンデル王子へこう言った。
「要請があった以上、王室裁判所を開廷せざるをえなかったからこそこの場を設けたがな。ウィンデル、まさか『婚約の破棄』というお前の要望が通るとは思っておるまい?」
「えっ……なぜです、父上!? わざわざこの場を設けたのは、それを正式に受理するためでは」
「阿呆か、お前は。正式に却下するために設けたのだ、ウルリカの要請はそのためのもの、なぜ分からぬ」
「分かりません! 父上がそうまでしてこの女を庇うのか!」
ウィンデル王子はきっぱりとそう言い切ったので、彼以外その場にいる誰もが頭痛を覚えたかのような表情を浮かべている。
どうやら、ウィンデル王子の中では、私は性悪女だから王族にふさわしくない、という論理がかなり強固に築かれている。
当然だが、大人たちはそんな『ぼくのかんがえた理想の花嫁』のイメージなどどうでもいい。
あるのは、実利を求める考えだけだ。
「エレンガルド侯爵家とは十数年来問題なく婚約を継続してきた。我が王国一の忠臣、我が国有数の資産家、そして王国軍司令官を務める現当主。何一つとして文句のつけどころがない家柄であり、ウルリカも貴族学校では評判の秀才と来た。むしろ、婚約を破棄する理由のほうが探しても見つけられないとは思わぬかね?」
「お、思いません! どう考えても、ウルリカは王子妃としてふさわしくない、そうだ、王室への敬意さえないのですから!」
「それを言うなら、何だ、リドレー侯爵家令嬢スカーレットだったか? そちらは王国史上、二度の大反乱を引き起こした逆臣の末裔だが」
「へ?」
鳩が豆鉄砲を食ったかのように、目をまんまるくさせたウィンデル王子は、本気で知らなかったようだ。
普通に考えて、リドレー侯爵家が私と同年齢の令嬢スカーレットがいながらウィンデル王子と婚約できなかった理由が何かある、と思わなかったのだろうか。
思わなかったのだろう、多分。思っても、エレンガルド侯爵家が謎の国王の寵愛を受けているから、贔屓だ、と考えたのかもしれない。
何にせよ、王弟カストルと王姉たちは笑いを堪えている。ウィリアム王太子などあからさまにため息を吐いている有様だ。
「仮にだ、婚約を破棄したとする」
「おお!」
「仮にだと言った。その場合、ウィンデル、お前は隣国へ入婿となるぞ?」
国王の残酷な一言に、ウィンデル王子は声を失う。驚きのあまり、表情が固まったまま動かない。
王弟カストルは可哀想だと思ったのか、一応の擁護をする。
「あー、何だ、国内で花嫁探しは諦めろ。あちこちで利権争いが激化しかねないし、お前だってどこかに誘拐されて既成事実を作らされるのはゴメンだろう?」
王姉アンとメアリーが笑う。
「カストル、夢見がちな甥に追い打ちをかけるものではありませんよ」
「そうよ、好きな子がいたのよ、きっと。まあ十中八九、玉の輿狙いだけれど」
ウィンデル王子は親戚の嘲笑に耐えかね、叫ぶ。
「スカーレットはそのようなことを考えません! 伯母上、あまりにも失礼だ!」
国王は無慈悲にウィンデル王子の希望を打ち砕く。
「何を言うやら。リドレー侯爵家との縁組などありえぬ。王族にあそこの血を入れたら、何かと理由をつけて王位を狙ってくるに決まっている。却下、以上だ」
「それこそあり得ません! エレンガルド侯爵家は贔屓をして、リドレー侯爵家を公平に扱わないなど」
「は? ……エレンガルド侯爵家を贔屓? 余が?」
一瞬、部屋が静まり返った。
そして、大爆笑である。
「あっはっははっ! なんと、そう考えておったか、お前は!」
「父上、可哀想でしょう。笑いすぎです」
「そういう王太子こそ、隠しきれていませんわよ」
「ふふふっ、いやもうだめ、おかしすぎて!」
「プフッ……こほん、失礼。ウルリカ嬢、誤解しないでいただきたい。オールヴェン王国王家がエレンガルド侯爵家を贔屓するなど」
私はできるかぎり平静を装って、短く答える。
「ええ、分かっております」
「何を分かっているんだ! お前のせいでこうなったのに!」
顔を真っ赤にしたウィンデル王子は、私へ八つ当たりするものの、あまりにも恥ずかしすぎて頭が回っていない。
私のせいではない、でもそうしたほうが都合がよさそうになってきた。
そう思った私はすかさず、付け加えておいた。
「国王陛下、ならびに王族の皆様方。私は決してオールヴェン王家を侮辱する意図はなく、しかしウィンデル王子に誤解を与えてしまったことに関しては責任を感じております。ゆえに、どうかウィンデル王子との婚約の破棄について、熟慮に熟慮を重ねて審議していただけませんか?」
すると、国王は含み笑いが続く中、私の訴えを受け入れた。
「なるほど、承知した。であれば、しばし待て。こちらも協議せねばならぬ」
「承知いたしました。そのように」
「その上で、だ。もし婚約の破棄が成立したら、ウルリカ、お前はどうする?」
国王の探るような目つきに、周囲もまた私へ注目する。
私の独断、と思われると困るが、まあいいだろう。
私は、はっきりとこう述べた。
「エレンガルド侯爵家と私としましては……ウィンデル王子との婚約が破棄された暁には、王弟カストル様との婚姻を希望いたします」
☆
夜、エレンガルド侯爵邸、談話室。
私の父であるエレンガルド侯爵、私、そして客人の王弟カストル殿下がいた。
大人である二人はブランデーを傾け、私はその横でチョコレートを飲んでいる。
「いやあ、めでたい! 我が友カストルのもとへ、我が娘を預けられるとは!」
上機嫌の父は、照れる王弟カストルへの賞賛を惜しまない。
「昔っから言っていただろう? お前には我が娘をやる、と! それを王家へ提案したら、あの出来の悪い王子との婚約になるとは、まったく思いもよらなかった。しかし言い出した手前引っ込められず、仕方なくだ仕方なく」
「まあまあ、飲みすぎるな。それに、俺はとうに三十路を越えた。十七、八のご令嬢を迎えるには少々気後れする」
「かまうものか! なあ、ウルリカ?」
急に話題を振られて、私は正直に答えざるをえない。
私がずっと好きだったのは、父の友であるカストル殿下だ。幼いころからよく遊んでくださったし、一度は平民の女性と結婚したものの死別したことから、王位継承権者としてふさわしくないと暗に継承権放棄をほのめかされていた方だった。
だから、王家としても私との婚約はきちんと継承権のあるウィンデル王子にしてやろう、という厚意だったのだ。
とはいえ、私にも打算があった。
「私は、ずっとカストル様が好きでしたし、それにもしウィンデル王子と結婚したとしても王城でカストル様にお会いできますもの。それでもよかったのです」
「まったく、正直に言い過ぎだ、お前は。それがウィンデル王子も気に食わなかったのだろうなぁ」
「腹芸のできない甥を可愛らしく思っていた俺のせいでもあるか。しかし、いいのか? 俺のようなはるか年上の男と、お前のような引く手数多の乙女が結婚など……親子ほど歳が離れているのだぞ」
私は察した。カストル殿下は、まだ私を信じていないのだ。
であれば、と私は立ち上がり、カストル殿下の膝に堂々と座る。
カストル殿下は、慌ててブランデーグラスをテーブルに置いて、足を閉じて私を座らせた。
それが答えだ、と言いたかったが、私は淑女としてきちんと言葉にする。
「私が年上の殿方を好きになったのは、カストル様のせいです。きちんと責任を取ってください。それに、たとえカストル様が王族でなくなったとしても、我が家でちゃんと養いますわ。ご安心くださいな」
これには、父も、カストル殿下も笑って色々なことを誤魔化す。
のちにカストル殿下は入婿として、エレンガルド侯爵代理という肩書きで私の夫となる。
ウィンデルはどうなったか?
国王から話を聞いてきたカストル殿下によると、こうだ。
「ウィンデルが隣国の姫のところへ送られるそうだ。もちろん入婿で、それに責任を感じてスカーレット嬢もついていくとのこと。まあ、大方、オールヴェン王国ではなく隣国で足場を築く道も作ろうとしているのだろう。リドレー侯爵家らしい動きだ」
「なるほど……スカーレットは迂闊ですが、頭の回転はいいのできっと何らかの大業をなすでしょう。それに、責任を感じて、というのは嘘ではないと思います」
「そうか。それなら安心だ。甥のことを頼むと伝えておこう」
「ええ。私の代わりに、ウィンデル王子を導いてくれるでしょう」
私は無責任にも、ウィンデル王子についてはスカーレットに全部押し付けることにした。欲しがったのだからいいだろう、別に。
こうして、物語は円満に幕を閉じましたとさ。
おしまい。
面白いな、と思ったら遠慮なく☆やいいねを投げてくださると嬉しいです。
モチベーションになり、次の作品に繋がります。
ついでに「貴婦人トリッシュ」を読んでくれると嬉しいな。




